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2008/09/28

母のこと

実家の母は先週初めに川崎の医療療養病床、鹿島田病院から介護老人保健施設(老健)に移った。自分では歩いてトイレにいけないのと、家に戻っても自分で食事の支度などができにくいため、そのように決断した。リハビリの甲斐あって皆が励ましてコルセットをして歩くことは少しできるようになった。

鹿島田病院では院長を始めとして、看護士さんから、リハビリの先生始め、皆きびきびと惜しみなく働いていた。母だけでなく、他の方々にも手厚い看護をする様子が見られ、このような形の病床を政府が削減していくことが信じられない思いがした。私は以前医療療養病床について8月2日の日記に書いている。

母は鹿島田に入院中、隣のおばあさんが『おねえさん、おねえさん』と四六時中言い続けるので、眠れないと苦情を言ったこともあったが、かわいそうな気持ちがして話し相手になってあげたという。夜になって看護婦さんがいなくなると、子守唄を歌って寝かしつけたことが多々あったようだ。年は母より4歳上と聞いたが、母が『ねんねんころりよ♪、おころりよう♪』と歌うと、昔自分が小さい時のことを話したそうだ。そして、母は車椅子に乗って、そのおばあちゃんの方を向いて食事をしてあげていた。母が移動する日、そのおばあちゃんは『ねえ行っちゃうのー。寂しいなー、寂しいなー』を繰り返していた。でも本当に母がその部屋を出る時に彼女は寝ていた。寝たふりをしたのかもしれないが。

今母は別の場所に来たのだが、そのおばあちゃんのことを懐かしんでいる。集団生活をしたことがないので、今度のところは戸惑いもありそうだが、鹿島田病院の院長であり、外科の医師でもある川田忠典先生が色紙に書いてくださった言葉が母を支えているかもしれない。

『人間到処有青山』です。どこに在ってもにこやかに。 川田忠典

この新しい施設も3ヶ月の期間しかいられぬため、考えて対処していかなければならない。しかし国の方針には、あちこちでぶつかるが、現場で働く人たちは、プロとしての経験を積み、真面目に優しく対応してくれている。その人たちの努力や、生きがいや、働き甲斐に私たちはむくいられるのだろうか。

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