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2008年2月の記事

2008/02/29

今日2008・2・29からオリンパスμ830使い始め

Sutorapu 写真家の妻でいながら、写真が下手なのだが、生意気にもっと近くに迫って細かいところまで撮りたいと言っていたら、芳州先生がオリンパスμ830を買ってきてくれた。しばらく中身を空けずにいたのだけれど、今日が閏年の2月29日でめったにない日なので、今日初めて設定をし、撮ってみた。

携帯のストラップに付いているギンミドリウリハ虫系の顔までよく撮れた。『きっこの日記R』にはきっこは虫が嫌いと書いてあり、きっこだけでなく、虫嫌いな人もたくさんいそうなのでほかのストラップと一緒にアップで撮ってみた。面白いほどにクローズアップできる。写真が撮りたくなってきそうだ。

今日は閏年の2月29日なので、次は4年後にしか来ない。私は約4年前にブログを勉強し始めている。次の4年後にはどんなKEICOCOになっているかと思う。ココもどんなココになっているかしら。Coco229

ここ数日前に《地磁気》で調べているうちに『りょうの部屋』という小学5年生から、科学について勉強している男の子のホームページを見つけた。ちょうど今日の日記のトップページは大学の試験を受けてきたところだった。小学校の5年生の時の日記はとても子供らしい文章で、東工大に入りたいと願っていた。現在の受験をしてきた彼の文章は少し大人っぽい。でも学究肌の真面目さが漂っている。ブログでその人の進化がわかるのは面白い。ずっとこの子の日記を見続けたい。

あとまた4年後に私はどんな進化を遂げているだろうか。あえて進化と言っておきたい。

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2008/02/28

展覧会に向けて・№3&記事500更新

子供たちは展覧会に向けての作品を12月から描きためてきたが、昨日と今日のおけいこで6枚(5枚の子もいる)になった。子供たちはインフルエンザや、おたふく風邪や、受験時期などを経て、絵を描いてきた。このような形の展覧会をしなくても良いはずだし、ただモクモクと教えていくだけでも絵が上手にはなるだろうけれど2年に一度、人前に出すことを前提に描くことは大切なことだ。

昨日子供たちが来る前に、作品を入れたビニールの袋を一人一人点検していた。一枚の作品の完成度と作品の個性をどう生かしていこうかと思案していた。展覧会場である大倉山記念館での作品の流れをもう一度シュミレーションし、それにはこの作品はどうしても必要かと作品に問うていた。約半分位、会場の構成ができた気がする。

シノの作品が私の目を釘付けにした。いつもお絵かきに来て描いている時の室内の光景を描いた作品だ。2週前に描いたときも良いと思っていたが、5枚の作品の流れの中で心を打つ。そうか、そんなに教室が楽しかったのかと感じる絵なのだ。部屋の窓、カーテン、絵本や、積み上げられた美術全集、そして、あとりえ・チビッコの青いビニールシート。そう、これは心理的にはよくないと思いつつも絵の具をこぼして叱るより良いと私はずっと敷いている。シノはそれも描いている。前回描いたのは犬のココちゃんだったが、自分のクレパスもそばに描いた。お絵かき教室が楽しかったと何気なく肯定するものなのだ。昨日の課題は人形だったが、シノは以前描いたオルゴールの付いた西洋人形をパステルで描いた。まるで自分を描くように。

高学年であると同時に、永いこと通ってきている、メイコも美味しそうで美的な日本ねぎを描いている。そして、メイコの親友アヤミも同じ物を見て描いても別の視点を感じる。やんちゃで腕白な男の子たちは丁寧な表現をする女の子と対照的だが、動的であり、流動しているモチーフを描く。粗雑さの中に自分を出している。

絵が上手くなりたくて入ってきた子も何人かいる。静物画の課題のときに指導して絵画技術を引き上げたつもりだが、言われただけの表現しかしない子もいる。破天荒さや、自分を押し出す押しの強さはその子の生まれつきもって生まれたものだ。作品の優劣ではなくて、表現したいという自我の強さが育っていかないと絵の面白さはでない。

子供たちにはあと少しでちょっと苦しい教室も終わる。その後からまた、本当に自由な表現が待っている。それはその子にとって等身大のものであって、無理のないものであり、成長のプロセスで必要なもの!それでいて、あとりえ・チビッコ独特の楽しい工作かもしれない。もしかすると!それこそが情操教育なのではないかな? まだまだ情操教育の新しい言葉が生まれない。

ちなみにこの記事で500の記事の更新をしました。なんだか記念日が続きます。今私は無性に川上に行きたい!

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2008/02/26

きっこさんからのメール&出会いの記念日

じつは一昨日何気なく、メールを開けたところ、『きっこの日記』のきっこさんからのメールが入っていた。

一瞬信じられなくて、どうしようと考えてしまった。迷惑メールで、いたずらしてるのではないかとか、別人が成りすましているのでは、とか本当に失礼な気持ちを持ちながらメールを開いた。

私がバレンタインデーに送ったチョコレートのお礼とメッセージ(1年に1度の心を込めたメッセージ)へのお褒めの言葉が書かれていたが、私はだいぶ考えてから返信した。いつもたくさんのお仕事をこなし、寝る間もないほど忙しい方なのに申し訳ないという気持ちと、ちゃんとしたお手紙書かなきゃ!と焦った。

そこに、『きっこの日記R』の感想を少しだけ書いた。今度の辰巳出版から出した本には毎日読んでいるようでも読み落とした日記もあったようで、やはり、形になっているほうが残って良いと感じた。特に原爆の日の俳句はコピーをとっておこうと思っていて忘れてしまっていたものだった。また父さんのビールも心に残るお父さんへのオマージュで、すばらしいエッセイだと感じた。

そして、なんときっこさんの写真も入っていた。実は以前、ある場所で松葉杖を付いた方に会ったことがあり、その人が猫関係の商品を買っていたので、てっきりきっこさんだと思っていた。それに、その人はお母さんと一緒だったから。でも今回のメールに添付されていた写真は違っていた。以前会った人も理知的な人だったけど、きっこさんはすごい魅力的な人です。

ところで今夜は出会いの記念日、きっこのことやココログやあいかやすおみのことを話をしながら、今夜は芳州さんと出会った記念日を大倉山駅近くのカヴァヌーラでお祝いした。今夜で40年になった。カヴァヌーラの梅のパスタのディナーを注文して、ビールで乾杯。

昔、結構私たちも喧嘩をした。大きなのが1回。小さなのは年に2,3回だったかしら。特に初めはよくしたと思う。ほとんど私がきっかけを作っていた。喧嘩をするのは私が彼を理想的に見たりした後に起きた。理想と違うと私が線路を軌道修正していた気がする。軌道修正できたのはどうしてだろう。修正できなければ、脱線する。芳州さんが我慢をしたのかもしれない。こうして自分たちの生活をさらけ出すのも、若い人たちに結婚や愛の形を学んでもらいたいから。40年も経てば仲良く大倉山のギリシャ料理店で美味しいもの食べながら結婚について話せると。でも、結局は子はかすがいだったのかもしれない。だからといって子供がいなくても仲の良い夫婦もいる。

と、ここまで書いてきて、『きっこの日記R』の中の、恋愛遍歴について、チラッと見ると、きっこさんがえっというような思いをしたんだというようなことが書かれてある。なんか辛いな、でも読もう!

そとでは雨の音がひどい。天気予報どうりだ。

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2008/02/24

明後日は何の日?2・26、咸臨丸、脱出の日。

こよみのページには月や星のことや、暦についてのことが書かれている。私はよく24節気や潮の満ち引き、今日は何の日、今日の花などを覗いている。それによると明後日は・・・・・・・

明後日は2・26の日だ。1936年に起きた日本のクーデターで、1500名の陸軍皇道派の青年将校が3人の政府要人を殺害したにもかかわらず、無血で鎮圧された事件だ。第二次世界大戦が起きる5年前に起きたことだ。

それと明後日は咸臨丸が1860年太平洋横断をして、サンフランシスコに着いた日だ。100年経った1960年には日米修好条約記念の碑を立てたという。それから48年が経っている。つまり咸臨丸がサンフランシスコについてから約150年しか経っていない。150年では何代の世代が生き過ぎているのだろう。

また明日は脱出の日だ。それはナポレオンがエルバ島を脱出してパリに向かった日だと言う。へーえそうだったのか。地球上の太陽が冬至を経てグルグルッと廻っているが、なんとなく新しい事への挑戦をしたくなる日なんだ!そういえばこの頃の朝日の色、昼の日差し、夕べの心温まる日の光。どれを見ても新しい予感がする太陽の光だ。

それに2月26日はパナマ開通の日。血液銀行の日とある。

それと私事ではあるが、私と芳州さんが出会った日だ。当時G社の写真部長、中村都夢さんがスケートに行こうと私たちを招待してくれた。あの日がご縁のあった日だ。

ここまで私事をさらけ出して私が敢えて言いたいことは2・26は変化を起こすのに良い日ということ。いつも現状の生活に流されることはない。新しい新天地を見つけるのに良い日ということかもしれない。

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2008/02/23

アクセス30000回はスルーみたい。

どうやら、あとりえ・チビッコ30000回のアクセスはどなたも応答がなかった。私も前から解っていたので、早めにその記事を更新していればよかったのかもしれないが、間際になって書いたためだろう。

私のブログの師匠、庄内拓明さんが3日ほど前のブログの中で 「自分の思い入れと世間の評価のギャップ」 はまさに応援のお言葉ととらえた。我田引水かな。私はその言葉を信じて、これからも細々続けていく。

とりあえずは展覧会の準備になんとなく気ぜわしい気持ちの毎日です。

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2008/02/21

アクセス30000回記念、明日早朝か

最近アクセス数が増えていましたが、30000にやっとなりそうです。巷の人気ブログと比較するとささやか過ぎて、言うほどないかと思いつつ、一応記念日があったほうが楽しそうなので、ご連絡します。

30000をアクセスした人はコメント欄でご連絡ください。粗品進呈します。

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2008/02/18

内田樹の研究室から

お気に入りに入れている 『内田樹の研究室』 の今日の記事に重要な内容が書かれていましたので、あとりえのお母さんはご覧下さい。といっても、子供のご飯と洗濯と塾の送り迎えに忙しいお母さんのために私がその一部をコピー&ペーストしましたので、ここに載せます。

《小学生に英語を必修させる必要があるか》 内田樹

ともあれ、外国語運用能力をあまり重視することに私はひさしく外国語で飯を食ってきた人間(ほんとに食っていたのよ)の一人として懐疑的である。
外国語なんて大きくなってからで十分である。
子どものときはそれよりも浴びるように本を読んで、音楽を聴いて、身体を動かして、 、自然の中を走り回り、家のかたづけやら皿洗いやら廊下の雑巾がけなどをすることの方がはるかにはるかにたいせつである。

お絵かきをしてという箇所がうれしくて、先生の原稿を少しだけ改ざんしてしまいました。ごめんなさい。

以前も書いたように『内田樹の研究室』の文章にははとても難しい語句も入っていますが、研究室というだけあって大学の研究室のようにアカデミックなのです。それでいて、武道家の真髄と教育の新しい提案に満ちているのです。このたび私も、内田先生のブログを僭越ながらお気に入りに入れますので、皆さんも辞書を用意して研究室の扉を開けてください。毎日読んでいると、子供の教育に悩んだ時に何かうなずけて、正しい方向が探れるのではないかと思うのです。

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2008/02/16

次の記念日に向けて発車オーライ

バレンタインデーのチョコを送り、ホッとしたのもつかの間。昨日は有明の額屋さんに展覧会の額を注文しに行った。前回は緑色ですべて整えたが今回は前回との調和を考えて、4色で揃えることにした。

お店で版画や、額装された作品を見ていたら、目の前にチョコレートケーキの絵があった。実はバレンタインデーのチョコを送る行事を今年で終わりにするので記念にその絵を買った。美味しそうなお店からいい匂いもしたが、目黒の実家に用があるため、足早に有明を後にした。

臨海線、大井町線、東横線と乗りついて、学芸大学の母の家に行く。頼まれた用事を済ますためにタクシーで動き、徒歩で戻り、介護のことで、3人の人と打ち合わせをする。母は父が亡くなってから、秋の夕日のようにガタガタと衰えている。人は様々に年を取る。それに加えて、介護保険の見直しで、介護度1の母には酷と思われる状況がでてきた。人が年をとるということをどれだけの人が理解しているだろう。私の太陽のような大きな包容力も最近ではスーパーの風船のように家に持ち帰るとしぼんでしまう。

でも私には、子供用のまだまだアンパンマンぐらいにホッペの大きいまん丸太陽のような包容力のある風船がとってあるのでダイジョウブ! それは子供たち用にとってある。どんなことがあっても使わない。

そんなことで昨日は母の用事が終わると学芸大学の駅への道を歩く。昔の小学校の親友の家のそばを通った。仲良しの彼女のお兄さんは常石敬一、私のブログの中でお気に入りに入れてある。お誕生日のたびにお互いに招待しあった。彼女の家には弟もいて、二人ともよく勉強していた。弟は蜘蛛が好きでよく研究していて、遊びに行くと家の外の柱についている地蜘蛛を引っ張り出して私に見せてくれた。虫好きな恵子ちゃんと気があった。お兄さんはいつも学生服を着ていた思い出がある。彼女とは鷹番小学校の正門から下校する時いつも一緒だった。虫好きの弟に比べ、彼女は蝶が苦手で、よく男の子に蝶をそばに持ってこられて逃げていた。私は他の虫は平気だが毛虫が苦手で、学校の門のそばの桜の樹に毛虫が湧く頃には怖がっていた。だから仲良し二人組みは5月ぐらいはいつも学校の南門を逃げ回っていた気がする。お母さんが生粋の江戸っ子という感じで、普通のお母さんとは違っていた。私はお母さんと話しをするのが好きだった。お兄さんは都立大学へと進学した。

なんだか今日は昔のことを思い出す。もしかすると私の脳の海馬が昨日歩き回って活性化されたのかもしれない。そんなことないか! ところでバレンタインデーが終わったらもう私には次の記念日のあの日しかないんだけれど、それを見透かすように、きっこの日記は『嘘つき村』という記事になっている。きっこの日記Rは一昨日届きました。きっこはお母さんの病気を治すために、本を出版しがんばっている。私も若いときから親のことを心配してきた。きっこが一人っ子でがんばっているのを見ると、応援したくなる。

親のためにがんばる子もいれば、子のためにがんばる親もいる。きっとそれはなにか、神様みたいな存在が、その人に与えた課題ではないかと思う。私は小さい頃、美空ひばりの苦労した話を聞いて、どうして私は豊かな家に生まれたんだろうと思っていた。いつか、うちが貧乏になれば、私は力を発揮して何か出来るようになると、よく思っていた。コドモだったのよね。

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2008/02/15

2008年のバレンタインデーのメッセージ

昨日はセントバレンタインデーでした。《2008年のバレンタインデーのメッセージ》をここに載せます。チョコレートはないけれど。

 

                                                        『一本の樹 』  

 今日も清里大橋を渡り川上村の山小屋へと向かっている。八ヶ岳山麓の深い谷を跨いで渡る清里大橋。その深く黒い谷を見下ろして遥かに8つの峰が聳え立つ。今夜は宵月、真上からの月が森の木々を照らす。付近の別荘からの灯火がちらつく。月光のなんと強い力か。2月14日も今月今夜のこの月。膨らみ始めた蕾のような月は、影以外を平等に照らしている。国道141号の野辺山の温度表示は-11度を指していた。  

 小海線はカタコトと2両で平地を走って行く。乗客は5人。空には月と星が同時に瞬き、私は車のウインドウを開ける。走り去った列車の妙に懐かしい響きを聞きながら天空の瞬きにため息が出る。大瀧詠一のCDを入れると、《カナリア諸島にて》が流れてきた。父が好きだったのが頷ける。束縛しないゆったり感のメロディーに詩の率直さが合っている。小海線を渡るとなんだか涙が出てきた。山小屋に近づくにつれ今日降ったと思う雪がギシギシと鳴る。車のギアを4から3にして坂道を登っていく。曲は《さらばシベリア鉄道》に変わる。白樺の樹影がダンスを踊り、車のライトが雪の結晶を一粒一粒照らし出し、見る間にダイヤモンドに変っていく。 

 森の木々はまっすぐに天に伸びる木もあれば、斜めに傾斜して他の木に寄りかかる木もある。樹齢を数えられぬほどの古木には苔が付き、その樹種も分らぬほど神さびている。若い木は細いがしなやかに、雪の重さに耐えている。 私は2006年冬にミュンヘンから列車で4,50分のランズベルグに行った。レヒ川がそばを流れているので《Landsberg am Lech》。 列車で走りながらミュンヘンから遠ざかるにつれて、ヒットラーも通ったはずだと感じていた。街はクリスマスマルクトの明かりが灯り、忘れられない情景だった。4泊し、街の周囲にある城壁に沿い、遠くに広がるバイエルンの平地を眺め、マルクトの屋台を楽しみ、教会で祈った。

 日本に戻りブログ《あとりえ・チビッコ》にランズベルグの旅の様子を書いたところ、第一次世界大戦についてのホームページの中にヒットラーがランズベルグの刑務所に収容されていたことが分った。1924年12月に出所し、写真家のホフマンが車で迎えに来たとある。この場所は12月13日に私たちが写真を撮ったところだった。自分の写真と地図を照らし合わしてみると、あの樹は右の写真の手前にある太い樹ではないだろうか。詳しく調べたわけではないが、太さから樹齢を考えて、間違いないように思う。私はあの日、あの場所で 「この樹は太いがいつから植わっているのだろうか」と、この事実を知らずに樹に聞いていた。

インターネットを10年前には使えなかった私も、今では知識や情報のためになくてはならぬものになっている。こうして何気ない『一本の樹』が、歴史の証明の舞台装置として今も存在し、それにリアルにもヴァーチャルにも体験できたことに不思議な感慨を感じているのです。                                                         

                2008年1月19日              Keicoco

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2008/02/12

バレンタインデーまであと2日@発送済

 毎年送っているバレンタインデーのチョコレートは今年はX個用意し、黒猫ヤマトで昨日発送した。今年は母の病院通いや展覧会の準備もあるため、明らかに14日前に着いてしまうが、もう送った。毎年メッセージを自分の文章修行の糧にしているため、結構エネルギーを使う。

ところが今日、朝早く、電話がなった。また千葉に住む娘のところで親戚の子が風邪でも引いたかな。と思ってでたら、『もしもし、Fです。今日はチョコレートありがとう。文章も読みましたよ。がんばってますね。私もヨーロッパに行くと、教会に行って撮影してますよ。』 なんと私が若い頃秘書をしていた出版社元社長からだった。ビックリうれしかった。

私はこのチョコへの反応については私が勝手にしていることなので、お送りしても何の連絡がなくとも、全く気にしていない。これ神に誓って本当。そしていわゆるファンチョコも送っている。その方に手紙を書くときは、芳州さんが撮影に行って、家にいないときに書いている。いけないことをしているからではなく、自分の美学を干渉されたくないからだ。私は自分が詩を書いたりしているときは人に見られたくない。鶴の恩返しの場面と思えば解ってもらえるだろうか。父は心臓が弱かったが、私も父に似ているのか、若いときから、興奮すると心臓がドキドキする。顔に出てしまう。そこで鶴の恩返し。

『この戸は絶対に開けないでくださいませ』

ある時期は100人を越えたこともあったかもしれない。本当のチョコは神戸一番館のポムダムールと決めている。でも、中には甘いものが苦手ではないかと思うと、苦味の多いダークチョコに代えるときもある。

このような行動に対して、哲学的、もしくは心理学的、もしくは宗教的に何らかの説明が出来るのであろうと思われるが、私自身は以前も書いたが『山之内一豊田』の家訓(私の代で考えたことだけど)を押し通していると思っている。『殿の御為』でも、もう今年で、家訓からは自由になろうと思っている。この家訓は結構我が家の娘たちに示して暮らしてきた。私がここから自由にならないと娘たちを縛り付けてしまいそうな気がこの頃やたらとする。

ところで14日が過ぎたら、メッセージをここに出します。またご訪問ください。私の身近な方々がブログを通じてこれからはメッセージを出すと言ってあるので、年配の方々がパソコンの勉強をがんばっているようです。須永さんがんばって!

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2008/02/08

展覧会に向けて・№2

展覧会に向けての制作が進んでいる。一昨日と昨日はいろいろな窓を描いた。家だけでなく、電車や飛行機でもいいと言ったら、ほっとしたようで、リラックスして描いていった。大倉山ではおたふく風邪が流行り始めているようだ。子供たちの健康状態が気がかりだが、伝染ってしまったら仕方がない。余病を併発せぬように速やかに治すことだ。

1週空けてのあとりえの日なので皆張り切っていた。漠然と自分たちの毎日を描こうと言っても、考えにくいが、窓の中に自分たちが見ていることの出来る『今日』を描くことは可能だ。独楽にしても、窓にしても、その子がそこにいるように感じるのは私の思い込みではない。子どもたちに自分たちの生活を意識して考えさせることが重要だ。

度々言っているが、お母さんやお父さんも子供たちと時間があったら一緒に絵を見ながら話しあったらどうだろうか。そういうことが出来るような絵がいっぱい描けたと思う。でもその中の何点かを選ぶため、全員の窓の絵が展覧会場に載るわけではない。だから展覧会が終わってから、お母さんは自分たち親と子供のために喫茶の時間を作り窓の絵を一緒に鑑賞して欲しい。

さて話は変るが、私も永年の運動不足に悩んでいたが、思い切ってWiiFitを購入しバランス感覚を取り戻そうとがんばっている。それはあとりえのモモコちゃんからWiiスポーツの面白さを言葉で教えてもらったからだ。また、カノンちゃんのパパはやはり運動不足になりがちなお仕事なので、WiiFitで遊んでいるという。サッカーでは150点を出したそう。私もおとといまでは60ぐらいだったのだが、昨日136を出した。バーチャルではあるが、コツがつかめると面白くなってはまりそう。

だが、私も一週間のある時間を実家の母のために使わなくてはならないため、朝早くにWiiでエネルギーを使いきってしまうと困る。でも、車の運転が多いと運動不足になる。そこで、今のところ夜寝る前にWiiFitでイライラした気分 (母の繰言を聞いて充満する心のもやもやと、国の介護保険に関する考え方に対する憤イキドホリ) をサッカーでボールを打つことで気分を晴らし、ヨガの三日月で精神の屹立を体に感じさせ、ボール入れで体のバランスを柔軟にさせ、穴に入れるという満足感を満たし、スキーでスイスイ滑り、最後は座禅で神経集中させて、合計3、40分励んでいる。夜も熟睡し、朝の目覚めが良い。

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2008/02/05

バレンタインデーまであと9日とココログの絵文字

Barentain バレンタインデーまであと9日となりました

ところで、記事を書きかけて気が付いた。今日ココログのメンテナンスで、絵文字が記事の作成のツールに加わった。ココログさん、ありがとう    楽しく使わせていただきます。      いつも、絵文字がチョコッとあるといいなと思っていて、ハートは文字で入れてから変換していました。❤→ こんなに可愛くなっちゃう。

こんな風に絵文字いっぱいの文章にすると、年令をチョコッとごまかせそうね。ところで写真のチョコレートはドイツ、ミュンヘンのシュヴァービングで、病院とクラインガルテンを見て、散策している時に見つけ、おいしそうと思って撮っておいたもの。

私は去年の2月にも、一昨年の2月にも「ヴァレンタインまで・・・・・日」の記事を載せた。そして毎年私の昔のボーイフレンドと今のボーイフレンドにチョコをチョコッと送っている。最近では、ボーイフレンドなどという言葉は死語に近く、もしかすると元彼などという言葉を使用するのかもしれない。元彼よりは元枯れ枝かもしれないなどといったら、すごい怒られちゃいそう。

本当はあとりえ・チビッコ展の準備やアイデアの検討や額を買いに行くことなど、目白押しなのだけど、毎年の行事にかまけています。メッセージを書くのが楽しくて、人の迷惑を省みずチョコを送りながら文章修行をしているが、最近は体力の限界を感じている。でも、義理チョコ、営業チョコ、本チョコ、カモフラージュチョコなどいろいろで、疲れるといっても、若さを保つのには良いかもしれない。

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2008/02/02

展覧会に向けて・№Ⅰ

あとりえでは展覧会に向けての制作を進めている。1月半ばには独楽にアクリル絵の具でペイントし、その次の週に独楽を廻す様子を絵に描かせた。独楽の塗り方はアクリルの重ね塗りの強さを出させたかった。また、子供たちが大人になっても独楽もずっと、永久不滅に、残ってほしかったから丁寧に塗らせ、ニスも塗って、簡単には色が退色しないように指導した。もちろん無垢の木の美しさもあるが、それは今回は無しにした。廻って美しく、飾って美しい色を、基本とした。だから大掃除やお引越しでお母さんに捨てられないように、美しく描かせたつもり。

次の週には独楽を廻す体の動きや、目付きや、腕の廻し方を教えて実際に独楽を廻してから、絵を描かせた。予想どうりそれに夢中になっている子がでた。また想定外の子、男女1人ずつが独楽廻しが上手だった。それを公表するのは展覧会でのお楽しみにしよう。

独楽の写真は芳州先生が空いている時間に頼み、子どもたちに作品を還す前に撮影した。まるでそこに子供たちが存在するように感じられた。

このようにして、1枚1枚大切に制作しているので、子供たちが風邪や行事と重なって制作が出来ずに選ぶ作品が少なくなるのはとても困る。だからインフルエンザはいつもより以上に流行らないで欲しい。いつだってそうだけど。

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