学校選択性についてと《あとりえ・チビッコ》
少子化が叫ばれて久しいが、あとりえ・チビッコもその影響下にある。
ところで今日の内田樹の研究室 が《学校選択制》についての講義をしている。ちょっとだけ我田引水になるが紹介させていただいて市井の絵画教室あとりえ・チビッコもそれにあわせて理論をちょっとだけ言ってみたい。
あとりえチビッコでは31年前、自分の娘たちに教えたい、作らせたいと思うことを試行錯誤して始め、指導してきた。自らは水彩画や日本画の指導を受けてきた。そして近所の子どもたちに造形絵画を教えてきた。
あとりえ・チビッコのブログはもう5年経った。教育のカテゴリーに入るのではあるが、その範疇に入りきることへの反発があり、文化・芸術のカテゴリーを選んでいる。
女子美術短大・生活美術教室が基本にもなりデザインも少々学び、その時の工芸材料学の福岡先生から学んだことは工作材料を選ぶ時のヒントになっている。また幼い日々は目黒七中の美術講師・渡邊先生(オマージュを籠めて)の画塾に通い、また院展の故・横溝由貴先生にも日本画の指導を仰いでいた。私の趣味である菜園好きと虫愛ずる姫の路線からは長野の山小屋と横浜をスイッチターンする生活も選んでいる。
子どもたちへの絵画の指導では私の個性を出来るだけ見せないで指導してきた。模倣する子にはしたくなかった。子どもが制作するプロセスが楽しめるような工作の課題を計画し、模倣したくても、模倣しない方が楽しいと感じ、根気や、美意識、達成感が育つようにしてきたつもりだ。できるだけ自由に制作させ、描き方を教えないが、あるときには子どもにとことんしっかり塗りこむように言うような時もある。永いこと来ているうちにそれは判ることだ。だから4年、6年も通う子もいた。だが、それだからと言って、子供たちがみんな美術大学やデザイン学校に行ったわけではないけれど。絵を描くことは究極、自分を持っていないと描けない。
色をたくさん使って描くのが上手な子や、線で描くのが好きな子、小さく細かく描くのが好きな子や、これらの反対が好きな子もいる。模倣は途中で真似をするものがなくなると何もなくなる。自分が好きな描き方をある日意識させると、次第にその子の描き方が個性となってくる。子どもは成長しながら自分の描き方や傾向を意識してそれは大人になっての仕事の進め方にも反映すると思う。少子化で我があとりえ・チビッコも生徒数が減り、不況にもおされて、これから迫力もなくなってくるかもしれないが、最後の一人まで指導していくつもりだ。
ところで、今日の内田先生の研究室の《学校選択制》の記事はいつもより難しい言葉も少なく、理解しやすく、書いてくださっています。あとりえのお母さんや、会社から帰ったお父さんも研究室のドアをノックしたらいかがですか。なぜかコメント欄は外してありますので、先生への質問はできませんが、昔の学生時代を思い出して自分で辞書を持って、勉強するのもいいのではないでしょうか?
さて、あとりえ・チビッコも自由競争の中で、選択制を自然と皆が選んでいる。情操教育としての立場はこのような時代には風前の灯になるのかもしれない。昨日自分が楽しいことを教えたように、今日も楽しいことを教えていきたい。いつか子供たちが大人になったときにキラキラと輝く宝石箱をのぞくように。
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