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2006年9月の記事

2006/09/26

お彼岸のおはぎが思い出になる

Ohagi06jpg 去年の日記を見返してみたら、「おはぎ作ったが失敗」とあった。そう、まだ酸素吸入器を付けて、自宅にいた父に、あわてて、作っていったっけ。

あんこを作ろうとしたら、あるはずの砂糖が足らず、買いに行けばいいのに、ほんの少し足りないからと、角砂糖を入れた。あんを煮詰めるうちに、妙に硬くなって、最後には羊羹の端っこみたいになってしまった。ここ数年、母が作る味に近づいたと父から、免許皆伝といわれていたのに、なんたること。

それでも、日記にはどうしても、その日しかいけなくて、失敗のあんこを付けて、おはぎを持って行ったとある。たった、1年前のことだけど、あの頃は、義母のことも大変だったので、日記を見ないと思い出せないことが多い。

私の実家では父がおはぎが好きで、あんこは漉し餡と決まっていた。母は私に見せながら作り、

「こういうものは今、作らなくても、そばで母親の作る後姿を見ているだけで、作れるようになるのよ。」とか。

「大森のおばあちゃんもいつもそう言っていたわ。」と話していた。

そばで父は出来上がるのが待てず、よくおつまみしていた。私も父にならっていた。

はじめに、小豆は前日、水に入れておき、あくる日になって煮始める。粒が柔らかくなったら、火を止めて、すり鉢で軽くたたいて竹ざるで漉し、その下にある胚乳の部分を木綿の漉し布に入れて水で晒す。ぎゅっと絞って、鍋に入れて、砂糖を入れて焦がさぬように練り上げる。

私がやるやり方が母と違うのはポットで豆をふやかすこと、すり鉢をミキサーですること、砂糖はブラウンシュガーを使うことなどだ。下の写真の金ざるに入ったのはカスの皮で、餡は金魚の袋の中です。

Ohagi061jpg_1 今日午前中に作り、1つは義母の仏前に、あと一セットは主人の叔母にもって行ってもらった。あと一セットは目黒の母に持って行った。

主人の母も生前は私がおはぎを作って、グラニーに持っていくとほんの少しなのに、同じテーブルの人たちに分けてあげると言って、嬉しそうにしていた。お干菓子が入っていた小さなお重に入れたおはぎだったが。それも過ぎてみれば良い思い出となった。

夏の暑さが引き、冷たい雨がふり、金木犀がオレンジの花びらを散らしながら最後の香を振りまく時。おはぎを作りながら、感傷にひたっています。涙がポロポロでたので、ココがそばで鳴きました。

「ママ、ナカナイデ、ダ、ワン」 「ウー、ナカナイデ、ダ、ウフー」「ウフー」「ウー」「ウフー」

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2006/09/23

パステルカラーで切り貼り絵・Ⅱ

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 ハナカ、メイコ、リオの順

ハナカは幼稚園年長だが、ハサミの使い方が上手だ。子供にハサミを持たすのは心配だが、なるべく、小さいうちから持つ事が出来るようにさせたい。

《 ハサミを持って立たないこと。ハサミを置いて立つこと。人に向けないこと、人に渡す時は自分が刃のほうを持つこと。ハサミの刃先に自分の手がこないように、紙を廻して切ること 》 などを作業前に話して始める。

ハナカの一番上は鳥だ、切っているうちに偶然出来たようだが、くちばしを付けて、2羽の鳥になった。メイコはリンゴをたくさん切って、グラデーションさせた。リオは切り方も大雑把だが、自分でしっかり糊を付けていった。デザイン的に強く見える色彩の組み合わせを選んだように思う。紙の切り方や、パターンの違いが元気な感じがする。 

パステルカラーの淡い色でこの切り貼り絵をしたが、今度は違う色の組み合わせでやらせてみたい。 まだまだ、子供たちへの美術教育上の働きかけや具体的な、制作のアイデアは無尽蔵にあると思う。

だから、指導者である私の絵を見せて、「(訂正) 絵を描くことだけの教室をしている」ということは画家になる教室であると思う。 あとりえ・チビッコは違う。

私が子供たちに教えたいのは、絵を描きながら失敗してしまったら、別の色を塗り、別の形に変身させて、絵をはじめと違う形にしていくということだ。そうしてもいいのだ。紙の切り方を変えたら、こんなになったけど、別の面白いものになったよ!

そこからスタートしていく、精神の自由さ、言い換えれば、心の広さ。突き詰めると、いい加減にも通じるが。こだわり過ぎないで、楽しい形にたどり着く。いろいろなものの見方をする。柔軟に考える。そういうことが、大切だ。

小さいうちから、先生の描いている絵を見て、それに近い形に近づけようとがんばらせるのも、ひとつの指導法ではあるが、それは子供にとって息苦しいものに感じる。そのような造形絵画教室は最近ではあまりないとも思うが、そういう形を希望していらっしゃる方もたまにいる。そこで、このような課題で説明すると分かりやすいと考えその点のついて触れたわけです。

ちょっと、話が横道にずれたようです。今回の切り貼り絵の最中に、ほとんどの子が、思いがけない形がハサミで切れたことで、笑いが起きた。創作をすることには失敗などはないのだ。

ねえ、これこそが情操教育でしょう? ちがうかしら?

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パステルカラーで切り貼り絵・Ⅰ

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 ケンタロウ、シホ、エリナの順

全員にパステルカラーの色画用紙を渡して、折り、切り、貼って画面構成をした。

パステルカラーという、淡い弱い色のトーンで、その気持ちを出し切れないのか、他の色を欲しがる子もいた。色彩を限定することで、溢れる気持ちをより一層、表そうと、個性が出てくるように感じる。しかし、一見するだけではその個性は分かりにくい。ところが全部並べると分かる。ココログの画面構成上そうはいかない。圧縮など、写真の下ごしらえが必要で、私の持ち時間が不足してしまう。

また次回のチャンスには、色彩を自由にさせて、取り組ませてみたいと思った。

そして、些細なことだが、糊を使う作業の時に感じるのだが、自立心のある子は、糊付けの気持ち悪さを気にせずに進めていく。ならして言えば、あまり親にかまわれない立場に居る子のように感じる。兄弟姉妹であれば上の子。親が仕事を持って、学童に入っている。など、物理的に1人で始末をやっていることが多い子がそういう作業がうまい。今回そのことを感じつつも、切り抜きに時間がかかっている子には一緒に糊付けのお手伝いもしてしまった。そういう、優しさも子供と接する上での情操教育上大切に思う。

突き放すだけでなくそばに寄せて可愛がり、「いいこだあ!」 と撫で撫でしなくてはいけないと思う。まっ、ムツゴロウさんみたいにね!

ケンタロウはコウモリを切り貼った。シホの切り方、貼り方ははじめ迷っていたが、だんだんリラックスして大らかになった。エリナは手をつなぐ子を丸く貼り、画面が優しさに満ちている。

      

                 

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2006/09/19

秋が来た。鹿もきた。ネズミも出た。

山の家では、白樺の葉が黄緑色から黄土や黄色に変わり、水分がなくなって、カサカサと音を立てて、落ちてくるようになった。

ズミの木はかつては、花が舞い散っていた時もあったけれど、今では5ミリほどの実を付けて秋を知らせている。この実が紅くなったり、黄色くなったりすると、葉の数は少なくなり、秋の深まりを肌の冷たさで感じる。

イタドリはすっくと伸びていた時も春の使者だったが、白い花を付けても秋の使者になる。頑強な枝を伸ばす時期はギンミドリウリハムシのデートスポットだった。

私が大切にして耕し、種をまき、土寄せしていた畑は、昨日と今日偶蹄目の鹿が来て、大根と蕪の芽をきれいさっぱり、食べていった。

夕刻になるとネズミは慌てて、天井裏からどこかへ出かけ、朝の5時になると帰ってきて、天井裏の寝床にはいる。

巡りめぐって、秋が来た。                                                      

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2006/09/18

秋の花を描く・Ⅳ

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            ノドカ、カスミ、メグミ、エリナの順 

ノドカは籠の編み方に興味を持ったようだった。それでもその複雑さに、やはり圧倒されてしまった。少しだけ、直した。持ち手の描き方は良かったが、花との関係が描きつくせなかったので直させた。この好奇心を中学、高校と続けられたら、すばらしいデッサンが出来上がるのだが、今現在の持ち時間も少なく、私の指導がずっと続けられるのでもないから、残念だ。それでも、今を大切にがんばろう。無理やり、時間を繰り上げて、小学生に高校生のデッサンを教えることはできない。

カスミは粘り強い描き方をする。ご両親の実家が新潟なので北国の粘り強さかと思うが、以前あとりえにいたが今ではやめている中学生の姉、恵実は線も細く、弱い表現をする。今度その姉に高校受験の準備としてデッサンを指導するが、もしかすると、本当はもっと強い線を出していくのではないかと期待している。

カスミの永年の友人のメグミも線が細い。鉛筆で描き、クレパスでそっと描いていく。私が直すのは、自分の個性がなくなると感じているようなので、部分の指摘をして直させている。

エリナは希望が丘教室なので、この高学年の子たちと描いているのではない。だが入ったときから、おとなしい表現と、同じ学年の子と違う描き方をしていた。もしかすると、絵を描くことが本当に好きで、ずっと描いていくタイプかもしれない。冨井先生も以前、展覧会の絵を見て、そういう感想を言っていた。

         

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2006/09/15

秋の花を描く・Ⅲ

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ヒナタ、ミヅキ、ナミ、ユウキの順。

ヒナタの色使いはきれいで、強い。形より色彩を楽しむ子だ。

ミヅキはアケビでできた花器を 楽しそうに描いた。蔓の曲がり具合も良く見ていた。約2年前の10月に《野の花を描く》で紹介している。

ナミは来た時、眠そうに泣いていたが、絵を描き出してしばらくすると、うれしくなって、絵の具を出しては塗っていった。

ユウキはやっと、ガッツのある絵を描くようになった。絵という、自分を押し出していく強さは、時にはつつましくすることとは相反することもある。学校で鍛えられてきたのかもしれない。                                       

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秋の花を描く・Ⅱ

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           ケンタ、ジュンペイ、ユイ、モモコの順

ユイ以外は前にあとりえにお姉さん、お兄さんがいた子たちだ。兄弟がいなくなると、はじめは物足りなさそうにしていたが、だんだん慣れて、通うようになった。

ケンタはつくづくと、姉のエミに似て、よくしゃべる、エミより、絵の表現が直感的だ。エミはおしゃべりが好きだったが、絵の表現は抑えているときがあった。姉弟を見ることでその違いが見えてくるように思う。

ジュンペイは最近表現の仕方が普通だったが、今回また元気に復活した。大きなアケビの時代物の籠を気にいって一生懸命描いた。

ユイとモモコは希望が丘の子たちだ。ユイは象のじょうろを一緒に描いた。モモコは何度も花の後を斜めの線で描いていいかと私に聞いた。

付記・この原稿を書いたあくる日、私は品川の病院に母を迎えに行き、薬屋に行った。壁には日本薬剤協会のポスターがあった。象が描かれているポスターだった。そして振り向くと、佐藤製薬のチビゾウさとちゃんが入り口においてある。なるほど!

ユイチャンは肝臓が悪いそうだ。近いうちに手術をして、お父さんから肝臓を移植すると聞いている。去年の夏も、入院している。学校を休まないで、毎日学校に行けるようにするために、手術するとも聞いた。他の子よりは病院に行く時間が長いからチビゾウサトちゃんをよく見るのだろう。だから、花にはジョウロ、ゾウのジョウロがそばにあれば、花が元気で居られると思ったのかもしれない。私は昨日指導していて、そのことに気づかなかったけれど、母の病院に行って、薬屋に行ってそのことに気づいた。

昭和医大の入り口で、去年の涼しさを感じて、ほろほろと泣いちゃったけれど、ユイチャンの絵の奥深さを知ったから、元気が出ました。ほんといい絵です。サラッとばんがれ!

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2006/09/14

秋の花を描く・Ⅰ

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鶏頭とリンドウと野原のねこじゃらしを描いた。カホ、ケンタロウ、ユリ、アツシの順。

この子たちは奔放に感覚だけで描いていく。このままをずっと続けていけたらいいのに。いろんな事を勉強して、その良い感覚が消える時もある。

今だから描ける。

今こそ描かせたい。

この今を残しておきたい。

                      

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2006/09/08

夏の工作・森の山小屋・Ⅴ

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ミヅキ、シノ、メイコの順

「 4、5年の女の子は家は 《幸せ》 を具現するところととらえている 」 

教えていて、そう感じることがよくある。

絵や工作の作品の中で、幸せそうな表現がでてくる。この写真では野原に丸いテーブルがあったり、家の軒にはつっかえ棒があったり、町が幸せそうなローズ色だったりしている。私が気づかないところにもいろいろな工夫やアイデアがある。

もちろん子供たちの家庭が幸せなのだと思う。

あとりえではこのように、家を描いたり、家を作ったりするが、その外枠を設定することで《幸せ》の情景を表現することができる。こういうときに私はすかさず、どんな家に住むのとか、どういう人とくらすの? とか繰り返しきいている。まだまだ小さい子供たちにとって《人生や結婚》 は先の先の・・・先のことであっても純粋なこの時期に、理想の構築の《芽》 を意識して持たせることが大切に思う。その道具として、教室で作った作品を利用して、親子で会話して欲しい。

私も夫婦の姿をかたよりなく見せて、《幸せ》を具現したくなるような気持ちを持つように、していきたいと思う。

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夏の工作・森の山小屋・Ⅳ

Yamagoyarisa Yamagoyanodoka Yamagoyakenta               

            

             

リサ、ノドカ、ケンタの順

このグループはこの作品に関して、マイペースで作っていった。特に砂利や木の枝を良く見て作ったし、量もしっかり使って作った。特にノドカは重量が重い作品になった。もしかすると建築会社社長になるかもしれないと、いうしっかりした作りだ。耐震偽装もないし地震が起きて子供部屋の机から落ちたって、倒壊しなそうな家だ。

リサは本当に楽しんで作った。とてもうれしそうで、幸せそうだった。顔中に笑みを浮かべて作っていた。いつかこんなおうちを作るにちがいない!

ケンタははじめは静かだったがだんだん本領を発揮してきた。それでこそ、エミの弟。時計をつけて、男の子らしい社会性を出していた。

            

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夏の工作・森の山小屋・Ⅲ

Yamagoyaatusi Yamagoyakaho        Yamagoyakentaro        

            

            

アツシ、カホ、ケンタロウの順

このような工作をすると、まだ幼稚園や低学年は立体と平面の区別が付いていないので、両方を作る。それは理解させるのにはまだ時間が必要であり、脳の発達上理解はできないだろう。そこで、作品としては面白いことになり、二つの次元が現われる。

そこで、私は無理には教えないし、話さない。それでも、この作品を玄関に置いたりすると、会社から帰ったお父さんが見れば、

「おやー、なんてうちの子はかわいいんだ!」 と疲れも取れるのではないかと思うのです。                                                    

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