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秋の彼岸の中、八ヶ岳東麓にいます。
昨夜から今朝にかけて大きな風台風がかすめて行きました。もう1つ前の台風15号の千葉での猛威に恐れをなして、ここであの様な事が起きたらどうだろうと昨夜はまんじりともせず、トタン屋根の雨音を心配し、また歩行困難な相棒をどうしようと思いつつも、しょうがないさと源氏物語の野分けや衣衣(後朝)の別れなどのを思い出し、ついでに玉鬘、紫の上、夕霧などが記憶の彼方に出てきて、ここはあの源氏の君の物語にふさわしい場所ではないかと考えると、眼がランランとしてくるのでした。(歳を考えて!)
朝食の支度中は背の高い白樺が折れるのではないかと思うほど激しい風でしたが徐々に風も収まり午後には庭を歩き、花を集めて花瓶に挿しました。今日は彼岸の中日ですが今回はいわきへの御墓参りは行けませんでした。亡き人たちが好きだった茶花や秋の花々を生けて供養の心を表したいと思っています。それで許してもらいましょう。
庭の紀伊女郎ホトトギス、ミズヒキソウ、菊、クジャクソウ、リンドウ、マユミなどを生けるとシックな感じ!私が学んでいるイングリッシュガーデンの寄せ植えの花々は華やかで心躍らせる組み合わせになります。こうして見ると何を足したらイングリッシュ風になるかと考えてしまいます。
この時期の秋の花は組み合わせ方でこのように和風にもなります。私にとっては花は今を「生きる人と亡き人との架け橋」にもなるように感じます。
山から戻ってからご近所のマンションの植栽仲間と植木の整理をしました。根深く育ったオリヅルランを他の場所に移動させることをしたのですが、その際に腰を痛めたようです。1日経って今日昔から行く整形外科に行ったのですが、開口一番先生は以前のカルテを見ながら、
「いつでも豊田さんは自分の可能な力以上のことをして治療が必要になっています。この時も!この時も!この時も。例えれば食べすぎてしまってお腹が痛くなっているので、何かの病気で痛いんじゃないのです。」と言われた。おっしゃる通りです。カルテは図入りで見えます。その通り!
先生には言わなかったけれど、もっといろんなことやっている。あれもこれも!もう覚悟が必要なのだろうか。でも、でも、70歳?、過ぎたってやりたいことはやりたい!出来ることはやりたい。
先生は言っていた。「ガーデニングも時間を決めてしなさい。」先生のおっしゃる通り!
はい!分かりました(#^.^#)(*≧∀≦*)
温熱のリハビリをして、新しいコルセットをしたら、とってもいい気持ちになった。もう50歳じゃないんだ!
6月上旬に風邪を引いたのは何年ぶりでしょうか。熱(37度9分)と咳と頭痛、身体の痛みに苦しみました。立ち上がって歩く事もままならず、どうなる事か、誰かからうつされたようです。熱が平熱になるまで3日かかり、本当に苦しい思いをしました。インターネットでは今年の風邪で検索するといろいろ詳しくでている項目がありました。2チャンネルでした。今年の風邪の傾向がよく分かりました。今までで2チャンネルを良く見たのははじめてでした。
ガーデニングでは寄せ植えの大事なコンペがあったのですが、その時はフラフラの状態で制作する気も起きず、断念しました。熱も下がり体調も復活したので、圏央道中央道をひた走り川上に来ました。そして車を止めて山の空気を吸って、思わずゴホゴホ、まだ完全では無いのです。大倉山から持ってきた寄せ植えの鉢を3つ、よいしょと車から降ろして、なんとか大丈夫と自分の体調を確認しました。
今のところ咳が急に出てくる時があります。年をとって風邪をひくとダメージが大きいようでその後の食事も、口に合わないようであれやこれや作っては思い惑う事もあります。
この川上の自然に抱かれていれば、良くなろうが悪くなろうが気にしない。神様の思し召しの年の取り方があるのですよと腹をくくりたいです。「腹をくくる」のもう少し女性用の言葉を探したが見つからない。前置きが長くなりましたが、こうして川上に来て居ます。
寄せ植えはバラクライングリッシュガーデン横浜教室で指導を受けた作品のため、そのまま置いても美しく長野の標高1400メートルの庭で配置を工夫すると、そのままイングリッシュガーデンという雰囲気が漂ってくる。まあちょっと無理やりですが。今回は赤やピンク系の色が少ないので明日長坂に行って探してこようと思います。
鹿は畑に来ていないが草が生い茂りだして草刈りをしながら隣の敷地の舐めたように草が芝生状になっているのを見る。鹿君のお仕事も凄いです。草刈りをしていて鎌の刃が調子悪いのでダイヤ砥石で鎌をたくさん研ぎました。
昨日に次ぎまた午後から草刈りをします。してもしても草は生えてくるのですが、梅雨の前のこの時期にしておかないと畑が蒸れてしまうので大切な作業です。ジャガイモは生育状況は良いですが、トマトは気温が低かったのか、植えた時のままという感じでした。マルチを敷かないで始めたからでしょう。いい加減なところもある私です。
何もかもまだまだ勉強です。
5月16日、17日に野辺山ウルトラマラソンがありました。国道141号の野辺山を起点に南牧村、小海町、北相木村、南相木村、川上村を通る100km、71km、42kmのウルトラマラソンのコースと野辺山ショートマラソン10km、5km、2kmがあります。ショートマラソンは当日受付でウルトラマラソンの受け付けは2014年10月24日から2015年2月27日まででした。関心のある方はホームページもから詳細をお調べになると良いでしょう。
私たちは以前から買い物に行く途中などでマラソンをしている様子を見ていましたが、今年はご近所の吉田さんが出場する事がFacebookでわかり、応援する事にしました。ここまではちょっとした思いつきの気持ちでした。
ところが車で八ヶ岳が見える場所に芳州さんと行ってみると、すぐに10㎞コースのファーストランナーが来ました。かなり余裕の表情で走って行きました。後からだいぶ経って次の人たちも来て、少しづつ苦しい表情になってきました。標高が1300mなのですから苦しいわけです。もう来るかなもう来るかな?と見ていましたが吉田さんはまだ来ません。私たちもだんだん興奮してきました。確か奥さんはオレンジのウエアと紫のスパッツだったと、遠くの方をずっと見ていました。何回も何回もそうかな、吉田さんかなと見ていて、諦めて、これって10キロかしらと思い始めました。しかし苦しそうに走っている人に「これって10kmのコースですか?」なんて聞く事はできない。あきらめ始めた頃、手を振る人がいる吉田さんだ! カメラを向けたけどココが動き始めてよく撮れない。応援しようと決めていた言葉を相棒と二人で大きな声で言った。
「フレー!フレー!吉田ー! フレフレ吉田!」
八ヶ岳をバックに写真を撮った。でも私も1枚、相棒も1枚だった。楽しい時の写真は少ないが、我が家のジンクス。なんだかぐっと距離が近づいた。後で聞いた話によるとご主人が風邪をひき熱があったとのことでした。もしかしたらもっといい成績が期待できたのでしょう。ちょっと残念ではありました。でも多くの人が青空の下がんばって走っていました。特に後半に私たちに近い高齢の人たちも多くいて、みんなにエールを送りました。走る人を伴走するケースも見かけました。お母さんが娘を、おじいちゃんを息子が、通りの反対側を走って勇気付けていました。100キロコースは夜にまで時間がかかり、暗闇の中の山道を走っている様子は今回も見られたことでしょう。真夜中の走者たち!
最近よく使われる言葉に「元気をもらいました」という言葉があります。あまりにみんなが言っているので嘘くさい感じがして嫌でした。今回の応援は全くその通りなので、他の言葉を探しましたが、私もその言葉を使いたくなりました。
「私、野辺山ウルトラマラソンで元気をもらいました」*\(^o^)/*
生活不活発病というのがあるらしい。コトバンクによれば、災害などをきっかけに外出が減り座りっぱなしになるなど生活が不活発になって全身の機能が低下する。新潟県中越地震では、被災高齢者1626人ちゅう496人が歩きにくくなり、うち4割が5か月後も回復しなかった。予防・改善に役立つ7項目のチェック表で外出頻度や活動量などの変化を調べ、生活不活発病になる・なった危険性のある人を見つける」とありました。7つの項目が気になる人はネットでチェックして下さい。
生活不活発病は年齢も関係なく起こりうることらしい。 人はできるだけ歩くことが基本的に良いわけですが、何も用がないときに歩くことは、微妙な年齢のKeicocoは徘徊につながるようで躊躇われる。目的のない散歩は重さも気にならない小型のデジカメをもって散歩をすると、眼も注意深くなり、写す意欲も出て、季節感も楽しめる。2日ほど前に大倉山の家の近所を散歩し、小さな春を見つけた。オオイヌフグリとホトケノザだ。春の七草に「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ」とあるが七草のホトケノザはコオニタビラコで、キク科ヤブタビラコ属とあり、なぜか名前とイメージ写真が一致しないと思う。実は私は今の今までこの写真のホトケノザが七草と思って食べていた。それは七草がスーパーで商品として売られるようになってからはついつい買ってしまうようになっていたが、以前は小机の畑に行って摘んで食べていたが、特にお腹を壊すようなこともなかった。野草はキンポウゲ科を熟知しておけば、ほとんどが食べられると思っている。
未だ1月、大寒を過ぎたばかりだ。この間、川上村で滑り転んだ私はFrozenの世界が怖ろしいと肝に銘じている。そこでたぶんしばらくの間行かないでしょう。そこで当分 「都会の誘惑」に身をゆだねて散歩をしなければと思っている。
できるだけ歩きましょう。きっと歩きます。目標は7000歩、6000歩、5000歩?でしょうか。自信がない私!
八ヶ岳山麓、大泉の道路脇に昨日鹿が3頭で草を食んでいた。写真を撮ろうと車を戻すともう居なくなっていた。辺りにはコブシが咲き、草も萌出ていた。標高がその場所より500メートルは高い我が家の辺りになると春は遠のく。
そして昨日、天皇、皇后両陛下は15日に私的旅行のために長野県千曲市のあんずの里スケッチパークや県立歴史館を訪問され、16日には午前中、長野県の食品研究機関を視察し、午後帰京されるという。宮内庁は今回の訪問を公的行事と異なり、日本の四季折々の美しい風景などを見て回る新しい形の私的旅行と位置付けているそうだ。
天皇皇后両陛下は東日本大震災が起きてから頻繁に被災地を訪問され私的旅行は二の次だったように感じる。8年前には紀宮清子様がご結婚する前に、両陛下とご一緒にここ八ヶ岳を訪問された。その時に近くのYMCAの建物に寄られたり、レタス畑に来られたりしたようで、厳重な警備だった事を思い出す。その時は清泉寮に泊まられたと聞いた。今回、美智子様は長野の帰りの新幹線で八ヶ岳の方を見ながら
『陛下、清子(サーヤ)とレタス畑でレタスを収穫をした時が懐かしいですね。』などとお話しているのではないだろうか。私だったらそういう会話があると思う。
そして美容院に行くとたくさんの女性週刊誌には皇室の事を取り上げた記事が多い。雅子様の病状や、宮内庁の意見なども書かれている。一般庶民の間でも、嫁と姑、娘の結婚、息子の結婚で、アクシデントが生じている家庭もある。どこの家庭でもそういうことは、十分配慮しないと起こり得ると思う。実の親子であっても成長してから意見の対立が起きて、全く没交渉の関係になってしまっているという話を聞いたこともある。そういう事が起きるのは不幸なことだと思う。便りのないのは元気な印と言うのもあるが。
今まで絵画教室をしていた教育的立場で、意見を言わせていただければ、お互いの信頼関係を大切に、お互いが歩み寄る姿勢を大切に、壊さないように、『君たち大好きだよ、一緒に生きていこうよ』と言い続ければきっとうまくいく。それより落語なんかを一緒に聞きにいけば良い効果を得られるのではないだろうか。下世話な意見だろうか。
小海線の写真を撮り、それを編集しながら、66歳と1日目の私は考えた。
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