見捨て奉ること悲しくて・・・・
先週忙しく過ごしたので、撮った写真を整理できずにいたのだが、今日かたづけることができた。そして山小屋に干してある柿の写真を見ているうちに高校生の時に習った古典の授業の中のフレーズを思いだした。《見捨て奉ること悲しくて》
ところがその出典を思い出せず、本棚の昔の全集などをぺらぺらとめくっても分からない。そこで困った時のインターネット。《見捨て奉ること悲しくて・・・》 で検索。すると、《更級日記、門出》と出てきた。私の脳内のシナプスたちがピッとつながってなんだかホットした。
インターネットの言葉の組み合わせの中には時々、困ったことや、不快に感じる組み合わせ方もあるが、こういった探し方ができるのはうれしい。このフレーズがなぜ思い出されたのかと言えば、ちょうど川上の山小屋をあとに、車に乗って窓を見たとき一生懸命むいた柿がまるで私に気を付けて帰ってねとばかりに見えて、あの古典の文章のことが浮かんだのだ。検索するうち、NHK高校講座学習メモというのもあったので、印刷した。手帳にはさんで暇な時に読もう。だが、その私の思い出したフレーズじたい間違っていた。
あづま路の道の果てよりも、なお奥つ方に生い出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、・・・・・・・・車に乗るとて、うち見やりたりければ、人まには参りつつ、額をつきし薬師仏の立ち給えるを、見捨て奉る、悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。(更級日記、門出より)
さて、その帰りの道でまたシカに会った。今年の夏にシカを見たときから、見つけるコツを覚えた。車の運転に似ているが、集中しないで全体をジロ目で見ることだ。そうしてこの鹿も見つけた。芳州さんが車を止めてくれたので私は道を戻って走った。川上と野辺山の境のYMCA近くの場所でそばには農耕車が畑を耕していた。が、シカはそれも気にせずにいた。
やはり私が近づくと逃げた。林間を駆け登ってこちらを振り向いた。何とか撮れた4枚の中で一番良いのはこの写真だった。カーソルを置いて大きくクリックしてみるとちゃんと写っていますから見てくださいね。
角は黒かった。数秒かもしくはもっと永かったかもしれないけれど鹿と目が合った。ジーン。
秋は鹿の恋の季節だ。だからと言って私は人間。シカもおばちゃん。モシカするとおばあちゃん。かなわぬ恋。
『鹿さん、よく私と会うけれど、私は人間ですからね。もっと可愛いバンビを探してね!』

午後遅めの散歩をすると手ががちがちになった。夏よりも家の真正面の方向に夕日が落ちる。信州峠のほうだ。時計は4時45分だった。鳥たちはシラカバの木の間をぬっては群れとなって家路に向っている、家路があるとすればの話だけれど。私はがちがちの手で畑の赤カブを抜いた。葉はもう凍っていた。自分の皺のある手を見て、ふっと母のことを思い出した。気温はマイナス3度、多分今夜は天気予報どうりに今年一番の冷え込みになるだろう。予測はマイナス7度。青い空からちらちらと雪も舞っていた。




















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