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2007年6月の記事

2007/06/26

子供の絵の評価と「初夏の果実」

KudamonoayamiKudamonohanakaKudamonojunpei             

            

           

左からアヤミ、ハナカ、ジュンペイ。

私がドイツから戻り、久しぶりのあとりえだったので、子供たちは張り切って描いた。アヤミは個性が見えてきた気がする。 粘り強い描き方をするようになった。ただ期間を置いて描いたため、今日たまたまかもしれないし、集中力が増してきたのかもしれない。

ハナカも個性が見えてきた気がする。始めて、このブログを見た人はそんな個性なんか、こんなチビちゃんにはと、思うかもしれないが、ちょっと神経質と思われる描き方がハナカらしい。ハナカは1年生だ。

ジュンペイはどうも、6月26日がサッカーの試合のようなで、練習で、体力的にキツイのか彼らしくない描き方になった。ジュンペイはかなり、いつも良い評価をしてきた。それはこの教室 「あとりえチビッコ」 だから私の独断と偏見によるという事ではありますが。彼は学校でのことやサッカーのことを話してくれたので、コミュニケーションはとれている。

子供だから疲れている時もあるさ。

個性があると思われる子には、こちらから働きかけすぎないようにしている。それで、本人が迷う時期に入ると、助け舟を出しながら、もう一度個性を探すことをする。

KudamonoyukimiKudamonokanonKudamonoyui

           

            

           

ユキミ、カノン、ユイ。どちらかと言えば、ユキミとカノンはよくある絵を描く子だ。今日は堂々と描けた。ユイは写真が的確に撮れていないが、楽しい作品だ。いつでも、転がるような気がする果実を描く。

言うまでも無いことだが、絵は写真とは違う。見たとおりに描くものではなく、見るほうがなにか、別の情動を起こすような気がするのが、いい作品だ。

えっこれって傾いているけど、なんか面白い!とか。動きそう!だとか。これ、食べてみたいわ!とか。

見ているものにいろいろな感情を沸き起こす絵が面白いし、いい作品と言えると思う。今回、マナミが描くことを楽しみにしていたが、お休みだった。子供にはリズムがあるので、伸び始めた時はこちらがてぐすね引いて待ってる時もあるのだが。早く治ってね!

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2007/06/21

こうのとりのゆりかご・雑感・3

Doitu0706_post 左の写真はドイツ、ミュンヘンのシュヴァービング病院の赤ちゃんポスト(ドイツではBABY NEST)です。

今回、ドイツに行く旅の目的の一つになってはいた赤ちゃんポストを見てくることが出来たが、物見遊山で行くようで、ためらわれてはいた。そしてミュンヘン駅から、Uバーンで5つ目の駅を降りたが、病院が近づくにつれ、私の足は重くなった。

途中、クラインガルテンを通りかかり、中から出てきたおじさんがそのお庭に招いてくださった。そのことも、前から希望していたことなのでとてもうれしかったが、赤ちゃんポストのことがあったので、そこを出るとまた足は重かった。

シュヴァービング病院は緑の木立Doitu0706_kurink3ちに包まれ、玄関の前のパラソルの下で憩う人もいる。入り口には年取ったおばあさんが受付をしていた。カボックに水をやりながら。ベビーポストというと、場所を教えてくれた。

それはシュヴァービング子供病院の中にあった。すぐに探せたのDoitu0706_kurinkでは無いので、病院敷地内を見ることになった。一見して病気の子供を見かけることもあり、昔、私が子供を育てているときに時々あった、アクシデントに見舞われたときのことを思い出し、胸が痛くなった。どこにだって、病気はある。大変でもいつかは治る。親はその時がんばる。

Doitu0706_kurink2  ベビーネストは、生まれた赤ちゃんが病気でなくても、育てることが出来ず、親が行き着くところだ。

私は、30分ぐらい探すうち、もうここに来られたことだけで終わりにしようと思った。そして、入り口に戻ってみると、シュヴァ―ビング子供病院の看板があったのでよく見ると一番下に《BABY NEST》と書いてあった。

病院を覆う塀を少し開けたように入り口があり、その場所はあった。私がそこに入ろうとすると、そのそばにいたおじいさんが、「入り口はそこじゃない!あっちだ!」としきりに言う。そのおじいさんにはその場所がドイツの恥だと思っているように感じた。言葉が分からないし、通じないから、「うろちょろ怪しいやつめ」と思ったのかもしれない。

すだれで被われているが、病院内のほかの施設より無味乾燥とした感じがした。つまり、子供病院内は楽しい絵や風車や子供向きの彫刻が置いているのに、そこは味気ない感じだった。赤ちゃんを置いていこうとする人に対して最後のメッセージをこめているように感じた。

(こうのとりのゆりかご・雑感1.2はドイツに出かける前に書いたので、文章の不備があります、これも不肖ながらの実力で仕方がありません。気が付きましたが直しませんので、3を読んで真意をお汲みください。またドイツ語も、英語もほとんど勘に頼っていますのでその辺もよろしく。でも、心と背筋だけは成田を飛び立ってからは日本代表なのでそれもよろしく!)

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2007/06/19

ただいま!

昨日ミュンヘンから日本に戻りました。日本に戻ってうれしいのは日本語でジョークが言えること。YCATからのタクシーの運転手さんに、「xx警察の裏まで」って芳州先生が言った後 「警察の中じゃありません」って言ったりして。フフフ

向こうで聞いたジョークで傑作なのは、ミュンヘンのデパートで、トイレに入る時50セントの小銭を用意してたらジーパンのポケットから落ちて隣のお部屋にコロコロ入っていちゃったときに、「You are well come!」って声がしたこと。そして、そっとその小銭が戻ってきたのがうれしかった。私はいつでも 「ダンケシェーン!」って答えていたけど。

今日はこれから、いろんな野暮用があるので、おいおいドイツのこと話していきます。旅行中、腰は少し痛かったけれど何とか大丈夫でした。ご心配おかけしました。

また留守中誰かは分からないけど、芳州先生のブログからアクセスしてくださった方たちありがとうございます。アクセス数が激減するかと思っていたけど助かりました。ドイツのベビーネストを見てきましたので、お話できると思います。

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2007/06/16

こうのとりのゆりかご・雑感・2

日本ではこうのとりのゆりかごが出来たが、3才の子が入れられていたという。育児放棄にならぬように、こういった施設は望ましく無いと政治家は言っている。

インターネットで 《 裁判所、養子縁組 》 で検索すると、養子をもらうための手順が出ている。養子は子供が物心着く前にと、6歳までにと決められている。熊本のこうのとりのゆりかごに置かれていた子が3歳だったということが、心に傷を残すと、騒がれていたが、日本の法律では6歳までにと言うことになっている。日本の法律だから多分、大昔からなのだろう。

私は昔、養女に貰われてきた方を知っている。確か、1年生になったときから、そのお家に来た。弟と同じ学年で、近所であったため、大変仲良く、幼少時代を過ごした。

一緒にご飯を食べたり、一緒に夏休みを過ごし、一緒にお風呂にも入ったりした。お互いの家で遊んだが、私の母は私に輪をかけて子供の面倒見が良いので、その子はまるでうちの子のように育った。或る時、母がその子から、《私にはホントのお母さんがいる。今のお母さんは違うの》 とお昼寝のあとで打ち明けられた。私たちもそれを聞いてビックリしたが、なにかの物語のような気がして、ことさらその友情に変化はなかったと思う。子供だったから。

だが、噂によれば、本当のお母さんはある地方の芸者さんで、子供がいると仕事ができないので、養女に出したのだと聞いた。そういえばその子はよく言うお人形さんのような子だった。そして、母は或る時とてもきれいでその子に似ている女の人とその子が一緒に歩いているのを見たと言っていた。

お互いに大人になり、進学や結婚を経て、現在も《その子》と行き来している。

つい最近、実家の母が頂き物の筍を届けてと言われ、彼女の家に行った。世間話や、介護の話になったが、最近の赤ちゃんポストやこうのとりのゆりかごを彼女は意識していたかはわからないが、

『 私は両親にすごく感謝している。本当にやりたい事をさせてもらった。今の私がいるのは母が自由にさせてくれたからだと思う。』と言っていた。つまり養母への感謝の気持ちだ。

彼女は昔から音楽関係の仕事をしている。そのために、ご両親は日本の音楽大学、ドイツの音楽大学にと留学させている。現在もある楽器の演奏もし、その指導もしている。私は彼女と小さい時から暗黙の了解のもと、そのことは知っていたが、一度も聞いたり、話したりしたことは無い。

私は赤ちゃんポストのニュースを聞くたびに、彼女の言葉を思い出し、うなずいている。そして、彼女の人生のことがスポットライトを当てたように光り輝きだすのです。舞台で光り輝いているように。 でもこの友人のようにうまくいくばかりではないかもしれない。それでも、虐待や子殺しなどになってしまうより、選択技を増やし、子供を育てる力や心がある人のところに、こうのとりが運んでくれるようにするのも善であり、注目すべきことのように思うのです。いろいろ紆余曲折があったとしても。

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2007/06/12

こうのとりのゆりかご・雑感・1

Kounotori 最近日本でも、熊本の慈恵病院で《こうのとりのゆりかご》が出来たが、そこに始めて置きざりにされた赤ちゃんが3歳だったことで、また新しい波紋があった。

私としては、関心があることだったので、ウイキペデイアで赤ちゃんポストについて調べてみた。荷の重い記事ではあるが、少子高齢化について、考えることも多く、少しずつ進めてみたいと思います。写真はドイツで買ったポストカード。

まず、日本での《こうのとりのゆりかご》が出来る以前には、1986年に群馬県大子町で5年ほど、《天子の宿》という施設があったそうだが、1人の赤ちゃんが凍死する事件で、閉鎖されたそうだ。

日本の熊本の慈恵病院ではドイツをお手本にしたが、各国の設置状況について書いてある。オーストリアは2005年までに6つの都市に設置。ベルギーでは2000年に設置、3年たったが置かれた子は0人。チェコでは2005年に設置、2006年までに3人。ドイツでは2000年に設置、2005年までに80ヶ所に設置。ハンガリーでは1996年に12ヶ所。インドでは1994年設置。イタリアでは2006年12月に設置、翌年2月に1名保護。オランダは2003年設置が予定されたものの反対で取り止めとなる。パキスタンが260ヶ所。フィりピンも設置。南アフリカ2000年設置2004年6月までに30名保護。スイスでは2001年5月設置。アメリカは1999年設置。

私たちが好きな国、ドイツでの《赤ちゃんポスト》が日本のお手本にもなっているようなのでチャンスがあったら見学もしてみたいと思い、調べたところミュンヘンのシュヴァービング病院に設置されているとあった。

ドイツでは《赤ちゃんポスト》に赤ちゃんを置く前に、《匿名出産》というもう一つ前の段階があるようだ。血液型だけ調べて、後は不問に付して出産させるのだ。赤ちゃんポストも、匿名出産も女性が抱えている社会的問題の解決をする時間を与えるもののようだ。

つまり、赤ちゃんポストは8週間連絡が無い場合養子縁組を進めるそうだ。匿名出産もやはり、出産の後、同じ期間待ち、そのあと養子縁組をするそうだ。

ところでウイキペデイアには、日本でも、平成17年末に6人の参議院議員が少子高齢化の実態調査のためノルウェー、フランス、ドイツを訪問してる。この間、安部総理と、官房長官がこうのとりのゆりかごでは遺憾の意をのべていた。でもそれより、この訪問に出席した議員の意見もマスコミは取り上げたって良いんじゃないかしら。かなり、しっかりしたレポートだと思うけど。議員たちも「 このことについては、調べてきたから意見アリ!」って手を上げたって良いんじゃないかと思う。自信がなくて、どうぞどうぞって遠慮したのかしら。

もしかすると視察が12月に入っているから、クリスマスマルクトのグリューワインを飲みすぎていて、記憶に無いのかしら? この議員たちが意見を言ったら具体性が出てきて、問題がはっきり進展すると思うけど。どうかな? 

あの事件以来、暗礁に乗り上げた感がある。と言うより、もっと現実の年金問題を乗り越えないと赤ちゃんや少子化に取り組めないのかもしれない。それほど日本の政治って後手後手になっているし夢も無い。だれかもっと、想像力を働かしてほしい。政治に縁遠い私でさえ、そう感じるんだから!

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2007/06/08

嬉しい手紙・2007・June

Picmasato あとりえ・チビッコ30周年のパーテイ―から2ヶ月が過ぎた。まだまだあの日の余韻にひたりながら幸せに暮らしているKEICOCOだけど、最近、小川正人くんから手紙が来た。とても嬉しかったので教室のお母さんたちにも見てもらいたいと思います。

拝啓  先日の集いに呼んで頂き有難うございました。 考えてみれば二十年近くもご無沙汰していて、当日いらした卒業生の方々も、皆初対面であったのに不思議だったのは、あの空間の懐かしさはあとりえ・チビッコそのままで、皆の何処かに同じ風が流れているようでした。一人の人(家族)が物事を伝えるってこういうことなんだろうと、心を共感しているのだと思いました。

今、僕は音楽をしていて思うことがあります。

これまで専門教育を受けずにやって来ている事から、ある種の焦りや劣等感を感じていた時期がありました。しかし、何人かの大切な人は自分に人間の感性というものを気付かせてくれました。音楽という表現以前に、芸術的感性をあとりえ・チビッコにて培えた事を心強く思っています。

先日、母の部屋から、当時のスケッチブックが出てきました。我ながらなかなかの作品集でした。(笑)。    小川正人

・・・・・・・8月30日に彼の師匠のコンサートがあり、また連絡をくれるそうです。・・・・・

もちろん、きっと行きます。去年、ドイツで、アムネスティ・インターナショナルの方たちがミュンヘンの広場で、ドラムの演奏をしてました。私もたたいてみたいと思ったものです。この間の出席者の誰かを誘って行きたいです。

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2007/06/04

横浜でミュンヘンの天気を知る

Munich 今日ミュンヘンの天気を調べた。曇り時々晴れ、気温は22度。多分爽やかな風が吹いているだろう。

この写真は12月のヴィクトリエン・マルクト(市場)だ。あの頃、広場ではクリスマス用品が売られていた。6月の今頃はたくさんのバラの花束が売られているだろう。男性が大きな花束を持って、誰かにプレゼントする町だ。いいな、いいな!

この写真はあまり上手じゃない。もっと上手にとりたい。

ミュンヘンの天気はココをクリックしてね。

しばらくの間、メールやコメントのご返事が出来ません。でも、あとりえチビッコの記事の更新は時々しますから、見てください。6月8日、12日には確実に更新するはずです。

旅歌ノートは→にあるでしょ、それは頻繁に更新するでしょうから見てくださいね。下手だけど感動が多いと更新するはずだから。じゃー、ダンケシェ―ン!

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2007/06/02

ぎっくり腰とパソコンとココ

心配をおかけしたかもしれませんが、ぎっくり腰はだいたい治りました。あとちょっとだけ心配はあります。朝早いときはとっさの行動がしにくいことです。

一番の原因は八ヶ岳の庭に夏ツバキという木を植えようと土を掘った時にシラカバの根があったので、それを切ろうとスコップで掘る時に腰を痛めたのが始まりでした。大倉山の志村整形外科の若先生は、こういう体のトラブルはその時急に起きるのではなく、徐々に起きていて、あることが引き金になって、大きな痛みが起きると説明してくださった。

ホントにそう思います。そして、パソコンにむかう時間と体重と筋肉との間にも数学の方程式が出来るくらいの関係があると、自分でも分かります。

そして、愛犬ココも私とお散歩できないでいたので、それが、多少の反抗となってパソコンをひっくり返したのです。それも考えてしたのではなく、偶然でしょうが。それにしてもNECのパソコンはすごい。今もこうして使えている。

きっと、この出来事を 「風が吹くと桶屋が儲かる」 式に並び替える事も出来そうです。そこまでしっかりと書けば、グーグルのページランキングも上がるのでしょうが、今日の私にはできません。眠いから・・・・・・・ ・ ・ ・

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2007/06/01

ミニ絵本に描く

Miniehonmanami 写生会から10日ほどたち、昨日、子供たちはミニ絵本を描いた。

美術用語にデフォルメと言う言葉がある。デフォルマシオン《絵画・彫刻などで、意識対象を誇張したり変形して表現すること》とある。

私たちはよくデフォルメという言葉を使う。動物園の写生会では対象の特徴を捉えて、絵に描いた。結局そのデフォルメの早い子が面白い作品を描いたのだと思う。たった1回野毛山動物園に行ってきただけだから、動物の描き方を会得するまでには至らないが、教室にいてじっとして何時間も描いていても大丈夫、という状況ではない。それがわかっている子とぼんやりわからない子とでは描き方に違いが出る。

マナミちゃんは教室では落ち着かないこともあるし、芸術的センスは感じられないことが多かったが、この写生会のサルは抜群の面白さがある。そして、マナミちゃんは絵だけではなく周りのものを見る目の鋭い時もある。他の子と比べてと言う程度に、はっきりものを言う。その頭の構造がこのサルを面白くデフォルメできたのだと思う。

追記:私も子供とそのお母さんと意思の疎通がしっかりはかれるようになると、本当のことをはっきりと言うようになります。つまり、芸術的センス云々という箇所は、この作品に関しては良い! ということです。

Miniehonsayakayui 左上はサヤカ、左下はユイ。サヤカはあとりえを昨日で卒業した。幼稚園から5年は通った。このような独創的な時間になると戸惑うことが多かった。昨日もそうだった。お父さんが海外赴任も多いため、飛行機で行ったり帰ったりする絵にしようという事になった。物を見て描くのは好きだが、自由に描く時間は苦しそうだ。私は5年間あまり教えこまなかった、なるべく自分の描きたいものが見つかるまで、待った。永い事、教えてきたが、こうしてお別れするときになると、自分のしてきたやり方が良かったのだろうかと揺らぐこともある。

下のユイは動物園では上手に描けなくとも、挑戦的に見て描いていた。こんなにキリンを面白く描けているのはすごい!特徴を早く捉えることが出来たのはデフォルメが良かったからだ。とても、前向きで、以前、病気の心配があったとは感じられない。

子供が対象をデフォルメするには、時間が無いというファクターも必要だと感じる。子供たちには時々、自分に与えられている時間をはっきり意識させないといけないのではないか。

今回のミニ絵本では新しく入ったお友だちもかわいい作品を描きました。また、それぞれ全員がうれしそうに描いていました。絵本ですから4コマ漫画のように、筋も考えて描いた子もいます。子供一人一人が自分の今を描いていました。明日になると、もうもどらない今を! 輝かしい幼い今を!

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