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2006年8月の記事

2006/08/31

夏の工作・森の山小屋・Ⅱ

Morinoiejpgerina 写真はエリナの作っているところ。

この工作は、子供の学年に応じてその反応や興味が違うので、好きなように作ってよいことにしている。それでも、棒状の木をボンドで着けて、自然の樹木のようにするのは、結構大変です。

幼稚園児から、ボンドを乾燥させて作っていく手順を指先から、理解したと思う。また、何事も順繰りにしていかなければいけないことも理解したと思う。このようなプロセスを経て、短気ではない辛抱強い子が育つと思う。

私が山の中で木を切る様子を話したし、シラカバの皮をナムアミダブツと言って、剥いたとも話した。また太い木は冨井先生が工具で切ってくれたとも話した。それで子供たちはツリーハウスを作り、時計を作った。

今日で両教室とも2回目の制作だったが、自宅教室では私は夢中で教えていて,ゆとりができず、今日希望が丘教室でやっと写真を撮る気がした。それほど大変だったということだろうか。

子供たちが作っていて一番楽しそうだったのは、自分のおうちがどれかを考えた時だと思う。そして、お友だちの家がどこかということ。

そして、残念で迂闊だったのは、シュウがお教室にこられないで、病院に行っていたのを知らなかったことだった。今日久しぶりに会って、膝に白い包帯が巻かれていて、ビックリしてしまった。みんなにあげた川上のレタスをシュウに渡すのを忘れてしまった。それでも元気に来週は大丈夫と笑顔で答えていたのは、大変なことを乗り越えたからだと思う。

( 文章の不備が目立ち、あくる日訂正しました )

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夏の工作・森の山小屋・Ⅰ

Morinoiejpgyui あとりえでは夏休みに毎年、工作をする。時間を気にせずに、じっくりできるものにしている。今年は 《 森の山小屋  》 をバルサ材で作った。

実はこれは2年前にあとりえで作り、ユイちゃんはそれ以来、「 また山のおうちを作りたい、せんせ!」 と言い続けてきた。私は、基本的に工作はあまり、何度もしないことにしている。そのときの情熱を大切にしたいからだ。

今回は、ユイちゃんと約束して、やることにしていた。写真はユイチャンの作品です。

ただ、この工作は、材料集めも、なまじじゃない。言わせてもらえば、子供のテンポが違うし、めちゃめちゃ、指導も疲れる。何故かというと!子供の想像力、子供のわがままさ、そして、天衣無縫さ!それらを・・・・・・天然の木、まっすぐでない木を使って作ることだからだ。

以前はある簡単な自然素材で作ったが、それはアレルギーが出るかもしれないことが分かった。また時間が経つと虫が出る部分もありそうで、使いたくなかった。そこでできるだけ生木の枝を使いたかった。

長野では、よく木を切るが、少し経つとキノコが生えて腐食が始まる。そこで、今回は夏の前に枝を高枝切り用の鋏で切り、室内で乾かし、その後、剪定ばさみで細かく切って、準備した。また芯になる木は、浜松のアイスタジオで、バルサ材を特注して、すすめた。

木は枝の部分が出っ張っていたり、まっすぐでなかったりする。それをボンドでつけるためには我慢もしなければならない。「このおっ、くそ!」 などと頭にきていたら、10分とやっていられないだろう。いい子の皆はこんな言葉を真似しないでね!

《3匹の子豚》 の家に習い、石の家を砂利で作り、木の家はズミやシラカバ、リョウブの枝で、ワラの家はシラカバの皮を使い。作れるようにもした。また家を置く設定として、シナ合板の上に絵を描いたが、やはり、幼稚園児や小学校低学年までは平面の絵を描き、家を置いた。それはそれなりに、良いと考え、説明はしなかった。

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2006/08/22

2つのブログでアクセス10000

Ge2_030 あとりえ・チビッコと旅歌ノートでアクセス10000になりました。去年9・11からアクセスを入れてたのです。2年前の2004年10月からスタートしているので、もう少し数は多いと思います。

その10000をカウントしたのは朝比奈さんでした。翻訳の仕事をしていられる朝比奈一郎さんの奥様で、今、カナダのバンクーバーに住まわれています。

ご主人は以前、海賊船の本を書かれて、最近、富山房から「30ヶ月」を出されています。まだ私は本を読んでいないのですが、これから読みますね。

あとりえの初期の頃、息子さんは生徒でした。独特の個性を持った少年でしたが、今もそのような大人になられているようです。

さて、私は明日、夏休みの工作の準備で今日はエネルギーがなくなりかけてきました。ごめんなさい。また改めて書きます。

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高原のハーブたち

Kawa060821_009 ピンクのモナルダが咲いた。紅いモナルダは7月から咲き始め、バトンタッチでピンクになる。どちらも花期が長く、葉は紅茶に入っている、ハーブだ。葉を触っても匂うが、そばを通っても香がする。そのため、チョウがたくさん来る。そばの畑で、私が作業をしている時、クロアゲハがしきりときては、蜜を吸っていた。

畑はジャガイモを採ったので、土が黒々として、それはそれなりに美しい。午前中、夕立があったので、午後から作業にとりかかったが、帰りの時間が決めてあるので、せわしない仕事ぶりになった。

畝を作り、鶏糞を撒き、大根と、小松菜の種をまいた。

Kawa060821_011 オレガノはイタリア料理に使えるハーブだ。こんなにたくさん生えているが、実際には料理に使っていない。

ミントもそばにあるが、オレガノに圧されて、少しになってしまった。きっと、「俺がのう、俺がのう!」 と自己主張したのでしょうね。

帰り始めると、空がだいぶ暗くなり、野辺山、清里と大粒の雨が降り始めた。きっと種は芽を出しやすくなるだろう。これがまた、鹿にやられずにすめばよいが。

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2006/08/20

2006年のジャガイモ,北明かりを食す

Kaw060819jpg 昨日は塩尻に行き、夜遅くなったため、家に戻る途中、清里ロックで夕食を食べた。私はいつもの、《ロックのビーフカレー》 を9時過ぎだと言うのに、食べてしまった。美味しかった。

そして昨日は、ロックの敷地続きの 《萌木の村》 で結婚式の2次会をしているグループがいたようだ。萌木の村の芝生が少し明るくなって、大きな音で、歌が聞こえた。そのうち、「さあ、皆さん、メリーゴーランドに乗ってください!」 と言う声が元気に聞こえた。すごい結婚式だ。どう考えても凄い。悪いと言うのではない。凄いと思った。仲間に入りたくなった。

結婚式はどんな形でもいい。することには大きな意義がある。出るのが好きだ。誰の結婚式でも呼ばれるのが好きだ。これから、あとりえの子たちの結婚式に呼ばれることもあるかもしれない。いやー、ないかな? 麻実ちゃん、うまくいってるかな。がんばっているかな!

Kaw0608jpg_1 目覚めて、今日は、パンの朝食。

メニューはクロワッサンと、燻製のチキン、生野菜、ポテトの茹でたて、ヨーグルト、コーヒー、それに、手作りの桃とアンズのジャム添え。

このジャガイモが今年収穫した、北明かりという黄色いジャガイモで、今朝、茹でたものだ。

食後には畑でまた、ジャガイモ堀をしたが、北明かりよりもメークイーンの方が、虫やネズミに食べられているパーセントが少ないようだった。そうだ!あとりえで結婚式の招待を受けた麻実ちゃんにこのジャガイモ、持っていってあげよう。そうだ、式には行かなかったけど、よくセブンイレブンで会う一美ちゃんにもだ!そうだ!筒井ミサヨのパパJoBlogの筒井さんにも! ほんの少しでもね!

収穫したジャガイモの写真は《豊田芳州のテーマ》に載る予定です。

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2006/08/19

梅干とおばあちゃん

Doyoubosijpg 毎年、梅干を漬けているが、いつから漬けるようになったのだろうか。この長野に山小屋を持ってからやり始めたのだから、平成の年号とおなじだけの18年の歴史があると思う。

はじめは実家の母に教わり、見よう見まねに作ってきた。そのうち、芳州の母が山小屋に来ると、土用干しを手伝ってくれた。

その頃は娘二人が中高生で、お弁当に入れるために作っていた。はじめの頃はうっかりカビを出してしまうこともあった。少しずつ上手になってきたと思う。去年はここの畑の脇の1本の梅の木に実がたくさん生り、時期もずれていたので、カリカリ梅に挑戦した。南紅梅で作るとほとんどうまくいった。梅を買う場所も、その年年で違い、食べ終わって美味しいと、どこのが美味しいということになる。今回は確か津久井湖のそばの生産物のお土産所で買った。梅酒用のだ。南紅梅でつければうまくいくのは、当たり前すぎて面白くない。

今年は親戚の子の、幼稚園のお弁当用として、重宝するはずだ。いつか彼と一緒にこのベランダで梅を干す日もあるだろう。

ところで、私の尊敬し、敬愛する、《きっこの日記》のきっこさんが一昨日と昨日の日記にお母さんのこと、おばあちゃんのことを書いている。涙無しには読めなかった。

私もそんなおばあちゃんに、いつかなってみたいものだと思った。まだまだ先のことでしょうし、そうなったとしても、私は永遠のおばおねえさんなので、それを認めはしないけどね!その論理は言いたいのだけど、言うと一気に、浦島太郎の玉手箱がパカッと開いてしまいそうなので、言いません。

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2006/08/17

残暑お見舞い申し上げます

Beranndajpg 我が家のベランダの植物も今年はきちんと水やりをしているせいか、瑞々しい。マンションで草花が育つには、水やりが肝心だ。

このところの私のお気に入りは、もう3年たつ、ハゼの盆栽仕立てだ。白いテーブルの一番手前にある。既成の植木鉢から出し、母がくれたお生花用の器に土ごと入れて、周りに、水栽培用のハイドロカルチャーを捲いたものだ。火山の溶岩ものせてある。

オリヅルランは冬に葉がメチャクチャ茶色になっても、それを切り、取り抜くと春にはまたきれいな葉が出て、夏はこのように涼しげになる。このことから、地球環境について気づいたことがあったのですが、もう少し調べてから書くことにします。

今日、朝日に照らされて我が家のベランダが涼しげに見えました。この《あとりえ・チビッコ》にいつもお寄り下さる皆様に、残暑お見舞いと感謝の気持ちを込めて!

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2006/08/15

終戦記念日と笹尾先生のこと

Ge_104

かつて私が高校生だった時、目黒の実家のすぐ近くのトキワ松学園に通っていました。小学4年の時に腎臓病で半年休学したため、男女共学の公立より、家から近くの私立の方が良いだろうと、母が考えて決めたのです。中学高校と自由な校風と勉学に力を入れる教育プログラムの中で私は育ちました。ちなみに写真家の大石芳野さんも同じ高校出身です。

高校では世界史を指導する笹尾先生がナポレオンについて講義してくださったのが印象的でありました。また、たびたび笹尾先生は戦争反対についてのお話をなさいました。

「あなたたちはいずれ結婚して、子供たちを育てていく時に、もし戦争が起きそうになったら、絶対に反対して、夫や子供を守らなければなりません」と何度も言った。

私は生まれてから今まで、日本で戦争が起きそうになると感じた時はなかった。しかしそれとは違う形でこれは戦争だと思った時があった。それは、豊田が編集の仕事で徹夜が続き、毎日朝、タクシーで帰ることが続いたときだった。外でタクシーのドンという戸を閉める音がして、家の鍵を開ける音がする。そして、私は豊田が隣にいないのに気付く。

このような生活は今もどこかであるかもしれない。私は笹尾先生のあの言葉をその時、いつの間にか思い出していた。そして、ある時決意した。夫を取り戻そう!戦場に行っている夫を取り戻さねばならない。できるだけ早く。そうだ、援護射撃があるうちにはじめねば!パパ!死なないで!

そして私は、夫がその言葉を切り出したときに、すぐ、「うん、いいわよ」と言った。会社を辞めるということ。でもそれは、写真をやめると言うことではなかった。彼が写真の雑誌を企画し、計画書を作っていたことを知っていたし、写真への情熱が人一倍あるのを理解していた。・・・・・・

・・・・・などと言う、山之内一豊田の妻の独り言はこのくらいにして、私もあとりえのお母さんたちに笹尾菊枝先生の言葉を語り伝えます。61回目の終戦記念日に、敬意を表して!

「戦争が起こりそうになったら、夫や子供のために、戦争に反対をしましょう。爆弾や銃でかわいい子供、大切な夫の命をとられないように戦いましょう!」「何をしたらいいのかって?それは、いつでも勉強しておいてそれに備えましょう。知は力です。」

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2006/08/14

謎の飛行物体か?

Nazo003 朝から、母の葬儀の片付けや、身の回りの片付けに追われる中、あとりえの工作の材料の手配にも時間を使った。

私のアイデアを、どの学年まで許容範囲があるかを、永年の勘で探り、準備する。浜松のアイスタジオに一部は見積もりを出したが、あともう一歩、アイデアがまとまらないでいる。

そして、暑い一日も終わりに近づき、ベランダの植物に水をやり、ふと西の空を眺めた時だ。得体の知れぬ飛行物体発見!

このところの世界のニュースはイスラエルとヨルダンの爆撃、そして、イギリスのテロ未遂、不穏なことがメジロ押し。

肉眼で見れば、飛行船と見えても、なぜか今日、エキサイトしたくなった私はデジカメを持ち、外に出た。南側のベランダから北側のベランダに出るまでの数秒間にこれが違う物体だったら、どうだろうと、またしても、考えた。

Nazo007_2 飛行物体は裏のマンションの屋上を通り、小さなうなり声をだして、ふんわりと、目的もないように、通り抜けていった。エキサイトした私はセミの抜け殻のように一瞬たたずんで、そばにいた男の子二人と空を見ていた。「結構早いね。」と言う声がした。セミも鳴いていた。

Nazo_010_1  私は家に戻り、芳州に写真を見せると、10枚中半分もぶれていた。ぶれないように撮るには、デジカメのファインダーを覗いて、眉毛をくっつけて固定するように撮るといいと教わった。

今日は朝から、停電もあったようですが、

平和な一日が終わりました。

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2006/08/08

バニラ・スカイのような空だった

Vskyjpg 昨日の八ヶ岳は夕方、トム・クルーズの映画《バニラ・スカイ》のような空に一瞬なった。私はその少し前まで、あとりえの工作に使うための木の枝を打つ作業をしていた。

始めはズミの枝、次はリョウブ、毛虫はいなかったが、青虫や尺取虫がたくさんいた。また作業をしていても、蜂の類が少ない。蛇はこの間書いたように、何度も出てきた。今までの夏と違う。シカも大根や葉物を植えてないせいか、登場してない。ジャガイモのネズミの被害は甚大だ。何も起こらなければいいがと、つい浅間山の方を見てしまう。この写真の方角だ。

ところで、映画 《バニラ・スカイ》 の最後の青いきれいなトムの目は何を意味しているのだろう。やはり、本当の夢を見て起きたのだろうか。悪夢から覚めたのか? 時間がなかったのですぐ返してしまったが、いまだによく分からない。

このように、時間があってもなくても、映画をすぐ見たくなってしまうのです。この夏の予定はビデオのパイレーツオブ・カリビアンを見てから、2作目の映画を、映画館で見るつもりだ。それは、義母の法要の自分へのご褒美として。

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2006/08/07

DVDの選び方・3才の子用

Tomojpg 《ファインデイング・ニモ》

夏休みなので、親戚の子を呼んできて、ビデオを見ることにした。映画館みたいに、オセンベとアイスを用意してソファに座って二人で見た。その前の日に、なんか彼が来そうな気がしていたので、TSUTAYAで借りておいた《ニモ》。結局のところ自分で千葉まで迎えに行ったのだけれど。

父が私たち姉弟に映画の楽しさを教えてくれたように、私も楽しい導入をしたかった。ところが、夜、見ていて眠くなり、あくる朝にまた、初めからもう一度見た。

彼はニモがお父さんだけなのをどうしてか、分からずにいた。家に帰ってもニモのお父さんとお母さんはケンかをしてた、といっていると言う。3才の知恵はそんなものなんだろう。それでも、かなり、感動したようではある。

以前あとりえの生徒だった、横川ラミちゃんのお母さんが、

「先生、アニメもばかにできないですよ、ニモは子供たちと見て感動しました。」と言っていたのを思い出したから選んだのだ。本当は彼と映画館に行って、見たかったのだが、まだまだこれからチャンスはあるので、今回はあまり怖くないものでおさえて見た。それに眠くなったら、あくる日に伸ばせるからいい。

何回か、サメのグループが、「魚はともだち、餌じゃない!」 と言うフレーズがかわいかった。

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