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2007年7月の記事

2007/07/25

ドイツ人形を描く

DoituningyoujunpeiDoituningyouhinata_2DoituningyoumarieDoituningyounami                        

ドイツで買い求めた人形を絵の具で描いた。左から、ジュンペイ、ヒナタ、マリエ、ナミ。

女の子にとっては人形の青い目を、ロマンチックに感じるようだが、男の子にとっては、怖いと言う。男の子は今まででも、人形を描くと、よくその言葉を言った。

外国の人形に対して、かたくなな考え方を持っていることは、ある種の頑固さだが、男の子も女の子のなかにも、年寄りと同じような頑固さを感じる考え方を持っている子もいる。絶対こうでなくてはいけないと、自分で決めてしまっていることだ。

ところが、永久にそのままではなく、いつか虫が脱皮をするように、少しずつそのかたくなさを捨てて、いくような気もする。このように自分たちのDNAと違うことにたいして、特に目で見てわかる容貌に関して幼い時に、拒否するような殻を持っているのも、脳の構造か、心理的解釈がなされるのだろうと考えられるが、今の私の読書力とスキルでは、答えが出ない。

気付いたので言ってはおくが、楽しく描いている子もいるのだから、これでいい。

Doituningyounodoka_2DoituningyourisaDoituninngyoukenta_2 左はノドカ、リサ、ケンタ。ノドカはいつもと違う描き方をした。

リサは人形を1人描いてから席を替えてもう1人描いた。

ケンタは描いているうちに手や足が取れてしまった。バックにスクラッチ画を取り入れて構成したが、ちょっと気になる。ケンタもジュンペイも中学年はギャングエイジであり、反抗期もあり、難しい年頃なのだろう。

あとりえ・チビッコは、夏休みのためにKEICOCOギャラリーはしばらくの間お休みします。田園の誘惑や、日記は書きますので、アクセスしてください。皆様良い夏休みをお過ごしください。

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2007/07/22

鹿に勝ったぞー!

久しぶりの川上村だが、ついについに、鹿に勝った!

芳州先生の作ってくれた丸太と竹で出来た柵が曲がりもせずにすくっと畑の周りに立っている。畑の中の大根は葉が立派に伸びている。下のほうには白い大根が太く育っている。なんという光景、何という、久しぶりの感動。山々にこだまするするほどに大きな声で叫びたい、「勝ったどー!」じゃない、「勝ったぞー!」。

Kawajuly2daikonKawajuly2potetoKawajuly2   

ここ5年間はやられ続けていた鹿の害、本腰を入れすぎて、ぎっくり腰を経験しながら打ち勝った。でもやっぱり鹿に勝てたのは、芳州先生の千葉大工学部の頭脳が助けてくれたからだと思う。カメラを持つ手をシャベルに替え、三脚を丸太に替え、レリーズを針金に替えて、作ってくれた《鹿の柵》。ああ《鹿の柵》!

ところがなんと、大根はそのまま育っていたのだが、その隣にある、ジャガイモの畑には偶蹄目の足跡が残り、今、咲いているはずであろう、ジャガイモの花が皆食べられていた。

そして、畑以外のノリウツギの葉も食い荒らされていた。枝も折れている。また、ギボシの葉がほとんど食べられていた。モナルダの花芽も、食われている。

大根の命は守ったが敷地内の自然は変化しそうだ。このまま続けば。

だが、秋になると秋刀魚が獲れる。この大根おろしをつけて食べる秋刀魚はおいしい。約40センチの長さがあった。上の3枚の写真は、畑の様子と食べられたギボシだ。

いろいろ多忙でマゴマゴしていたので、証拠写真の大根を撮り忘れて食べちゃった。今は夜で畑は真っ暗で怖いのと、ココログのメンテナンスがあるため、23日は載せられないので追加画像はのちほどね。

23日10時30分追記:

Kawadaikon 畑の大根は23日朝、シラカバの木々を通してくる、光で撮った。大根は雑草を抜いていなかったためと梅雨明け前の湿度でドイツのクラインガルテンとは全く違うと思った。日本とドイツが全く違う国なのと同じだが。日本はしけっぽい国だ。

大根は、目黒の母に持って行き、父に報告した。私の日本画の師、今は亡き横溝先生のおうちにも届けた。

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2007/07/18

きっこに会うなら、こんな町で

Doitu07063_kikko この間、現実での生活が多忙な日々に、「 きっこの日記 」のきっこかもしれない人に出会った。私の行きつけのペットショップだった。

もしかすると、夢を見ていたのかもしれないが。・・・・・・

彼女は松葉杖をついていた。

店の入り口で、正義の味方、オルレアンの少女と、私は眼が合った。 きっこ! きっこ? きっこ・・ きっこ?

「ブログの女王様にここで会うわけないでしょ!」「ヴァーチャルはヴァーチャルとして閉じ込めておきなさい!」 もう1人の自分が冷静にと指令を出した。

松葉杖をついているだけで何故きっこと思うの? 自分が毎日きっこのブログを読んでいるからと言って、あの人がきっこだと何故思うの? 

そう、私がずっと想像していた《きっこ像》は、私の学生時代の友人、水谷寿美子だ。

高校3年の春にアメリカのバークレー大学に入学し、ドイツのシーメンスで働き、ドイツ人と結婚しバウアー・寿美子・水谷という名になっていた。「バウワーはドイツ語で、百姓というのよ」、と教えてくれた。彼女が話す言葉は時として、滑らかさを欠いていたが、いつも真摯だった。そして私も真摯に人生を語っていた。その親友。今、彼女はどうしているだろう。お互いが忙しくなり、音信が途絶えてしまった。

松葉杖の女性は彼女の眼差しに似ていたから。絶対きっこと思った。

今、2007年6月のドイツの写真を整理していたら、あのペットショップにいたきっこらしい人にもう一度会いたいと思う気持ちがしてきた。そしてドイツランズフートの写真の中に、きっこに会うのにふさわしい町の写真があった。

なぜか、私の白昼夢のようなあの日の日記を書いてみたくなったのです。トラックバックはできないから、いつか、きっこがこのページに気付いてくれたらなあと思っている。そして、ヒールの高さ9センチの赤い色がチラッと見えるパンプスを履いている元気になったきっこと駐車場じゃなくて、このランズフートで会えたら、今度こそ声をかけよう。 

私は多分メレルかニューバランスの低くて、川上村の畑のどろが付いている靴だけど。

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2007/07/16

新盆の迎え火と送り火

Otetudai0707_2親戚の子を預かり、いろいろな感動があった。

ホントにささやかなことではあるが、時間の流れを感じる。

テレビニュースで、北朝鮮の核問題についてのニュースを聞き、4才の彼は、「 日本にも原子爆弾が落ちたんだよ。」 「  日本が外国に戦争をしたんだ。昔だけどね。ママが言ってた。」

私の長女は小学校3年ぐらいの時に、学校での映写会で裸足のゲンの映画を見て帰り、「 戦争はいけないことはわかっている、あんなに怖い映画を見せられるなんていやだ。」と言って、泣きじゃくった。その子が今では自分の子に「戦争はいけないこと」 と教え始めている。

この連休は、主人の母の新盆のために、部屋を片付けたり、提灯を用意したり、やりつけないことをした。本を読むと、我が家の浄土真宗はそれほど格式を重んじないようなのであったが、私は亡くなった母と一緒に住むようになってから仏壇を置くようになってからは、仏教のお盆のしきたりの迎え火と送り火を意識して娘たちに見せていた。また小さい時から実家でも、お盆には迎え火送り火をしている。実家は日蓮宗だ。

こういうことは宗教と関係なく、娘たちが日本のどんなところに嫁いでも大丈夫なように、最大公約数的なしつけとして、大事だと思っている。そのようなしきたりや約束事はこれからどんどん変わっていくだろうが。

家族や親戚は変わらずにその伝統は守っていることも多い。自分からは形を変えようがない。また、お寺での御住職の説教やお経は、亡き人を偲び、残った者を癒す言葉に満ちている。とりあえず、自分の信仰とは関係なく、亡き人たちを思えば受け入れていかざるを得ない。

7月13日にお迎え火を焚いて、仏様が来て、7月16日に送り火を焚いて、また、あの世に戻られるという。

ちなみに私はマンションのベランダで、浅い植木鉢に土を入れてその上でおがらを燃やす。そしてその上を3回跨ぐと、仏様が来たり、帰ったりするのだそうな。

さきほど長女のすおみが来て送り火を一緒に焚き、皆で 「おばあちゃん、また来年ね」 と、魂を送った。ちなみに迎え火は次女あいかと一緒に13日にした。

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2007/07/15

重なる2枚の絵

KasanaruemoenaKasanaruekentarouKasanaruemomoko左からモエナ、ケンタロウ、モモコ。

ある方法で2枚の絵を描き、重ねて1枚の絵にした。描画材料を研究している人ならば、どのように描いたかは、この写真でいくらかわかるだろう。

実はもっと色彩感覚もよく、独創性のある絵もあったが、私が台風旋風の気圧のせいか、元気が出ず、これ以上写真を撮れず、この7人の子の作品の紹介のみにします。

KasanarueerinayuiKasanarueshoukikanon  左は上からエリナと下がユイ。水泳がショウキと下がカノン。

これらの作品がこのページをつくるときれいと感じたので、これ以上は写真を紹介していません。

どの子も、真似をせずに自己表現をしていました。

あいかが八ツ橋幼稚園教室に一緒に行ったせいか、また別の空気が流れて、指導がしやすかった。

                  

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2007/07/09

ドイツの誘惑@クラインガルテン

Doitu0706kuraingaruten2Doitu0706_kuraingaruten1Doitu0706_kuraingaruten3              

            

今回のドイツの旅ではクラインガルテンを見たいと思っていた。ことさら計画してではなく、なにげなく歩いていて、見ることができたらいいと考えていた。

前述の《こうのとりのゆりかご》 でもふれたように、ミュンヘンのシュヴァ―ビング病院を探している時にたまたま、お庭から出てきた人を見た。芳州先生が声をかけると、「どうぞー見ていっていいですよー、どうぞ!」 と言われたような気がして、ふたりで、お庭に入った。

Doituo7o6kuraingaruten4レタスや、キャベツ、スグリ 、ベリー類、ルバーブ、キュウリ、トマト、その間には花もあった。言葉が分からないので、気持ちを正確に伝えることが出来ず、あまり長居をしてはいけないという遠慮がちな気持ちもあり、植物の観察は詳細にはできなかった。

だが、通路にブロックを敷いて、野菜や花をその性格によって区分けしているように感じた。そして、レタスも3、4株だけで、他の植物もわずかずつ、たくさんの種類を植えていた。このことは川上の我が菜園でも見習いたいと思った。

金魚も飼っていた。ソファやゆりかごもあった。とても楽しそうに説明してくれたのだけど、全部、ドイツ語だった。気持ちは分かったけれど、気持ちを伝えられなくて、本当に申し訳なかった。 日本代表として笑顔だけは振り蒔いてきたつもりなので、きっと来年にはにっこりした顔のスミレの花が咲くだろう。      

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2007/07/08

いろいろな人の顔を描く

KaomarieKaojunpeiKaoayami              

            

             

            

            

子供たちにいろいろな人の顔を意識させるために、この課題を描かせた。左から、マリエ、ジュンペイ、アヤミ。

一番シンプルな○からスタートした。描いている時に笑い出すことを予想できるような面白い顔をちょっとだけ、描かした。そして男の子と女の子をセットにした。その中には、差別を感じさせるのは選ばなかったつもり。

笑っている顔、怒っている顔、大きな鼻のほっぺの大きな顔を描いたら、なんだかジャイアンの妹のジャイコになった子が多かった。怒っている顔に青筋を入れて漫画のようにした子もいた。

2枚目は動作を加えて、体全体を描いた。傘を差している絵ではレインコートをしっかり描いた子も何人かいた。そういう絵を見ると、小さい時から雨の日に、レインコートを着せてくれている優しいママがいることを感じる。

歩くことと、走っていることを、私がモデルになり、スローモーションでストップして描かす。

KaokoutarouKaokanon 左の2枚はコウタロウとカノン。

コウタロウは「空を見ている自分」をうれしそうになって描いていた。カノンは寝ながら空を見ていることに気付いて、描き、満足げだった。

この5枚の絵は、私が特徴あると思って採り上げたのだが、なぜか、この子たちは人をよく観察している《 眼差し 》 を感じる。どんな大人になっていくか、ずっと先を見てみたい。

大倉山教室では皆うれしそうに歌を歌いながら描いていた。また希望が丘教室では八つ橋幼稚園の篠崎事務長先生が川でおぼれていた仔狸を世話している。子供たちはそれを見ながら狸を描いた。ちなみに狸は怪我をしていないと、動物園で引き取ってもらえないそうだ。

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2007/07/02

鹿に勝ったか?

Kawa0707a 久しぶりに来た川上の畑は95パーセントの割合で鹿に荒らされていなかった。芳州先生が5月下旬に、畑の周囲に木の杭を打ち込み、竹で高い垣根にしてくれたからだ。

ここ5年ほど、大根が何かの動物にやられていた。動物が何かは不明だった。始めはサルかと思った。次には狸か、鹿か、猪か、わかっていなかった。爪痕が偶蹄目なので、鹿らしいとは思っていたが。

ちなみにカテゴリーの 《田園の誘惑》 で検索すると鹿との戦いがあるのでご覧ください。

ここ数年、それなりに市販の動物よけネットを畑の周りに張っていた。春になる度に、新しいネットを買い、年に1万円ほどの予算で作っても作っても荒らされていた。これで正しいサイズの大根が採れたら、1本辺りの値段は相当なものになる。

今年は4月に、芳州先生が、私のお誕生日のプレゼントに計画したのはこの写真の柵だった。前回柵を作り終えて、帰るときに彼が言った言葉は、

「この柵は乗り越えられまい!」

やはり、鹿は諦めたのだ。きっとそうだ。そう思いたい。Kawa0707c ちなみにこの高さは野毛山動物園の鹿の檻の高さを参考にした。

ところがよく見ると、ネットの下のほうがめくれて、ネギがあちこちに飛び出ている。ちゃんと植えたはずなのに、大根も2本ほど飛び出ている。だが大方の大根は大丈夫だ。いつもだったらこんな太さにはなれなかった3.5センチにはなっている。このいたずらは鹿ではない小動物がいたずらした跡なのだろう。とりあえず、鹿には勝っているらしい!

鹿には勝ったのだ!いや、まだまだ、安心は出来ない。

畑は雑草が茂り、緑で覆われている。このままにしておこう。ここで草を刈り取ると、ミミズが蠢く。すると、カラスや、トンビ、モズが現われて、畑の回りに来る。上空を飛び回る。カーとか、キーとかうるさく騒ぐ。キチャッタ、ミチャッタ、シッチャッター、ダイコンフトッタ、ピーピーピー!鳥語を通訳すると「いい餌あるぞー」「大根も太ってるぞー」と騒ぐ。遠くでも鹿は聞きつける。

今までの畑のやり方を変えておこう。草取りは止めて。土寄せもしない。

これも次回はどうなっているか分からない。もっと太くなる期待を次回に残して、少しだけ採っていこう。

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パステルで花を描く

PasuteruhanamanamiPasuteruhananamiPasuteruhanamizuki                         

マナミ、ナミ、ミヅキの順。

マナミは久しぶりのあとりえで、うれしそうに描いた。多色のパステルを使った。多色を使うのは愛情がたくさん注がれた子によくある表現だと感じている。

ナミも漂々として描く。この単純さの中にある幼い時代の絵画表現がいつか、消えていく。子供自身もおかれた環境の中で変化していく。原点とも言うべき花の絵はここに押しとどめられて、存在する。

ミヅキはこの花のように大らかな子だ。長女で若い父母に育てられ、その後に妹たちが生まれるまで、両親の愛情を受けて育つ時間が他の子よりほんのちょっと長かった。だからお父さんが好き。O家の子育ての仕方を詳細に聞いたことはないが、かなりお父さんも育児にかかわっているように感じる。

そのような家庭の子供たちに造形絵画を通じての教育、それはいわゆる情操教育のお手伝いをさせていただいているのも幸せなことだと思っている。

Pasuteruhanameiko

Pasuteruhanasmiku_1 メイコとSミクの作品。

メイコが描いたつる性の植物は時計草なのだが、どうしたわけか、前日には咲いていて、あくる日も咲きそうなものを買ったのだが、おけいこ日の2日間は咲かなかった。私の思いつきで前日に用意したのがいけなかった。もっと前に用意しておけばよかった。仕方がないので葉っぱの一枚一枚をよく見て描くように言った。

私が一時期、日本画の横溝先生に師事していたとき先生は 

「小倉遊亀先生が前の皇后様に、芸術の真髄は一枚の葉を見つけることだ」とお話したという。私は最近は日本画を描くことはしていないが、パステルだって、アクリルだって、一枚の葉を丁寧に描くことから始まると思っている。描くことによってその一枚の葉ともう一枚の葉との関係が出来てくる。形と色の関係だ。小倉先生のお話はもっと深いところ、禅問答的なのかもしれないが、葉とういことから思い出した。

ミクはかなり長い時間をかけて描いた。バックの色を何色にするか聞いたところ、2色出した、私もその2色を心で選んでいた。メルヘンなイメージが作れたので、これからの描き方の道しるべになりそうだ。

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