2019/05/26

ココちゃん長いことありがとう!

昨夜2019525日午後840分に愛犬ココが亡くなりました。お絵描き教室の生徒さんやご近所の皆様に可愛がられて幸せでした。1週間前から食事を取らなくなり水だけを飲んでいました。18年前飼っていた犬コロが死に半年以上経ちペットロスになっていた私は2001年の長女の結婚式の日にペットショップに行きました。以前より下見していたペットショップにはシーズーを買う予定で行ったのですがその犬は病気でケージにはいませんでした。その反対側に黒い目のトイプードルがココでした。

マンションの自室の廊下を駆けてソファーに座る様子は可愛かった。身重になった長女のお腹をかすめて座るのはハラハラした。10年以上が経ちそのソファーに座れなくなり徐々に椅子の高さを替えた。そしてクッションも取り除き、ある時ソファーには登れなくなった。そして白内障になって室内のいろいろなところにぶつかりながら、水場や食事のところに来た。それも運動のうちとそのままで過ごした。ごく最近は赤ちゃん用プールに入れて飼っていた。

長野の山小屋に来るとベランダやお庭や通りを散歩した。「ココちゃんお山のうちに明日行こう!」というと尻尾を振って喜んだ。私たちが喧嘩をして言い合いをすると何度も2人の顔を見比べて、しまいには私たちは笑い出した。お利口な犬だった。ここ3年ぐらいは夜中に鳴いて起こされて、それが辛いので特に山小屋に来ていた。ある意味ではウンザリするほど世話を焼かされていた。でもこの1ヶ月はもう長くは無いと予感することが続いていた。

10日前に大倉山の動物病院で足の爪を切ってもらい目薬を処方しててんかんの薬をもらって山小屋に来ました。今回は庭の造作の手伝いを弟に頼んでいたので主人と一緒に来ていました。ココは寝てばかりでした。でもスヤスヤ寝ているので一昨日は夜コーミングをして寝かしました。昔の話をいろいろ話しながら。

昨日、朝見るとオムツから便が出てベッドが汚れていたので、お尻を洗ってやりました。またオムツを履かせとようとすると全くグッタリして2つに体が折れてしまい、息をしていませんでした。私は大声で叫び、号泣してしまいました。心臓も動いていませんでした。私は覚悟を決めてベッドにオムツせずに寝かしました。でよく見ると息をしていました。「えっ!生きていたのね」と弟と主人は私の早とちりと笑いました。その次に昼にもオムツからベンが漏れていたのでお尻を綺麗にしてオムツをして寝かしました。その時ココちゃんいい子ねと抱きしめると私を昔からするようにアゴを舐めてくれました。それから庭の仕事を弟に手伝って貰いながら、でももう長くは無いとココのお墓の穴を掘り始めました。動物も穴あけに来ることもある場所なので特に深く1メートル掘りました。弟が頑張って掘ってくれました。かなり大きな石がたくさん出て来ました。

夜の食事をし終えて私はまたココのおしりが汚くなっていたので、お尻を洗いました。するとまた朝のようにぐったり2つに折れてしまいました。あれっ!あれっ!ココ!ココ!

もう息はしていませんでした。この525日はココが我が家に来た日でした。長女夫婦の18年目の結婚記念日でした。

今朝私は庭に出て山吹の花を摘みました。勿忘草やラショウモンカズラ、デージーもここの亡骸に添えました。ココはきっと虹の橋を渡って行ったのでしょう。この八ヶ岳の風に吹かれて!

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2019/03/31

新年号まであと1カ月に起きたこと@相棒.犬etc

いつになく長い記事です。相棒のこと、愛犬ココのこと、お絵描き教室のこと、お墓参りのこと、新しい体操教室のことを書いています。私の周りに支持してくださる方がいる限り個人情報といえど申し上げていくのが本筋と心得て長くなりました。

相棒が鼠径ヘルニアの手術をしました。結婚してもう49年経ちますが初めての手術です。

手術室に入る相棒を見て、突発的にお絵かき教室をやめようと思いました。可愛い子たちが私を慕ってきてくれていることは最高の幸せです。また工作や絵の描き方を工夫して教えることも私の天性と自負していますが、これからは相棒との時間を一番大切にして行こうと決心しました。その合間に自分の絵を描くことや寄せ植えは工夫してやっていける範囲でと考えました。

手術室の所で先生と握手して「お願いします!」と握手しましたらとても柔らかい手でした。昔ファミコンをしている子は細かい操作が上手くいくから、外科医志望にはゲームはやらせてもいいのだと何かで読んだことがあります。手術は成功でした。とても気さくないい先生でした。横浜労災病院の玉地智英先生です。

相棒は3日間で退院でしたが、愛犬のココもずっと具合が悪く、夜に何度も私を起こすので、相棒の介助に専念するために動物病院のホテルに預けました。それから1週間ほどしてココが30分間にわたるてんかん発作を起こしました。異常な大きな声で鳴き、遠吠えを繰り返し体が硬直し、震えた後に抱きかかえてもダラーンとしてしまい涎が出ました。救急動物病院に連絡するも、かかりつけの病院の方が結果的に良いと判断して翌日大倉山動物病院に行きました。点滴や血液検査などのため、ココも3日ほど入院しました。血液検査の結果を書類に印字してくださるので大変よくわかり、長野に来る時もそのカルテを持ってきているので急変した時も他の病院に説明しやすいです。その後は薬の処方が良いようで、今は寝る時間が増えていますが、以前のように四六時中おやつをあげるようなことはなくなり、朝夕の2回にきちんとガッツリ食べてくれます。また今までは室内に自由にさせていましたが、飼い始めの様にケージに入れることをしました。そのためココはオムツをすることにしました。初めは私もウンチとオシッコの区別がつかずオムツの無駄使いやココ自身の不愉快さもあったと思いますが、今ではそのリズムを読めるようになり、ココも私も快適です。また川上村ではビニールプールをメルカリで買い、空気を入れて使っています。快適なココちゃんの別荘です。

また春のお彼岸が来て、娘たちにお寺さんと相対してもらえるように、一緒に福島いわきに行きました。 今回は車ではなく上野から常磐線で長女と行きました。行き帰りの車中で山盛りのおしゃべりをしました。日帰りでしたが、犬と相棒の面倒を弟に託しました。

忙中閑ありです。

川上の山小屋の友人が横須賀美術館の映画の挿絵の展覧会の招待状を送ってくれたので行きました。昔、父や母がよく話していた洋画の挿絵ポスターに癒されました。また描画材料が戦前戦後と変わっていく様子が見れてそれも感動ものでした。

それから2月いっぱいで終わってしまったタニタの運動教室の替わりに探していた教室が意外なところにあり。それは相棒のリハビリに行っているクニモトクリニックの隣に出来た「にこっと」です。まずは手始めにBB クラス、バデイ&ブレインです。機械も新しく気持ちよく使えそうです。年取ってくると新しいことに順応出来にくいですが、タニタのフィッツミーとは違いますが早く慣れて自分の体力を維持したいと思います。それがパーキンソン病の夫を支える力になるんですから! またそこまでは家から歩いて26分かかります。日々でいうと往復約1時間かかるわけですが、そこも乗り越えたいポイントです。

さあ新年号まで1ヶ月のブログ更新です。新しい年号は何となるのでしょうか? 私は漢字での表記ではなく、アルファベットで予測してみたいです。K もしくはO とでも言っておきましょうか。(笑)

追記:記事に謝りがありました。修正しました。

 

 

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2019/03/01

《さようなら》と《こんにちわ》


タニタのフィッツミー体操教室は2月28日に終了し、「ありがとうフィッツミー」でクラッカーを鳴らし、同じ時間帯を運動で共有していた中高年のお友だちと「サヨウナラ」と言ってお別れしました。

フィッツミー終了後ご近所から通っていたTさんのお家にもう1人のお友だちと寄り、初めていろいろおしゃべりしました。その方も絵を描いたり、編み物をしたり陶芸をしている人でした。もう1人のYさんは鬱や統合失調症の父兄の集まりのまとめ役をボランティアしていて、趣味で編み物や短歌をしている方でした。お互いに物作りをしているのが共通項でした。この歳でお友だちは出来にくいのでこの核のようなものを大切に育てていこうと思いました。Tさんは10年前にご主人を癌で亡くされています。次にはTさんにお人形作りを教わろうと約束して家に帰りました。

ここ2月最終一週間の間にはいろいろなことがありました。主人のヘルニアの手術の日が決まりました。たった3日ですから大丈夫です。また豊田の千葉大スキー部の先輩が亡くなられていたことの連絡があり、奥様は故人存命中と変わらずご指導ご鞭撻くださいますようと書かれていました。また豊田の写真指導の生徒さんだったYさんから高級老人ホームから簡素なシニアマンションに移転しそこは小学校が隣にあるので賑やかなところで、自立の生活をめざすと書かれていました。
そして私はタニタの次の運動の場を探していましたが、区のスポーツセンターの「頭と体の体操教室」が当たったと連絡がありました。

新しい春なのです。そして今日午後に駅への道でお母さんと一緒の堀切カホちゃんに会いました。小学生の時とお顔は変わりないのに背は私よりは高く眩しいほどでした。今日が卒業式と聞きました。そこで奥健太郎も思い出しました。私が大学を勘違いしていたので、お母さんから訂正のお手紙をいただきました。同志社大学です。カホちゃんは横浜市大に進学されます。ちなみに同じ時期いた津崎ケンタは浜松医大です。
他の生徒さんたちの年賀状はもう2ヶ月が経ったのでご披露しませんが皆さんが元気で幸せそうです。何より嬉しいお便りです。
3月1日です。 あと1ヶ月で元号が変わるらしいです。新しい春です!

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2019/02/20

音楽を聴いて描く@ビバルディの四季

今回は「音楽を聴いて描く」です。音楽を聴いて描くことに戸惑うこともあるので今までにどこかで聞いたことがある曲を選びました。最初にビバルデイの「四季」の春を聞かせて描き始めました。使う色も決まり、「四季」の春から夏、秋、冬と流して描かせていきました。夏の雷から東日本大地震にと話題も飛び、真緒、圭織はまだ赤ちゃんだったにもかかわらずリアルに当時のことを話しました。お母さんは取るものもとりあえず赤ちゃん2人を連れて新幹線に乗って関西のおばあちゃんのうちに避難した事など、震災後にずっと子供達に話しているので、幾つになっても1歳の時の幻の記憶を話すことになるでしょう。アクシデントが起きた時の対応を家庭内でよく話し合われていることが分かります。大事なことです。

圭織
さて、まず描きやすい太めのマーカー5、6色をえらび、私が3例ほど説明したものから自分の好きな方法で描き始めました。小さな面積から大きな全体へと目を向けて描かせていきました。圭織は先が決まっていると安心して描いていきます。随分進歩しました。そして楽しそうです。

真緒
真緒はこの頃何も心配せずに少し考えては書き足していきます。自分で考えて描いていかないと出来上がらないと私はよく子供たちに言っているが、学校の担任の先生も手伝うことはできない、自分で考えて描いたり作ることが大事だとおっしゃっていると真緒は言う。自分で考えるという教育が浸透しているなと感じました。

ほのか
ほのかはまだどうしても細部から全体が見られないので途中から仕上げになる時に細部同士を結びつける沢山の線を描かせました。いつか自由に全体を見て描いていくでしょう。可愛らしさから丁寧さが積み重ねられれば作品に反映するはずです。
一般的に女の子たちは全体を見ないことがよくあるので各自、作品を離して見て描かせていきました。

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2019/02/08

独楽の着色

真緒
昔、私が小さい頃、寒い冬にはコタツに入ってみかん食べながらトランプのババ抜き、七並べ、神経衰弱をした。

圭織
百人一首はコタツから出て4人ぐらいでやった。近所に住む弟の幼馴染や従兄弟がいる時は盛り上がった。百人一首で読み手になり、読みながらカードを取るのはずるいことだったけど、結構私、やりました。

ほのか
時にはどこかでいただいた手回しのミニ独楽を廻したりもした。

柊太
娘たちともそんな感じで冬の夜は過ごした。あとりえに通う子供たちにも手を使い、皆んなで遊ぶことをさせたいと思い。ヨーヨーや独楽を着色して、遊ばせている。



前回アクリル絵の具を細く使う練習をさせて、独楽を塗らさせた。丁寧に仕事ができるようになった。まだ2月3月と寒い日が続くので、室内で過ごすことも多い。親子でこのコマ回しをするのもいいのではないでしょうか。お父さん結構上手かも。


子供はかなり力を入れて遊ぶので着色後に預かり私がニスを塗って次回に渡す。お迎えのばあはが来るまで独楽で遊ぶ。男の子2人は次回まで我慢できずにニス塗りせずに一個を持ち帰った。尖った方を相手に向けて喧嘩しないようにと念を押しました。

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2019/02/05

独楽のための着色練習@ボードに抽象画

圭織
こんかいはアクリル絵の具でボードに抽象画を描きました。2月に「独楽着色」の課題があるのでその練習のためです。

ほのか
最近は子供たちの時間帯が一致しないので、3人と2人に分かれて教えることも多く、1人が風邪などを引くと個人レッスンになります。自由に書かせることも大切ですが、こういう時はそばに居て筆使いや絵の具を筆に含ませる方法などの基本的な細かいことを教えることが出来ます。芸術のカテゴリーから見たら些細なことですが、日本の教育環境からは重要なことかもしれません。

真緒
また子供たちには自分の個性、人との違いを意識させるようにもしています。特に双子の圭織、真緒にはそのことを少しずつ話しています。

柊太
学年が下のほのかにはまだ自由にさせることが多いです。柊太はもっと自由にさせています。教えようとすることには反発を感じるようなので、自分が失敗をして確かめて進むようなところがあります。


男子は丁寧に1枚を描くよりは、たくさん描いてアイデアを早く出したい気持ちを優先させています。司は今回、自分らしさに気づいて描いています。色彩の塗り方や線のバランスもいい感じです。

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