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2016年12月

2016年12月21日 (水)

冬至の夕焼けと鹿の角



以前森で拾った鹿の角が整理出来ずあったので彫刻風に木に止めてみました。実は髑髏も有るのだけどまだ作品には仕上がらないので年明けに整理しようと思っています。取り敢えず髑髏の骨の中に詰まっている砂や骨の欠片を取り除いた。


この森に私たちが住むようになったが鹿の害が酷くてフェンスや垣根を作ったけれど、元はと言えば彼らの住処だった訳で、私たちは後からここに来たのだから、このような髑髏や角は大切にしないといけないと思う。


ヒムロスギで作ったハッピーホリデーリース。夕焼けが美しかった。でも今は満天の星空⭐️

2016年12月17日 (土)

冬至まで5日@山小屋のユーテイリテイ



昨夜は雪がチラチラ舞う中こちらに来ました。川上村に入っての温度計はマイナス5度でした。あと5日で冬至になる今日この頃、午後4時半には薄暗くなって来るので荷物を運ぶ時間と水道や電源を開けたりストーブを着けるユーテイリテイー関係の時間を考慮して3時半には着かないといけない。自宅を出たのが10時15分だと昼食と食料品の買い物時間とを入れれば中央道はそれなりの時間で走らないといけない。川上村に入ると雪がチラチラして、山小屋近くになると地面も白くなり、この中私一人で全てやることに不安を感じ始めます。頭の中で優先順位をつけてロボットのように行動する。まあ言ってみれば鉄腕アトムの相棒ウランちゃんと言えるでしょうか。可愛すぎ?


①自宅の電源を入れ、②ストーブを2箇所着け、③外の水道の防寒対策の電源4カ所を入れ、④車に戻り夫3つ、私3つ、ココ2つの荷物を入れ、⑤食料品を冷蔵庫に入れ、⑥室内の水道の栓を閉め、⑦車を駐車場に入れ、⑧外の水道の水抜き用の栓を閉め(ここまでやって防寒用の熱源が暖まっているので)、⑨足が不自由な相棒が室内に入れるように救援に向う。
これが何もトラブルが無い場合のことです。室内の排水口が凍っていたりすれば、ドライヤーとホカロンで対応することや、外の水道の栓が凍っていればヤカンのお湯で溶かしたりもする。昨日もこれをしました。全てのことをして昨夜はポークシチュウと片口鰯のおつまみ。友人に頂いた越乃寒梅、それは熱燗。
2人でこの空気が良いんだよね!冷涼かつ頬に鋭く、全て緊張に包まれている。へそ曲がり夫婦の二重奏。
さて夜が明けて、水の出ない水道があった! ギャ!外に出て点検すると1箇所水道の防寒用プラグが入れてなかった。やはり完璧でなかった私。1時間もすると開通。これからは気をつけよう。
時々いつまでこのような生活が出来るだろうと思うことがある。それは出来るまでするということだろう。

写真は白い重い雲に覆われた八ヶ岳と雪が少し降ったベランダ。

2016年12月 4日 (日)

大原治雄「ブラジルの光、家族の風景」を鑑賞




清里フォトミュージアムで開催中の大原治雄「ブラジルの光、家族の風景」を見に行きました。移民したブラジルの地で森を開墾しコーヒー豆などを作り、家族(9人の子供)を養い、写真を撮る彼の生き方に感動しました。
大原に写真の世界を教えたのは妻との結婚式の写真を撮った移動写真家ジョゼジュリアーノでした。会場に飾られている写真の中に奥さんの幸の肖像が印象深いです。現在飛行機で飛んでも遠いブラジルの地に移民として行くのは尋常な覚悟ではない筈です。その写真の中に日本を象徴するような花や植物が写されていました。柿、椿、りんご、藤の花、さつき、菖蒲、ダリアまた干し柿などです。それはもしかすると妻の幸が荷物に忍ばせて持って行った日本の花の種だったのかも知れません。私は自分が園芸をしているので、頭に浮かぶ発想です。
そして会場の中の写真には苦労とか悲惨とかを感じさせないのです。思いどうりにいかずたべるものにも困ったでしょうが子供たち全員を大学に入れたそうです。ー在伯高知県人発展史、南国土佐を後にしてーのなかには大原治雄の「子供たちが一人前となり世のために少しでも役立つ人間になれば満足である」と書いています。しかし遠い地に来て二人三脚でがんばったのですが1960年代末に妻が難病を発症し大原の献身的な介護の甲斐もなく1973年に62歳の若さで他界します。その後大原は自室にこもり喪に服しつつアルバム「幸の思い出」を制作し、子供たちに手渡します。大原治雄はサンパウロの写真クラブに入って腕を上げました。そして1972年生まれの彼の孫、サウロハルオオオハラは祖父の写真を撮っています。その写真はまた印象深いものでした。文章も素晴らしいものでした。私はその前で涙が出て止まりませんでした。
ー芸術に関する限り必ず感動があり、然る後に知識がくるのでその逆はありえないー



ここ川上や野辺山、清里一帯も入植地です。レタス畑や高原の一隅には開墾碑が建っています。川上村の村史には開墾時の苦労談が書かれています。それからして推し量れます。しかし彼の作品には苦の表現は感じられない。農民賛歌であり、家族の肖像の大切さである。今回清里のK✴︎MoPA清里フォトアートミュージアムでこの展覧会が開催されたのは深い意味があると思います。
重ねて感動したことを記し、会期は12月4日までです。近くまで来られる方は是非鑑賞されますようお勧めします。

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