模倣でない絵を描くためへの試行と実践

子どもたちは人物が登場する絵を描かすと、大体において、よくある人の絵を描こうとする。それは人というよりもテレビの漫画やキャラクターを模倣したものになる。回りの影響もあるし、営々と築かれてきた、パターンだから仕方がないかもしれないが、それを何とか直さないと、10才以上の子の絵に、進歩はない。
目はキャンデーキャンデーのクルリとした目だったり、骨人間の描き方をして丸い目だったりする。描く課題が人物そのものに注目しない時はそれでもいいが、やはり子どもにとってそれではただの物まねの領域を出ない。だがそれを説明してもなかなか理解は難しい。
今回はそれをなんとかくぐりぬけた感じがする。何人かが理解したと思う。
上の2枚はコウタロウだ。私は子供たちに自分でノコギリを引かせ、ケヤキの木の棒を切らせた。怪我のないよう手順は注意深く。そして自分の切った木のカケラを持って、今度は私が木を切る様子を室内に入って見ながら描かした。そして描いていくうちに足や手がクニャクニャになっても気にしないでと言った。今日の絵はそのような状態になった子こそが良い制作をした子なのだ。
特にカホはどこから始めて良いかわからないと言いながら、考えて描いていた。このたどたどしいが一部分一部分が模倣からの脱却だと思う。大げさだけどね。カホちゃんの今置かれている状況はあまり、干渉がないから良いのだと思う。ケンタロウはじいちゃんと一緒に木を切ったことを思い出しながら、絵を描くよりもノコギリで木を切ることをするのが楽しそうに描いた。ユイは手術の傷に障らないか心配だったが楽しそうに、でも考えて描いていた。
モモコは今日は元気がなかったので、木を切らすのが大丈夫かと思ったが、始めに大きすぎる木を描いたのを直してから、また気を取り直して描いた。私がモデルさんになって、何度もポーズをとったのが功を奏して良い絵になった。![]()
ショウキは課題は良い出来とは言いにくかったが、あとから木切れを鉛筆で描きたいと言って、初めての鉛筆デッサンをした。モモカはやはり絵を描いてから木切れをまわりに描いた。
今日の課題は子どもたちにも、指導している私にも多くの教示に富むことが分かった。これはもしかするとオーストリアの美術教育家フランツ・チイゼックの理論の実践と感じる。今までもそうだが、これからは意識してチイゼックの本を読んで指導していこう。私にとっての教科書なのです。
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