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2007年5月の記事

2007/05/28

ぎっくり腰

5月24日に川上の庭で植木を植えようと穴を掘っている時、不用意に木の根をスコップで切れるだろうと力を入れたとたん突如痛みが襲った。ぎっくり腰だ。

2日だけ川上に用があり行ったのだが、帰りがけにぎっくり腰になった。金曜日から整形外科に通い治療中だ。そしてまた油断したのはせっかくの日曜日だからと、美味しい料理を作ろうと、買い物に行き、油断して1キロ程の荷物を持って帰った。パソコンがテーブルの下ででひっくり返っている。ビックリしたら、どうも、治療前に戻ってしまったみたいで痛い!

パソコンはバックアップをしなければと思っていた矢先の出来事。慌てて、我を忘れて、CD-RWを操作する。やりつけない事をあわててするからどこかに無理がくる。買い物に出かける前に印刷しようとパソコンをリビングに持ち出して、出かけた間に、プードル犬ココがケーブルにつまずきひっくり返したようだ。かなり破損しているが今何とかこのように操作はできている。

今、先人の、教訓ばかりが頭をよぎる。「後悔先に立たず」 「肝心要は腰という字」 「困った時の神頼みじゃなくて、困った時の医者頼み」 「天災は忘れた頃にやってくる」 関係ない諺までがでてくる。結局自分のばかさ加減に我ながらがっくり。

これから先の仕事の予定がスムーズにできるかどうかに苛立ちながら、自分のことが分かるのは自分です。自分が治さないといくら先生に頼ってもしょうがないと思う自分なのです。今現在は整形外科の腰を温めてけん引する治療でホットしている!

ところで、病院では昔あとりえに来ていた、二戸葵ちゃんのお母さんに会った。彼女は多摩美のグラフィックデザインに入ったと聞いた。たしか、大倉山の記念館での展覧会のとき、デザイン的センスのある作品を褒めた記憶がある。おめでとう。がんばってね。

それにしても、目黒の母のことが気がかりです。私を頼りきっているから。さて明後日のあとりえは気をつけておけいこしますね。

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2007/05/23

大仕事を終えて山小屋に来た

Kawamay 野毛山の写生会は子供たちに怪我や事故や迷子もなく、無事に終わった。

ここ1ヶ月ほどの間、私は下見や予定表作り、保険会社を探したり、電車やバスの時間表、子供の歩く時間、早さなど、頭脳で考えることと、体で考えること、それと危険に対しての想像を毎日シュミレーションして暮らしていた。

ともかく、最近は人間の頭部をバックに入れて歩いている人とすれ違っているかもしれない。想像力を超えたところの想像をして、子供を守らねばならない。そのリスクは、考えすぎるとノイローゼになってしまうだろう。

だが、本来の目的は、《 子供たちが外に出て面白いものを描く 》ということだ。なんで、危ない人たちにたいして、このKEICOCOが怯まなければならないのだ。なんてね!急に写生会が終わったら強気になっちゃった。

そう、私は小さいときから、オルレアンの少女、そして、今では、山内一豊田の妻、自分の持てる力で周りの者をお守りするのがお仕事。それがたまたま、造形絵画の先生だっただけ。だから、いつだって、悪者には向かっていく気力と体力は維持している。たとえ、例えば!大嫌いな毛虫だって!

昨日は、朝から目黒の母の病院の検査に連れて行き、愚痴を聞き、一緒に昼食をとり、戻ってから遠い親戚の子にお見舞いの手紙を書いた。Kawamay_004

久しぶりに便箋を出して手紙を書いたので緊張してしまった。自分が素に戻って手紙を書こうとすると、自分の娘に書くようになってしまい、ローバシンだらけなのに気づく。この部分創作のため、削除しました。いい子だから、早く結婚してからその仕事を続ければと思っているのは、やはりローバシンかな。 ローバシンひっくりかえしてバージンロード。

山の空気は清々しく、白樺は黄緑色、カシワやクヌギは薄緑、カラマツはエメラルドっぽい緑で、グラデーションしている。ときどき啼くクロツグミ、ハルゼミもちらほら、静かさを打ち破る雉。「雉も鳴かずば撃たれまい」と芳州と合唱。私にとっての大仕事をやり終えてほっと一安心の山小屋。

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2007/05/21

野毛山動物園の写生会お疲れ様でした

Nogeyama1Nogeyama2_2  昨日、野毛山動物園の写生会を行った。前日の天気予報も、当日の予報も雨になりそうで、心配をしながら出発した。動物園への道を登る時に黒い雲が一面に広がり、雨が降り始め、皆で雨具を着ながら歩いた。 動物園では他の団体が集合していて雨も少し降っていたが、注意事項を話し、まずはレッサ-パンダのところからスタートする。かわいいと声を上げていたのは始めだけで、すぐ夢中になって描いていった。Nogeyama3

雨が降ってもにじまぬように、油性の名前ペンで、デッサンさせる。スケッチブックも子供たちが持ちやすいサイズを選んだ。

動くものを描くのは大変そうだったが、徐々に慣れていく。どうしても、ゆっくり描く子にペースを合わせて、私も移動のコツをつかんで指示していった。短い時間で特徴をつかませるのは、人間とどう違うかを描けば良い、と指導する。そう言ったとたんに、アツシはマントヒヒの頭と尻を別々に描きながら、曲げてひねって一体化させた。

フサオマキザルの所ではサルたちが、突然、全員で叫び声を出した。子供たちではない。フラミンゴの辺りでは日が射して暑くなり、子供たちのコートを脱がした。園内のところどころにはクジャクが歩いていた。

団体が多く来ていたので、予定を繰り上げてお昼にする。そして30分休み、また描き出す。子供たちは、疲れたと弱音をはくかと思ったが、歩き回りながら感動していた。途中スケッチブックを見たが、なかなか良い作品が描けていた。

デザイナー垂涎のデフォルメされた形があった。ケンタロウのキリンだ。あれは発表したいけど、もったいなくて出来ない。他の子もスピード出して描いたので、よく特徴をとらえていた。コウタロウはライオンの目と鼻だけで百獣の王が表現できていた。

絵はまだ落ち着いて見ていないが、子供たちが時々話していた感動の言葉が素敵だった。「今日の日のことはこのスケッチブックを見ればわかる」(もえな)、  「この私が描いたレッサ-パンダかわいくてかわいくてチューしちゃう。」(はなか)

子供を連れての写生会は無事終わった。今までで一番楽しい写生会だった気がする。私も写生会をここ3年間、したかったけれど、二人の親の不安定な日々があったからね。そんなこともあるさ! 

きっと子供たちも疲れたと思う。お付き添いを最後までしていただいた、カホママとコウ・マリママ、そして途中までだったけど岡田ママ、モエナママのおかげで私も余裕を残して帰ってこられた。希望が丘のほうは以前のように横浜で返すことが出来ないでごめんなさい。みなとみらい線になって、複雑なので、ホントにフォローできないでごめんなさい。

そして事前にかけた保険はお守りとして、役に立った。Nogeyama4 ただ、参加予定の3人の子供たちが連絡ミスで来られなかったことが残念だった。ごめん!

追記:コウ・マリママからスナップ写真が送られてきたので、追加しました。上のレッサ―パンダの前で皆が描いている所と、左はあいか先生と子供たちです。

            

  

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2007/05/19

カブト虫、メダカを描く

MusireiraMusisayaka Musihanaka               

            

             

            

MusimoenaMusisinoMusimeipi       上段左から、レイラ、サヤカ、ハナカ、下段左から、モエナ、シノ、メイコ。

今回はザリガニを描く予定が、ペットショップのヨネヤマプランテイシヨンで、ザリガニが売り切れていたため、季節的に早いサイクルだが、クワガタ、カブト虫、メダカを買って描かすことに変更した。ザリガニを買うということは私の 「少年のような心」 が許さないことなのだが、大倉山も、新横浜も新開発の波に抗いようもなく、私が生息場所として知っていた安全な所は、ほとんどなくなった。以前、夏休みが終わり二学期の一日目にこの近所の男の子たちがザリガニ採りに出かけ、鶴見川に落ちて一人の子が亡くなったことがある。時々子供たちには話して聞かす。そばに川があると言うことはそういうことだ。「気をつけて!」 と、言い伝え続けなければいけない。

今回、男の子たちは大好物の虫たちの登場に、落ち着きを失う子や、見とれる子、触りたがる子が続出し、良い絵は描けなかった。そこで女の子たちは触れないけど、よく見て描こうと考えたようだ。

そこで、良い絵が書けた。レイラちゃんはアメリカから来ているので、色彩がちょっと違う。色彩のセンスが自由な感じがある。サヤカは今月であとりえは終わるが、永いこと来ていた成果がいつか出てくるようにと祈っている。

ハナカは仕事が丁寧で、よく考えて描く子だ。モエナも絵がパターンとして面白い。シノは虫たちをよく観察できるようにと置いた、箱もよくデッサンした。メイコは1匹のクワガタをドーンと大きく描き、暗い闇の中に浮き立たせた。

他にも女の子が上手に描けた。写生会の報告が控えているので、今回の「虫」はここまで。

                                         

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2007/05/14

筍の描写&子供の世界&元気な絵

TakehinataTakemiduki  左からヒナタとミヅキ。二人は姉妹。

ヒナタは筍の切り口の観察をして描いたが、入れ物にどうしても入れようとして、描いていったために、本来の形にはなっていない。右のお姉ちゃんの方が正しい。

ミヅキも昔はこんな描き方をしていた時期があった。このブログの2004年10月の2番目の絵の写真は確かミヅキだ。1番目がジュンペイ。私もまだ更新の仕方が下手で、写真を入れるのに悪戦苦闘の日々だった。ミヅキも上手になった。あの頃一緒に教えていたトミー見てるかな。まだまだ冨井先生忙しそうだけど、展覧会もしてがんばっています。

Takehmiku_1 ヒナタの筍は、リスが齧った松ぼっくりに見える。ほんと、リスは下のほうから上手に食べる。ヒナタはそういえばリスみたいな顔をしている。いえ、かわいい人間の子です。

私も小さい時、近所のお絵描き教室に通っていた時に、写生会でサレジオ教会のアーチの模様をいつも失敗していた思い出がある。そんな失敗をたくさんできるのは子供の印。

怪我をいっぱいして絆創膏を貼るのも子供の印。いつの間にかそんなことがなくなるのが大人の印。けいこちゃんも小さい時、舗装していない道路の真ん中に瓦の欠片が埋まっているところに足を引っ掛けてよく転んだ。いつも、カサブタが付いていた、細い足!

↑ さて今回の絵の中でH・ミクの絵が子供らしい絵だ。最近学校では太陽は赤くないと教えているらしい。確かに日本の子供は太陽を真っ赤に描く。そして、絵の角の上のほうに。

h・ミクの住んでいる家から見える前のマンションに多分鯉のぼりがはためいているのだろう。元気に描いた。私は太陽の描き方が当たり前すぎてはいるが、元気で良いと思っている。子供の時の絵は子供らしくて良いと思っている。失敗も子供らしさだ。ところでH・ミクはいつも静かです。

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2007/05/11

筍の描写&子供の世界&八ツ橋教室

Takeerina_1Takeshu_1           Takekanon_3

            

            

          左はエリナとシュウイチロウ。右はカノン。

エリナは相変わらず、静かに観察し、描いている。シュウはデッサンのため、マーカーで描くことを許す。もう中二だからね。カノンは、筍を描き、お皿のふちを描いているうちに、学校でリレーの選手になったことを思い出し、そして自分を描いた。

希望が丘教室には新しいお友だちが入った。レイラちゃんだ。あとりえの部屋に来ていないので私が迎えに行き、レイラちゃん!と呼ぶと、すぐにそばに来て、私の手をぎゅっと握った。ニコッと笑いながら、ママに会った時に見せるような笑顔でうれしそう。

Takeshoukiレイラちゃんはアメリカから日本にママと来たとのことで、まだ日本語がよく分からない。筍を描く時、外で雨の音がしたので、虹が出たかもと私が話すと、よくわからなそうなので「レインボー!」と言うと、ニコッと笑って描き始めた。指導に夢中になり写真撮らず。

入会したもう一人はショウキ君だ。筍や雲や虹にお顔が書きたいという。ちょっとだけ、こだわりが強そうだけど、そういうタイプは創造的仕事にはあっているはずだ。何とか力になりたいと思った。

前から入っている子たちが造形的センスを身に付けているので、新しい二人の子にエネルギーを注ぎやすい。そしてこちらの八ツ橋幼稚園教室もパワフルにしていきたい。

            

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2007/05/10

筍の描写&子供の世界&兄弟のいる子

TakeyukimiTakekentaroTakejunpei               

           

            

ユキミ、ケンタロウ、ジュンペイの順。

ユキミは3人のお兄ちゃんの下、4番目の子。ケンタロウは下に弟がいる。ジュンペイはお兄ちゃんがいる。絵を描きながら兄弟の話が良く出てくる。

私も結婚して36年間、核家族で生活してきた。だが、現実には実家によく行き来したし、主人の母も遊びに来たから、娘たちの話題の中には、おじいちゃん、おばあちゃんが良く出てきた。ところであとりえの子供たちも、話題の中に家族以外の人の話しがよく出てくる子と、反対にあまり出てこない子もいる。本来寡黙な子もいるし、おしゃべりな子もいるが。

ユキミは筍と今日の空気を元気に描いた。ジュンペイはツザキケンタと同学年の障害のある友だちののことを話しながら描く。子供たちの立派さは何だ!優しい子達だ。 またジュンペイは自分が、スパイダーマンが好きで、お兄ちゃんがパイレーツオブカリビアンのジョニーディップが好きだと言う。私もその話に乗り、彼等俳優二人とも好きだと言い、この頃はスパイダーマンが好きといった。子供相手に映画の話に夢中になりそうになる。これも大切な、指導者の人間性。

おしゃべりをしながら、言葉が出ると、その存在を描きたくなる。それは現実の人間でなくとも、花だったり、動物だったりする。今日、ケンタロウは和歌山のおじいちゃんの話をしていた。ニコニコ笑いながら、連休中におじいちゃんとの会話を色々言いながら絵を描いた。筍のほかに、こいのぼりや、亀も描いた。

「おじいちゃん、ケンタロウがかわいくてしょうがないのよ!」 「違うよ、弟の方が小さくてかわいいよ!」 「おじいちゃんは二人とも同じだけかわいいのよ!」

そういいながら、ケンタロウはこの絵を描いていった。亀の手や足を描いている時に、私は遠くに住んでいるケンタロウのおじいちゃんの気持ちがこの絵の中に刻み込まれていくように感じた。

そうよ!情操教育はこれをいうのよ!これを言葉にしなければ!理論展開しなければ!

・・・・・限りなく冷静さを失うKEICOCO先生でありました・・・・・(ちびまるこちゃんのおじいちゃん風に言っていると思ってください。笑)

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筍の描写&子供の世界&一人っ子

TakemomokaTakekahoTakehanaka_1              

             

            

モモカ、カホ、ハナカの順

モモカには1才になる妹がいるが、赤ちゃん誕生から少し不安定だった。今日は良い絵が描けたと思う。

カホやハナカは今、まだ一人っ子だ。だが新しいお友だちをあとりえに連れて来たので、先輩になった。今日はそのお友だちに先輩としての絵の描き方を見せようという心の動きが出ているようだ。それは私の深読みではなく、永年の経験から感じる事だ。

モモカはあとりえでも、工作の時に分かりにくい事や、出来ないことがあると、大きな声を出して、自分を主張した。それは大きな声を出して泣き叫ぶ赤ちゃんのような感じの時もあった。今日は静かに筍を観察して、筆を走らせていた。

助手のあいかは冷静に、そのことを観ている。そして、モモカに優しく指導していた。またおけいこが終わると、そのことを客観的に私に報告してくれる。 私はどちらかといえば子供が好きという姿勢で造形絵画を指導してきたと思う。だから、あいかの冷静さも必要だと感じる時がある。モモチャンがこの頃、安定してきたのはそのような細かい配慮が効いてきたからという気がする。

以前も私は言ったが、子供の絵を心理学的に解析したくないと思っていたのだが、子供が好きという姿勢 で指導していると夢中になり、場合によってはまり込む事もある。お母さんたちにそのことを言うと、気にして、楽しく子供が絵を描けなくなりそうで、避けてきたが、モモちゃんに関しては良いほうへの展開になりそうなので、あえてここで言うことにした。そういう葛藤が今日の絵のように、絵を強く表現したのだとも思う。

そして、今の日本では子供が生まれにくく、生みにくい状態が続いている。一人っ子同士が兄弟姉妹のように仲良くしていくことも大切だと思う。あとりえでは絵が終わると子供同士でよく遊ぶ。学校と違う場所で、学校や学年、関係なく、仲良くするのも、良いことだ。

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2007/05/08

写生会の下見に行く

Nogeyamasitami 久しぶりの写生会を野毛山動物園でするため、今日は下見にいった。ここ3年ほど、父や義母の病気のために予定がたてられず、できない年が続いていた。

昨日川上村から戻り、実家の母の様子を見て、今日は張り切って、みなとみらい線のみなとみらいで降り、道をきょろきょろしながら歩く。

こうした行事はもっと実行したいと昔から考えているが、年々、日本の治安も悪く、二の足を踏むことがより多くなった。

野毛坂を上って行くと事前に調べたように園内の地図が変わっていた。ゾウとシロクマはいなかった。ライオン君は腰が痛そうで狭い折の中でやるせなさそうだった。昔、写生会で子供たちが絵を描き始めたとたん、交尾をしたライオンだ。

幼稚園の子供たちが大勢やってきて、かわいい声でキャーというと、俺はライオンだぜーとばかりに、グォー、グォーと声を出して威嚇する。目が白内障で青くなっていた。

私自身は、今日ここに来られた自由さと、来ない間に変わってしまった動物たちに心を通わせて、ほろっと涙一滴。Nogeyamasitami2

シロクマの場所はいつも私が狭すぎると思っていたが、人が入れるようにリホームされていた。歩いてみると人間でさえ怖いほど狭かった。都筑動物園は広いらしいが、写生会などの子供が行事には広すぎて、こちらの方が歩きやすく、動物の絵を描きやすいと思う。

レッサーパンダと、ペンギンがかわいかった。

追記:街の動物園こそ、癒しの空間で、これからの時代には無くてはならぬものなのに、なんだか、縮小されているようで悲しい。それは、新しく生まれた、キリンは金沢動物園に行ってしまうし、ラクダが床づれが出来ていて、(それは治療しているから大丈夫らしいけど)、とにかく、ゾウとシロクマがいないし・・・・・・・・

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2007/05/05

鹿とスミレとカラマツと

Kawahatake_003 鹿よけの柵を作った。丸太と竹を使い、以前からあるネットも利用して作った。作戦会議で変更につぐ変更でとりあえず、一部分だけを完璧な状態にすることにした。高原の冷気で大根を育てる。今年こそ完璧に鹿に勝ちたい。

Kawasumire 畑を耕し、地面の下にある石ころを取り除くのは骨が折れる。仕事の合間に、のどが渇き水を飲みに家に戻り、ふと足元のスミレに気づく。芳州の真似をして地面に伏してデジカメで撮る。

本当はこんなにのんびりはしていられないのだけど。どうしても畑仕事がしたい。川上にいたい。目黒の母は調子が悪いと電話で言っている。かわいそうだけど、私たちだって時間は限られている。でも、写真を撮りながら、「スミレの花咲くころ、初めて君を知りぬー」なんて歌も出てしまう。戻ったら母の日をしよう。悪い子、恵子。

Kawakaramautu 朝の散歩ではシジュウカラか、コガラが美味しそうに、カラマツの若芽を食べていたので、真似して手を伸ばして食べてみた。苦くてクリスマスツリーの味がしたが、美味しくはなかった。でも、お口が爽やかになりそうな気がした。

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2007/05/04

羊とプードルの記事にビックリがっくりした私

Cocofuji_1 庄内拓明の知のヴァーリトゥードに「羊とプードルとフリースの三題噺」がある。

常日頃、プードルと暮らしている私はブフッと笑ってしまった。

そして、あることに気づいた。やっぱり、エイプリルフールは日常だ、と。それと同時に、やられた!ビックリし、がっかりした。

ブログ発展途上中の私は来年くらいに気づくエイプリルネタだったと!

清里の牧場で以前撮った写真です。そばに羊がいたけど撮っていないのが残念です。

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佐久総合病院の人間ドック

Koumi_013t_1 年に一度の人間ドックを佐久総合病院でした。

ここ川上村からは臼田まで141号線で1時間ほどかかる。朝早く出るために5時にNHKの第1のラジオをセットしていたら、ピアノの弾き語りのリクエストが流れて目が覚めた。

ピアノで八代亜紀の演歌を弾いているのもなかなかいいもんだと思った。亡くなった父が八代亜紀だけは気に入っていて、私が病院にいく日に父が好きだった八代亜紀の曲を聴くというのも、何か心に来るものがあって山小屋を出た。

途中では朝日を受けた天気雨が虹を生んでいた。八ヶ岳をバックに写真を撮ろうとしたが、見る間に消えていき写真は撮れなかった。

連休の合間に予定を入れた検診だった。佐久総合病院は地域医療に力を入れている長い歴史がある。若月俊一先生の書物が、ドックの待合室に置かれ、病院で発行している健康のためのミニ新聞はわかり易い記事の内容になっている。胃の検査は胃カメラが主だ。いろいろな検査後には看護婦さんによる、食事や生活習慣の聞き取りがある。最後に、病院の院長、夏川周介先生による、診察がある。そして、検査結果を聞き、これからの生活を改善するようにと丁寧なお話がある。

私がこの病院を選んでいるのは、私たちが川上での生活時間が多いこと、また長野での地域医療に取り組む姿勢が立派なこと、それと、作家の南木佳士氏がいるからだ。私は2足の草鞋を履いてる人に弱い。ちなみに看護婦さんに、南木佳士先生のことを聞いたら、日帰り検診でなくて、一日検診の診察でお会いできると聞いた。いつか一日検診を芳州にお願いしよう。

検査ではまたちょっとだけ、ある数値が高いと言われた。薬を飲むほどではないらしい。芳州に注意を受けると反抗する私も、夏川院長にご注意を受けたら、もう今日からの食事に気を付けている。すごい効き目、私は病院の先生に弱いのかも。それは母親譲りかもしれない。

それでも、私は病気をしてお金を使うより、事前の検査にお金を使うほうが良いと考えている。アンチがあれば、アンチテーゼがある。両親は病院好きだった。その両親から学習してしまったのだと思う。

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