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2006年10月の記事

2006/10/28

『三菱アジアの子ども絵日記フェスタ』とメセナについて

子供たちは夏休みを過ぎてから、『三菱アジア子ども絵日記フェスタ』に向けての絵日記を描いている。

A4サイズの用紙3分の2に絵を描き、3分の1に日記を書く。5日分をまとめてつづり、1セットになり、6歳から12歳が募集の対象となる。テーマは「伝えたいな、私の生活」だ。あとりえでは一日では描ききれないので、三回で5日分描けるように、子どもの体調や、学校行事の忙しさを考慮して進めている。

あとりえの子どもの日常は、男の子では虫取り、ゲーム、サッカー、女の子では一輪車、ディズニーランド、なわとびなどを描く。アジアの24の国から募集しているが、入賞した外国の子の作品集には、いきいきした生活が描かれている。グランプリをとった子の日記文の方を紹介してみたい。

「時間のある時はいつも、お父さんを手伝って、お父さんが飼っているかわいい牛の世話をしました。お父さんは朝乳しぼりするようにと言いました。」 (ブルネイ・ダルサラーム国のタリプさん)

「 おばあちゃんは、毎朝、托鉢のお坊さんにご飯を差し上げます。学校の休みの日には、僕も時々手伝ってお坊さんにご飯を差し上げます。」 (ミャンマーのソーリン君)

「学校の授業の後で、昼ごはんを食べているところです。普通かぞくいっしょに食べます。かぞくは4人で、お父さん、お母さん、弟と私です。私の好きな料理は、ご飯、ガルチィヤと焼き魚です。」 (モルディブ共和国のアフナーンさん)

こうして、あとりえの子どもたちには作品集の絵を見せて、お話を読んでやると、始めは途惑っているが、だんだん、自分の今を描き出す。そこで、子どもたちに少し、欲を持たせようと、「これに入選して、日本で1番になると、タイの国に行ける。ゾウが町にいる国だ。」と話した。

私は年に1、2回子供の絵を公募展に出している。またそれを心がけている。今まで、鈴廣蒲鉾主催のかまぼこ板絵コンクールやパンの会社の公募などにだした。公募展は以前はもっとたくさんあったと思うが、最近では少なくなった。蒲鉾展では表彰式で素敵なパーテイ-に招待される。三菱の絵日記フェスティバルは以前、あとりえの子、森屋萌ちゃんが入選し、日本一のグランプリを取っている。彼女は虫愛ずる姫で、いつも手に虫を入れて、絵を習いに来ていた。入選作はアゲハチョウだった。今彼女は横浜の中学2年生だ。何故か、あとりえ・チビッコには今も虫好きな子が多い。

さて、このように芸術、文化を支援していくことをメセナ言う。古代ローマ時代皇帝アウグスツスに仕えた高官マエケナスが詩人や芸術家を手厚く庇護したことから、後世その名をとって、「芸術文化を庇護支援すること」をメセナというようになったのが起源であるそうだ。日本では1990年に企業メセナ協議会が発足している。(はてなダイアリーより)

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2006/10/23

庭の階段を修理する

                  昨日Kawa061023_kaidan 川上の道路から庭へ続く階段を修理した。

冬の霜柱や、モグラに穴を掘られて、壊れかけていた階段だが、廃材とレンガで直した。ここずっと、親たちのことで戻るというパターンが自分自身に刷り込まれていたので、やっと落ち着いて集中して仕事ができるようになった。修理前の写真を撮っておけばよかった。とても上手に出来た気がする。

昨日は日曜日で、NHKのBSで週間ブックレビューをやっていた。その中で、書店売り上げランキングに、なんと、「きっこの日記」が、5位になって映った。私はすごくうれしくて、なんだか、うちの、あいちゃんやすおちゃんの本がでている気になって、こおどりした。

が、アナウンサーが言ったのは 「5位は『きっこ』です。」だった。

「えっつ、『きっこの日記』でしょう?」  むむむむ! (しばし考える)

私は川上においてある古新聞のNHKの電話番号を見て、NHKに電話した。

「はい、『きっこ』ではありません、『きっこの日記』です。間違いです。」

私がNHKに苦情を言ったのは初めてだ。間違いを正したいのと、きっこさんを守ってあげたい気持ちからだった。確かに本を見てみるときっことも読める。でも、分かってないんだな。アナウンサー。

ところで、私は『きっこの日記』を少しずつ読んでいる。昔、メリーさんの干し葡萄を少しずつ食べたように。

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2006/10/19

今年の紅葉

Kawa061016_005_1 川上では日増しに紅葉が進んでいるだろう。だいぶ前に、散歩中,道のかたわらに芽がでていたヤマモミジを山小屋の日本庭園コーナーに植えておいたところ、しっかりと根付き、この頃では紅葉が楽しめるようになった。

秋に台風が来ても、葉を痛めつけずに過ぎ去ってくれると、きれいに黄色に変わる。今年は下方の葉が少し赤くなり、趣がある。

写真の下に黄色のシャベルが見える。春になると山ウドが出る場所だ。あそこには銀杏が埋めてある。果肉が溶けて中の種を洗って、フライパンで炒れば、おつまみの出来上がり。焼き銀杏。やはりそれには日本酒。新潟土産の雪中梅はいかが? もう一つおつまみは菊の酢の物。 

そして、話題はあとりえの子供たちのこと。昨日の課題も上々の出来。ノドカの集中力は良かった。子供と一緒に私も描いていたのでデジカメ取らず。よく描けた子には、ハナマルをあげる。近所の小学校では連日運動会の練習の太鼓がなっている。集団(マス)の中にいる子たちはあとりえに来て、個を取り戻し、自由になる。

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2006/10/18

「三十か月」を読んで

Book_1 「三十か月」  シルト・ウォルターズ著 朝比奈一郎訳 (冨山房インターナショナル)

「三十か月」を読んだ。第二次世界大戦中のオランダでユダヤ人の家族を守り、結果として自分の家族をも守った男の自伝だ。シルト・ウォルターズ氏は一番初めにこのように書いている。

「 戦争についてなにかを書こうとすれば、どうしても、戦争の理由や原因について考えざるをえない。原因なしに戦争が起こることはない。ほとんどの場合、最終的な戦争勃発にいたるまでには、長い年月にわたって危険信号が発せられているものだ。・・・・・最初の予兆はほとんど気づかれることもないので、人々が自衛策を講じなければと目覚めるころには、すでに手の施しようもないほどのエネルギーと破壊力を持ってしまっているのだ。 」

ウォルターズ氏は第一次世界大戦でドイツは戦いに破れ、世界の国々によって、徐々に追い詰められていったと、とらえている。ナチスドイツの台頭やそのころの出来事を、賢く分析している。ユダヤ人家族を受け入れるにあたっての工夫、家族の態勢の整え方も、これまた、賢く考えている。彼がちょうど30歳で、3人目の子が生まれたばかりの時だった。

ナチスの悲惨さや、近所の人を信用もできない恐怖の日々も書いてあるが、ウォルターズ氏が、ユダヤ人の家族も自分の家族も、まとめて守ろうとする知者としての工夫と勇気が凄いと感じた。そして神への良心の忠誠だ。

私たち日本人はほとんどが無宗教で、ウォルターズ氏のようには習慣的に神に祈らないことを、寂しく感じた。そして、この本を読み終わって、アンネの日記とは別の視野に立って書かれているこの本の映画化があればと、思った。

それほどに、今、日本に戦争の危機が迫っているかもしれない!

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2006/10/16

小鹿の声聴く時ぞ秋は来にけり

Kawa061016_023jpgbera 仕事と私の方の母の事をしおえて川上に来た。そして久しぶりにチーズケーキを作った。

チーズケーキには我が家特製カモミール&ミントティーがよくにあう。カモミールだけはドイツ産、ミントはうちの畑から収穫したもの。その日の気分でブレンドする。昨日から気温が下がり、暖かいティーが恋しい。紅葉も一段と強くなり、錦秋の候という感じ。

9月半ばに、我が菜園の大根は動物にやられて、その後も偶蹄目の足跡は増えていたが、かろうじて、畑のまわりにある大根は食べられずにチョロチョロと残っている。丈の伸びた雑草を食べた痕跡がある。もう、仕方がない、ほおってそのままにしてある。

畑で野菜を作ることは、あまり、望みがないので、花壇に力を注ごうと考え始めている。大泉の花松園で、花の終わった菊をまた買ってきた。バラはなかなかうまくいかず、今年は菊の花を買うことも多かったので、山で育てた菊を、父や義母の仏前に供えるのも良いかなと思った訳だ。また16年間、毎年咲いていた百合が今年は出てこず、寂しかった。やはりこれも、ネズミに食われたのかもしれない。

今日、花壇の整地をしながら考えた。ここは小動物たちが昔からいた訳で、私たちがここに無理やり来たのだと。

Kawa061016_027jpgsika そして、昨夜は2時半にヒューンヒューンという鳴声に目を覚ました。すぐそばで鳴いている。少し違う2種類の鳴声で鳴き合っている。枕もとの懐中電灯を照らすと目が光った。慌ててデジカメを取りに行き、赤目禁止にして写す。目がフラッシュの明かりに驚いて動かない。全然動かない。そのうち、家に近い、私に近い所でガサガサ音がする。もう1匹だ。その間、ヒューンヒューンと鳴いていた。

姿は見えなかったが、あれはやはり、鹿だ。鹿に間違いない。イノシシもヒズメがあるので、この件では疑っていたが、ガサガサの動きといい、目の光の感じも鹿に間違いない。畑の動物対策がはっきりした。

写真はぶれているが、中央より左上に目があります。パソコンで拡大してみたけど他には写っていなかった。ちょっとがっかり。足音と草との感じから小鹿に違いない。あれは親子の鹿でお母さんが柔らかい葉を食べさせに来たのだ。そして鳴いていたのは、柵を跳び越せと促していたのだ。

今横浜でこのブログを書いている。また今夜、小鹿は畑に遊びに来ているのかな?

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2006/10/13

秋の果実・Ⅳ

Akikajitu0610jpg10 Fメグミの作品。

今回の果実のモチーフは何度も登場しているが、設定をあいか先生が時間をかけて配置してくれた。私も、モチーフの配置については考えてしているが、彼女はあまり、子供に迎合することなく設定する。

デザイン会社での仕事の中での、より高い芸術作品を目にしてきたため、モチーフのレイアウトが今回良かったのだと思う。

あとりえはこのように日々進化していると感じている。

他にも良い作品が多かった。ケンタ、ケンタロウ、ミヅキ、カホ、エリナ。

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秋の果実・Ⅲ

Akikajitu0610jpg7 Akikajitu0610jpg8 Akikajitu0610jpg9              

左からリオ、ノドカ、ユキミ。

リオは自由画を描くと、説明的なものが多くなり、画面がつまらなくなる。確かにそれは観察が鋭いから、気が付くのだと思う。このような物を見て描く静物画のときにモチーフの美しさについて気づいて欲しいと思う。で、今回は気づいてくれた気がする。本人は何も意識がないかもしれないが。

ノドカは始めのモチーフの書き方がとても丁寧だった。後の周りのシャシャと描いたのはいつもと違っていたが。これが、外でサッカーをしている元気な男の子の作品とは思えぬできばえだと思う。まわりの席に座った子たちがノドカの良い影響を受けて描いていた気がする。

ユキミちゃんは疲れている時が多く、それと、性格的に消極的なときが多いが、今回はかなりやる気十分だったのは、今日までが横浜市の小学校の秋休みで、休息を十分とってきたからかしら。作品も丁寧に描き、最後まで、がんばりました。バックのイメージはKEICOCO先生と、あいか先生の意見がちがいました。

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秋の果実・Ⅱ

Akikajitu0610jpg6 Akikajitu0610jpg4 Akikajitu0610jpg5                 

           

左からジュンペイ、マナミ、ユウキ。

子供たちはしっかりした家庭で育っていると、しつけはきちんとしているが、もう一つ、自由になれないこともある。もしかすると私の小さい時もそうだから。だから私はそれがわかっているから、なるべく、良い子でいて欲しいが、ここぞという時の自由さを感じさせて成長させたいと願っている。良い子でも何かにがんじがらめにされないように!

ジュンペイはかなりそれを実行している。もしかしたら次男だから。このところかなり良い感じで描いている。

マナミチャンはもしかすると初めて紹介する。かなり、しっかりとしたしつけをしている。こうあらねばならぬ 、という気持ちがなかなか強いため、細かい部分で気になることが多い。それと平行して絵を自由に描かせることも大切なこと。地道にこちらも接していきたい。

同じことをユウキちゃんに感じていたが小学校に入って、いろいろ1人でするようになって、子供なりの自立心が出てきたせいか、表現が凝り固まった感じ、裏返せば、まちがえるとがっかりして、いい加減になるということが少なくなった。

それでもあとりえでは幼稚園児が2年生に対等にお話して、コミュニケーションを図っている。少子化で一人っ子が多いが、なんとなく学校以外の場所で、お兄ちゃん、お姉ちゃんみたいな人と週1回会うのも楽しそう!

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秋の果実・Ⅰ

Akikajitu0610jpg3 Akikajitu0610jpg1 Akikajitu0610jpg2                                                     

           

横浜希望が丘八つ橋幼稚園での、あとりえの子の作品。左から、サヤカ、ユイ、モモ。

こちらの教室は幼稚園から続いて通っている子が多く。特別に仲良しではないが、おけいこの後で、遊ぶこともある。雨の日には、幼稚園児の遊具を廊下に出して遊んでいることもある。絵を描くことのほかに、小さい時から自分がいた場所に、年齢が上がっても行くことは、ストレスのないことなのだろう。絵を描くことが好きな子たちだから、つまりは、リラックスできることになるのだろう。

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花束を描く

                          Hanataba06101「 花束を描きました。

 誰かにあげたい気持ちです。

 明るい朝に似合います。」

           KEICOCO

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2006/10/12

まな板に絵を描く

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子供たちは絵を描くが、それが家の中で、役立つことが望ましい。子供たちは親のお役に立ちたいと思っている。

永いこと、おけいこに通っていれば、たくさんのスケッチブックがたまるが、それを、大人になるまで保存することは難しい。いつか処分しなければならないこともある。そんな時に生活の中で使われているものだと、残る時が多い。

子供が描いたまな板で、パンを切る。遠い北海道の大学に行っている息子を思い出し、子供の小さい時を夫婦で語る。パリに住む娘を思いやり、まな板でチーズを切ってワインを傾ける、パパとママ。

「子供の今」 は このまな板に残る。  

上の写真、左のブロックから、ミカンを描いたアツシ、ブタさんを描いたSミク、下は胡瓜に失敗してニガウリになったジュンペイ、ウサ子ちゃんを描いたリサ。

中のブロックはオムレツを描いたアヤミ、スープを描いたメイコ 、動物たくさんヒナタ、美味しそうなトマトのミヅキ。

右のブロックは、家族での今年の北海道旅行を描いたユイ、 シンプルなデザインの嵩、野菜たくさんとイタリアレストランの旗を知ってるカノン、ママと作ったケーキを描いたエリナ!        

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2006/10/09

今日はブログ開設二周年記念日

Mshoujpg 今日は朝から晴天。ココとお散歩。あとりえの子供たちが通う小学校は朝のうちは静かだ。もう少したつとサッカーが始まる。

今日、《あとりえ・チビッコ》 のブログを開設して3回目の記念日だ。造形絵画教室の宣伝と作品の報告を兼ね、私の日々のエッセイをと、始めたブログだが、今では《旅歌ノート》 も携帯で書けるようになり、楽しさ半分、がんばり半分って感じだ。

最近では楽天ブックスから、2冊の本を買った。1冊は知り合いの朝比奈一郎さんの訳した、富山房インターナショナル刊、シルト・ウォルターズ著 「三十か月」。昨日朝、読み終わり、感動した。もっと多くの人に読んでもらいたいので、微力ながらその読後感、推薦の気持ちを近いうちに綴るつもりです。

もう1冊は、きっこさんの「きっこの日記」だ。この散歩のあとに宅急便で届いた。目次の最初にあるのは《ルビーの指輪》だ。私はきっこさんのブログは耐震偽装問題の時から読み始めているので、この記事は今、本で読んだ。朝から泣きそうになった。こちらも読書後に感想を書きたい

そして、楽天ブックスの玄関で支払うシステムが安全な気がした。こうして、パソコンを適当に楽しみながら、暮らしている。これから,開設周年を記念して、手巻き寿司でパーテイーです。

*追記 3回目の記念日は2周年でした。ココログさんからのメールに、「ココログ二周年おめでとう」 を見ていなかったので、恥ずかしいことに、間違っていました。一応辞書を見て、調べたつもりでしたが、勘違い。訂正しお詫びし、さば読みに反省します。

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2006/10/08

トキワ松学園文化祭にいく

最近、あとりえの時間外でデッサンを教えている。小学生までのあとりえは自由に絵や工作をしているが、今度デッサンを希望してきたのは、カスミの姉、メグミだ。中学3年生で、美術系を視野に入れて高校を受けるかもしれない。小さい時はメグミもずっとあとりえに来ていた。

そのため、私の母校に美術コースがあるため、今回の文化祭に行き、学園風景を見学した。美術の作品などや、学校の雰囲気などを見学した。目黒の碑文谷にある、トキワ松学園だ。

私たちが通っていた時も明るいイメージだったが、数年前に、校舎が新しくなり、より一層明るい開放的な雰囲気がした。私は中高生やその父母たちの若々しい世代の方たちの中に入り、久しぶりに気分が若やいだ。相変わらずのトキワカラーというか、節度のある、自由な空気を持っていると思う。メグミは一緒に連れてきたかったが、都合が悪く、こられなかった。

ちなみに、トキワ松は小学校からある。そして、女子だけの美術短大があったが、2001年にに男女共学の横浜美術短期大学に変わっっている。

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2006/10/07

無機的、苦手なことを乗り越える《パソコンの場合》

ホームページ゙を作ってみたいと思うようになったのは、今から7年前ぐらいだろうか。あとりえ・チビッコの25周年のパーティーで言っていたことを記憶している。

それでも、現実には教室の指導や工作の試作、また材料の下見などの仕事上の時間の制約もあり、パソコンのスキルを磨くような時間はなかなかできなかった。それと、現実には芳州先生の仕事の助手、結婚を前にした娘二人への準備など、また出産、年老いた両家の親の面倒を見ることの時間などの制約があった。

それでも突き動かされるように自分を奮い立たせたのは、「勘」とも言うべきものだった。理論ではない。自動車免許もそうだった。そうなると、時間というものは何とでもなる。

パソコンは 《できるとわかるパソコン教室》 に自分の知りたいところだけ、聞きにいった。 また、書店で九天社の 《ココログでつくるかんたんホームページ》 を買い求め、まず一度その本を読み、自分はその中の一番シンプルな、ベーシックでブログを作ることにした。そしてその時にホームページにブログという別の呼び名があることに気づいた。パソコンは家族が使っているIMACを壊すといけないと思い、WINDOWSにし、ノートパソコンに切り替えた。これで安心してできると思った。パソコン用語辞典を引きながら、抵抗を感じる言葉を理解した。どうしても解らないときにniftyに電話して聞いた。かなり長時間お付き合いしていただいた。あの時はどうもありがとうございました。

そのうち、自分のお気に入りのブログを探した。

《室井佑月blog゙》 文章だけで勝負している。先月9月でこのブログを終わられた。少し大人っぽい記事が多かったので、ちょっとだけ、ハラハラした。また別の機会にお会いできたらと思っている。最後の文章が素敵だった。

《庄内拓明の知の海に跳び込め》 現在は知のヴァーリトゥードになっており、たくさんの引き出しを持っていられる、知の玉手箱とも言える。短歌が素敵で、憧れからお気に入りに入れたブログだ。私はその憧れを15万キリ番ゲットにまで形にできた。

《うるわしのブルターニュ》 写真がすばらしく、ブルターニュに行ってみたい。文章も分かり易く、丁寧でありながら、視点が魅力的です。

現在も私のお気に入りには少しずつブログやホームページが増えている。日々の勉強の糧となり、新しい刺激となっている。このパソコンという無機的な機械が自動車免許取得の時と同じように私にとって苦手を克服させてくれたとも言える。

パソコンは血がない、知のあるこころを持った生き物だと最近実感している。

文章も写真も本当に下手で、理論展開がいい加減で申し訳ないけど、何人かの人が、誰かはわからないけど、定期的に来てくださるので、励みになって、子供たちのためにもがんばろうと思っています。

これからも、よろしく !ワクワク、ドキドキ!

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無機的なことを乗り越える 《自動車免許の場合》

私は自動車免許を40才で取得した。それ以前から、家族で自然の中に出ていたのだが、車で出かけると必ず渋滞があり、それを乗り越えるために、どうしても免許が必要になった。 そのことを書いた文章が出てきた。2000年2月に書いている。

・・・・・・・私は小さい時、遊園地でゴーカートに乗っても必ず途中で車をぶつけてしまい、泣いて母のところへ戻るような子だった。小学校4年では腎臓病をして学校を休み、スポーツにはあまり興味もなく育ち、内向的な性格もあって、車や電車に乗れば酔っていた。

このような私が免許を取ることは至難の業だった。しかしどうしても取らねばならなかった。私たち家族はキャンプに行くときにいつも渋滞があり、主人一人が汗を流しながら車の運転をしているのを見ているのは我慢できなかった。二人ですれば疲れない。

教習所は初めは誰にも言わずに行った。運転の仕方もわからないのに、車がどうして動くのかとか、なぜクラッチがあるのかとか、道路になぜ安全地帯があるのかとか、妙なところで考えがストップしていた。教習所の教官に「ばか!」と言われたときもあった。「主人にも言われたこともないのに、あんたにそんなこと言われたくない。」 と泣きながら抗議し、がんばった。第三段階で試験に落ちて昼12時から夕方5時ぐらいまで泣いた。すると飼ったばかりの愛犬コロが私によじ登って、涙をなめてくれた。

終了検定の最後には交通が頻繁な道を右折し、踏切を渡るコースがある。右折のウインカーを出すと、ちょうど向こうからダンプがきた。「ダンプ!」 私は固まっていた。するとそのダンプは真っ昼間だというのに、全灯点けて銀色に輝き、クリスマスのイルミネーションのように、ピッカピッカしながら、私に、「さー、曲がりなさい!」と合図をくれた。あれは宇宙から来たUFOではないかと思っている。

車という無機質なものが血の通った生き物のようにも感じられた。

そして、運転免許は無事取れた。しかし教官は何度も、「教習所を出たらご主人が隣に乗ってくれるんですね? ご主人が乗ってくれるんですね」 と何度も聞いていた。何度も。

あれからもう12年経ったが、今では主人の母のデイケアや、実家の両親のご機嫌伺い、絵画教室の大きな荷物を載せたり、主人の写真の現像に、教材の仕入れに車を使っている。

そして汗と涙の結晶の免許証を大事にして、今も中央道を走っている ( 2000年2月 )

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2006/10/05

変化する子供の顔と肖像権

Tomo0610jpg 子供の顔は日々変化する。

夏休みや学校行事、運動会や演奏会の練習などで、少しずつ、脳を使い、周りの友だちと歩調を合わせる事をするうちに、その年齢なりの、社会性を身につけていく。

そして、顔つきも変化する。あとりえでは指導している時の笑顔など、かわいい子供たちの顔を、写真を撮って掲載したいと思うが、個人情報につながる不安もあり、正面からは撮れない。

先週あとりえの課題を、私も一緒に制作した時に、楽しい空気が流れた。メグミやカスもここに掲載したくなるほどだった。

それに人物は写真撮影をすると、肖像権が生じる。そこで、私は手身近な親戚の子を使うことにした。

幼稚園や小学校のホームページが子供の顔を隠し、後姿になっているのは悲しい感じがして、何のためなのかと思ってしまう。

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2006/10/03

八ヶ岳から銀座にスイッチターン

Kawa061003jpg_1 八ヶ岳山麓はほんの少し、紅葉が始まリ、その光景に後ろ髪を引かれるように横浜に戻った。

昨日は朝から雨で、帰る間際の晴れ間に、畑を見た。やはり動物にやられていて、残っている紫蘇、ねぎ、ルッコラを持ち帰った。

私の戦意喪失感と我慢の限界は10パーセントしか残っていない。まるで、コンバットの一場面のように、野菜を持って、撤退をしてきた。

Ginza0610jpg2 そして今夜は芳州先生の千葉大スキー部の友人と会食。窓のそばの落ち着いた席を予約してくれたのと、今日はウイークデーのせいか、いい雰囲気でおしゃべりが出来た。夫たちは写真、英国王立写真協会のこと。妻たちは子供のこと、仕事や趣味のことをおしゃべりした。クルーズクルーズの写真があまりにぶれていて載せられなかった。

こうして、私は都会の時間も大切にしたい。ささやかな時間ではあるが。そして、こんなひどい写真でも

友人に「ブログ見てますよ!」って言われて、うれしかった。

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2006/10/02

ココとナウマンゾウとココログメンテナンス

Takada1 今回の旅の途中、上信越道の黒姫野尻サービスエリアでナウマンゾウの彫刻があった。

ココと一緒に写真を撮った。

今晩、10月3日夜中の1時から午後3時まで、ココログのメンテナンスがあります。もしかすると、すごーくつながりにくくなるかも知れないので、ご承知ください。

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上越高田は寺の町

Takada6jpg 雁木のある町と信越本線をへだてて、反対側に寺町がある。《寺院めぐり》によると、その界隈には63の寺がある。分家した塔頭も含まれているが、散策していると、お寺さんだらけの感がある。

豊田家の菩提寺はいわきの真宗大谷派だが、同じ真宗である、親鸞ゆかりの浄興寺にお参りした。

芳州が本堂の写真を撮っていると、ご門の前に車が止まり、一見お宮参りかと思う家族が来た。遠目に見ていたので、分からなかったが、近くに来て抱きかかえられているおくるみから、茶色い耳が見えた。犬の亡骸だと分かった。

豊田が写真を撮る間私はココと境内のイチョウの木の下で銀杏を摘んだ。そして、その浄興寺の塔頭や庭を見ながら歩いていると、ビックリした光景Takada8_1を見た。動物たちのお墓だった。

私が結婚前に実家で飼っていた、犬は2代飼い、2匹ともコロといい、獣医さんに頼み共同墓地に埋葬されている。お参りはしていない。また5年前に亡くなったコロの灰は今、川上の野菊の咲く下に在る。

その浄興寺の動物用の墓地にはコロという名のお墓があった。そして、私たちが見ていると、御住職が出てきて、これからさっき見た犬と飼い主の供養が始まるようだった。

Takada7

秋の彼岸も終わったが、まだ、父や義母の一周忌が済むまでは、ホロホロとする私です。

そしてここ高田に来たのも、何かの縁ではあったのだ。今回のお仕事を通して2人のF氏にお会いした。運転の助手をして来たから会えたのだ。

かつて、あとりえ・チビッコの展覧会は神奈川県民ホールでしていたのだが、その県民ホールの学芸員の方、F氏に偶然お会いした。現在はフリーの評論家になられていた。p

もうお1人は、地元で高田をこよなく愛し、写真を愛し、日本を良くしたいF氏だ。わずかな時間のご挨拶だったが、二人のF氏に会い、新しいコミュニケーションの広がりを感じた。

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上越高田は花の町

       Takada5              Takada2            Takada4                      

芳州先生のお仕事の助手で、川上村を経由して上越高田まで、1泊2日の旅をした。

標高1400メートルの長野の南佐久から、小諸、長野、妙高を経て、上越高田までは約200キロの距離の移動であった。さすがに日本海に近いため、長袖では暑かった。

高田の駅前には鉄骨でしっかりした雁木が出来ていたが、アーケード形式の雁木もあった。街の中には家の軒を少し延ばした造りの雁木もあり、それは家の出窓を歩道にまで伸ばしていると形容した方があっているかもしれない。それらの、雁木が冬にはしっかり仕事をしているのだと歩くうちに感じられた。

愛犬ココが一緒の旅のため、着いてからすぐ、一緒に散歩をした。どこでも犬を連れて歩いていると、すぐ声をかけられるが、この町はいつもの他の日本の町とはともっと違う何かを感じた。ゆったりしていて、心から人に話しかける何かだ。ドイツのハーメルンや、ツエレでもそんな感じがしたのと似ている。もしかしたら、雁木がそれを育んだりしているのかしら、と思っていたら、たくさんのパンフレットの1枚にやはり、書いてあった。

Takada3jpg

ところで、高田市街地一帯では10月7日から9日まで《花ロード》が開催されるそうだ。町の中を歩いていて、花が効果的に咲いていた。そして、花が咲いている家の奥からは子供たちが楽しそうに話しをする声が聞こえた。

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