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2005年10月の記事

2005/10/25

めざましテレビの「福知山線事故から半年」を見て

rose_004 今朝フジテレビのめざましテレビで、「福知山線事故から半年」のニュースを取り上げていた。 中でも事故現場のマンションに住んでいた、子供さんがたまたま事故の悲惨な様子を目撃し、その2ヵ月後に描いた絵を国際医療福祉大学の堤邦彦氏が説明されていた。

阪神大震災、同時多発テロでの心の傷を負った子供たちの絵にも、つらいことや悲しいことを描くことで癒される経過があると説明されていた。それはトラウマプレイというそうである。

かつて私は子供に絵を教え始めた頃、その心理状態まで読めたときがあり、 そのことを展覧会などで話したこともあった。 しかし、私が何かを言うことで親子共に絵を楽しめなくなると感じたのでやめた。子供の心は母親や父親が生活を共にしながらまちがっても、へたでも、理解し、何かの働きかけをするのがいいとも思う。絵を手段にはしたくない。 このニュースの中の記事に対して抵触するのではなく、この記事を見てたまたま思い出した。 これから私も参考にして詳しく勉強していきたいとは思った。佑月さんにこの記事でトラックバックしてみようかな。

さて、このバラの花は芳州先生の90歳の叔母の卒寿の会のプレゼント。我が家の玄関で今、甘く匂っている。私たちがこれから90歳まで元気で生きていくのは難しそう。

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2005/10/22

ナナカマドの紅葉

ochiba_008 川上の森の中のナナカマドはもっと色づいただろうか? 横浜のアメリカハナミヅキも紅葉した葉が歩道に落ち始めている。 森の葉は春に芽吹く時は薄紫にけぶり、 夏は黄緑から緑へと変化し、秋には山を黄や赤や朱に染め分ける。

私はよく森の木々を人に喩えて考えることがある。

木から落ちたどんぐりはその親の木の下では大きく成長しない。 遠くの豊かな土壌まで、 厳しい道のりを流れていき、 根を張ってこそ、その木は成長できて、 大きな木になると。 それは清里清泉寮の近くの川で、 主人の撮影の助手をしたとき、 カメラバックが濡れぬように番をしていて気づいたことだ。 木から落ちてくるどんぐりが下の地面に転がるのもある。 またそばの川に落ちて流れていくのもある。 意味もなく長い時間、 待つ間には哲学的なと、 までいかないけれど、 何かしら悟ることがある。

私はいまこの紅葉の写真を見て、その紅さに何かを感じそうだ。 そう、あえて言えば、木にとっての紅葉は人間のシワや、シミ、白髪なのだろう。 今日、芳州先生の大学のスキー部のOB会で40年以上たつ友人たちに会った。 皆、きれいに紅葉していた。 そして私は久しぶりにうれしい気分になった。

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2005/10/19

ミントを摘む

ochiba_001

霧の中、ミントの葉を摘んだ。オレガノに場所を占領され、少量になったが、ミントテイー用に集めて、干した。

この後、弟からの電話で父がタンの除去のためにのどを切開し、人工呼吸器を取り付けたと聞いた。

私たちは予定を繰り上げ、東京に戻ることにした。

東京へ戻る車の中に母から電話があり、意識の朦朧とした父に思いきり手をぶたれたと言った。だからもう諦めが付いたとも言った。だけど、病室を出る時に、母がチュッと投げキスをすると、手を上げて、バイバイをした、とも言った。私は興奮する母をなだめながら、「おじいちゃんはおばあちゃんのこと大好きだから、強く手を握ったり、抱いたりしたかったけど、それができないから、強くぶったのよ。」 そばで次女が泣いていた。芳州先生は冷静に車を運転してくれた。

それでも病院に行くのはやめにした。父の変わった様子を見るのが、怖かったからだ。病院に行くのは明日にしよう。

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鹿のフン、発見!

ochiba_004 父が危篤状態なのに、川上に来てしまった。台風の影響で雨も激しく、降りやんでも、霧があたりに白くたち込めている。

父は映画が好きな人だ。思い出は映画館。「小鹿物語」を見たときに私は泣いた。あの時の主人公の父親役と、私の父はなんだかオーバーラップする。

アメリカ開拓時代の映画だ。森の中に畑を作るが、母ジカが来て、作物を食べられてしまう、父親は、シカを銃で撃ってしまう。残された小鹿を男の子が育てるが、その小鹿も時がたつと畑の作物を食べてしまう。そのあたりまで覚えているが、その先がどうも、定かな記憶がない。映画の内容を確かめようと、この間、近所のTSUTAYAで検索してもらったが、そのビデオは置いてはないということだった。

敷地の畑の周囲に網を張ってあるが、その網に沿って、フンがしてあった。ウサギのフンはその辺りにころがってあったことがあるが、シカのは初めて見る。月見草やアカマンマの葉が噛み食べられていた。ちょっと嫌がらせをしているみたい。雑草に紛れてまいておいた、春菊はフタバで残っていた。

私は小鹿物語を見て、映画館で泣いた様に、白樺に囲まれた森の中で、わんわん泣いた。あの映画こそが今の田園生活を夢見るもとになっているのだから。

しばらくして、奥の森の方から、悲しそうなシカの鳴く声がした。

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2005/10/14

色を重ねて描く・Ⅵ

color_006 SHUのサツマイモと、洋ナシです。作品として気に入っています。SHUは入会して何年になるでしょうか。毎年、洋ナシを描かせてているので、今年も、さらっと描けていて、好きです。

大きくクリックしても、味がある。

少し忙しくなるかも、更新2週間ぐらい、しないかも知れません。

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色を重ねて描く・Ⅴ

color_013 デジカメの電池不足が表示されているのに、希望が丘教室に電池を持っていくのを忘れたので、節約のため、初めて2枚並べて写真を撮った。上がモモコちゃん、下がユイちゃんのだ。

モモちゃんは今日のは単純明快で面白い。

ユイちゃんはこの絵の具の下にたくさんの色が隠れている。また後ろに書き足した、2匹の動物はいつも一緒にお絵描きに来ているエリナちゃんを描いたのかしら。 お絵描きの間に、今はやっているたまごっちが病気になったので直しました。すぐ元気になった。

先生のおじいちゃんも病気が治るといいな。たまごっちの病気みたいにすぐ治るといいな。 今日は冨井先生の奥さんである、次女がおばあちゃんをおじいちゃんの病院に連れて行ってくれました。安心して指導ができました。

(  この部分に主人の母のこと書きましたが、また、日を改めて、書き、編集しなおします。)

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2005/10/13

色を重ねて描く・Ⅳ

color_011カスミちゃんはまたこの絵をリラックスして描いた。何度か 「食べたい」 と言いながら描いていた。

ちょうどそのときに、冨井先生が、

「お母さん、そういえば、お母さんがドイツの町の中にあったという人間を木で作ってある彫刻が今、東京オペラシティーでやっていますよ。名前は、シュテファン・バルケン・フォール」

ドイツ、マインツのビルに囲まれた広場に2階ぐらいまでの高さに伸びんとするような彫刻があった。驚くと同時に、何か懐かしいような気持ちになったのを今でも覚えている。

カスとメグミはその会話をなんだか楽しそうに聞いていたので、私はすかさず、聞いた。先生のうち、居心地がいいの? うんと言う返事。そうじゃ、カスはそういうお話をできる人と結婚しなさいね。またうんと言う返事。メグちゃんはと聞くと、「悪いことしないいい人がいい」という。なんだかおかしいけどメグちゃんらしい返事の仕方だ。

ちなみに冨井先生は娘婿。 若い人から、新しい情報を教えてもらえるのは幸せです。

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色を重ねて描く・Ⅲ

color_008 T・アヤカチャンは今回の課題の説明をよく聞いて、実行し、模範的な回答の作品になった。 洋ナシの微妙な赤の入れ方もサツマイモの赤もとてもいい。形のとり方、デフォルメの仕方もいいです。 

こういう描き方が好きなのかも知れない。 水彩の時にはパレットに多種類の絵の具を出して描きましょうね。今までで1番いい感じの描き方です。

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色を重ねて描く・Ⅱ

color_007 ジュンペイはやはり、大きく描いた。 はみ出しながら、大きくなってもいった。 サツマイモの色は説明をよく聞いて描いていた。 1年前の頃のマイペースな感じは少し落ち着いたようだ。

サツマイモの色を何度も濡れているうちに重ねて塗ったために、ついに、紙が切れた。ドライヤーで乾かしたら、バリンと開いた穴から、下の絵がのぞけそう。

なんだか本当の石焼芋みたい。

「 イシヤーキイモ、ヤキイモー、ホッカホッカのお芋だよー。」

いつの間にか、せみも鳴かない秋になった。 

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色を重ねて描く・Ⅰ

color_004 アツシは今日の課題はどうも、 苦手のようで、 サツマイモ、洋ナシとも、 かなりいい加減。 それでも、 自分の好きなものも描いていいかと聞く。そして、クワガタや、カブトムシを描きだした。

課題の説明不足だったかもしれないが、絵としての面白さはある。全体は乱暴とも取れる塗り方ではある。反対に姉の方が丁寧であるが、まわりに模様や線が華美な感じで、弟のほうに芸術性を感じた。

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2005/10/09

スクラッチ画

10月の工作としてスクラッチ画を制作した。ガラス面にコーティングされた黒い面を削り、引っかき、その後ろに彩色し、反対の面を鑑賞するものだ。

子供たちは予想通り、夢中になって制作した。 低学年の子供の筆圧の弱さが気がかりだったが、イメージを持っている子供たちはそれに近づこうと、努力をした。 先週の絵のときにがんばらなかった、モモコが気になっていた。 毎年、心臓病のおじいちゃんと行く、ハワイの海のことを絵にした。魚のうろこや、ひれの線を入れるだけで、絵が楽しくなることを教えた。目と目で。

その前日には、自宅の教室で教えているのだが、指導が終わりになる頃、私の弟から電話があり、父が病室で、震えていると聞かされた。腸閉塞が別の進行をしてしまったらしい。急ぎ病院に行くため、やりかけの子は来週の仕上げにした。

その日から、5日が経った。4日前には私は父の言うことが判った。それから何度も腸に入れたチューブを取ってしまうため、昨日はミトンと拘束帯で縛られていた。1ヶ月前にはパトリシアコーンウェルの話をした、父が!

作品は来週できたらいいのだけど。 子供たちの中にはやはりおじいちゃんやおばあちゃんが病気の子もいる。不安にさせてしまったかもしれない。

スクラッチの描法は遺跡の壁画にもあるように人類の根源に根ざしている。面白くないわけがない。

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2005/10/04

困ったトラックバック

長野から戻って、パソコンを開くと、いわゆる困ったトラックバックが入っていました。削除しました。トラックバックおよびコメントは当分の間、お受けしません。

このブログも考慮して、更新しないといけないようです。3日間の間、不本意な状態にあったことを残念に思います。

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