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2008年4月の記事

2008/04/25

花束を描く

Hanataba_aHanataba_hanakaHanataba_kentarou

今回の花束はいつもと違う花屋に行き、違う種類のアレンジになった。

ハナカとケンタロウの作品。ハナカとモエナとケンタロウはラナンキュラスの赤紫を何度も混ぜながら時間をかけて作った。そのため、絵を描く時間まで、エネルギーが続かなくなってしまい、完成はしなかった。でも一生懸命に描いたのでとり上げたい。

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カホ、リサ、カノンの作品。

この3人には、もっと絵が上手に、楽しく描けるようになってもらいたいと思っていたので、展覧会以降なので、教えこむことをした。カホには葉脈を、リサにはバックの模様を楽しくと。リサはバックの黄土が、包装紙の茶と一緒でつまらない描き方になっていたので、そこから脱出するように言うと白と水色の線を描いた。とても良い。

カノンには薔薇の花の分解から花弁の描き方とバックのエメラルドグリーンの作り方を教えた。つまり、『愛してる、愛してない、愛してる』と。

カホは画素数が91.5になっているので、しっかり、描き込んだといえる。ただしこの数が多いからと言って、絵画として芸術性があるというわけではないが、子供の絵の学校での評価はしっかりと描くことだとは思うので、良い傾向になっている。

Hanataba_marie

Hanataba_koutarou

マリエ、コウタロウの作品。

マリエは皆と違う花束を描きたいと難しい花の組み合わせの席に座った。花の観察も丁寧にしていた。花のあとの包装紙も美しい。敷いてある布のアレンジをしてくれたあいか先生のおかげでしょうか。

コウタロウは花を描いたあとに、包装紙の英文を6年生としてがんばって書いた。この時、「絵の美しさは大きな色の面積と細かい模様や字の面積のバランスが大事だと」子供たちに言ったけど、いつまで覚えてるかな。わかったかな?

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Hanataba_momoko ユイ、エリナ、モモコの作品。

ユイは花束の紙をぐるっと回して花を大切に守るように描いたのは、すてき。ユイのサインの文字は花束の中に書いてあると言った。ほんとありました。エリナは私の写真の写し方が悪かったみたいで、本当の良さが出ていない。ごめん。きっと日本画の顔料を使って描いたらすばらしい作品になる。実は今日であとりえは辞めるのだけど、一生懸命描きました。私が小さい時に行っていたお絵かき教室での思い出を話す。勉強をがんばってして、いつか、本当に絵が描きたくなり、そういう学校に行きたくなったら、それを選びなさいね、と話す。まあ、学校だけではないのですが。モモコは花を丁寧に描いていく。バックの波のような模様の中にモモコのサインが押し寄せている。それをちょっとだけ私がおかしく言ったらニコッと笑った。

始めに書いたように新しい花屋さんは大倉山 《La petite fleur》で、赤い大きな花の名はワラタという。

(追記) 最近、いろいろな国から不思議な花が輸入されているようで、名前が覚えられないKEICOCO先生ですが、このワラタは覚えられました。「モモコが笑った、モモコがワラタ!dog

   

                                                                        

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2008/04/20

コーエン兄弟のノー・カントリーを見て

ジョエルとイーサン・コーエン兄弟が監督した《ノー・カントリー》を2週ほど前に見た。コーエン兄弟はどちらかと言えばミニシアター系のコーナーにあったが、今度はプレミアでの上映でアカデミー賞もたくさん取っていたのでメジャーになったのだと楽しみに映画館で見た。私にとって少し残念だったのは、奥さんのFマクドーマンドさんが出ていないことだった。それは些細なことだが。チョコッと出ると、ああ内助ね、と頷ける。

この映画について、考える資料にしようと、以前も見た《ファーゴ》を借りようと、2回もTSUTAYAに行ったが貸し出し中だった。アマゾンで買えばよかったのだが、デスクワークを少しでも減らし、ついでに体重も減らそうと駅前まで歩いた。

TSUTAYAではその代わり、《ミラーズ・クロッシング》があったので、それを借りた。イタリアマフィアとアイルランドマフィアの戦いと駆け引きと男の友情。ここには、《ノー・カントリー》と同じ底に流れているものを30%ほど感じた。つまり、女脳じゃない考え方だ。

ノー・カントリーではテキサスの荒野の画面を天と地に2分の一にしていることだ。そのために、テキサスの広大さが臨場感を伴って感じられた。美しい画面構成だった。そして映画を映画館で見る面白さが感じられそこからワクワク・ドキドキが始まった。

映画の中には、隠された比喩≪メタファー≫がある。それを探そうとこの2週間考えている。コーエン兄弟が言いたいことと、自分にとっての思い当たることと、それは今までにないアカデミー賞を取るほど、庶民を感動させる何かがあったはずのものがあったのだと言うことなので、それは簡単には探せないと思って、考え続けている。まるで、スルメを噛み続けるみたいに。

そのせいか、上映されている時に感じた殺し屋シガーの恐怖はその後の咀嚼作業のために、今ではかなり薄れてしまった。今残っているのは、保安官トム(トミーリージョーンズ)の奥さんとの会話だ。パンフレットの中にはこれが男脳のストーリーのためにどなたも、解説、評論していないが、引退を前にした、男の心情を受けとめる妻の気持ちも表している気がする。そこまで言うと平坦なドラマに成り下がりそうなので言えないのかもしれない。ここでマクドーマンドさんが奥さん役で登場しないからよいのだ。

全編を覆っている、恐怖感や暴力的なものがありながら、怖い怖いと言いつつも、耳を塞いで見ていた。私自身、最近年令による攻撃性が出てきたことを、夫に指摘されることもあるので、このぐらいの恐怖を感じる作品を見ておくことも生理上、ホルモンバランスのうえで、必要なのかもしれない。

それと逃げる男モスが日本の誰かに似ているように感じたが、誰だったかはまだ思い出せない。

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粘土感覚でピザ作り

Piza0804 先週の工作はピザをした。子供たちは泡のハンドソープで手をしっかり洗い、腕まくりをしてパイ生地を混ぜて、こねて、膨らまして、待って、のばして、野菜をトッピングして作った。

この中で一番大切なことは 《待つこと》 だと思う。自分の努力以外の時間が作るもの。

と言ったって分かる子はいない。粉にイーストを混ぜてベタベタした物がいつの間にか、手に付かなくなり、まとめて発泡スチロールの箱の中に置いておくとふんわり、大きく膨らむ。ママのおっぱいのようになる。なんだか良い気持ち~~。小さい時にママのそばで感じたお母さんの安心さ。Piza0804k

ピザ生地がそこまで、人間の母性への感覚を呼び覚ますとは言い切れないが、子供にとって良い感じだったことは間違いない。そしてトッピングして出来上がり、おうちに持って帰って焼いてもらう。

これこそ情操教育だ、と言える。またしても、理論は次回へ持ち越しだが。

衛生上の注意をしっかりして、制作に臨んだ。テーブルに敷いたビニールは芳州先生の写真展のパーテイーの時に使ったものだ。雑巾は目黒の母が以前たくさん作ってくれた新しいものをおろした。

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2008/04/13

春雪の悪戯//森の中で起きていること

Kawa0804 春の台風は雨交じりの重い雪を降らしたようで、山小屋に近い道路は木がなぎ倒されていた。家の電気は付いたが、電線がシラカバの倒木で引っ張られ家の壁が剥がれていた。電話線も切断していたので、その復旧作業でいろいろ手間取った。

山小屋暮らしも楽じゃない。一晩、二晩経つうちに、冷静に森の中で起きていることが読めてくる。人生と似ている。このような言い方をすると人生を知った、歳を経た人のように思われてしまいそうだ。チガイマスカラ!

松の木が頻繁にやられていた。無残にもまっすぐ伸びている頭頂部が折れて、いかにも不自然な姿を現している。本来森の木はまっすぐ伸びているのに、まるでアミダ籤の横線を引いたようになっている。でも考えてみれば、最近は木が茂ってきたため、夏の森が暗かった。いくらシラカバでも伸び続ける訳にはいかない。その時が来たのかもしれない。倒木更新。Kawa0804jpg

村の天然記念物に指定されている樅の木が折れていた。いつも山小屋に来る時に見ていた木だ。無残。芳州はブログ《豊田芳州のTheme》にその樅の木の記事が載せている。

我が家のベランダ前のシラカバも折れて美しくない姿になっている。だがシジュウカラたちは最近置いた餌台に来やすくなった。細かい枝が増えたからだ。《喫茶・止まり木》とか。

また、この折れたシラカバから樹液が落ちているので下に器を置いて、集めている。シラカバのキシリトールはガムにもなっている。集めてから何かに利用してみようか。まずは自分で人体実験。

森の中で起きていることをすぐそばで感じ、想像し、思いを巡らしていると時間はあっという間に経っていく。出来うれば、森の中に浸りきっていたい。

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音楽を聴いて描く@ジャズ

展覧会を終えて、久しぶりに普通のあとりえに戻った。子供たちの中にはスケッチブックに描くのがいつからしていなかったかを考えている子もいた。展覧会の前後からは絵も描いていなかったので、今日と昨日はすこぶる楽しく、力いっぱい描いていた。

今日の絵は、モーツアルトのトルコ行進曲をジャズにアレンジしてある。演奏者を紹介するのは控える。この曲をCDから選ぶのは結構大変だからだ。 子供が知っているという感覚音楽に出来るという範囲品性の高さを基準にして選んでいる。それは私の感覚だけど。

展覧会から3週間、あとりえは休みだったので今日の子供たちはものすごい力を貯めて来ていた気がする。作品を全員紹介したい。小さいサイズだがクリックすると大きくなる。

Ongaku_hanakaOngaku_erinaOngaku_ayanoOngaku_atusi                  

              

ハナカ、エリナ、アヤノ、アツシの順。

Ongaku_harukiOngaku_hinata

Ongaku_hmiku

Ongaku_kaho

                

             

ハルキ、ヒナタ、Hミク、カホの順

Ongaku_kanonOngaku_kentaOngaku_kentarouOngaku_koutarou              

             

カノン、ケンタ、ケンタロウ、コウタロウの順

Ongaku_manami

Ongaku_marie

Ongaku_moenaOngaku_momoka                

              

マナミ、マリエ、モエナ、モモカの順

Ongaku_momoko

Ongaku_namiOngaku_nmizukiOngaku_risa            

               

モモコ、ナミ、Nミズキ、リサの順

Ongaku_shouki

Ongaku_yui ショウキ、ユイの順。

このように子供たちは音楽を聴いて素直に心を表している。自分を表現できる満足感こそ、今教育の世界に必要なものだと思う。皆んなちがって皆んないい。

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2008/04/03

あとりえ・チビッコ展は無事終了しました

Kawa0804_yuki 展覧会を終え、その日のうちに娘の住む埼玉奥地に行き一泊し、温泉と蕎麦と野菜買いの小旅行をした。川上に着くと雪が降ったばかりだった。

今日で4日も、頭を空っぽにして心と体を自然にゆだねている。

ここ1年ほど山小屋の寒冷地用のトイレが故障して困っていたが村の大工さんに修理をお願いしてあったが、最新式の形になっていた。約20年はもったことになる。

展覧会の最中に起きたことや、出会った人や、あとりえ・チビッコの子供たちへの気持ちはいつもどおり、望ましいものになった。最終日に子供たちに話していてはっきりと気付いたことがあった。教えている子供だけでなく、以前教えた子供たちからの連絡がくることが楽しくなってきたことだ。今回は助川さんが東京工芸大学のデザインに決まったと展覧会場に来てくれた。無口な子が坂を登ってきてくれたのはうれしかった。また会期中に江藤さんのお母さんとすれ違ったら、横浜国大中学から明治大高校で、大学は農学部を目指しているとも聞いた。最終日には森屋萌ちゃん(三菱絵画コンクールで日本一になった)のお姉ちゃんの葵ちゃんが武蔵野美大の基礎デに入ったと報告を兼ねて来てくれた。最終日の表彰式などのあとで、かなり私もエキサイトしていて、姉妹を間違えて話していた。ごめんね。確か、お姉ちゃんのほうがデザインに向いていると私は以前言っていた。萌ちゃんは虫愛ずる姫だったから、もしかすると自然科学かなとも思っていたが、確かお母さんが理科系に進むと言っていたようだ。展覧会場の片づけで混乱していて失礼してしまった。お母さんが作ったケーキとパンはしっかり食べました。

Kawa0804_027 カスミちゃんとメグミちゃんが冨井先生を訪ねてきてくれたけど、来られなかったので会えなかった。heart03

表彰式の3年以上来ている子たちはいつでも入ったばかりの頃の小さい姿を目に焼き付けているから、それだけで胸がいっぱいになってしまう。3ヶ月かけて良い作品が描けて好かったという気持ちがheart01子供と私の共通の感動heart01

表彰式に出られなかった、モモコとモモカちゃん残念でした。でもお父さんやおじいちゃんおばあちゃんに会えて良かった。

でも、ブログを通じて私の近況を知り以前からの心の交流が再び復活しているから、展覧会にプラスしてリアルな感慨があるのです。山小屋では親戚の子と積み木をしたり、ラジコンをしたり、美味しいご飯を作ったりゆったりして、英気を養っている。乞うご期待!

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2008/04/01

あるセンサーの開発について

この頃、私は電車内での男性のある特徴ある行動に気づいた。

電車を降りたり乗ったりする時に、人に触れないように両手を挙げて、バンザイをして降りることだ。それはどうも痴漢に間違えられないようにするための、自衛手段らしいのだ。ただ両手を挙げるだけの人もいるが、その両手をひらひらさせて踊りながら降りる人がいたのは、ビックリした。ひどく違和感がある。なんだかマツケンサンバを踊っているみたいだった。その日の東横線では一人だったけど、その数日後に今度は4人の人が手をひらひらさせて降りて行った。その時からなんだか日本の男性は惨めな感じを通り越して、面白く感じた。電車の中で私だけが気がついてクッククック笑っていた。だがそういうことはそろそろ、木の芽時になるので、私自身が気をつけないといけないとも思っている。

そして本題に戻り、電車内でのそれらの迷惑行為は何とかならないものかと思う。周防監督の「それでも僕はやっていない」の映画に表されているように、そんな事件はどこでも起きそうだ。家族がそういう冤罪の事件に出くわしたらどうしようか。 

そこで、私はここずっと日本の男性のために、痴漢感知装置≪チカンカンチセンサー》を考えていた。それは厳密に言えば迷惑行為をしていないことを証明するという機械で、男性にとって、朗報とも言える。まだそれは商品化の一歩手前であるが私が試作品を作ってみたのではかなり効果がありそうだ。

まず、簡単に言えば、ネイルサロンで付けているつけ爪のような装置だ。ICチップが埋め込まれていて女性用のネイルのように尖っていないのでそれを爪の上に嵌め込む。朝会社に行く時に付けて、会社から帰ったら取る。爪を切るときにはもちろん取り外さないといけない。そのICチップは約1年分の指の記憶を取っておける。だから、電車の中で勘違いをされてもこのデータを見てくださいとすぐにバックの中やポケットに入れた小さな子機を見せて、分かってもらえる。身の潔白を明快に敏速に証明できる。

だが企業秘密もあり現在これ以上は言えない。絶対言えない。それといくらアイデアが良いといっても、商品の説明をするのは差し控えたい。私の美学に抵触する言葉を使わないといけないからだ。だが一日も早く商品化がされれば、日本のサラリーマンや立場ある人は電車内での恐怖や不安から解き放たれて自由になれると思うので、今最終的な製造元を検討中だ。まじめで心の正しい人たちの要望もあるので商品化は近い!なんだかよく分からないけど。

そして付け加えれば、最近は男性車両の導入が検討されているという噂があるようだが、それこそ日本のオカシサの象徴だ。車両に男性車両と女性車両ができるなんて、おぞましい。私があわてて電車に乗ってせっかく席に座ったのに男性車両と気づいたら、また黒いサングラスとつけ髭を付けないといけなそうで、私がどんどん怪しくなる。だからそういう導入は絶対困る。

なおこの記事は造形絵画教室「あとりえ・チビッコ」とは全く違う記事ですが、KEICOCO先生の優しい心を信じている生徒や元生徒、保護者の方なら御理解いただけると思っています。

ちなみに今日は4月1日、新しい出発の日です。

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