父の死・Ⅲ
父は肺気腫、腸閉塞、の治療を受け、最終的には気管も切開し、人工呼吸器をつけていた。今になってみると、人工呼吸器というものは、医療機器でありながら、別の意味をもつものであった。自分の呼吸に逆らい、息をしていた。それでも、それを装着しないでいたならば、3日の命であるといわれた。確かにまわりで同じ病状の方でつけない場合は短い時間で亡くなっている。 最後は母も見舞いに訪れるのがつらかった。それでも、無くなる40時間前に、弟は母を病院に連れて行き、すばらしい写真を撮った。母がベッドに寝ている父の手を取り、二人で見つめあっている写真だ。
今、私は通夜、告別式と終え、2日が経った。そして今日、YOUテレビで、「デッドマン・ウォーキング」を放送するのに気づいた。以前見たことがあり、感動して、ノートに記していたが、父の供養は映画だと、勝手に考え、部屋の片づけを早々にして、ソファに座って見た。
ショーン・ペンとスーザン・サランドン主演で、罪を犯した死刑囚の心の動きと、その罪をいかに贖罪させるか、また死刑反対のテーマを絡ませてもいる。死刑のやり方は日本ではベールに隠れているが、この映画ではかなりはっきりと描いている。私はその中で、最後に死刑執行の場面を興味深く見た。そこで、死刑執行用の器械と人工呼吸器は目的は全く違うが取り付けられたら、同じだと感じた。感じたと言うのは感じたのであって、考えたのではない。
けれど、つらい思いをする父は今はもういない。
私の孫のトモクンは告別式の後、家に帰り、娘がひいじいが死んだことを話しても、理解できないでいた。そこで娘は「ひいじいはお星様になった」と話したという。すると「お星様にすんでいるの?」 と聞いたという。私も人工呼吸器のことなど忘れて、お星様に住んでいる父のことを思いたい。
このブログをみていて、通夜、告別式にご参列された皆様、「父の死」はこれで終わりにいたします。もう少しの時間をいただいて、明るいKEICOCOに戻ります。
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