バベットの晩餐会

バベットの晩餐会

19世紀後半のデンマークの漁村にプロテスタントの牧師を父に持つ姉妹は出会った男たちとは結ばれず時が経つ。フランスパリコミューンの革命で父と息子を殺された調理人バベットは逃れてその姉妹のもとにどり着く。教会を中心に漁村の人々は信仰熱く暮らしていたが年を経て気短く怒りっぽくなる。バベットはくじに当たりその資金を使って牧師の記念日のために晩餐会を催す。隣人である村人たちは美味なフランス料理とワインを心から楽しみ、次第に敬虔な信仰心を取り戻していく。デンマークの漁村、プロテスタントの奉仕の精神、年老いていく中での気持ちの持ち方などがそれぞれの言葉で編まれていくのが心に沁みた。

一軍人から将軍となった年老いた男の言葉より

「慈悲や心と真心が今やひとつになった。正義と平和が接吻を交わすのだ。心弱く目先しか見えぬ我らはこの世で選択をせねばならぬと思い込み、それに伴う危険に震えおののく。我々は怖いのだ。けれどもそんな選択などどうでもよい やがて目の開く時が来て我々は理解する。神の栄光は偉大であると。我々は心穏やかにそれを待ち感謝の気持ちでうければよい神の栄光は等しく与えられる。そして見よ 我々が選んだことは全て叶えられる。拒んだものも捨てたものも取り戻せる。慈悲に心と真心がひとつになり正義と至福が接吻を交わすのだ」

映画の中で語られる言葉だが見てない人は漠然としていると思われるだろうが、映画を見れば理解できる。別れてからもずっと思い続けていた。これからも天に召されてもそうであると。

原作はデンマークの紙幣にも印刷されているカレン・ブリクセン

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2024/02/17

私の自分時間

自分時間がたくさん出来たので始めの1日目は疲れをとって休んだ。2日目は植物を買って、3日目はベランダの植物を整えて母のお墓参り、そして4日目は本屋に行って「古本食堂」と和田秀樹の「60歳過ぎたらコレステロールは下げなくていい」「犬がいた季節」を買ってきた。5日目6日目本をを読んで、7日目映画「ブロークバックマウンテン」を見た。山岳の羊飼いの話かと思ったが内容は深かった。

川上に居たら村の図書館に行くのだけれど、今回は本を本屋で買った。Amazonでなくくまざわ書店で買った。これ以上本屋のない街を増やしたくないから。

古本食堂は本屋大賞かと思ったがどうも違っていたみたい。でも私的には壺にハマった内容だった。

神田の古本屋の主人が亡くなり、北海道に住む彼の妹や東京の文学部に在籍する姪がその古本屋をなんとか存続させようと奔走する人間模様。その神田の商店の通りが出てきて、好きだった作家や著名人が好んでいた食べものやその人たちが書いた書籍を織り交ぜながら話は進む。また姪の将来の進路や仕事、大叔母の北海道にいる憧れの人も全て織り交ぜながら、私は出てくる食べ物の話に舌鼓を打ち涎を流しそうになりながら話は進む。でも残念なことに私は一つも神田の店で美味しい料理は食べた記憶がない。ただお店ではないが神田に住む夫の友人のFさん宅でニュージーランドから取り寄せてくれた牡蠣を食べた気がする。記憶が曖昧で申し訳ないが。送って来たかもしれない。

そこでこの古本食堂は相続のお話も出てきたり親子や親族の絆や反発も書かれていて、話が進むにつれて良い人だったと思え、この先の主人公始め登場人物の人生がどうなるかなと知りたくなりました。

ところで今日は元獣医のお友達にあった。あと私の自由時間は2日間です。

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2023/11/20

思い出の絵本 その5「きつねの窓」

安房直子*文 織茂恭子*絵 ポプラ社

今回このように絵本を話題にするのはもう我が家には絵本はいらないんじゃ無いかと思いつつ、夫の看護で来てくださる看護士さんに差し上げようと思い立ち、集めて再び読んでみた。そしたら結論は残念ながらあげられないことになった。あまりにMY思い出が詰まっているからだ。

この「きつねの窓」はありえない話をあり得る話に誘い込んでいく巧妙さがある。杉林がいつのまにか桔梗の野原になり、白いきつねを見たあとに、染め物屋が現れ、多分これはさっきのきつねと気づきながら、染めた指で母ぎつねが表れ、自分も指を染めてもらうと昔大好きだった少女が現れ、また自分の実家の縁側の小さい長靴、今にも母が出てきそう。家の中は電気が付き2人の子の声が聞こえる。僕の声と死んだ妹の声もする。家は焼けて庭はもう無い。

素晴らしい指を持ったのに家に着いた途端習慣で手を洗ってしまう。引き込まれて昔の世界に戻されてしまう。

教科書に載ってる物語だ。

私は指で作る窓にに出てきて欲しい情景はたくさんある。今のところひとつに絞れない。

指が勝手にその情景を出してくれると良いな。大切だつたことを気づかせて欲しいから。

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2023/08/27

amazonプライムの映画を観て*1

久しぶりにブログに記事を書きます。最近amazonプライムで映画を見ることができることを知りました。Facebookでは全文を載せることができましたが、Twitterでは分離してしまい、うまく載せられません。そこで昔の古巣に戻ってブログに載せることにしました。何か新しい構造になってるみたいです。またよろしくお願いします。

 

今日観た「デイール美術商と名前を失くした肖像」は面白かった。フィンランド映画でフィン語が出てきて美術商という私たちには縁遠い世界なのだが絵に対しての見方が時々語られて、それでいて美術商のImg_9072 商魂もあり、徐々に惹きつけられた。

年老いた美術商ラウニョが周りの人たちに店をたたむ様に薦められているが最後を飾ってからと思っている。それはなぜかというと「金じゃない、名作に携われることがしたい」という。彼には娘と孫がいるが妻亡き後、美術商の仕事に夢中で付き合いはなおざりになっている。

孫は社会勉強をラウニョの仕事を手伝って成績として評価して欲しいと言ってくる。ラウニョはオークション会場で今までにない閃きを感じる絵に出会う。そこには名前のサインが入っていない。裏には「庭」の文字が。それを孫がおじいちゃんのためにネットで調べたり歩いて関係者を訪ねて、誰が描いたかを探りだす。オークションでは高額な額で競り落とすが、その後また大波乱!

絵の感想を孫にこう話す「モデルに媚びない潔さ」「腰の曲がった老人と手を繋ぐ幼子は命を歩んできたものと歩みゆくもの」

 

「聖画の前では画家も無、存在も無、誇示より謙遜。個人よりも全体」の言葉が残る。信仰心はこのような形で受け入れられたら素晴らしいと思う。

読んでくださってキートス!

 

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2023/06/17

コロナ感染しました

ついに私もコロナになった。怒涛の昨日を乗り越え今日は静かな1人の日。コロナでは無い夫はリハビリの医院の紹介で入院してもらい。私の弟が手続きしてくれ、持ち物は山小屋に行く予定だったのでまとめてあり、それは早かった。入院手続きはなかなか大変なようだった。

だが食料は引き算方式で食べてたので家には何もなくなっていたのでネットスーパーで取り寄せ、卵を忘れたので、声をかけてくださったお隣にお願いすると他にも🍙やカットの🍎🍈🌽をお見舞いに下さった。嬉しい。食欲はある!

熱があるので、食事の合間に寝ている。パーキンソン病の夫は私が全てしてあげないといけないのだが、今個室の病院の中でどうしているだろうと思う。付き添っていた弟によると若い看護婦さんに囲まれて嬉しそうだったと言う。慣れない環境で動きも話も伝えられない中どのようにしているだろうと心も萎える。

今日昼にネットスーパーが届く予定の時間まで寝続けていたが不思議な夢を見た。私が若い頃勤めた会社の社長とそれよりも若い時の友人とが会議室に居た。

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2023/05/07

千早茜「しろがねの葉」を読んでからの「男ともだち」

2023年春に川上の図書館に久しぶりに行き、168回直木賞をとった千早茜の「しろがねの葉」を読んだ。大河長編で1人の少女の一生を描いていて夢中で読んだ。その後また図書館に行き千早茜のコーナーで今度は「男ともだち」を選んだ。読み始めは前出とはかなり違う内容であると思ったが小説の面白さは体験できない喜びや悲しみを作者の掌の上で弄ばれることなので、それに従って読んでいた。

「しろがねの葉」は貧村に生まれた少女ウメが親と一緒に村を出る時から生き別れになり、山や川を歩き、走り続けて石見銀山の天才山師に助けられ、自らも坑道で働きながら、女であることによる宿命を跳ね除けまた悲しくたくましく受け入れて強く生きることが描かれている。

「男ともだち」は「しろがねの葉」より8年前の千早茜の作品だ。[ 関係の冷めた恋人と同棲し、遊び人の医者と時々逢引き、仕事は順調なのに本当に描きたかったことを見失っている。京都在住のイラストレーター神名葵29才の熱くてダークな疾走する日常]と本の説明。ここに彼女にとっての大切な男ハセオが抜けている。ハセオは大学時代からの男ともだちで葵には大切な人だ。だが性的な繋がりはない。ハセオは遊び人の医者に葵との関係に釘を刺し、その辺りから葵の人生が変化してくる。感性が合うのだろうけど、一緒に人生を歩むような気配はなく、彼の予言めいた言葉で葵の人生に光が射しはじめる。葵が建築家の翔也の画廊で作品展をする。

物語形式の複数の絵を展示する。

『 誰よりも早く走ろうとした少女の話だ。花も摘まず、身も飾らず、少女はひたすら走る。昼は鳥と競い合い。夜は流れ星を追いかけて走る。足が血塗れになるのも厭わず走る。

数年が経ち、少女は年頃の娘になる。それでも求婚者を蹴散らし、美しい服を引き裂き、少女は走る。

小さな村から出ることを夢見て、小鳥を飼う娘たちに背を向けて、ただただ愚直に走る。少女は翼に憧れない。自らの足を信じている。やがて流れる髪はたてがみに、硬い足の皮は蹄となり、少女は馬となって駆けていく。

どこまでもどこまでも。』

このイラスト絵画の作品を想像し「しろがねの葉」のウメに似ていると思った。ひらすら走ってウメは銀山の天才山師善兵衛に会えたのだから。善兵衛がウメの慕い続ける男でもあったのだから。「しろがねの葉」は「男ともだち」の最終章に出てくる展覧会の絵のイメージの中にある少女を8年越しで愛しく昇華させたのではないだろうか? というのが私の最近考え続けていた妄想で、作者には迷惑な話かもしれないが、私の読後感としてここに書いておきたいのです。

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