虫採りの日々@フォーエバー
夏休みにはマンションの子供たちが虫取りやおもちゃの見せ合いで賑やかになる。どこが自分のウチか分からないようなお付き合いが繰り広げられている。
私もそれにつられて昔の子供の頃を思い出す。特に夏休みだけでなく、いつでも私は虫取りをしていた。お昼寝の後には網を持って外にいた。4、5、6月は蝶を採り、モンシロチョウは数で捕らえ、クロアゲハやアオスジアゲハは傷つけないように大物を獲り、特に夏になれば蝉やバッタやコオロギを追いかけた。
4年生の春に腎臓病になり11月に登校出来るようになるまでの半年間は家の中に居た。腎臓病は安静にして部屋で寝ていなければならなかったが、時々母が居ない時には起き上がって目を凝らして虫を探した。一番印象的だったのはハンミョウだった。人が追いかけると少し行っては振り向くような動作をするので、ミチシルベとも言われているそうな。腎臓病の夏の日に見つけてその美しさに、思わず裸足で外に出た記憶がある。最近では絶滅危惧種になっている地域があるそうだ。10年位前に長崎で大浦天主堂への道の途中に綺麗なハンミョウを見て追いかけた。その時に小さい時の記憶がまざまざと蘇った。
ハンミョウも綺麗だけど、一番はタマムシだ。反町の父方の祖父母の家では大きなケヤキの木にキラキラ緑色を光らせて飛んでくるタマムシが居た。欲しかったけど、高すぎて無理だった。今思い出すと採った記憶は無い。でもどこかで取ったのだからその亡骸を箱に入れて大切に持っていた。確か結婚しても持っていた。今は見当たらない。
最近の虫で驚いたのはアオサギの営巣地を相棒と探検した時、コロニーの近くでナナフシを見つけたことがある。ナナフシは自分たちの種族保存のためにアオサギに食べられても卵を糞に忍ばせて増やしていると聞いたことがある。だからコロニーの近くで見つけたのだろう。また大昔今から40年前にこどもの国に長女の幼稚園の遠足で行った時に親子で漕ぐ自転車で森の中を走った時に葉の裏にナナフシを見つけた。採りたい気持ちがあった。
人は採ったことより採れないことの方が忘れないということらしい。
だから買う虫は意味がなく虚しい。自分で採ってこその虫だ。昔は昆虫採集があったが今では絶滅させてはいけないと採ってはいけないという人がいる。私は反対だ。増やせば良い。我が山小屋に庭にはバッタもいるし、蝶もいる。しかし周りは鹿に食べられて草が生えていないからバッタはいない。鹿の柵が虫を増やしている。
私がこんなに虫好きなのに娘も孫もその傾向は無かった。そこで近所の子供たちに虫好きがいると捕獲方法を伝授しようと思ってしまう。危険なこともあるので出来ることは限られているが。
子供たちは変なおばあちゃんと無視してるかもしれない。
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