文化・芸術

2016年12月 4日 (日)

大原治雄「ブラジルの光、家族の風景」を鑑賞




清里フォトミュージアムで開催中の大原治雄「ブラジルの光、家族の風景」を見に行きました。移民したブラジルの地で森を開墾しコーヒー豆などを作り、家族(9人の子供)を養い、写真を撮る彼の生き方に感動しました。
大原に写真の世界を教えたのは妻との結婚式の写真を撮った移動写真家ジョゼジュリアーノでした。会場に飾られている写真の中に奥さんの幸の肖像が印象深いです。現在飛行機で飛んでも遠いブラジルの地に移民として行くのは尋常な覚悟ではない筈です。その写真の中に日本を象徴するような花や植物が写されていました。柿、椿、りんご、藤の花、さつき、菖蒲、ダリアまた干し柿などです。それはもしかすると妻の幸が荷物に忍ばせて持って行った日本の花の種だったのかも知れません。私は自分が園芸をしているので、頭に浮かぶ発想です。
そして会場の中の写真には苦労とか悲惨とかを感じさせないのです。思いどうりにいかずたべるものにも困ったでしょうが子供たち全員を大学に入れたそうです。ー在伯高知県人発展史、南国土佐を後にしてーのなかには大原治雄の「子供たちが一人前となり世のために少しでも役立つ人間になれば満足である」と書いています。しかし遠い地に来て二人三脚でがんばったのですが1960年代末に妻が難病を発症し大原の献身的な介護の甲斐もなく1973年に62歳の若さで他界します。その後大原は自室にこもり喪に服しつつアルバム「幸の思い出」を制作し、子供たちに手渡します。大原治雄はサンパウロの写真クラブに入って腕を上げました。そして1972年生まれの彼の孫、サウロハルオオオハラは祖父の写真を撮っています。その写真はまた印象深いものでした。文章も素晴らしいものでした。私はその前で涙が出て止まりませんでした。
ー芸術に関する限り必ず感動があり、然る後に知識がくるのでその逆はありえないー



ここ川上や野辺山、清里一帯も入植地です。レタス畑や高原の一隅には開墾碑が建っています。川上村の村史には開墾時の苦労談が書かれています。それからして推し量れます。しかし彼の作品には苦の表現は感じられない。農民賛歌であり、家族の肖像の大切さである。今回清里のK✴︎MoPA清里フォトアートミュージアムでこの展覧会が開催されたのは深い意味があると思います。
重ねて感動したことを記し、会期は12月4日までです。近くまで来られる方は是非鑑賞されますようお勧めします。

2013年10月 2日 (水)

軽井沢の旅@2013

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八ヶ岳川上村から少し足を延ばして旅をしたいとずっと思っていた。今回は時間が取れたので軽井沢を選んだ。

ホテル音羽の森は軽井沢駅から10分という距離だが、静かで落ち着いたクラシカルなホテルだった。インターネットで季節のおすすめやお得な情報があったのでそれを選んで予約した。夕食はフランス料理で、白菜とサーモンを使った何とも言えない美味しさの前菜や、メインデイッシュは豚肉と軽井沢の野菜を使ったボリュームもありながら健康的な食材ばかりだった。、テーブルにはロウソクがキラキラと瞬いて~~~すごいロマンチックだった。

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心の片隅には節約の天使も飛び交っていたが、
『君にはいろいろがんばってもらったから、このぐらいの事をしなきゃ罰が当たっちゃうよ』『夏の間、僕の分まで断捨離やゴミの分別や人の手配や心配事をいっぱいさせちゃってごめん』
『これからも愛している、ずっとだよ!ジュテーム』
などと王子様の声も聞こえたのでとろけそうな夜だった。そんな声が快く入っていったのはすばらしいクランベリーやエトセトラなアイスクリームのデザートがあったからだ。

夕食前にチャペルでの結婚式があった。小規模な結婚式だったけれど、皆幸せそうだった。

明くる朝あかるい日差しの中で、掲示板に
「このゆえに人は父母を離れ  その妻に会いてふたりのもの  一体となるべし」
と書かれていた。翌日は軽井沢で初めて別荘を立てた英国人ショーが祈りの場として立てた教会を見た。下見板張りでガラスが入っている日本建築風の教会だった。Karuizawa_b1 Karuizawa_b2Karuizawa_b3

南軽井沢の軽井沢レイクガーデンは秋の庭らしくシュウメイギクのピンクと白が咲き誇っていた。バラが風に吹かれて、行ったり来たりするのは薔薇の精が入魂されているみたいだった。3枚の写真でそれを表現してみた。

そこから川上に戻るコースをカーナビに入れて推奨を選んだのだけど、ものすごい山道に入り込んでいった。元に戻るより良いかと突き進んだら、岩村田に出た。いまいちカーナビの使い方が下手だ。山道には栗のイガが大量に落ちていた。

行きに寄った八千穂の黒沢酒造を通りながら、『丸山健二の浄土具現』は作家が撮る写真として、優しく美しく感じた。若い時の尖った印象は優しく丸くなっていた。丸山健二についてそれほどしっかり勉強した訳ではないから、このような物言いは作家に対して失礼にあたると思うが、そう感じた。仁王像から天女に時間が変化させたのだろうか。

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141号線を川上村に入ると八ヶ岳に落ちる夕陽は雲が邪魔をしていたけれど、やはりほっとした。第二の故郷だからね。

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