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2008年8月の記事

2008/08/26

ドイツの誘惑@きっこに会うなら、こんな町でⅡ

Herenberug ドイツ、シュトッツガルトに近いヘレンベルグは教会の鐘の町だ。そして、近くには自然公園があるため、坂も多い。地図どおりだった。

ヘレンベルグでは毎月第一土曜日に教会で鐘のコンサートがある。私たちはそれを予定に組み込んで、旅行の計画をたてた。特にキリスト教への信仰心が強いわけではなく、鐘の音を聞くのが目的だった。そして信仰心の厚い人たちが来る場所は住んでいる人もそれを誇りにしているのではないだろうかと思っていた。

子供たちが市庁舎の前のアイスクリーム屋に来て、広場に集っている。写真を撮る度にその家族にOKかと聞いて撮った。ブログに載せるのは憚れることもあるが、国が違うということで、お許しをいただきたい。国を知る一つのバロメーターには子供の表情がある。Herenberug2

学校帰りの子供たちは歩き方がかっこいい。足が真っすぐ伸びている。ジーパンの長さも着ているカーデガンの色も似合っている。制服でなくても学生らしさがきりりと伝わってくる。

そういえば、私が中学校時代に制服の是非についての ディベートをしたことを思い出す。まじめな中学生で、違反もせずに長いスカートをはいていた。そういえば弟が行っていた麻布中はもうずっと前から制服は無くなった。私はあの麻の葉の入った制服のボタンがきれいと思っていたっけ。Herenberug3

左の写真は鐘のコンサートを聴きに来た親子。お父さんが子供に鐘の聞き方を説明していた。ドイツ語で、私には解らないのだけど、そう感じた。教会の城壁の周囲には遠く平野が広がり、鐘の音が時にはリズミカルに、時には厳かに、そして時には敬虔にならざるをえないほどに響きわたり、流れていた。

日本に帰ってきて、またインターネットをつないでブログを読んでいるが、『きっこの日記』 のきっこに会うなら、この町ヘレンベルグで会いたいと思っている。ちなみに2007年7月18日にも『きっこに会うならこんな町で』を書いている。それはオーストリーに近いドイツのランズフートだった。

きっこさんはブログの中では難しい情報をいろんな喩えに満ちて、誰にもよく解るように説明し、それでいてサラッとリズミカルに話してくれる。何かたくさんのお仕事をしているようで、毎日毎日脳味噌を休む間もなく動かしている。少しは休んだらどうかとは・・・・私は言わない。私が言えるのは、

若いから自分の力をその時、その時出し切ってがんばってほしい。 

でも健康には気をつけてね。

シングルの物足りなさをつぶやいていたように感じたこともあったけれど、いつかまじめで優しくて、きっこさんのことを大切にしてくれる人に出会えますように祈ってます!

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2008/08/25

ドイツの誘惑@花束を持つ男性はすてきⅡ

Hana_dansei1Hana_dansei2Hana_dansei3                           

今から2年前にも《ドイツの誘惑@花束を持つ男性はすてき》http://atchibi.cocolog-nifty.com/tk/2006/06/post_0d96.htmlという記事を書いている。

今回も花束を持つ男性を意識して探したが、撮影するのは肖像権にかかわることなので、やはり簡単にはできない。そのため、シュトッツガルトとヘレンベルグのマルクト(朝市)で何度かすれ違って、出来るだけ女性と一緒にいる男性の方に、コミュニケーションが取れたと感じてから写真を撮らせていただいた。Hanaya3

左は多分お嬢さんとお散歩中のお父さん。真ん中は東洋的な面立ちの奥さんと一緒の男性。右はなんだか少し私の父に似ていたので撮らせていただいた。真ん中がヘレンベルグでお会いした方だが、日本ではめったに夫が花を買ってきてくれないと私が言うと、『まあ!』と言って、芳州先生を見て、ダメね!というポーズをとった。魅力的な表情の方だった。

左の方はお花をこちら向きに見せてほしかったが、二人の目線と会い、表情を変えたく無かったので戸惑ったが、やめた。包装紙の中の花はローズ色だった。この1枚の写真を良い感じにグレードアップする色だったのだが。ちょっと残念。

それぞれ花のアレンジとその持ち主が似合っていた。だからドイツの男性はすてきなんだけど。日本の男性もたまには奥さんに花束をプレゼントして下さればいいんですが! ねっ、聞いてる?smile

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2008/08/23

朝日新聞beフロントランナー『デジタルの感触を想像する』より

Mediarabo今日の朝日新聞beフロントランナーにアメリカMITメディアラボ副社長に日本人の石井裕さんの記事があった。

私には全く無縁な世界で、最先端な部類ではあるが、今、ちょうどあとりえで粘土を扱う工作をしていたので、関心を持って記事を読んだ。記事の内容を私がここに書いても正しく伝えられないといけないので心配ではあるが。しかし、石井氏が記事の中で伝えていることに、私が今までずっと信じて教えていることに通じることが書かれている気がした。

子供たちをあとりえに通わせてくださっている保護者の方にもよく読んでいただきたい。

『。・・・・・・デザインから考えるのでアートに近い感覚をもたねばなりません。・・・・・・アイデアをわかりやすく表現する力も大切です。・・・・・・・手で動かすとその動きのパターンを記憶し再現できるブロックや、身の回りの色や模様を読み取りその彩りを絵の具として使う絵筆なども作ってきました。・・・・・・・・ピンポンプラス、タンジブル・ビット、メディアアート・・・・相手の目線を見ながら画面に共同の絵を描くことが出来る・・・・・・蓋を開けると音楽が流れるガラス瓶、砂や粘土を動かして景観デザインをシュミレーションできる装置・・・・・』 などの言葉が続く記事だ。

私は子供が遊ぶことの中に価値あることがあると思う。そう思って今まで教えてきている。そして先生が遊んで楽しいことをしていなければ子供に創作の楽しみは伝わらないとも感じている。この石井裕氏の言葉は何か応援メッセージのように感じた。まあ、見方によっては虎の衣を借る狐みたいですが。グシュン!wink

ここ2日ほど前に粘土を使って工作をしていましたが、ケンタが面白い発想をするので、冗談を言いながら一緒に粘土をこねていました。健太は一生懸命にイカを作り、次にワニを作り、お団子を作って二匹に食べさせている。粘土が足りなくなるとイカの脚を削っていく。ヘンな発想!でもいつかケンタが偉くなって、KEICOCO先生が歳とって 『あの悪戯なワルガキ健太がこんなに偉くなるとは夢にも思いませんでしたよ~~~』 なんてテレビにでるかも知れないわよ!(失礼!このブログを初めて読んだ人はこの言葉冗談ですから、つまり、そのくらいの信頼感があるという。) そんなことも30年指導していると時々見たい夢ではあります。fuji

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ドイツの誘惑@コウノトリの父母の愛とエト・セトラ

Kounotori2ドイツ・シュトッツガルトのウィルヘルマ動物園ではコウノトリがヒナたちに餌を運び、巣の中を掃除し、かいがいしく世話していた。

巣はかなり高い場所にあり、他の木や建物があるため、私の首を伸ばして曲げて見続けるのは骨が折れた。そのため、観察はしにくかった。だからどちらがオスでどちらがメスかは解らない。だが、とにかく2羽で、一生懸命交代で跳び、世話をしていた。

ところで、あとりえに通うユイちゃんはこの夏休みに小さい時から懸案の肝臓の手術をした。今は国立成育医療センターに入院をしている。私は以前お母さんからそのことをお聞きし、また今年の夏休み前にも聞いて、さぞかし大変な思いを胸にしまっているのだろうと思い、多くは聞かなかったが、実は心配していた。

一昨日、夏のあとりえの教室をしていたら、ユイちゃんのお母さんがいらして、《手術は終わり、今少し食欲が出てきた》 と聞いた。《まだ点滴の機械につかまって腰を曲げてがんばって歩いている》という。まだまだ、ご家族の気持ちは心配もあると思うが、一つの山を乗り越えたのだ。《ユイちゃんはお父さんから肝臓を3分の2貰い移植し、脾臓は取った》という。《お父さんは1週間入院し、その後は自宅での療養をした》と聞いた。私は医者ではないが、あとはユイちゃんの生命力の強さを信じたい。あとりえでの作品のユイちゃんの画素数は確かいつも多い。画素数は生命力のシンボルだ。そして私は医療関係の心配事があると、いつも漫画の手塚治虫《ブラック・ジャック》を読んでいる。なんだか、聖書を読むような力が湧いてくる。そして国立成育医療センターにはブラックジャックがいると信じている。Kounotori1

とにかく、家族が一丸となって病気に立ち向かったのだ。ユイちゃんには中学生のお兄ちゃんがいる。小さい時からユイちゃんとご両親のことを見続けている。あとりえには通わなかったが、時々お迎えに来たときに会っている。ユイちゃんはこのお兄ちゃんのことをとても大切に思っているのを知っている。余った教材があると、お兄ちゃんに持っていってあげたいと言ってたからだ。きっとお兄ちゃんもほっとしたことだろう。

ところで、この写真のコウノトリたちも成鳥になれば親元を飛び立ち、自由な大空に翼を広げて飛んでいく。そして、ドイツやフランスのいろいろな場所に、自分たちのテリトリーを作っていく。私たちは今まで、ノルトリンゲン、コルマール、エギスハイムでコウノトリを見た。そして、コウノトリは幸せの象徴。

今はユイちゃんの生命力の強さを信じて順調な回復を待ちたいです。また、木で作る工作を考えておくからね!

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2008/08/22

業務連絡

プロフィールの中に設定している、メールが機能していないようです。私にご連絡のある人は、コメント欄にご記入ください。近日中に調べます。申し訳ありません。

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2008/08/15

カントリーライフと鹿との遭遇

Kawahyou

このところ、親戚の子を預かることが多く、そのパワフルさに辟易もし、元気の素を抜かれていたが、負けてはならじと私もプレイガールになって、トンボ採り、チョウチョ採り、甲虫探し、サッカーゲーム、花火、しりとり、国旗カルタに興じていた。その空いた時間に畑の収穫や整理、肥料すきなど、また種まきも少しだけしている。プレイガールというよりはカントリーガールです。

今年は鹿にやられず、何年ぶりかの大根の収穫はうれしくてうれしくて、鹿避けの杭を打ってくれた芳州先生のお蔭と『感謝、感激、雨、アラレ!』と思ったら本当に霰が降ってきた。8月12日のことだ。その霰の害は我が家の畑のルッコラを直撃し葉に穴を開け、柔らかい葉は傷ついてしまった。

雷三日という言葉があるが、8月上旬は八ヶ岳山麓にも雷が多く落ちた。そして、雨が降るとバケツをひっくり返したように降る。私も天気を見ながら梅干を干したり大根を引き抜いたり、種を蒔いたり、空の雲を見たり、自然の中に身をゆだねている。

Kawadaikon1

大根は毎年母の元へ持っていくのだが、現在は入院中のため、食べてくれる人がいない。その大根を誰かに送るということも、やぶさかではないが、標高1400メートルから平地で、しかも気温35度などのところに移動すると、すぐに、グニャッとしてスーパーの商品以下の様相を呈してくる。そこで本当は送りたい人もいるけれど、手続きももどかしく送らずじまい。

結局川上にいる間に沢庵漬に挑戦することにした。夏場なのでかなり塩を濃くしてつけてみた。高血圧や健康のために減塩している方にはあげられないけど、作ってみて食べられることは食べられた。既成の沢庵漬の素での出来ではあるが、黄色の色素をどうしようか迷った末に入れてみた。ほんの少しだけだったけど、結構濃い色になった。

そんな農作業の真似事をしながら、この夏休みを過ごしている。8月13日には川上村のマレットゴルフ場に行って見た。カラマツ林の中にあり、大深山遺跡のそばにある。その3日前に松原湖のマレットゴルフを体験して結構面白いと感じたから近くの川上村のマレットゴルフもやってみようということになったのだ。村の文化センターで、クラブとボールを借りた。2セットを4人で廻った。

そのあと、川上村村営のレストラン木樹里で天ザルを食べた。食後のコーヒーをぼんやりと飲んでいると、ガラス窓越しに?・・・・・・シカ!シカ!鹿っ!

Kawasika1Kawasika2_2  

                            こちらを見ながら草を食んでいる。時々耳をブルッとさせている。

急ぎ階段を下りて、村役場の裏手に行くとまだ逃げもしないでこちらを見ている。まるで 『どこかで会っていますよ。』と言っているように。写真は幸運にも手ブレせずに写っていた。ラッキー!役場の人や村の人はこのような光景を日常茶半に見ているのだろう。自己防衛のためにかほとんど動かない。目がクリッとして可愛かった。我が山小屋とは直線距離で7キロか、8キロ離れている。たった1頭で移動している。パソコンで大きく伸ばしてみると頭部に角の出かけた瘤状のものが見えた。オスなんだ。写真をクリックすると少し大きな鹿を見ることが出来ます。

今日はこれから久しぶりに新横浜の獏で飲むので、手にマニキュアをしてカントリーガールからシティーガールに戻ります。

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2008/08/04

ドイツの誘惑@シュツットガルト・ウィルヘルマ動物園

Wiruheruma3《 2008年6月4日の日記から 》

ドイツの朝のパンは相変わらず美味しい。1,5個、ハム、チーズ、ジャム、ヨーグルト、コーヒー、牛乳を食す。

ホテルを出てウィルヘルマ動物園に向う。途中に噴水の出ている小山があり、不思議に思ってみてみると近くに保養所があり、水が湧き出ている。自転車に乗った人たちが飲んでいるので、飲めるかと聞くとおいしいと言う。私も手で飲んでみると不思議な味がした。手の水をよく見るとシュワシュワしている。炭酸水のようだった。また手に塗るようにするとサラサラした感じがした。あとでちょっとだけお腹が痛くなったが一過性のもののようですぐ治ったので、ほっとした。

Wiruheruma4Wiruheruma2Wiruherumaウィルヘルマ動物園の入場料は 11.4ユーロだった。大きな樹木がたくさん植えられて、地図を見ただけで圧倒されてしまう。

アクアリウムの爬虫類の部屋から進む。青や黄や緑のカエル。ヘビが草や木の植え込んだ中から顔を覗かせる。ビックリの連続だった。シロクマのいるところは山を登っていく。野毛山動物園と同じようにコンドルやフクロウがいる場所が近くだった。シロクマの場所には人がいたが、さり気なくしていた。私たちはお腹が空いたのでアイスクリームを食べて椅子に座っていた。小熊が少し経って出てきた。日本だとドヨメキが起こるだろうがみんな静かだった。

ところが私たちの並びにいた高校生らしき子供たちが『シロクマ出て来い!』と大声で騒ぐと、監視員が出てきて、静かに諭すように言った。『・・・・・ニヒト』

シロクマは何度もママ熊に噛み付いたり、体を寄せたりしている。後をついて廻ったりしつこいほどだ。かなり写真を撮ったが意外と動きは早い。

Wiruheruma5_2

動物園内では親子やおばあちゃん連れで見学していた。ゆったりと子供たちに動物のお話をしているのが印象的だった。金魚が日本とは違う展示の仕方をしているように感じた。きれいだと思った。私のお気に入りのペンギンはウィルヘルマ動物園では霧を吹きかけてもらっていた、涼しそうで良いアイデアだと思った。フクロウの餌は白いウサギだと気づいた。

帰りのUバーンで隣り合った家族と縫いぐるみのウィルバーを見せ合ってニッコリ。また遠足の5、6年生の女の子のは三分の二がピアスをしていた。ピアスは私の『棺おけリスト』の一つだけれど。

『きっこの日記』が動物園を取り上げていたので、私もドイツ、シュツットガルトのウィルヘルマ動物園を思い出してあの日の日記に書き加えました。

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2008/08/02

ドイツの誘惑@独仏国境近くアルザスのエギスハイム(Eguisheim)

Mariazou2008年6月の10日から14日まではドイツ国境近くのフランスのアルザス地方エギスハイムにいた。4年前の同じ6月にその近くのコルマールに滞在していたのだが、帰りの列車から小さな村々を見て、もう一度この辺りに来たいという思いを強くしたので、また来ることにした。

この旅行中に母の転倒を知ったのだが、戻って病院通いが続く中、自由が丘の駅近くの古本屋で大谷暢順著『聖ジャンヌ=ダルク』・河出書房新社を見つけた。約1ヶ月かかってその本を今日読み終えた。

そのジャンヌ・ダルクが生まれたドンレミ村が写真のちょうど後方の彼方になるようなのだ。距離としてはヴォ-ジュ山脈を越えるので100キロは離れていると思うが、その本を読むうちに私が撮ったこの写真が意味あるものに感じられてきた。とにかくこの丘の向こうなのだ。

エギスハイムは城壁に囲まれた町でそのまわりに造り酒屋が数多くあり、旧市街はブドウ畑に囲まれていた。Mariazou2コウノトリが巣を作っている教会の中は献金をすると会堂の明かりがついてフレスコ画が見れた。町の所々にマリア像があって、昔から信心深い人が住んでいるのだとわかった。

ジャンヌ・ダルクは映画やお話では華々しいが、事実は極めて、悲惨な最後になったようだ。 イギリス軍が割拠する中でフランスの国王シャルル7世の戴冠式にまでこぎつけ、フランス中を戦い抜いたのに最後にはイギリス軍に宗教裁判に掛けられ、一番苦しい火あぶりの刑に処せられた。また裁判の最中にはキリスト教への信心を試されることなど、また牢獄の中での拷問にも近い、女性としての尊厳を打ち砕かれることもあったようだ。そして20年後に再び復権裁判があり、フランス国からも、ある程度は正しい評価が下されたようだが、真に宗教的に評価が下されたのは1920年にローマ法王庁が『聖ジャンヌ・ダルク』と認めたので、他界してから489年後のことなのだそうだ。そして、彼女が救国の少女として戦い、周りの人に利益をもたらしたにもかかわらず裁判の時に彼女に不利なことを言ったり、陰謀を画策したほとんどの男たち(司教、裁判官、判事)はその後、結構要領のよい生き方をし、良い人生を送ったのだという。

Pinoguriこの本は1986年が初版で書いている、大谷暢順氏は浄土真宗の僧侶であるようだ。そして本の最後にキリスト教の受難や殉教が大事なことだと書かれていた。悪人ではなく、善人に苦しみが必要なのだと。

私はこの町エギスハイムで100キロ程先にジャンヌダルクが生まれたドンレミ村があることもその時は知らず、ワインのピノグリをレストランで飲んでいた。するとウェイターが私に車の絵を描いて欲しいと言ってきた。食事中ワインの絵を描いてはいたが、ちょっとビックリ!言われるままに車の絵を描きましたが。あとでワインや飲み物代がサービスになっていました。

雨で席の移動をしたのでそのお詫びなのでしょうね。フランス人の機転といおうかセンスといおうか、心にぐっと来るものがありました。だからといって誘われてもその車には乗りませんけど。そばに芳州先生がいたのですし、貞操堅固なオルレアンの?女ですから。

注・ドイツ旅行から行ったフランスなのでカテゴリーはドイツにしてあります。

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療養病床と後期高齢者

Rougo私たちがドイツ旅行中に自宅前で転んだ母は現在、介護医療療養病床の病院に入院し、手厚い看護を受けている。

まだコルセットをし、リハビリに励んではいるが痛みは相変わらずあるし、普通の生活には戻ることは不可能だ。腕の筋力もなく、車椅子を自走することは出来ない。看護師による介助がなければ生活は出来ない。リハビリ士による誘導がなければ杖を突いての歩行もままならない。

始めの救急病院とそして現在の医療療養型病院に入院しているが、これから先の生活を考えなければならなくなっている。福祉と言う面では、日本国は姨捨の時代に逆行してしまうのではないかと思う。

そのことについて分かりやすく書いた雑誌を病院関係者から教えてもらった。東洋経済新報社の8月2日発行の特集『ニッポンの老後』だ。よく読んでいると頭が痛くなるが、これでくじけちゃ看護してくださってる看護婦さんに申し訳ないと思い、がんばって読んでいる。

だが政府は母の入院しているこの介護型医療療養病床を2011年に22万床に縮小維持廃止する予定なのだ。(傍線部分が間違っていました。訂正いたします。関係者のご指摘ありがとうございます。)

人はすぐには死なない。ガンだって、脳梗塞になっても、骨折をしても若ければ何とか元に戻る。医学の進歩があるからだ。でも、歳をとればそれは違う。少しでも介護に携わってみるとよく分かる。その期間の療養こそが人の末期への道すがらとして大切なものだと思う。それをあと、2、3年で廃止すると言うのだ。母の病院で働いている人たちは身を粉にして働いている。もしかすると、それは上に立つ人が立派なポリシーを持って総指揮に当たっているからかもしれないが。それを廃止にするというのだ。団塊の世代も続くというのに。なんだかおかしい。約1ヶ月前の朝日新聞にもその記事が載っていた。

ところで、私のブログには介護のカテゴリーを作っていない。だからこの言葉はココだけの言葉ですぐ泡のように、いやシャボン玉のように消えてしまうだろう。だが自分の母のことからこのような世の中の流れを実感したので、書いておきたい。

そしてよく心の中で思っていた言葉がある。それをついでにおまけに言いたい! 《 湾岸戦争の援助より日本の老人問題がすぐ来るから、もっと日本政府は福祉に目を向けていないと大変なことになる。援助はそのくらいでいいでしょ!》 でも、私の得意分野ではないから心のなかで言っていたけど今日言いました。

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