内田樹の研究室「生きていてくれさえすればいい」について
私のお気に入りにいれてある《内田樹の研究室》 に「生きていてくれさえすればいい」の記事が載った。内田先生は私より年下で9月30日に57歳になったお誕生日をしているので、四捨五入すれば私、KEICOCO先生と同じ世代になる。
お酒も、合気道もフランスもお好きなようで、 《うるわしのブルターニュ》 さんがコメントを入れていたときから知ったブログだ。最近小林秀雄賞を得て、日本を引っ張っている人だと思っている。私は女子美時代に小林秀雄の本を読んだがよく解らなかった。
内田樹のブログは今まで何気なく読んできたが、今日の「生きていてさえくれればいい」の記事は街場にすむ (この言葉は内田樹先生へのオマージュを籠めて) 母親として私も、いつも感じていたフレーズであり、言葉なので、それを小林秀雄賞をお取りになる方が書くとこんなにすごい納得のさせ方が出来るんだと感じた。それで私のブログを読んで下さっているお母さん方にも僭越ながら紹介させていただきます。内田樹を知るチャンスとしてです。
私も我が子に育児、教育、しつけの部分で母親として接し、子どもたちを目に入れてしまうほどかわいがって来た。いや、目に入れはしなかったが、マリア様のように優しく見つめて育ててきた。そして、長野に山小屋を作ってからは、娘たちの自立に向けて違う接し方をしてきたと思う。高校生と大学生の時からだ。
それは新しい自立に向けての、親の姿勢を正したということだと思う。親という字は立つ木を見ると書く。それは、心配なこと、注意したいことがあっても自分で気付かせて進むことだ。立つ木を見ていないといけない。
動物や鳥たちは自然の中で、そうしたことを理屈ぬきに宇宙の言葉としているのではないだろうか。
我が家のマンションは2階にあるが、裏の椎の木に山鳩が巣を作ったことがある。写真を撮り、観察日記を付けて私たちは学ばせてもらった。そして最後に子バトが巣を飛び立つ3日前ぐらいから親鳥は餌をやらなかった。そして親たちは外泊した。イライラした子バトは枝と枝の間をうろうろとうろついて痩せていった。そして符牒を合わせたような異常な天気、雷が鳴るという事態に促されるように子バト2羽は巣をあとにした。
「ママとパパが居なくたって自分で餌をとりにいきますよ!」
そうやって、子供たちが自立すれば、生きていてくれさえすればいい、という気持がしてくる。だが、子どもがまだ、我が身を守るすべを知らないうちは注意はしなければならないと思う。その時期がいつかが問題でもあるのだと思う。それは、その家、その家で違う事情があるようにまた違っているのだろう。雷が鳴る日かもしれない。
さて、内田樹先生のご出身などを本日見てみましたら、自由が丘、都立大学大学院、東大フランス語科、など私の履歴とオーバーラップというか、すれ違ってする部分もあるようで、楽しくなりました。
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