お彼岸のおはぎが思い出になる
去年の日記を見返してみたら、「おはぎ作ったが失敗」とあった。そう、まだ酸素吸入器を付けて、自宅にいた父に、あわてて、作っていったっけ。
あんこを作ろうとしたら、あるはずの砂糖が足らず、買いに行けばいいのに、ほんの少し足りないからと、角砂糖を入れた。あんを煮詰めるうちに、妙に硬くなって、最後には羊羹の端っこみたいになってしまった。ここ数年、母が作る味に近づいたと父から、免許皆伝といわれていたのに、なんたること。
それでも、日記にはどうしても、その日しかいけなくて、失敗のあんこを付けて、おはぎを持って行ったとある。たった、1年前のことだけど、あの頃は、義母のことも大変だったので、日記を見ないと思い出せないことが多い。
私の実家では父がおはぎが好きで、あんこは漉し餡と決まっていた。母は私に見せながら作り、
「こういうものは今、作らなくても、そばで母親の作る後姿を見ているだけで、作れるようになるのよ。」とか。
「大森のおばあちゃんもいつもそう言っていたわ。」と話していた。
そばで父は出来上がるのが待てず、よくおつまみしていた。私も父にならっていた。
はじめに、小豆は前日、水に入れておき、あくる日になって煮始める。粒が柔らかくなったら、火を止めて、すり鉢で軽くたたいて竹ざるで漉し、その下にある胚乳の部分を木綿の漉し布に入れて水で晒す。ぎゅっと絞って、鍋に入れて、砂糖を入れて焦がさぬように練り上げる。
私がやるやり方が母と違うのはポットで豆をふやかすこと、すり鉢をミキサーですること、砂糖はブラウンシュガーを使うことなどだ。下の写真の金ざるに入ったのはカスの皮で、餡は金魚の袋の中です。
今日午前中に作り、1つは義母の仏前に、あと一セットは主人の叔母にもって行ってもらった。あと一セットは目黒の母に持って行った。
主人の母も生前は私がおはぎを作って、グラニーに持っていくとほんの少しなのに、同じテーブルの人たちに分けてあげると言って、嬉しそうにしていた。お干菓子が入っていた小さなお重に入れたおはぎだったが。それも過ぎてみれば良い思い出となった。
夏の暑さが引き、冷たい雨がふり、金木犀がオレンジの花びらを散らしながら最後の香を振りまく時。おはぎを作りながら、感傷にひたっています。涙がポロポロでたので、ココがそばで鳴きました。
「ママ、ナカナイデ、ダ、ワン」 「ウー、ナカナイデ、ダ、ウフー」「ウフー」「ウー」「ウフー」
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