日本での夏時間と裁判員制度導入は土壌が違う
私のブログの師匠、庄内拓明さんが《どうして夏時間に反対なの》の記事を書いている。思わず、ドイツを旅している時に見た光景が浮かんだので、コメントを書いた。それから同じように欧米に真似することでの裁判員制度も、専門外だが気になっている。
以前、ミュンヘンからオーバーアマガウまでの高原への道すがらバーベキューセットを庭の方へ移動している男性を二人も見た。その時間は夕方の5時少し過ぎだった。しかも平日だった。日本では考えられない光景だったのでよく覚えている。
日本では会社でも学校でも、あらゆるところで残業が多い。私の教えているあとりえの子供たちのお父さんもその激務のため身を粉にして働いている。お母さんたちはお父さんの分もがんばって父親役をしている。遅く帰るから、単身赴任で遠くにいるのと変らないという。
ドイツに限らず、欧米では個人の家庭の時間を大切にする。だが日本では会社を大切にし、城主や侍社会のままのように会社を大切にする。しかも東京、大阪と言った一極集中だ。狭い日本なのに慌てふためいて皆で同じ方向を向くから休みには渋滞する。
夏時間はドイツの緯度とも関係があると思う。夏は夕方の9時半にやっと日が沈む。10時くらいはまだ明るい。そのような背景での夏時間かもしれない。日本でテレビからよく流れる公共広告機構が 《夏時間です、お父さんはおうちに帰りましょう》 とカラスの歌を流してくれれば何とかなるかもしれない。
裁判員制度もこの頃考えていることだ。日本では昔の時代劇を見れば罪人は御白砂に並ばされて、もろ肌抜いて大岡越前が登場し裁いていた。お上が決めることに、へへーの世界だ。欧米では罪びとにはギロチンがあり、町の人々が集まって裁判をした。そして、ウエスタンに至れば裁判、引き馬があった。みな、市民が参加して裁いている。なにか土壌が違うと思う。それにしても急すぎる。私が気づいたのは2年前だ。もう少し議論があってのことでしょう。3000人に一人が選ばれるのですって?
もしこのことをすべてやっていくようにするには農業の土全部を変えてしまう《客土》をしないとできないと思う。農業に喩えればの話ではあるが、思い切り石灰の多い、欧米の土に入れ替える。
不勉強ではあるが、この頃変!と思うので、一応書いておきます。(追記:まさしく不勉強で、裁判員制度を陪審員制度と誤って表記していました。書き直しました。)
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