2020/09/20

寄せ植えの手直し@2020秋

今日八ヶ岳グレイスホテルの寄せ植えを手直しに行ってきました。セロシアとムラサキシキブを足しました。8月5日から激しい雨や日照りにも耐えてあの時よりも美しくなっている鉢もあり、自分が選んだ植物が厳しい天候を乗り越えたと感じ嬉しくなりました。

作品を作るというカテゴリーなのでFacebook、Twitter、そしてここブログあとりえちびっこに乗せました。

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2020/09/05

トキワ松学園の三木先生(能村堆子)

最近中学高校時代のことを思い出すことが増えたのは何故だろう。大学受験する孫に進路について聞いたからなのかもしれない。

私は61年前に中学受験して目黒のトキワ松学園中学、高校に6年間通った。小学校4年の時に腎臓病になり半年間学校を休み、中学に行く時に母は公立の男女共学校では体力が大変ではないかということから、実家から近くのトキワ松学園に進むことを選んでくれた。碑文谷の丘の上にあり、のんびりした校風は私にあっているようで特に中学の3年間は学年3クラスしかなくフレンドリーな空気の中で勉学に励むことができた。

何故かこのところ急に懐かしさが募っている。それは孫が大学に向けての進路の話になり、私も自分の中高時代を思い出し、あの頃の気持ちを反芻したからではないかと思う。

たくさん出会った教師の中でも生物の三木(能村)先生の授業が好きだった。確か生物は午後の授業だった。印象に残っているのは花か葉をケント紙に描写することがあった。普通だとノートの中に書くのに特別にケント紙だった。ケント紙は画用紙と違い表面が固く滑らかで消しゴムを使っても毛羽立たず、鉛筆でもインクでも滑らかな書き心地がする。次に私が進んだ女子美短大造形科でのグラフィックや製図など作品提出はケント紙を使い、その時にかつて中学でのケント紙を使ったことを思い出した。一言でクールな使い心地というべきか。多分その頃は三木先生御自身がウニの研究の論文を書く上でケント紙を使っていたのではないだろうか? それを私たち中学生にも使わせてくれたのかもしれない。その当時は街の文房具屋でも、学校の売店でも売っていたのかもしれないが、私はそういうアイテムを知らなかった。

かつてあとりえチビッコではケント紙を使って折りたたみの絵本を作り子供たちに描かせていた。ケント紙は厚く滑らかなのでマーカーを使い、滑るように描ける。また両面で描いても透けて滲まない、筆圧の弱い子が描いても鮮やかに見える。子供たちに自信を持たせられる気がした。

今までブログに自分のトキワ松学園時代を書いたことはあったが三木先生のことは初めて書く。自分が造形絵画を教えていた者としての立場で、三木先生のことはどうしても書かないといけないと思う。でも卒業してから同窓会やクラス会ではお会いするチャンスは無かった。友人たちと先生の話はした記憶は無い。

 

話は変わるが、私はブログの他にツイッターもたまに書いている。見ていると言った方が正しい。その中にミゾイキクコさんという方がいられる。86歳でお茶の水女子大学理学部卒。この方の存在が三木先生を確実に思い出させてくれた。

ツイッターではご自分の人生の歩み方を書きつつ、女性はこれからも好奇心や向学心を持って進んでいかないといけないと啓蒙している。かつての嫁姑の立場の悲喜こもごもとした様など。そして毎日の食事の写真を載せている。この間は朝日新聞に載ったようです。昭和の時代を生きてこられた大先輩として尊敬して読んでいます。その溝井さんの存在から三木先生を思い出した。先生は今お幾つなのか? どうしていられるか?ネットを検索してみた。

 

ウイキペデイアには名前は能村(旧姓三木)堆子。現在90歳。お茶の水女子大学理学部生物学科、東京都立大学生物学科卒を経てお茶の水女子大学理学部生物学科教授になられている。現在は名誉教授となっている。私が中学で教わったのはもう60年も昔のことになる。先生の教師人生の中ではたくさんの人と遇われているであろうから、私などを思い出すこともないと思われる。だから私から何らかの行動を起こすことは躊躇いがある。このブログに記するのは私のmemory記憶として書きたかった。

そして生物の授業の時間がその後の私の創作的な時間、花や生物への関心に多大な影響を与えたことを感謝している。そしてオマージュとしてここに記しました。三木先生ありがとうございました。

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2020/08/23

コロナ下の訪問そして医療関係者への応援

夏休みにはお盆の帰省などが、新型コロナのクラスター化するのではという危惧があったが、我が家も次女夫婦が山小屋に来るかどうか、どうやったら感染リスクを小さくできるかを真剣に考えた。まず、コロナはどちら側も感染していると考えるのが前提だ。それをマスクや消毒、食事は離れてするということが「感染しない&させない」約束事だ。そして症状の出方は生活を時系列で見ると4日から5日ぐらいで出てきている。つまり出来るだけ三密の場所には行かず、もしそこを通り過ぎても5日間何も起きなければ素人的には感染していないと考えてもいい。熱が無いからと言って陰性とは決められないらしいが、条件の一つにあるのだから、人と対面する予定があったら、熱を測っておくことは必須だと思う。そうして気をつけて接近するわけだけれど、その後にお互い何もなければ、陰性と思っても良いかもしれない。だからその前に別の人と接近することは紛らわしいことになると思う。仲良い親族であっても、あの時に出会ったのが原因でコロナになったのかもという危惧はできるだけ避けたい。そして、最悪重症化したりすると、お互いが心が痛むだろうから!

そこでいつもは高級牛肉でのすき焼きにしていたが、それを1人づつ食べられるビビンバにして、山小屋のベランダで食べて貰った。豪雨の日で無くて良かった。

話は違うが、あとりえチビッコではもう30年ほど前にデッサン教室をしていた。月に一度位のものだったがそれを受けていたのは医学部の大学を受験する子だった。インフォームドコンセント(治療や手術の説明) で、絵を用いて説明をすることが視野に入っていたのかもしれない。木崎くんや久米(勝田)さん、久米さん、池田さんだ。

今は精神科医、秋田の医院、医療関係の検査技師になっている。他にも父上が外科医の子もいた。それとは違うが大学の歯科の先生になっている宮崎君もかつてはいた。また産婦人科の助産婦の仕事をする横川さんもいる。また精神科の食事をセッテイングする人もいるでしょう。このようなコロナ禍の時勢の中、彼らが危険を身近にして医療の仕事に従事していることを私は言っておく必要があると思っている。そして病院内ではコロナウイルス対策をしっかりして、無事にこの時期を乗り切って欲しい! 医療関係者への感謝の記事を見るたびに、私のデッサン教室にいた子たちを思い出している。

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2020/07/16

盆の送り火@新型コロナ

お盆は首都圏では大体713日から16日の4日間です。仏教の行事は春の彼岸、お盆、秋の彼岸、親族の祥月命日と沢山あります。身近な親族が多ければ行事も増えます。その行事をしなければ亡くなった人を思い出す時間もないと言えるほど、忙しい世の中です。

春には夫の側の春彼岸をしたので今回は時間ができたので実家の目黒のお墓参りに行ってきました。そして家に戻りお盆の迎え火です。現実にはリハビリに夫を送り出し、書類や事務整理があります。父母もこのような事をしながら忙しくご先祖の行事をしていたのかと思います。

目に見えることでは無く心の問題ではあるので、この作業に従順にルーテインワークとしてやっていく他ないと思う今日この頃です。ただその墓に入る自分たちを想像すれば子供たちがお参りにきて欲しいかと問えば、強制するものでもなく。思い出して欲しいだけです。

私たち夫婦では例えば納豆の混ぜ方とか、チーズケーキやショートケーキの台の味とかを思い出してくれれば良い。だから父の思い出は銀座松屋のスパゲティー、炒り卵のバターとか。母の思い出は天ぷらの完璧さ、お萩の餡の味。でも私は母の味を継承していると思っているから母より父を思い出す。

新型コロナウイルスで生命の危機を感じた後のお盆なので特別な感情が湧くものです。今日はお盆の迎え火はオガラに火をつけずに跨ぎます。あまりにお迎え火の時に焦げ臭かったので。

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2020/06/20

ポジティブシンキング

昨年はバラクラフラワーショーでの「寄せ植えの芸術展」で賞をいただきました。今は会をおやすみしています。いつかまた参加できる日も有るかと皆さんの作品を鑑賞しています。ところで奈良美智のTwitterでは彼は言っています。

『勘違いする人もいるのだけど、自分は来たくてロサンゼルスに来ているわけではなく、個展の準備のために来ているので、そうでなかったらこの時期には絶対に来ない。ただ、自分の性格でどんなところにいてもポジティブにいようとする。だから楽しんでるように見えても、見えてるだけなんだよ~。』(奈良美智)  そこで私も同感です。

介助している相棒は自分の体を思うようにできず私の力が必要です。私自身マイナーな気分にもなりそうですがポジティブにすることが介助の苦しみをお互いに減らせると信じています。

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2020/05/30

不要不急の外出

最近我が家のマンションの上の階の方からリフォームのお知らせがあり、それが全面改装のリノベーションであるため、かなりの騒音があるとの報告がありました。

当初、騒音が酷いからと聞いた時に、パーキンソン病の夫の体調に負荷がかかるといけないとリフォームの予定表をマンションのエントランスに見に行きました。するとなんと!設計図には内部の駆体を取り去る旨が表示されていました。20年近く前にも駆体を取りかけて工事音が酷くリフォーム会社に年長者が抗議して工事を取りやめにした経過があります。駆体とは建物の主要な構造を作っている部分であり、基礎、床、壁、柱、屋根であります。

その後、今回の工事に関してマンションの管理人を通じての注意をリフォーム会社に連絡してもらい設計の訂正がなされました。工事時の騒音がどの程度かはここ最近の我が家の上下左右のリフォームの時から想像はできます。階段などでの利用が不便になり、夫の病気にはあまり良くないので、私は不要不急を選択しこちらの山小屋にきたわけです。もう40年経つ建物ですからリフォームは当然でありリノベーションもするでしょう、住んでいる方、新しく住む方とも仲良くしたいけれど規則は守って頂きたい。そう思いました。このリフォームもコロナで在宅されて考え始めたことでもあるのでしょう。

今回こちらの別荘に来たことは特に不要不急を理由にしていますが、全て夫の病気のためです。こちらの山小屋の住人の方から聞いたことですが、東京の車ナンバーなので車を煽られたと聞きました。そのため《長野在住》と言うシールを貼ったそうです。私は今のところそのような差別感は感じたことがありません。というより煽られるほどゆっくりは走らないからとも言えます。

人それぞれに不要不急には理由があるが、いちいち説明することはできません。その辺のあたりはもう少し寛容になれないかと思います。

この別荘地を購入する大きな動機は子供たちに自然の中で遊ばせたいという目的がありましたが、もう一つの動機は日本が中央集権でなく地方分権、地域主権になった方が良いという考えを持っていました。地震などの天変地異が起きても地方がそれぞれ主権を持っていれば中央を支え合い、援助できると考えられます。そこでよくキャンプをしていた長野を選び、そして八ヶ岳を眺められる佐久川上村を選んだのです。

山梨県も長野県も何年か前に地方創生を唱っていた時もあり、住民を増やす運動をしています。買って応援、食べて応援。そこで私は同じ食料品や園芸用品も買い物をするなら長野や山梨に着いてからと行動してきました。ですから今もその気持ちです。

そのような中で「不要不急、県を跨いでの外出はお控え下さい」と言うメッセージをマスコミのアナウンサーが言うのは理解できますが、県や市が昔提案していたことを忘れたように発言するのには疑問を感じました。

新型コロナウイルスに対して県民にあまねく言わなければいけないのですから、住宅密集地の首都圏からの移動者のコロナ発症は治療に医師や看護師が大人数必要となり、迷惑なことです。ですから不要不急の外出禁止は長野や山梨県の人にとっては当たり前とも言えます。

しかし、この地の別荘では3蜜ではありません。言わせて貰えば土地への固定資産税も、少ないですが村民税も払っています。ステイホーム!ステイセカンドホーム!です。

個々人に対してコロナというウイルスを除外するために、こういう移動の禁止の方法が取れることはわかります。しかし今度コロナが落ち着いて経済を動かす時は同県も他県の経済を動かすことが必要になるのだから、その辺も考えても欲しいものです。みんなで仲良くやって行こうと言う気持ちで! 寛容な気持ちで、でもコロナには厳しい衛生観念をもって!

ところで私が以前から国際情勢を勉強するためのサイトを読んでいました。そこにはまた違う角度からのコロナについての情報が書かれていました。田中宇の国際ニュース解説 無料版 2020529http://tanakanews.com/

時間があったら読むことをお勧めします。《911とコロナは似てる》

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