書籍・雑誌

2021年6月26日 (土)

滅びの前のシャングリラ」を読んで

あとひと月で地球に小惑星衝突が起こる。その前に何をするか? 17歳でいじめに遭っている友樹は憧れの少女と一緒に彼女の夢を叶えようと東京に向かう。息子を愛する母は何としても彼を守ろうと行動する。その母を愛していたと気づいたヤクザの男も彼女を守る。そうして小惑星衝突の前に次第にお互いを思いあう家族へとなっていく。

あと1週間、あと数時間になってもお互いを守り続けている家族

読み終わってシャングリラの意味を考える。これは地球に小惑星衝突の残された時間をどうするかだけど、コロナによる死の恐怖は突きつけられる時間の短さでは同じ意味にも値する。シャングリラとは理想郷。滅びる前の理想郷

シャングリラとは英作家のヒルトンが書いた「失われた地平線」に登場する理想郷の名に由来しているそうだ。それをシャングリラと言ったが、サンスクリット語のシャンバラに由来しているという。

そういう意味では私たちが行っている川上村の山小屋はシャングリラでありシェルターなのですが。

 

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2020年1月13日 (月)

ブックサーフィンと心の星

「暦のページ」によると今日成人式の日の出は650分、日の入りは1649分と出ている。昨夜も星と月が出てこの八ヶ岳東麓の白樺は上部が月に照らされて輝き、赤岳は闇の中に真白に輝き、星が瞬いていた。

年末から年明けまで本を通じて心がウキウキすることもあり幸せでした。基本的には相棒の介助が時には介護の様相を呈してくるので何のこれしき!とも思う日もありますが、年を重ねれば優しくならないととも思います。

さてブックサーフィンはもしかすると私の造語です。と書いてから調べて検索すると何とありました。この言葉からネットサーフィンがあるのだからブックサーフィンもありますよね。

暮れにテレビBS NHKで「みをつくし料理帖・心星ひとつ」に心を射抜かれました。そして作家高田郁、「みをつくし料理帖・心星ひとつ」、森山未來も検索しました。すると森山未來の座右の書に「アルケミスト」がありました。丁度川上村にいたので村の図書館に行き、その次の章「みをつくし料理帖・夏天の虹」と「アルケミスト」を借りた。

正月のおせち料理作りや家族との会食などもあってアルケミストは薄い本なのにまだ読み終わらない。けれど令和元年から2年にかけて、2つの本はこの私を夢中にさせるものがありました。みおつくしの女料理人、澪の想い人としての侍小松原(森山未來)の風貌がかっこいい。彼は舞踏家が本業のようだが「世界の中心で愛をさけぶ」にも出ていた俳優なのだそうです。

「夏天の虹」の小松原は三河以来の旗本で一家を背負っている、澪は自分の心星である料理人の道を極めたい、嫁ぐことになれば全てを捨てて尽くさねばならない。その狭間で揺れる心はどうしようもできない。その気持ちが澪の鼻を効かなくさせる。江戸の町人文化を漂わせながら料理を極めていくのが面白い。稲荷社での文のやり取りが切なさを極めさせている。このスマホの世は何とあじきなき事とかや!

アルケミストはまだ半ば程だがあらすじは「羊飼いの少年はアンダルシアの地からエジプトのピラミッドに向けて旅立つ。彼を待つ宝物が隠されているという夢を信じて試練に合いながら《前兆に従う事》も信じ、新しい場所に移動していく。時にはその予言が人々を助ける。聖書ではないが訓戒に富み、メルヘンな人生訓は色々なところに散りばめられている。」

最後まで読めていないのでここまでの感想という事です。

テレビから本に移りネットで調べてまた本に、そのためブックサーフィンなどと言ってみました。そのような時間を過ごせて幸せな年頭でもあります。

江戸の心星とピラミッドまでのアラブの星、そしてこの山小屋の星月夜。かの地では戦争が囁かれるほどの大事になっています。暗闇の中上空を飛ぶ飛行機の点滅するライトからかの地への私の祈りなど届きようもないですが、祈らずにはいられない。

2017年2月19日 (日)

しろいうさぎのイヤリング



今日は壊れていて修理が必要だったイヤリング三点を直し、テーブルフォトで遊んでみました。
イヤリングはファッションの一部として私には重要な位置を占めていますが、無くした物もたくさん有ります。無くして探し見つけたものも有ります。一番の武勇伝はお正月の雪が降った日に真珠を銀で巻いてあるイヤリングを落とした時です。夜になって気づき雪の中で探し見つけた感動は忘れがたいものです。


最近無くしたのは寒さでマフラーとマスクを取る時に落としたものです。また川上村に長女がきた時に「素敵ね!」と言って即座にプレゼントされたものを耳に着けて森の中を散歩した時に落としたことも悔しいことです。山小屋にはその片割れがいつもピカピカ光っています。この頃は落とした方のイヤリングは白いウサギが長い耳に着けているのではと思い始めています。写真は私の好きな絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」福音館書店
今とても川上村に行きたいのですが、寒さが厳しく、三年前の大雪の恐怖がトラウマになっている私です。

2015年4月25日 (土)

春が来ている

下の畑にいます。(*^◯^*)

2014年3月29日 (土)

大雪のトラウマと「文明崩壊」

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2月の大雪がトラウマになって川上に行くのが怖いのです。いや、トラウマではなくて4月のウマシカかもしれない。山小屋の周りを駆け回っている夢を見たい。
本を断捨離して、その祟りなのか、単純な反動なのか、最近の本漁りは尋常ではない。でも、「文明崩壊」下巻があと4分の1になった。同時進行で《身体にいいこと》や《美味しいもの》のハウツー本がめじろ押しでつい、楽な方へと流れる。

だが読書欲がまだまだ枯渇しないのは嬉しいことなのだろう。文明崩壊はもう10年前に出版されているのだけれど、最近になって私は気がつき読んでいる。今世界で起きていることの説明として納得できることが書かれている。昨年末から延々と読み続けている。世界を俯瞰した眼で見ることができる。山小屋でその感想を書いて見たい。

その後には内田樹の「街場の五輪論」が待っている。

2013年12月27日 (金)

「文明崩壊」と雪

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昨夜のうちに雪が降り、朝起きたら白樺の木が雪でコーティングされていた。なぜかいつもはロマンチックな白樺が薄汚く見えるのは雪があまりに白いからだ。
私は雪が降った夜に二階に上り、窓を少し開けて雪が降ってくるのを見るのが好きだ。都会では綿菓子のようなふわりとした雪が降るが、こちらではサラサラの結晶がはっきりした雪が降る。黒いセエタアの腕を出して置くと雪の結晶がハッキリと六角形に出てくる。それはほとんど薄くスライスされていて、厚みがない。中にはその角を結ぶ蜘蛛の巣のような放射状の線が欠けているものもあるが、ともかくも何かの法則に従って出来ている。いつもどうしてこんなに規則ばっていて空から大量に落ちてくるのだろうと思う。もしも人間の世界でこうしたものを工場で作るとしたら大変だろうと思う。それと何の音もしない、音がゼロの世界がある。

朝になり急に現実の世界に戻り、今の放射線量はどの位かと測ってみたら、0.10だった。かなり低くなった。今夜お風呂に入った後で雪に牛乳でもかけてかき氷でも作ってみようかな、それとも本格的に卵と牛乳を混ぜて攪拌してアイスクリームを作ってみようかな。
そしてもう一つの現実、給湯器に灯油を入れることが私たちもそろそろ大変になってきたので、村のガソリンスタンドにお願いして来てもらうことにした。ホースの長さが足りるか気がかりだったがギリギリで足りた。階段の下に置いたポリタンクに二つ入れた灯油は私が家に持ち運んだ。昔はか弱くか細かったが、年々歳々強くなった。これは進化と言うよりは環境順応なのだろう。

今ジャレド・ダイヤモンドの「文明崩壊」を読んでいる。これ以前に「セックスはなぜ楽しいか」を読み、今度はこちらを選んだ。「セックスは」の方は学校推薦図書に選ばれたそうで、題名で拒絶してはいけない。まあ題名デ選ぶと思われたくもないが。微妙に難しい本ではある。
少し難しいところもあるから高校生ぐらいからが理解できるかもしれない。

「文明崩壊」は文庫ではあるが、550ページでかなり厚い。副題が「滅亡と存続の命運を分けるもの」帯には「栄華の終わりは急激に訪れる」…マヤ文明、イースター島、北米アナサジ文明などを解析、崩壊の原因が繁栄の中に存在することを指摘した名著。『銃・病原菌・鉄』の著者によるスリリングな文明論!…とある。これで上巻だから道は遠い。
私はおせち料理を作りながら、この本を読むのも2014年に相応しいのかもしれないと思っている。皆さま良いお年を。

2013年3月30日 (土)

≪田園の誘惑≫を書きはじめたとき

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2013年4月からブログ≪田園の誘惑≫を主に書いていこうと決めましたが、この≪田園の誘惑≫を始めた経緯については詳しく説明しなければならない事があります。

以前も書きましたが、芳州がフリーになり写真出版社や写真関係の方々との連絡などが頻繁になり、コミュニケーションとして、私はバレンタインデーの時にチョコレートを贈りながら、八ヶ岳での生活を綴ったエッセイを書くことを始めていました。その功をどなたかが認めて下さり、2002年春から季刊誌「百万人の写真ライフ」から原稿を依頼されました。その出版社は日本写真企画の石井聖也社長であり、大藤卓夫編集長でした。

私には初めての文章を書く仕事で、編集部の御好意から始めていたのではありますが、紙面を汚しているのではないかと随分心配しながらすすめたものです。その時に自分で≪田園の誘惑≫と名付けたので、ブログ≪あとりえチビッコ≫を始めた時にカテゴリーの一つとしても≪田園の誘惑≫を続けていました。あっという間に8年以上が経ち、今まで編集部にはきちんと連絡していませんので、この機会をきっかけにあの時のお礼を再び申し上げたいと思っています。

ただ今現在山小屋でこの記事を書いています。ちょうど「百万人の写真ライフ」50号があり、スキャンしましたので、ここに載せます。当時、主人の母の面倒を見るという、私には苦手な事にも挑戦しており、八ヶ岳を舞台に原稿を書くというのは晴れがましいくうれしい事で、希望の星でした。文字数を原稿用紙1枚半にするため、書いた内容を削り削っていく作業は、結局自分にとって本当に貴重な文章修業の時間になりました。

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