住まい・インテリア

2016年5月 3日 (火)

我が家の御柱

連休の1日を山小屋階段の修理に孫と娘婿が協力して作ってくれた。腐った階段を修理するのに、トモくんは叔父さんに教わりながらバーナーで木を焦がし布で擦り、一緒に手摺りも作ってくれた。出来上がりに爺じもご機嫌。昼食はすき焼き丼。熊本スイカが三時のオヤツ。とりあえず食べて応援しよう。
川上村では御柱の里引きが3日4日と行われるのだが、我が家の手摺りが御柱になった。
少しばかり意味は違うけれど御柱も手摺りも形態は似ている。
今回はご近所ともより一層親しくなってきたのもうれしい。

2013年5月 9日 (木)

スミレの花 咲く頃

Kijimusiro
今、山小屋のまわりにはスミレやキジムシロが咲き、紫色と黄色が牧歌的な春を詠っている。ヤマナシの蕾は膨らみ複数の花を咲かそうとしている。梅は時期のずれで毎年梅干まで到達できずにいる。キジムシロが鮮やかな黄色い色を点在させ、私は「スミレの花~咲く頃~」なんて歌いながら畑を耕したり写真を撮ったりしている。鹿の新しい角砥ぎの痕跡があり、昨夜もすぐそばで鳴き声を何度も聞き、こちらが懐中電灯を向けても、同じ場所にいた。そのような、山小屋で私は考えた。

Sikagai 私がこの八ヶ岳東麓の家のことを≪山小屋≫というと、人によっては登山者の泊まる≪山小屋≫のように感じてしまうらしい。ともかくも別荘ではあるがそんな大層な作りではなく、下見板張りのトタン屋根だから、夏の2階の昼は炎天下に等しく、冬は押入れを開ければ冷蔵庫になるし、屋外は冷凍庫になる。夏至を過ぎれば、ゲジ、カメ虫、テントウムシの類はいつの間にか侵入してくる。だから粗末な廃屋にも等しいので≪山小屋≫と敢えて、言っている。私たち家族が昭和の終わりに娘たちとキャンプでのテント生活をした後に建てられたという、我が家の歴史を考えれば、大邸宅と言っても嘘ではないのです。

ところが家事全般すべてが私の仕事であり、それに付け加えて畑で無農薬栽培の野菜を作ろうと思えば、農作業の麦わら帽を被っての畑のおばちゃんにもなる。そして最近では鹿とのせめぎ合いが続き、満足な収穫も得られなかった。去年は奇しくも鹿に打ち勝ち、勝利の雄たけびを挙げたが今年がどうなるかはまだわからない。
Sumire

そして黄金週間前には障子の張り替えをした。4枚の障子を洗い乾かし張り替えた。そういう仕事は最後になると上手になっている。そして子どもたち家族のためにおいしい料理を作り、ピクニックにも行き、いろいろ行って楽しんだけど、その後は家政婦兼畑のおばちゃんになった。ちなみに畑のおばちゃんは今でも、私の尊敬している理想像でもある。

そして道路際の看板と階段が腐って倒れてきたので、その二つを直した。ペンキ塗りは楽しかったが、言葉でいうほど簡単じゃない。他には寸法を間違えたり、ネジが入らないトラブルもあった。トンカチ一発!いい加減な修理!

Ume キッチンのステンレスを磨いた。まな板も漂白した。畑の仕事は前回に耕していたので、モロッコ菜豆、赤カブ、大根、ルッコラ、春菊の種を蒔き、ブロッコリー、カリフラワー、キャベツ、カボチャの苗を植えた。ジャガイモは4月半ばにいつもより早く定植したが、その後に雪や霜でやられているのではと危惧していたが、意外と深く埋めていたので被害にはならなかったようだ。本能的な勘というものかもしれない。

また今回は時間があったので、ススキの根株を掘り取った。2時間ほどかかり2畳ほど耕せた。来年そこにじゃが芋を植える予定だ。このように、自分の仕事をいろいろあげつらったが、結局、それを楽しんでいるのであって、都会に戻ってこの山小屋を思い出す時こそ、すぐにワクワクドキドキして、たまらなくなる。だから≪田園の誘惑≫なのかもしれない。

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