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2006年4月の記事

2006/04/30

クリスマスローズが咲いていた

Ka0604_006_6 3年前に植えたクリスマスローズが今年初めて咲きました。2週間前には古い葉だけが付いていたので、それを取っておいたところ、今回すくっと咲いていた。うつむいて、咲きながらその紫色が早春のベージュトーンに合っている。

アナログ回線のせいか、小さいサイズにしないと、画面に載りませんでした。クリックすると大きくきれいです。和歌を詠いたくなりました。

★ 3年の時過ぎ行きて寒山に 馴染みて咲けるクリスマスローズ

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知のヴァーリトゥードへの返歌がつくれました

★ シジュウカラの羽音が春を招き来る 畑耕せる我が傍らで

短歌を作ろうとすると、心と頭の中で不思議な感じがします。いつも使ったことの無い回線がつながり、私の脳みその米粒の部分が完全な味噌状になり、また他のことへの興味が湧いてくる感じが実感できました。今日ココとのお散歩中に出来ました。

神経のシナプスがつながった感じで、癖になりそうな快感です。

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2006/04/27

展覧会の準備・Ⅰ

Tennrannkai 子供たちがモーツアルトの音楽を聴いて描いた絵、5枚を縦に並べて展示する。アクリル絵の具で自由に描いた絵は子供たちの生命力の象徴のように、厚塗りばかりだ。反り返リ、盛り上がっている葉書大の作品を張るための型紙を次女が考案してくれたので、手順よく進んだ。

下地のピンクやライトグリーン、グレー、朱色、黄色、水色、ブルーなどの色も次女が探してきた色だ。子供の中には5枚以上を描いた子もいて、それを選択しつつ、どの下地に合うかを考える。作品に合うように考えながらも、作品が下地に溶け込まず、迎合もせず、作品が凛々しくなるように、選び貼る。

モーツアルトのフルートとハープのための協奏曲を聞かせて描いている。ほとんど抽象になるはずだが、そうではないのもある。子供たちの心を覗くような作業! そして地道な作業!

次女あいかは去年秋まで、日本でも力あるデザイン事務所で働き、指導を受けてきた。このような地味な仕事も妥協をしないで、やり通す。また親子ゆえのぶつかり合いもある。それでも、Keicoco先生としては、結構うれしい。

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2006/04/24

世界の帆船模型展・有隣堂ギャラリー

Hannsenn_004 横浜有隣堂ギャラリーで、今開催されている、《 世界の帆船模型展 》を見に行った。写真は知り合いの海老沢英男さんの作品でローヤル・キャロライン号。

会場ではご自分の作品の話しをなさる方や、横浜散歩をしながら寄った方や、私たちのように知人の作品を見に来た方でにぎわっていた。

一人一人の作品の説明には帆船の数奇な運命や当時の船長の待遇、当時のフランスやイギリスの王たちの生活など、また作った方がご自身の娘にプレゼントする予定が延びた話しや、作るための部品の調達の仕方などが書かれ、楽しく見学できる。海の男のロマンがぎゅっと詰まった帆船展だ。私たちは毎年連休にかけて、ここにくることで、そのロマンのかけらをもらっている。5月7日まで開催。

横浜帆船模型同好会(http://www5.famille.ne.jp/~ysmc/)

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2006/04/23

知のヴァ-リトゥ-ドのキリ番ゲット

Kiribann_016 「知のヴァーリートゥード」のキリ番ゲットに挑戦しました。実は私のお気に入りの「うるわしのブルターニュ」さんも昨日キリ番でした。残念ながらブルターニュさんはだめでした。もっと夢中になれば出来たかもしれないのですが、何か、はしたないように思えていたのです。また昨夜は展覧会の準備の仕事で、夜が更けるにつれ、眠くなったのです。残念でした。それで、今日はよく寝て元気だったので、がんばりました。150000番!

このブログ「知のヴァーリトゥード」は私のお手本のようにして、勉強してきたのです。また時々心の琴線に触れるような和歌を詠まれています。

また毎日更新していられます。尊敬の上に、またこのようなご縁があり、うれしいです。年は確実に私の方が年上ですが、パソコン、ブログ、文科系、では大先輩です。

お仕事もお忙しいようですね、季節の変わり目でもあります。ご自愛ください。

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情操教育 《その新しい名称探し》・Ⅲ

Itae_004

この情操教育の記事は Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの順に読んでください。

あとりえ・チビッコ展の準備は進んでいます。子供たちの額装する作品も決まりつつあります。展覧会に先立ち、情操教育について、考えていることをまとめました。結局新しい言葉はまだ見つかりません。

私は考えていることを、エッセイ形式で書くように考える習慣があるために、理論展開に弱いと思います。ただ実践で子供たちに接し、どのように指導したら、やる気が出て作品を制作するようになるかについては自信があります。

ところで、Googleの検索で 教育基本法 情操教育といれてみたところ、その上位に記されていることは、ほとんど、愛国心の記述についてと、宗教教育、宗教的情操をあげています。ほとんど、子供の側からはつかむことも出来ない抽象的事柄であり、もう少し情操教育がウィキペデイアに出ていた内容を指摘して欲しいとおもいます。

すべての思考は外に出してから、時間がたつことで、醸されます。今回はこの辺で。

つまり、情操教育はこのままの言葉 情操教育 で終わります。ただし提唱したことだけは形にしました。これからも教育に貢献したご先祖とは心の中で会話していくでしょう。

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情操教育 《その新しい名称探し》・Ⅱ

Musi_011 情操教育をウィキペディアWikipediaで検索すると 《 情操教育とは暗記偏重の知識の教育、数学、理科、社会に対して感情や情緒を育み、創造的で個性的な心の働きを豊かにするための教育、道徳的な意識や価値観を養うための教育で、小中学校の教科では特に道徳、図工、音楽、保健体育などをさしていわれるものである。総合学習での福祉体験やボランティア、地域社会での勤労体験学習もこの一環として理解される。》 とあった。うんうんとうなずく。

情操教育をはじめに提唱したドイツのヘルバルトはスイスの教育実践家ペスタロッチに師事している。ペスタロッチはルソーの影響を受け、社会改革を教育に求め、スイス各地に学校を作り、教育理念を実践し、人間性の育成を家庭学校での基礎陶冶 ( 鍛えて育て上げること ) に求め、子供の能力を調和的に発達させる方法を唱え世界各国の初等教育に影響を与えた(学研新世紀ビジュアル辞典による)とある。

ペスタロッチに師事したフレーベルは幼児教育を応用展開し、ヘルバルトは大学教育の場での教育学へと整理展開した。そして情操教育を提唱したのだ。

日本の教育界では第2次大戦後の教育再建で、広島大学の長田新がペスタロッチの研究者という。

もう今では主人の父も亡くなり、母もそのような話を聞くことが出来る状態ではないが、やはり、私が続けてきた造形絵画の細い道に祖先の投影が反映しているのならば、がんばりがいがあるというものだ。調べるうちに気づいたことだ。

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情操教育 《その新しい名称探し》・Ⅰ

_003 子供たちに造形絵画を指導していて、どうしても、情操教育の言葉に引っかかりを感じている。新しい名前を模索していたが、まだぴったりした発想は浮かばない。それでも、いろいろ調べていくうちに、どうしても、このことは突き詰めていかないといけないと気づいた。

今までの私のこのブログでの記事の取り上げ方の中では硬派な切り口になるので、「エヘン、よろしく」

情操教育を広辞苑で引くと、《 ヘルバルト学派が用い始めた語、創造的、批判的な心情、積極的、自主的な態度、豊かな感受性と自己表現の能力を育てることを目的とする教育 》 とある。またジーニアス和英辞典によると、情操教育cultivation of aesthetic sentimentsとある。直訳すると、美的な教養の心情、美学育成の心情となる。はじめにcultivation of aesthetic sentimentsがあって、情と操の教育という新しい言葉が日本の教育学者によって造られたはずだ。

違和感なく使っているが何か、変だ。だが調べるうちに、このあとりえ・チビッコも全く関係ないとは言えない係わりがあることに気づいた。

芳州先生の父は広島で生まれ、岡山県、福島県に住んでいた。また東京で教職に着き、校長をしていた。父はもうだいぶ前に亡くなったが、生前はよく息子である芳州にペスタロッチが教育の真髄と話していたそうだ。今あとりえの部屋にはその父を含めた豊田家の仏壇と位牌がある。

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2006/04/17

早春の箱根で桜再び

 Hakone_038_3先週、あとりえの子供たちの展覧会の作品を冨                       井先生に選んでもらい、私は少しほっとして、箱根に行った。

仙石原の湿生花園は早春の芽吹きでさわやかだった。水芭蕉、カタクリ、ヒトリシズカ、コブシなどが咲いていた。

水辺のため、風が寒かったが、写真を撮ろうと熱心な方々は大きなレンズや三脚を携えて、参加していた。

山桜がところどころに咲き、馬酔木も箱根らしく、もう一度桜を愛でることが出来る日本はいい国と思いたい。幼い頃に家族で来た箱根旅行を思い出し、父が好きだった神山、よく話に出てきた神山を仰ぎ見た。

そして、桜を背景にいくつもの家族がうれしそうにHakone_034

「はいチーズ!」

この桜はそれぞれの家族と一緒に映り続けてきた。おじいちゃんの背中、おばあちゃんの腰、若い娘の足、その娘の肩に手を置く若者、定年を迎えてゆったりした中年夫婦。幼い子ら。写真が残るというのは 幸せの証

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2006/04/13

あとりえも新学期

Tomoyuki_012 いつの年も梅が咲いて、桜が咲き、あまり注目されないけれど桃と、梨も咲く。よく見るときれいなのに。写真は梨の花。

あとりえでは今までだと、卒業式、展覧会、新学期だったが、会場の抽選が予定通りにいかず、展覧会が5月にずれ込んでしまった。それでも、あとりえで絵を描いたり、工作をしたいと、4月になると新しい子供たちが集まる。

以前、兄3人(悟、望、豊)が入っていて、そのときに、妹が生まれたと言っていたことがあったのだが、今度は、その妹ユキミが入った。またこの間まであとりえにいて、受験とあとりえを両立させていた、ナツキのお母さんからは精神的に安定して受験が出来たと連絡があったりした。あとりえでは勿論、造形絵画の技術的な上達をめざしているのだが、絵を描くという行為の中に精神安定の心理学的効果が多くある。それはよく言う、情操教育であると思うが、その新しい言い方を模索中ではある。

このところ、このブログのアクセス件数が少なめで、それに一喜一憂する自分に嫌気がさしていた。GoogleのPageRankも豊田芳州のThemeに追い越されてしまった。山之内一豊田の妻としてはいいはずなのだけど、それがそれ、人間の心はこのパソコンの中より複雑で、怪奇なのだ。

いつも、海の中のクリオネのように、上昇し続けるKeicocoとしては、気持ちを切り替えて、新学期の子供たちの指導にエネルギーを注いで、がんばっていた昨日、1本の電話があった。

朝比奈君のお母さんからだ。長女と同学年の息子さんがいてやはりあとりえに来ていた。、今息子は日本で、ご夫妻はカナダにいるという。ご主人が海賊の本の翻訳をしていた。私はあとりえの準備中で、短い会話だったが、朝比奈さんはこのブログを見ているという。

「じゃあもうずいぶんお会いしてないけど、あなたは私たちのこと皆知っているんでしょう。」と聞くと、笑っていた。ブログも昔仲良しだった人が見てくれて、連絡があれば、アクセスなんて関係ないんだ。少しうれしくなった。

朝比奈さん、今度このプロフィールの中のメールでお手紙下さい!

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2006/04/09

スニーク・プレビュー 「ナイロビの蜂」を見て

Hp スニーク・プレビューを昨夜みた。 映画の題名、監督、内容、主演者などの一切を隠して行う試写会をスニークプレビューという。 5月中旬ロードショー  ナイロビの蜂

《 アフリカの太陽のように情熱的な妻テッサ(レイチェル・ワイズ)と、イギリスの庭園のように秩序正しい外交官の夫ジャスティン(レイフ・ファインズ)  愛し合っているからといって、相手のすべてを理解しているとは限らない。ジャスティンの場合もそうだった。互いを尊重するという名目で、テッサの人生を外から眺めていたジャステインは、妻が死んで初めて彼女に踏み込んでいく。・・・・・・・・》 

約2時間の上映時間は密度の濃い映像が流れ、ポスターの甘い写真からは想像できないアフリカの今を感じた。悲しくなって泣くんじゃないかと泣き虫のKEICOCOは2枚ハンカチを用意して行ったが、使わなかった。ハラハラドキドキのサスペンスで、パートナーと鑑賞するのが絶対良いと思う。そして今の生活にちょっとだけ不満な人も新しい何かのスタートを切れるかもしれない。そんな力がわく映画。そしてだいぶ後にグッと来る。

今朝、朝食のパンとコーヒーとサラダを食べていて、パートナーである夫に「新しくテーブルを替えよう」 と話していた。そして脳みその中で 《このテーブルはもう23年も使ったから新しく買ったテーブルはあと20年は持つ》 と思った。その瞬間!永遠の愛は! 昨日のナイロビの蜂のジャステインと芳州先生がオーバーラップした。そして私は情熱的で、行動派の妻テッサ!

永遠の愛は? その答えは・・・・・・映画を見てから!

    

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2006/04/07

ママから離れられない子

005 あとりえチビッコの新学期は今週から始まった。少し前から、見学を希望して絵を描くつもりで来ても、ママから離れられない子が見受けられる。

私も幼稚園に入った時の出遅れた感じが、小学校の2年生まで、後を引いたのを覚えている。性格にもよると思うが、私の場合は今思い返すと、母以外の人になついていなかった。母の言うことが絶対だった。泣いた覚えは無いが、「つまんない幼稚園」と思っていたし、なぜここにいなければならないか、家にいる方が楽しいと思っていた。そのトラウマ感が小学校1年の入学式の、鞄の匂いに象徴されていた。それに気づいたのが、中学の入学したばかりの鞄の匂いを嗅いで、小学校入学や、幼稚園の時を思い出した。そこで意識が目覚めた。

自宅の教室に来たHちゃんは、1日目にひどく泣いて帰り、もう1日呼んでおけいこをして、3回目は大丈夫(目を赤くしてきたが)だった。楽しいことが分かってくれば、泣きもしないし、ママと離れても平気だ。昨日希望が丘の教室に来たNちゃんはやはり泣いていたので、また来週とお返しした。慣れるのに時間がかかるのは、当たり前だと思う。昨日のNちゃんは、自分の家で絵を描いていればいいじゃないかと思っているかもしれない。

泣いたことが思い出になるよう、指導していくのだから、遣り甲斐もあるし、こちらのエネルギーも使うのだ。写真は、来週幼稚園の入園式に行くという親戚の子。

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2006/04/03

桜の国、ニッポン!

Sakura_002 昨夜の雨と風と雷、朝になり少しだけ、春になった気がする。山小屋は1日目は木が芯から寒いので、ストーブを強めに焚く。あくる日に晴れていると、室温は上がり、昼にはほっかりと、ぬくくなる。

その小屋に鍵をかけ、川上の役場に水道代を払いに一人で行った。田舎の道をゆったりと運転していく。信濃川の源流、千曲川の源流が役場の通りの前を流れている。かなたに八ヶ岳が雪をかぶって見えて電線を気にせず写す。

役場で、戌年の記念のダックスフンドの貯金箱と、田中康夫の推薦文の入った「長野の温泉320」 のパンフレットをもらって来た。川上にも温泉があるようだ。小海線沿いにも結構たくさんある。温泉三昧もいつか、やってみたい。

あとりえの事務的な仕事を仕上げて、午後に山小屋を後にした。中央道の相模湖を出る頃になって桜が山々のあちこちにあるのに気づいた。あっちにポッと、こっちにポッと咲いている。そのうちつながって咲き誇っている。普通の染井吉野が咲いている。

Sakura_007 私は運転していたので、ジロメで見ていたのだが、夕闇が近づいて空の青に少し紫が混じった中に、桜の薄桃が浮かび上がる時、日本の桜はすごいと思う。

毎日毎日、ろくでもないニュースが、巷にあふれて、解決も着かずに、とぐろを巻いて、そのとぐろがもう一本のとぐろと一緒になって、またもう1本、それは三つ網になって綱引きの綱になってしまっている。フランスの若者のように、反抗はしない。長いものに巻かれている。

それでも今日の相模湖、津久井湖、相模原の桜たちを見るうちに、日本がそれほどは悪くはないと思いたい、という気持ちになった。桜のマジックだろうか。

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2006/04/02

山の春はまだ遠い

茅野のカラコールの奥さんからのメールでは、フキノトウはまだ出てきてないという。川上もまだのようだ。また、2月の妙高でも、今年はフキノトウが遅いと聞いた。

蕗の苦味は脂肪を分解する成分があるので、熊も冬眠から覚めると食べるそうだ。寒い冬に動きが鈍くなり、着いてしまった脂肪は人間も同じだ。フキノトウはやはりてんぷらが一番美味しい。

車で山道を少しスピードを緩めて、走りながら、フキノトウのあの独特な、エメラルドグリーンを探す時、少し寒い風を首筋に感じても、春だなあと思う。

今日は雨の中、探したがひとつも見つからなかった。アッと思うと、伊藤園のお茶の缶だ。

ところでココは地震の予感がするのか、夕方鳴った雷が怖いのか、震えてばかりいる。お漏らしもした。ごめんね、ココ、昨日は。今まで、エイプリルフールではずいぶんたくさんの人の妊娠を言って、身近な人をだましてきた。昨日は本当は私自身の整形をやろうと思っていたんだけど、なんだかこの頃、そんな感じの人が多いみたいで、急遽、ココなら実害がないと思って。ほんとごめん!ココは今私のひざで寝ています。鼻でパソコンをクリックしちゃいそうに!

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