グルメ・クッキング

2016年7月 3日 (日)

デルフィニュウムからアンズ




中央道長坂をでて川上に向かう途中、大泉町にさびれつつも美しい佇まいの「フラワーフォーレナ」があります。高原にふさわしい花を売っています。今回はデルフィニュウムを買いました。花を売るのにぴったりな優しい女性2人がいました。


明くる日は梅干し2キロを漬け、その置き場である階段下を掃除し、次にアンズジャムを煮て、鯵の干物を捌き干しました。


アンズジャムとデルフィニュウムの写真を撮ると、何故か色彩が大変似合うので調べると、青とオレンジ色は補色でした。ただしゴッホの有名な絵画「夜のカフェテラス」や「アルルの跳ね橋」「カラスのいるの小麦畑」「アイリス」、フェルメールの「牛乳を注ぐ女」「真珠の耳飾りの少女」は青と黄色の対比でそれは反対色です。寄せ植えでは補色を意識して花材を選びますが、反対色よりも補色の関係のほうが柔らかい主張が出来るのだろうと気が付きました。
梅干しやジャム、干物作りしながら、いろいろ考えるのも楽しいものです。時間はいつも足りません。

2015年11月 4日 (水)

鹿と諏訪大社の鹿食之免と清里モリモトの鹿肉のパスタ

Sika1八ヶ岳の大泉から清里に抜ける清里道路の脇には鹿を見ることができる展望エリアがある。私の観察によると午後3時過ぎにはよく鹿たちを見ることができる。最近も15頭ぐらいの集団を見た。今回はこちらのほうに目を凝らして見ているリーダー格の雄鹿を写せた。

鹿に対する思いはいつも正悪相反する思いになる。展望エリアでは緑の草原に美しく肢体を見せる鹿たちに魅せられカメラを向けるが、我が家の庭の百合やバラの蕾が食べられ、また畑の作物が食べられると悔しい思いになる。

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そして、清里のモリモトに行くと、シカ肉のミートソースを注文する。その気持ちの中に複雑な思いがよぎることがある。今回諏訪に行って「諏訪の勘文」という言葉を知った。別名を「諏訪の祓」という。

「前世の因縁で宿業の尽きた生物は放ってやっても長くは生きられない定めにある、したがって人間の身に入って死んでこそ、人と同化して成仏することができる」 鹿食之免、鹿食箸のお札によって、殺生はよくないが諏訪の勘文の考えのもとに鹿などの動物を食すことを薦め、厳しい諏訪地方の冬を乗り切るための大切な教えともいえる。
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今回の諏訪の旅でこのお札はもう山小屋の壁に貼られて、安心してシカ肉を食べようという気持ちになっている。
今日はさっそくモリモトで「八ヶ岳で採れた鹿肉のミートソースときのこのペンネ」をいつもより有難く美味しく安心していただきました。

2015年9月18日 (金)

秋の森の楽しみ

Bansan_2秋の山小屋での楽しみは最近の出来事から4つほどあることに気が付きました。ところが忙しさに取り紛れここずいぶん更新をさぼっていました。心を入れ替えてブログを書きたいと思うとかえってプレッシャーになって、書けません。

バルコニーでの夕食は晩餐といってもいいほど、私の極上の楽しみなのです。 ベランダではなくバルコニーで晩餐をいただくと言うのは少し高慢な物言いでしょうか! 空気の美味しさ、森の静けさは食事のメニューが何であろうと美味しくさせてしまう、これは晩餐なのです。新月の暗闇も星月夜の明るさも晩餐を演出する。夏の蛾が乱舞しない静けさもなかなか良いものです。 ある日はパエリヤを、またある日はすき焼きを、またある日はさんまの塩焼きを作りました。その時、カセットのコンロのボンベのガスが無くなっていたのに気づかず、シマッタと、急きょ炭を使っての七輪での火起こしです。チャッカマンを使ってスムースに火起こしが出来ました。暖かい炭の温もりと火の赤を感じながらの食物は晩餐の演出に最高です。
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作庭の計画を練ることも秋の森の楽しみです、木や石や砂利を探し、調達して実現へ導くことも楽しい。今年は毛虫が少なかったのはとても平和でした。
今回は外の通りから家までのエントランスの階段を直し始めた。土が削れて木の根が表出してしまい危なく、また最近足元が危なくなってきた相棒のために、頑張って直しました。資材を見て簡単な設計図に合わせて数量を計算して購入する。そして穴を掘り枕木を埋め、根を隠すための土を畑から運び、角材を置き埋めていく。最後に屋根瓦のチップを巻いていく、その一連の工事は延べ3日掛りました。まあいわゆる土方仕事です。
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その工事中、庭の木が成長して暗くなっていることに気が付き、前からチェックしていた木を切ることにした。モミの木は幹の太さが10㎝ほどだったが長さが3mもあったので、木を切る手順を整えてから切り始めた。それは以前のブログにも書いている。森の木を切るのは神聖な行為なので心して取り掛かる事が大切だといつも思っている。今回は樅と楓とノリウツギを切った。どれも真っすぐに伸びている木で芯は柔らかかった。ノリウツギを切りながら先端の花がドライフラワー化していて自然な味わいのある色になっている。

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もう1つ私の遊び心を刺激したことがあった。畑の脇に大きな蜘蛛を見つけた。つまらなそうにしているので畑の中の小さなバッタを見つけて蜘蛛の巣に投げつけてみた。すると蜘蛛は勢いよく近づき糸を出してからめていった。その様子を写真に撮った。昔「禁じられた遊び」という映画があったが、小さい男の子が十字架を作って虫の死体を埋めていくという場面があった。まさに禁じられた遊びなのだが、私のしたことも禁じられた遊びかもしれない。映画の名前が思い出せず、もう一つ別の映画「けがれなき悪戯」が記憶の渦を巻いてしまった。
森の中にいても下界のことが気になりツイッターやフェイスブックやニュースを聞いてしまう。今の私は戦争反対ではあっても、国会に集合する時間は作れない。その狭間で揺れていた時間はあったが、今は相棒の健康のことで心がいっぱいだからだ。

2015年8月 1日 (土)

標高1400メートルの梅の実

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今年の梅は花がたくさん咲いたので実を期待していたがパッと見には実は少ない気がしていた。今回7月下旬に梯子に乗って採ってみると意外に多かった。

いつもは蝶やスズメバチを取る補虫網で梅を採った。虫の世界で補虫網と言ったら超有名な「志賀昆虫」の折り畳み式の補虫網だ。娘たちが渋谷の東京女学館に通っているとき父母会の帰りに志賀昆虫店で買ったものだ。その網で梅を採るとは罰が当たりそうだが、もうすでにその網でスズメバチを採って、足で踏みつけている時点で蜂があったっているかもしれない。テヘ! 標高1400mの天界で採れた梅は青く硬かった。スケールで測ると、1700gだった。

 下界で買ったスーパーの梅は山で漬けもうシソを混ぜて土用干しも終わった。この高地の梅で今度は何にしようか、梅酒か梅干か梅ジャムか、と木にかじりつきつつ網を振り回しつつ考えた。そして今回はめったにしたことのない梅シロップに決めた。しかもその梅シロップの作り方が、COOKPADに出ていたのだがひどく乱暴な作り方なのです。「ずぼらな梅ジュース」と出ていた。炊飯器に入れてグラニュ糖を足し保温にして12時間というレシピだった。いいね! 

夕方の6時に作り始め、あくる日の朝6時に蓋を開けると、梅がボヨンボヨンになり、砂糖はほとんど溶けていた。容器を消毒して柔らかくなった梅とシロップを入れて冷ましてから冷蔵庫に入れた。この夏はもう1つ紫蘇ジュースも作った。二つとも適度に飲めば健康に良さそうだ。

2014年9月10日 (水)

李(スモモ)ジャムから松坂桃李

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川上村を根城に目的を持たずいろいろ散策することは楽しいことです。今回は八ヶ岳リゾートに行き、お気に入りの帽子を見つけました。またその近くにある道の駅こぶちざわに立ち寄り野菜を購入し、その中のスモモを使って今回ジャムを作りました。「スモモも桃も桃のうち」の早口言葉が気に入って、口ずさみながら作るのも楽しいものです。始めからラベルに「Sumomomo momomo momonouchi」と書こうと思っていましたが、ちょこっとWikipediaを調べてみるといろいろとためになることがありました。まずスモモは桃や桜や梅と同じバラ科に属して、受粉が難しく、山梨県や長野県が主とした生産地のようです。そして最近軍師勘兵衛の中で黒田長政を演じている松坂桃李の李がそういえばスモモだと気づいたのでまた、Wikipediaで調べてみました。

「桃李」の名前は、中国の歴史家司馬遷の「史記」に書かれた言葉「桃李不言下自成蹊(とうりものいわざれども、したおのづからこみちをなす)」中国の故事「桜梅桃李」の2つの由来がある。前者は「徳のある誰からも慕われる人」になって欲しいという父の願いから、後者は「自分らしさを大切に」という母の願いから名づけられた。読み仮名は両親のこだわりで「とおり」である。(Wikipediaより)

特に桜梅桃李(おうばいとうり)は桜、梅、桃、李のことで転じて、それぞれが独自の花を咲かせること。詰まる所、同じバラ科であっても花も果実も違うということになる。「スモモも桃も桃のうち」の早口言葉は殊更口に出して言うことで、桜梅桃李に反して、桃も李も食せば腹を満たし同んなじだよと言うように感じ、太っ腹な感じがしなくもない。一般庶民の戯れ言なのか。ふむふむ。

Kawa_sumomo Kawa_sumomo2 私はこのジャムが3瓶半出来たので「桜梅桃李」と「Sumomomo momomo
momonouchi」の2種類のラベルを付けてみました。今、試食してみると少しだけ煮過ぎた感がありました。

2014年9月 4日 (木)

野原で乾杯

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2014年8月 9日 (土)

プルーンジャムとジャムにまつわるエトセトラ

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小海線佐久穂の道の駅で買ったプルーンでジャムとワイン煮を作りました。ジャムは友人にプレゼントしたり、朝のパンに塗ったり、ヨーグルトに混ぜたりしてその甘さが人を幸せにします。食べ過ぎも問題ありですが。…………
イチゴやアンズ、プルーン、スモモで1年分のジャムを作りたいと思っています。特に夏から秋は信州で果実が豊富に収穫出来ます。少し前に果物屋の店先に並んでいたアンズがもう見当たりません。季節が巡っているからです。ジャムは山小屋の棚に置かれて、次の季節までの形見として注目を浴び始めます。そしてその瓶が急に愛おしくなります。誰にもあげられなくなるのです。
我が相棒は林檎ジャムが好きですが、私は今までに数えるほどしか作ったことがありません。多分林檎が出回る冬の季節は忙しいからだと思います。それと残念ながら美味しく出来たことがないのです。林檎ジャムはお店で買う方が美味しく感じます。他には蕗のようなルバームもジャム作りをしたことがあります。蓚酸が結石の元になるというのでこの頃はあまり作りません。
私の両親も仲良く2人でイチゴジャム作りをしていました。父が近所の安い商店街に自転車で出かけ、持ち帰ると母と交代で鍋の中のジャムを混ぜて作り、父はワープロでラベルを作っていたようです。父が昭和医大に入院する前に我が家にあった寿照印(父の寿雄と母の照子)のジャムは残っていて、父が亡くなってから大切に食べたようにも思いますが、記憶は定かではありません。
ドイツに行くと朝食のジャムは手作りの時が多く、パリではパック入りのジャムでした。イルドフランスのプロバンでは手作りのサクランボジャムをオーナーの奥さんがたっぷりと作っていました。サクランボがたわわに実る桜の木がありました。
これからは桃もスモモ、イチジク、洋梨でもジャムは作れます。長期保存を考えると瓶の熱湯消毒に神経を使わないといけません。それがプロにはなれない面倒くささなのです。

2014年3月21日 (金)

ルッコラのローテーション

Rukora002 ルッコラの花が横浜のベランダで咲きはじめている。我が家にとってはルッコラは食べるための葉を収穫するためのものなので、今日の暖かい陽射しに誘われベランダで摘花した。

調べてみると花を付けると茎や葉が堅くなり食用に向かなくなるそうだ。そこで花を摘んだ。このルッコラは川上の山小屋で芽を出し、夏にはサラダに入れて食し、秋になって霜にあう前に横浜に持ち帰り、マンションのベランダでまた、越冬し、関東の暖かさの中で葉を付ける。

Rukora_001 それを私は朝のサラダに入れて食す。毎日毎日二人分のサラダに入れて食べるのだが、プランターを3つに増やし、ローテーションを組んで使っている。土にはときどき珈琲カスやお出汁のカスなどを混ぜて、シャベルで空気も入れている。今日はその摘んだルッコラの花を安定良くするために貝を入れて飾ってみた。昼のランチには手作りピザにのせて食べた。Rukora_002

とここまで書いているうちに、調べ始めると、我が家の毎年出てくるルッコラは種が違い「野生のルッコラ」ルケッタ・セルヴァチカという多年草だと判明した。匂いが強いのと、花が明らかに違う。談合坂の野菜直売所のとは確かに違っていた。栄養素もビタミンCやマグネシウム、ベータカロテン、辛味成分が抗菌、抗ガン、血栓予防などありがたい効能があるようだ。

クレオパトラの好物だったようで、私もアンチエイジングを願って毎日食べている。

2013年9月 3日 (火)

山小屋のディナー

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セカンドハウスのディナーは一見しての豪華さと片づけの速さと美味しさのセメギあい。
一番芯には美味しいものを作りたい、食べたいという欲望がある。そして人にもおもてなししたいという気持ちもあるが、時々夢中になって見当外れのことをしてしまうことがある。だから、肩の力を抜いて、自分たちの食べる分だけ気楽に作るのはうまくいく。

そして調理の器は一種類にしてのシンプルさが片づけの速さの決め手。食事を作ること、テーブルを飾ることなど生活を楽しくしたいというのは女子美の生活美術教室を経たからだと思うこともある。

ちなみにコンポートに乗っているガラスの猪口に入っているのは、最近出てきた濃厚ヨーグルトに黄色のパプリカとたまねぎとキュウリのみじん切りを混ぜたもの。デイップにしてトマトで飾る。まわりにポテトチップス。ビールもワインにもあう。

2013年4月19日 (金)

七輪で焼き肉

Kawa_sitirin 久しぶりに川上で焼き肉にした。七輪に炭を用意し金網で焼いて食べた。下準備は野菜を切って肉は焼き肉用を用意するので楽々だ。炭は火起こし器に入れてガスで着火させる。アウトドアでは着火剤や薪を使う。一酸化炭素が室内にこもると危険なので窓を開けたり、換気扇を回す事が必要だ。

ベランダにライトを付けているにもかかわらず手元が暗い。ランタンを付けてみたがムードを上げる程度しか明るくならない。夏になると大きな蛾が飛びまくる中でのディナーだが、4月、5月は小さな蛾が訪問してくるだけだ。蛾が来たということは毛虫がいらっしゃるということだ。

近隣の山小屋の住民は都会にご執心のようで、誰も来ていない。私たちの会話は全くの開放的なものだった。三日月が天空にいつまでも留まり、気温も氷点下ではなかったので乾杯から焼き肉、いちごのデザートまで外で楽しむ事が出来た。時々寒さを感じて七輪に手をかかげて炙りながら、小学生の頃の昔の家の火鉢の思い出を語り合った。遠い日の思い出がまざまざと出現する標高の高さは夜の夢も摩訶不思議。

母が気持ちが悪いと吐きそうになっている。狭い道をキリンが登ってきたのに足を折って座る事も出来ない。もっと続きが見たかったのにそれで終わり。

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