清里KEEPのポール・ラッシュ祭に寄せて
10月13日、14日と続けて八ヶ岳南麓清里清泉寮ではポールラッシュ祭が催されている。
私はこの夏の終わりに 「清里の父 ポール・ラッシュ伝」(山梨日日新聞社編)を買い求め、10月始めに読み終えた。いつも清里の萌木の村のロックで食事をしている私たちを優しそうに見ているおじいさんだ。実はこの本を読み終えて、ポール・ラッシュはなかなかの人物なのだと判った。そして、関東大震災が起きた後に日本の復興に寄与し、また第2次世界大戦の後の疲弊した日本のために力を尽くしてくれた人だったのだとわかった。
それはどう考えても、大変なことなのだ。今では日本は世界に名だたる経済大国になったが、今から90年前、つまり、私の母が生まれた頃の日本では衛生状態、教育の普及もお粗末な状態だった。それはラッシュが関東大震災の時に来日した時のことではあった。
ラッシュが日本に来たのはキリスト教の聖公会派の普及のためでもあった。そして、アメリカの富裕層の寄付金を集めては、立教大学、聖路加病院、野球やフットボールの普及、また何度も寄付金をアメリカに募っては、第2次世界大戦前には、聖アンデレ教会、清泉寮を築いた。それらは、日本の著名な政治家や大使館、宮内庁の人々を交えながら進めていった。
大戦前にはもちろんアメリカの寄付金も集まりにくく、清泉寮の建設は並々ならぬものがあった。そして戦時中ポールははやむなくアメリカに戻り、GHQというアメリカ軍の中枢に位置し、すでに日本の敗戦を予定して行動していた。それは日本から移住していた人々の日系二世の人たちに戦後の敗戦日本国を助けるためのプログラムを作っていたのだ。ポールは日本軍が日本人全体を戦争に巻き込んでいると考えていた。
この本の第一刷は1975年に山梨日日新聞の連載「ポール・ラッシュ伝」をまとめて編集されている。山梨日日新聞社 井尻俊之氏が担当している。それから32年が経っている。ポール・ラッシュが《キリスト教の伝道》のために清泉寮を築いたのであるが、ラッシュ亡き後28年たった今では、《教育と環境の清里プロジェクト》となっている。
今日と明日に催されているポール・ラッシュ祭はカンテイ(郡)フェア(祭り)とも言い、収穫感謝祭となっている。清泉寮と国道141号で離れている萌木の村のロックの店内ではポール・ラッシュの写真が飾られ、大きなカボチャが置かれハロウィンのお祭りをしているはずだ。
私たちは清里の隣りの川上村に山小屋を持ち八ヶ岳の自然を愛している。また、幼稚園、小学校、中高と教会の日曜学校で聖書を読んだ女の子として、ポール・ラッシュさんの業績を私のブログで僭越ながら読後感として紹介しないといけないと思ったのです。
今度川上に行ったら夜空を見上げてうちの父のそばにきっとあるポール・ラッシュおじいちゃんのお星様も探すからね!
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