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2007年4月の記事

2007/04/30

鹿との戦い・再スタート

Kawasika_005Kawasika_002Kawasika_0064月に入ると川上村の畑では農耕車が入り、肥料を鋤きこんだり、畝を作ったり、マルチを敷いたりする。レタス作りのプロたちは毎年、天候を予測して農業をしている。

生意気に我が家の畑も同じように、シャベルで耕し、畝を作り、肥料を鋤く。今までに何度もこのブログで書いているが、そのように努力して農作業をしても、大根が途中で鹿に食べられてしまう。   

今日、遊びに来ていた親戚の子が帰ってから、畑の周りのススキ刈りをしながら、今年は本当にどうしよう、と見まわっていた。すると、10日前に見たときにはなかった、鹿の糞が、黒々とある。どこまであるか見ていくうちに隣の敷地にもある。数えてみると、うちの敷地は15くらい、隣の敷地には30位塊である。たどり着いてぐるっと回って目を上げると、うちの畑がよく見える。写真の白い木は鹿が角を擦ったと思われる幹だ。

絶望的な感じもあるが、今年は白樺の木に針金を渡していくやり方にすることにした。

明日、カインズホームか、コメリで材料調達! 人と鹿との頭脳戦 再スタート!

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2007/04/27

メニューブックを作る(母の日のために)

MenumeikoMenuhinata  母の日を前に、早めにプレゼント用に《メニュー・ブック》を作った。あとりえ・チビッコの定番お楽しみ工作だ。

いらなくなったお料理の本や、レストランのチラシや、食材のチラシを持ちより、こちらが用意したメニューの区分けに従って写真を貼るというものだ。

子供たちは料理の写真を切っても、和食、洋食、中華など、それが何料理かわからないので、一人一人が聞くため、大騒ぎだ。また、ママが好きなお料理を探す子、デザートがたくさん載っている本を持ってきた子に、皆がいいなあと欲しがる子、以前この課題をした時によだれをたらした子もいた。美味しそうなお料理をじっと見たからだ。子供同士、カレーない? Menusmiku Menuyukimi、あるよ、あげる、とか上下の学年関係なく言葉が跳びかう。

そしてこの課題はそのおうちの家庭事情も察せられる。つまり、お母さんが丁寧にお食事の支度をしていれば、それは写真の集め方に表れる。 ただ男の子はこまごまとした事が苦手な子が多く、どーんとお肉の写真なんかを貼る。それはそれで男らしくっていい。魚が好きな子、野菜が好きな子、ピザが好きな子、いろいろだ。大昔、この課題で、田中望君は、ヨード卵光の写真と、アジの干物を並べて貼った。

あいか先生が始めのデータを入れていたので、最近のタイ料理なんかをプラスして入れてもらった。結局はそのデータは我が家のデータということだ。

昨日、希望が丘教室に一緒に行き、2日続けての指導でくたくたになりながら帰る時、助手のあいかが、

「子供たち、ママが好きなものを知っていてそれを言いながら写真探していたね。どの子も探していたね。そういえばメニューにあったビビンバ、この頃食べてない、今度作って! ママが作ったビビンバって、銀座で食べたビビンバと同じだった。すごい美味しいのを小さい時から食べていたんだって気付いたよ。」 

そうかい、そうかい、よしよし、指導の合間に生意気なことばかり言いおっていたが、たまにはかわいいこと言うやつじゃ今度のお稽古日の夕食はビビンバにしてあげよう。 

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2007/04/24

記事の更新400号です

P6120061 今回の記事で、400号になる。

私は小学生の頃、詩が好きだった。中学1年生の時に一度美術部に入り、2年生から文芸部に移り、高校3年では理数系の受験クラスから美術選択に移った。そして、女子美術短大の生活美術に進んだ。

そして今は造形絵画の指導をして、児童の情操教育の一助になればと、研鑽している。

こうしてブログを更新しているのはその頃に感じた絵を描く楽しさと、詩を書く楽しさ、生活の中の花や自然の清らかさを楽しむ生活をまわりの人にも伝えたいと、小学生の頃の自分が今も核となっている。

ブログの記事のリストを見てみたら、今回が400回目だと気付いた。始めての記事に添えた女の子の写真はフランスのコルマールで撮ったものだ。私の幼児期に似た後姿だったから。自分の核を意識するためにまたもう一度載せてみた。

とにかく生きていることはすばらしいことよ! 好きなことをしていられることもね! また愛する人がいっぱいいるのもね!記事の更新500めざして、楽しもう。

ときどきこのページをめくってくださる方たち、ありがとう。これからもよろしくね!

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2007/04/23

S氏を偲んで

Tomoko 30周年の集いに来てくれた、木崎智子さんから楽しかったとメールが届いた。素敵な写真も添付されていた。フランスのシャルトル大聖堂だ。(写真は木崎智子撮影)

自分の撮った写真をウェブで見るというのも趣あるのではと思い、了解を半分得て(メールで連絡しただけだけど)ここに掲載する。

そして話は変わるが今日は、ある方を偲んで、その義理のお兄さんと日吉のイタリアレストランで会った。芳州と共通の友人であったS氏は私たちが結婚したばかりの頃、釣りの楽しさを教えてくれた人だ。

彼は定年退職して一緒にお祝いしようと言っていたが、それから2年もたたず、亡くなってしまった。私のバレンタインデーのチョコ友では最古参だった。エイプリルフールでは彼は絶対怒らないと思い、いたずらをした時もあった。あとでネタをばらしても電話で笑っていた。ちょっとだけ、寅さんに似て心が暖かい人だった。若いときから心臓が悪かったので、独身だったとも聞いた。

今年初めにかなり具合が悪いと聞いて、芳州と病院に行ったときは父と同じ人口呼吸器が着いていた。薬のせいで朦朧としている様子は気の毒で、かわいそうだった。それから2ヶ月もたたず、亡くなった。お兄さんからはホワイトデーの2日前に亡くなったと聞いた。

現実の生活はいつも、周期的と非周期的な仕事がある。そして人はいつの間にかそれに押し流されている。そんな具合で、Sさんとも最後はあっという間だった。人生の出会いは一期一会と心得よう。

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2007/04/18

テンと降り止まぬ雪

Ten 雪がやんだので朝の散歩をした。2軒隣の道がカーブしたところを曲がったとたん、テンと出合った。

黄色い色で、びっくりするほどの鮮やかさだった。急いで追いかけたが姿は見えなかった。今まで2度出合ったことがある。

はじめて出合ったのはこの道のずっと先の管理棟前の道だった。夜中にレタス畑を通り、もうすぐ山小屋に着くときだった。2度目は暮れの正月間近に芳州が水道管の修理をしているときに、まるで襲うように後ろの方から、ダッシュして来た。わが夫も同じようにすごい勢いで家に逃げ込み、「恵子、なんだかすごい動物がダッシュして来たよ!何だろう!」と言う。

それで私も、外を見るには二階に上ってみるのが一番と、階段を3段おきぐらいに登って、窓を開けてみると、何と、12メートルほどの高さの白樺に、何かの動物の目が光る。ぴかぴかピカーン!そして私と目が合うや、また地面めがけて木を伝わって降りていく。そしてその時木の上で、「ギャオー!」と叫んだ。

Muhyou 本には出ていない動物、テンのしぐさだった。そして今日のテンもまったく予期せぬ出合いだった。角を曲がったとたんだ。黄色はイェローオーカーに山吹色を混ぜたような鮮やかな色だった。散歩中また会うのではないかと注意深く眼をこらして歩いた。

眼が疲れぬよう遠くを見た。裏の山が霧氷に覆われている。この森の動物たちはまだ春を感じにくいだろう。午後になり、雪と霙が交互に降っている。

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2007/04/17

4月の雪

Yuki0704 朝、ココがおしっこしたと鳴く声に目が覚めて、いやに外が明るいのに気づいた。雪だ。

5月の連休に雪が降った事もある。以前家を建てる前にはキャンプをしていた。夏ではなく5月の連休に初めて今の畑の辺りでキャンプをした。それはココの前にコロというマルチーズを飼ってまもなくだった。

夜中に寒さで目覚めると、外ががさがさするので、キャンプのテントを手を伸ばして触った。何かコロと同じ感触、でもコロは私の足の上の寝袋の上にいる。コロと目が合うと怖そうにぶるぶる震えている。外に何か他の動物がいるのだ。きっとキツネかアナグマだったのだろう。

朝、目がさめると、どこかの山で遭難した人が亡くなったとニュースを伝えていた。それは男女で登山していたが、女の人が死んだという。私としては女性のほうが脂肪もあって強いだろう思っていたがちょっとびっくりした。そのとき女も弱いんだと思った。そして、車の中からあらゆる毛布を出して体を巻いて、朝食の支度をした。その姿はアンデスの人たちのようだった。確か気温はマイナス3度だった。

今はもうこの光景はなくなって、パラパラと雨が降っている。ココと朝の散歩をしていると、ウソが数羽で、ズミの木にいる。秋からの実は干し葡萄のようになっている、口に入れると結構おいしい。中の種も食べて少したつと杏仁の味が広がってくる。

畑のことをどうしようかと思う。隣の家の敷地に倒れた木を擦って白くなった幹が目立って見える。多分鹿が角を擦ったのだろう。

「無理じゃよ、無理じゃよ。」 なんだかムーミンのお話の中に出てくる、ヘムレンさんの声が後ろの山から聞こえる感じがした。

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2007/04/16

自分で作るバースデイ料理

Tanjoubi 昨日が私のお誕生日だったが、川上への移動があったので、夕食は談合坂でささっと食べた。夕食時間が遅くなるのは体によくないので、着くまでの時間を考えると談合坂で食べるのががちょうどよい。

そして、今日午前中は我が家の小さな畑の鹿対策を本格的にするため、佐久のカインズホームに杭やネットの網を買いに行った。寸法などを測ってもう一度シュミレーションすることにして、今回は買わずに帰ることにした。

千曲川の流れは速く、時々雨が降る中をつばめが水面近く飛んでいる。芳州と夫婦でいることが不思議な気もするし、当たり前に前世から決められているとも感じたりしながら、141号の道沿いをドライブ。

さぞかし、風林火山の頃の武士たちはこの道を大変な思いをして通ってきたのだろうとも思う。時々墓の苔むした石が車窓に見え隠れする。そう言えば昔、私は車で酔うたびに、「江戸時代に生まれていれば良かった!」って言ったっけ、と芳州に言う。

宿岩というところにあるツルヤで食料を買う。かなりの食品が99円になっている。レジの人に今日だけかと聞くといつもそうだという。家族の単位が小さくなると少量で安く、多種類の食品を買える方がいい。ケーキのスポンジがパンコーナーにあったので、生クリームも買う。イチゴはあるので、ショートケーキを作ろう。今日の献立は生春巻きなので、ニラやエビを探す。大変でもお料理を作る喜びは幸せの1つかもしれない。

久しぶりのショートケーキだ。娘たちが家にいた頃はよく作った。明日は雨はやむかしら。畑に影を落としている白樺を切らなければ。それにしても娘が結婚してお婿さんが来て、木を切ったりするのをもう少し手伝ってくれるかもと思っていたのは想定外だったようだ。

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2007/04/15

幸せな時間

Yoseue今日は私のお誕生日なので、少しノンビリして 《幸せな時間》 を持とう。

母は小学校から中学校まで、毎年お誕生会をしてくれた。私は友人たちに、自分が植えた植物を見せたり、こうして庭を造ったといっては自慢をしていた気がする。垣根の木が4月15日を前後して芽吹くので、その木のその年の、芽吹き方を見て誕生会の日にちを決めていた。

葉が出て緑が多い方が庭が素敵に見える。チューリップを色分けして植えたり、石を置いたり、小川に見立てた水を流したり、他愛ないものだったが。それはそれは 《幸せな時間》 だった。

年月を重ねてくると、自分にとっての《幸せな時間》 がはっきりしてくる。ある意味では我が儘でもあるが。まずいつも言っているのは、

「まわりに3匹のチョウがいること」・・・・・・・ 「好きな音楽が流れていること」・・・・・・・「その日、その時に感動できる映画が見れること」・・・・・・・・・ 「できるだけ自然に近いところで食事が出来ればハッピー!」 「犬がいればなお良い!」となる。

そして、今では時間があると、「好きなブログを見るのも幸せの一つ」だと思っている。昨日の 「きっこの日記」 には 《Born to be Wild》 の記事が載っていた。たまたま、同じ日に私も似た感動をしていたので、私も書き出してみたが、話の膨らませ方が全然比較にならず、がっくり、やめました。きっこは娘たちと同じ世代なのに何か心が通じる、大好きな人だ。私の書きかけのへたな文章も、メモ程度に残しておこうと思い旅歌ノートに綴ることにした。

★ 仕事への道の途中に聞くジョージア オン マイ マインド 窓からの風緑なりけり

ところで昨日、「カポーティー」とジョニーデップの「リバテイーン」 のDVDを蔦屋で借りてきた。迷った時のミニシアター系だ。先週は母が風邪を引き、重ねて転びもしたので頻繁に母の面倒を見に実家に行った。自分で言うのもなんですが、親孝行をしっかりしてきたから。今日と明日は自分へのご褒美の日とします。

《幸せな時間》 は大人になると作りにくい。

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2007/04/14

あとりえと3人の子供たち

Ookurayamagara あとりえにながく通っているお子さんのお母さんに率直なご意見を書いてもらいました。これから月に一度掲載します。

お母さんの言葉」 Ⅰ        ペンネーム・蕾

あとりえ・チビッコとの出会いは長女が小1の10年前の春。今と同じ桜でいっぱいの大倉山記念館での展覧会に偶然入り、一周する頃には長女も私も入会する気満々でした。(笑)

教室見学の時、「鶴見川で遊んでいた親子でしょ?主人と写真を撮りに行って見かけて、あんな子たちがあとりえに入ってほしいわねって話していたのよ」 と言われ恥ずかしかったけれど、とても嬉しくて、その時長女が描いた筍の絵と共に忘れられない想い出です。

次女は待ちきれずに年長の秋に、長男も小1で入会し、水曜日はスケッチブックを3つ並べて立てかけて、パパの帰りを待ったものです。

3人も通わせていると 「あとりえってどう?」とよく人に聞かれました。「お絵描きや工作を心ゆくまでやらせてくれるし、何より私が先生の事が大好きなんです」 と答えてました。昔はお手紙、今はブログ、私は先生の文章の1ファンでもあります。子供たちは工作の時などあらしや雷が鳴ってもなかなか帰ってこなくて心配したり、あまり遅くて先生に家まで送ってもらったこともありました。

長女と長男は4年生の頃突然絵の感じが変わりビックリしたのが印象的でした。二人とも同じ年頃で同じ花の絵でした。次女はその頃にあとりえを辞めてしまいましたが銀のスプーンをもらえなかった事をずっと残念がっていました。好きでつらーーいスポーツの道に進んでしまったけれど、良かったのかな・・・・・。長女は今春、美系の高校へ進学しました。作品講評会で「まじめで誠実な絵で評価できるが、まじめさは欠点にもなる」 と辛口なコメントを頂きました。多分先生が知っている頃の作品と何も変わってないでしょう。

10年て、やはり、長いです。次から次へと思い出が浮かんでとりとめがなくなってきました。本当にお世話になったんだなあとつくづく感じます。長男は最後の年にもかかわらず、あとりえの後の遊びの事で頭がいっぱいで気あいがはいってないかと思いますが。

あと少し、どうぞよろしくお願いします。

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2007/04/13

詩と物語を描く

BookkentaBookjunpeiBookkentarou            

            

            

ケンタ、ジュンペイ、ケンタロウの順。

今回は長新太の 「ヘンテコ動物園 」(理論社)の中から  2編の物語を読み聞かせて絵を描かせた。あと3篇はたかむらきみこの、「かみさまあのね」 (日本基督教団出版局)の中からの詩を読んで描かせた。本を子供たちがすでに読んでしまっていると、絵を想像できないので、あえて古本屋で探した。今は亡き父がよく行っていた、《学芸大学の飯島書店》 で探した。

《ゾウと大きな魚》と《せかいいちのジェットコースター》の物語と、《花の日》、《どうしてだろ》、《こんやのゆめ》の詩だ。やはりと言おうか、男の子は全員、物語を選んだ。そして女の子はポエムを選んだ子が多かった。

Poemmomoka_1BooknodokaPoemhmiku   

                         

                

モモカ、ノドカ、H・ミクの順。

独創性が男の子には強く感じられた。この6点が強烈だった。心情がいつもマイペースの子たちだ。こういった性格は伸ばしてやりたい。それには我慢強く、待つことだ。詩はやめて、無理にでも物語を女の子にも描かす方がよかったかもしれない。

メイピー、アヤミもがんばっていた。リサが幼稚園の時のチョウチョと今描くチョウチョを登場させてかわいかった。アツシはジェットコースターをジェット機とまちがえて描いていた。

なぜ、男の子はこういった絵を描かすと、面白いのだろう?きっと脳内での違いがあるのだろうが、私には残念ながら解明できない。あとりえのOBで、精神科の病院で医師として働き、いのちの電話の仕事もしている、木崎英介君だったら、教えてもらえるくれるかしら。

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2007/04/09

《代理母》と《生む機械》とコウノトリ

Tomo 子供の成長は早く、親戚のトモ君もこの4月に幼稚園の年中になる。この写真は3才の時だ。最近は自我も強くなり、かわいいと頬摺りだけでは、コミュニケーションしにくくなった。

ところで少し前になるが、3月26日の「知のヴァーリトゥード」に「産む機械」というビジネス の記事があり、私も同感の箇所があったのでトラックバックしてみる。

代理母の裁判のニュースは少し前に採り上げられていたが、その言葉はサラッと反論も無かった。産む機械にはかなり集中した攻撃があった。どちらも、たいして違わぬニュアンスだと思えるのですが。言った人の前言や立場や国会議事堂の空気が影響していると思う。 今この言葉の論理に問題を提起する気は在りません。ただ、妙に血祭り的に攻撃していたのがいやですが。

Sigonyu それより、代理母ドットコムと言うサイトに書かれている代理母の費用だ。基本料金が2万ドルから3万5000ドル。受精卵移植や医療にかかわるもの、出産に係わるもの、代理母に支払う必要経費、弁護士費用、などを大雑把に合計すると、8万ドル以上で、日本円にすると1000万円になる。それに代理母が仕事を中断している間の保障の費用1年分だ。足したら1500万円にはなるということだ。

最近の環境は、私が子どもを育て始めた70年代頃と比べると、複雑に悪くなっている。産みにくいし、生まれにくくなっている。それでもどうしてもというのなら、養子という手もある。それでも自分たちのDNAを繫げたいと思うから、代理母の選択があるのだ。

子供たちはあとりえに来ると、絵を描き、心を開放されて、本音を言う。 子供たちはお母さんは怖いと言う。また、うるさい、静かにしろと言われるともいう。兄弟、姉妹で、かわいがり方が違うとも言う。勉強しろとうるさいとも言う。かわいがってくれないとも言う。私はそれを聞くと、

「こんなにかわいい子なのに!」と感じる。でも、お母さんたちを知っているから、弁護をすれば子供の勘違いやわがままもあるけどね。そこでですが・・・・・・・・・。

お母さんたちは代理母ドットコムに頼まずに、1500万円使わずに生んだのです。それから思えば少ない費用(出産費用と病院に7ヶ月通ったぐらいの費用、帝王切開はもっとかかるのかもしれませんが) で生めたのです。幸運にもこの環境の悪い日本で、コウノトリが子供たちを運んでくれたのです。コウノトリが飛んでいって、通り過ぎてしまうおうちもあるのですから。(棒線部分追記)

だから、その時に使わずにすんだ、エネルギーを自信をもって、子供に大らかに接して、上手く愛情を子供に注ごうと考えられると思うのですが。どうでしょう。頭の中の回路をチョコッと、無理でしょうか。無理ですか?

追記:下の写真はドイツと国境近く、アルザス地方のコルマールの教会の屋根の上に出来ているコウノトリの巣です。旅行していたフランス人のおじいちゃんに指さして聞くと「シィゴーニュ!」と教わりました。

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2007/04/07

八ツ橋学園幼稚園の入園式

Yatuhasi_1 今日は教えている、八ツ橋学園幼稚園に事務的な用事があり、午前中に出かけた。 ちょうど、園の講堂では、今年入る園児たちの入園式が行われていた。

八ツ橋幼稚園は今年で四十四周年を迎えた。私はあとりえ・チビッコを始めて30年になるが、もう28年のお付き合いになると思う。

園庭の様子もだいぶ変わり、最近はサッカーの指導の声が勇ましい。一時期、私は幼稚園の指導の中で絵画指導を引き受けさせていただいたこともあった。本当に永い付き合いといえる。八ツ橋一先生とトヨ子先生が創始者であり、現在は篠崎真由美先生が園長先生になられYayuhasi3_2 ている。

我が家の長女、すおみは八ツ橋幼稚園ではなく、希望が丘幼稚園に行っていた。そして娘が4才の時に絵を習わせたいと思い、探してみたが私の考えているものと違っていた。それならば、自分が教えればいいと始めたのが、《あとりえ・チビッコ》 だ。

2年ほどして、希望が丘から大倉山に引っ越すことになり、生徒さんから続けて欲しいと言われた。そこで八ツ橋一(はじめ)先生にお願いしたところ、了解を得、始めた《あとりえ・チビッコ》 だ。篠崎家の三姉妹もあとりえ・チビッコに通った時があり、志保ちゃんは横浜美術短大(かつてのトキワ松美術短大)を出ている。

本当に永く続いたし、不思議なご縁だと思う。今日事務室で一先生にお会いし、自分の歴史が、八ツ橋学園幼稚園と重なっているのを改めて嬉しく感じた。

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2007/04/06

春の花を描く2007・Ⅲ

Haruhana_erina_1Haruhana_shuHaruhana_sino            

             

            

            

            

エリナ、シュウイチロウ、シノの順。

3人とも静かな思考回路を大切にする子たちだ。4月からエリナは4年、シュウは中2、シノは5年になる。静かな子には静かに絵を描かせてやりたい。モチーフを置く時に、少しだけ決めて、この花だったら、この花瓶だったら、あの子かな?と考える時もある。

このようにきちんと絵を描くと言うスタイルは、大天才向きではないが、公立小学校では出来ない事ではあり、していないので私の指導する価値はあると思う。

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春の花を描く2007・Ⅱ

Haruhana_momokoHaruhana_hmiku_1Haruhana_risa_1              

            

            

この3人は芯に強いものを持っていると感じる時がある。モモコ、Hミク、リサだ。

ただ強い芯も強がっているということもある。強そうな子こそ、目を配ってやらなせればいけない。弱い花は棘をつけて自分を守る。子供の場合は、時には 棘が口の悪さだったり、それがひるがえって、甘えだったりする。

強い子も弱い子もわからぬ振りして、気にとめて、水をかけてやらないといけない。大きな葉を広げ、人を押しのけて咲く、花だって、水をかけようとしても、自分の葉で根にまで水が届かぬ時があるからだ。

絵を描く以前の対応があってこそ、心に水がしみこんで指導が行き渡る。

   

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春の花を描く2007・Ⅰ

Haruhana_kentarouHaruhana_manamiHaruhana_atusi   

           

           

           

           

子供たちは春休み最後の日、春の花を描いた。4月5日から1年生になるケンタロウ、マナミ、もう2年生になるアツシの順。

30周年のお祝いのきれいな花を頂いていたので、私一人で見るだけでは、もったいないと思っていたところ、ちょうど課題が《春の花》だったので、モチーフとして飾った。

男の子たちは花が苦手だ。でもその花をプレゼントしてくれた小川正人くんは小さい時、花を描くのが好きだった。それは花が好きなお母さん、とても美人のお母さんがいたからだ。1年ほど前に、新横浜で久しぶりにお会いしたが、今も美人だった。でもあの頃はもっとすごかった。

花が好きなお母さんに喜んでもらおうと、正人君はがんばって描いていた。今ことさら私に言われると、彼は照れるかもしれないが。

歴代あとりえにはきれいなお母さんたちが子供たちを連れて来る。2年に1度の展覧会の時にはお母さんにお手伝いをしてもらうが芳州先生はきれいなお母さんが多いので自然と嬉しそうになる。この3枚の絵のママも美しい。

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2007/04/02

あとりえ・チビッコ30周年の集い

Hpp4015616 昨日、あとりえ・チビッコ30周年の集いのパーテイーを大倉山駅のギリシャ料理レストラン 《カヴァヌーラ》 で行いました。25周年の時は20人集まったが、今回は12人だった。

子供たちが、あとりえの教室で、一緒に描いた記憶はないが、指導している私や、主人、娘たちを中心に話の輪が出来た。またレストランの美味しい食事と、4階のパーテイー会場の雰囲気のよさに、話がはずんだ。

木崎T子さんは今、東京芸大、大学院で、ドラクロアの研究をしている。少し前に会った時は、自分の進路に悩んでいたが、目的を見出したようだ。

小川正人君は、ブルーノートの系列のライブハウス《モーションブルー》で仕事をし、パーカッションを勉強しているという。音楽の研鑽をつみに海外に行った時に、ピカソに感動したという。

小柴N子ちゃんは高校、大学頃はヘビメタに憧れていたが、今は実家の家業を継いで、保険の仕事をし、お兄さんのお嫁さんと、ケーキ作りに夢中になり、パリに勉強に行ったとのことです。

保刈あかねちゃんは日本工学院ミュージカル科を出て、音楽に進もうと決めて、現在はライブハウスや、ストリートミュジシャンをめざして、活躍しています。自らが作詞作曲したCDを聞かせてもらった。ホームページ更新中とのこと。

森崎K浩君は時計のデザインからカメラ関係のO社に転職し、デジカメの製作の仕事をしているとのこと、この秋に音楽好きな方と結婚されるとのことです。

北野S平君は法政大学で社会学を専攻し、環境問題に関心があるが、まだ、模索中とのこと。あとりえで培った感性で、絵画鑑賞が好きとのことです。

集まった以外に、連絡のあった方の中に、久米M理子さんが一女の母になり秋田大学医学部で皮膚科の先生をされているとのこと。また津田彩Kさんは沖縄で就職、麻Kさんは早稲田でお仕事、橋本K美さんは女の子のママになり、2人目を出産予定。朝比奈T君は法務省で少年に関するお仕事、つい最近美人と結婚。清水満さんはオーストリアウイーンであちらの方と結婚し、ピアノを続けている。すごいきれいになってビックリ。小林明Nさんはフラワーデザイン。白玉Yさんはフランス文学専攻し、自由が丘でアルバイト。大島麻由Mさんは男の子出産。宮崎みゆKさんは結婚しお仕事をしている。小川原香さんは就職活動。加藤S介くんはヨット部の合宿。礒江真Iさんは詩吟を始めたそうです。石井晴Kさんはバスケットボールを続けているそうです。ちなみに森崎君のフィアンセは晴Kちゃんと同級生とのこと。木崎英介君は精神科の医師で多忙中で欠席とのことでした。高橋有K,尚G君は元気です。久米真紀Kさんもお元気だそうです。以上欠席の連絡のあった方たちです。森田裕子さん、正野さんもお元気です。(名前を公表しないほうがいいかと思われる方はアルファベットで表示させていただきました。また、連絡したのは成人し年賀状をいただいている人たちにしました。時間の余裕が無く連絡していない人もいます。)

音楽関係に進まれた方が結構多くいることが分かりました。美術関係に行かれた方も噂に聞いて、たくさんいらっしゃるのですが、私が教えた幼児期から大学受験の画塾と結びつかないようで、残念ながら連絡はかえって遠のいています。まあ影では私の指導が正しかったと自負していますが。(笑)

さて、当日の朝,時々見ている筒井ミサヨちゃんのパパのブログ、《JoBlog》を見た所、妹さんのかなえさんの結婚式の写真が載ってました。とてもきれいなので印刷してファイルし、会場で皆で見ました。おめでとう!お幸せに!北海道で夫婦揃って獣医さんとして、がんばるそうです。筒井家は3人があとりえに通っていました。ブログを見れば分かりますがグローバルなご一家です。

4月1日という、参加者が集まりにくい日を選んでしまったが、それでも中身の濃い会話の交歓があったのは、それぞれに縁があって集まったのだと思う。これからもこうして子供たちとかかわっていきたいと感じた。

参加者の写真を表情がいいのでそのまま載せます。冨井先生が途中で抜けて写真に写っていない。次の35年の会は、あと5年先です。

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2007/04/01

車検の代車にメルセデス

Kawa003nazo 車検が迫っていたので、トヨタ自働車にどうしても、代車を出して欲しいと、お願いしたら、ものすごい太っ腹の営業のKさんが、

「いいですようー、ドイツ贔屓の豊田さんだから、今回だけですよー。」 と何あろう、なんと、メルセデスを代車に回してくれた。

私は前から一度は乗ってみたいとうちのマンションの駐車場に置いてある、ベンツをいいなあと、見ていた。

そして、昨日はどうしても川上に用があり、車を出すのに車検と重なり、困っていた。ほんとに、よく気がつく営業さんだ。なんだか、ちょっとだけ筋も通らないけど。

「それでも、まっ、いいか!」  「ラッキー!」 と私はメルセデスで川上に来た。いつもだと16号、中央道、141号で来ると、どうしても談合坂で休む。そのため、いくら急いでも、3時間半かかる。それが、メルセデスで来ると、2時間だった。その代わり、メルセデスに見合う濃い黒のサングラスを昔の引き出しから出して着けて来たが。

中央道では0236やXXXXの番号の覆面パトカーが後にいたので、いつもの学習どうりスピードは控えて運転した。お年寄りのもみじマークがスピードオーバーして走っていると道を譲ったり、夜間に居眠り運転している車には警笛を鳴らして、安眠妨害して、安全に協力している私なのだから。

それでも、どうしてそんなに早く八ヶ岳に着いたのかと言うと・・・・・・・・・・

16号ではちょっとだけ渋滞があったので、あの映画!を思い出して、そう、007のときの真似をしてギアを5から6に換えてみたら、なんと、他の車の上を噴射して走行する車だったのです。それで早かったの。

写真はそうして、車を運転してやって来た山小屋の夕景です。ついてから、ストーブを付け、部屋を暖かくして飲むビールの美味しかったこと! グビ、グビ。

(ちなみにこのブログはあなたが読み終わり、クリックすると、自動的に消滅します。)

付記:もちろん、この日記の日付はは4月1日です。おわかりですね。カテゴリーの中の《四月の馬と鹿》を検索すると、去年の出来事が読めます。

地震や殺人の怖いニュースが多い中、私はいつでも楽しいニュースがもっと掲載されたらいいのにと考えています。だからエイプリルフールには、自分だけでも、《不謹慎》の言葉を跳ね除けて真っ赤な嘘を書いています。

付記:4月2日PM10時半 あの、ちなみに私はメルセデスは苦手です。愛車はBNWです。昨日2つも楽しいことがあったので、今日はちょっと脱力感がありました。

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