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2009年4月の記事

2009/04/29

音楽を聴いて描く@ジャックルーシェトリオのバッハ

バッハのブランデンブルグ協奏曲をジャックルーシェの演奏を流し、絵を描かせた。ほとんどの子が2枚描いたが私の好みの一枚をブログの中のKEICOCOギャラリーに載せたい。

作品の順番はハルキ、モエナ、モモコ、モモカ、ヒナタ、カホ、ケンタ、ケンタロウ、マナミ、ミズキ、ナミ、カノン、レイカ、リホ、リサ、ショウキ、ユイ、(アヤノ休み)

Bachharuki

BachmoenaBachmomoko2 BachmomokaBachhinata2Bachkaho2Bachkenta2_2Bachkentarou2BachmanamiBachmizukiBachnami2Bachkanon2_2BachreikaBachriho2Bachrisa

Bachshouki2Bachyui 子供たちの絵を私がデジカメで撮ってからこのブログに載せるには、サイズを小さくしないといけない。大きいままだと平均して、600B(バイト)のデータ量がある。今回、何気なく夢中で描いていた子たちの作品のデータ量を比較してみた。

私が大変苦手な分野であるので、間違っている可能性もあると思う。だがあえて書いてみたいと思うのは、そのデータ量と子供のエネルギーの量があっているように思うからだ。今回ナミとケンタとケンタロウがMB(メガバイト)が多い作品になっていた。

音楽を聴きながら描くときはいつも子供たちは楽しそうだ。今回はバッハのブランデンブルグ協奏曲の中の第1章の1と第2章の3だ。それをジャズ風にジャックルーシェトリオが演奏している。こういう作品は子供たちが多様に理解し、それぞれ楽しんで表現しているのでなるべくたくさんの作品を出すことでなんとなく理解できるし、楽しめる。

ヒナタ、モエナ、マナミ、カノン、レイカも音楽を理解しようとしていた。

その中でナミとケンタロウとケンタはエネルギッシュな描き方をしていた。それで数値を比べてみるとほかの子より多かった。だがウィキペデイアで調べるとデータ量は時に情報量と混同されるが、それは別の概念である、とあった。

データ量は数量の一つで、他には圧力、エネルギー、温度、角速度、加速度、時間、仕事率、質量、磁場、周波数、体積力、電圧、電気抵抗率、長さ、面積、数、がある。ちょっとだけ勉強したので書いておこう。

だからといって、データ量が少なくても、バランスがとれて美的な表現はあると思うから、このデータ量の数値を美の基準にしようとは思っていない。子供の絵として今回はそう感じたのだ。データ量の多かった。3人の2作目を乗せておく。ナミ、ケンタ、ケンタロウの順。特に波はもう一枚描いている。時間に余裕があって楽しんで描けていたからだ。こういう絵の時ショウキが優れた描き方をするのだが、どうも何かのれないようで残念だった。

Bachnami3BachkentaBachkentarou 

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2009/04/24

クオリア日記に感動、同感した。

茂木健一郎さんのブログ≪茂木健一郎 クオリア日記≫にコメントを入れたのだけど表示されないので、自分のブログに書くことにした。「そんな教えがあったら信じてもいい」という記事。茂木さんはいつも詩のように書いていく。

茂木健一郎 様
初めてコメントします。
私も良く八ヶ岳の森の中を散策します。
それと今まで行った森のことを考えると、この茂木様の文章が新しい宗教のようにも感じました。読みながらコピー取ろうとしましたら、本はあるとわかりましたので、早速本屋に行きます。
人は成長の初期にトライしたことをまた年齢が加わると再び試したくなるようです。13歳の私は真摯に教会(プロテスタント)に通い、聖書を読みました。友人は洗礼を受けましたが、私はそのままで過ぎました。
今何かに心を寄りかからせるとしたら、やはり特定の宗教ではなく、森の中に射す一条の光のような気がしています。ありがとうございました。

このような形は失礼かと思ったがとても感動したのでコメントを入れたかった。お忙しい方なのでこの書いたことは即ゴミ箱に入るようなものだろうが、私にとっての感動だから、書いて置きたかった。なぜコメントが入らないのだろう。トラックバックにすることにした。

ところで今日から私は3週間近く連休モードになる。考えてみたら2月にドイツに行き、戻ってから確定申告や、リフォームがあり、それと同時に母の介護施設の移動のための試行錯誤があった。今、やっと落ち着いて春の緑を見ていられる。あとりえの工作関係の本で勉強しなければならないことがある。子供たちへの導入のやり方を試しながら研究しなければならないけれど、基本の姿勢は

「自分が楽しんでやらなければ子供たちも楽しめない」という考え方。

1年生から6年生までが出来る幅を考えて指導していくことが私にとって大切なことだ。もう古い言葉かもしれないが、インプットとアウトプット。これからインプットの時間。私が挑戦する時間がいっぱいある。

いつも読んでいた≪茂木健一郎 クオリア日記≫を私のお気に入りに入れさせていただきます。そしてブログの一番の原点は庄内拓明さんの知のヴァーリトゥードです。

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2009/04/21

パステルで描く花@2009春

Pasuterumomoko モモコはこの日はとてもリラックスして描いていた。指導している私の方が母の介護のことで悩んでいるともらすと「自分のお母さんでしょ」と言う。「グサッ!」

モモコはいつも花瓶がアンバランスになったり、全体の位置が不安定になるのだが、今日は安定したデッサンを描いた。パステルは今年の冬ドイツで買ってきたものだが、今までのフランス製より幅太だ。見ていてホッとする絵になった。

Pasuterukenta ケンタはランの花を描いた。パステルの色を楽しんで使い、これもほっとする癒される絵になったと感じた。筍の件で自信を持ってリラックスできたのだと思う。

Pasuterumanami マナミは下に敷いたドイツで買った布を本物と同じ色調で塗った。不安定さが面白い。水色が好きでよく使っているマナミだが、バックの2色をこの日の空のように爽やかに描いた。

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2009/04/20

野毛山動物園写生会は無事終わりました。

2年に一度の野毛山動物園写生会を無事終えた。レッサーパンダのお食事は笹の葉、ライオンは静かに木の台で寝ていた。オラウータンやゴリラの周りの池にはオタマジャクシがいっぱいいた。トラはうらの檻から見た。以前いたゾウの檻にはベンチが並んで日だまり広場。

エリマキキツネザルは金属系の音がすると、ギャー、ゴアゴア、ギャーゴアーと鳴く。そして面白いのだけど、落ち着かない動きをして、絵を描くのには困ったモデルだ。キリンは大きくて、模様も描きよくて、最高のモデルさん。

ツキノワグマは動きがなくて観察のみ。白いクジャクが池の近くで白い羽根を大きく広げて「わたしきれいでしょう!」とファッションショーをする。その池のそばで11時20分ぐらいに昼食にする。

食後にはなかよし広場で子どもたちはモルモットやひよこやネズミと遊ぶ。25センチほどのお座布団を使って動物を移動したりする。あとりえチビッコの子たちが動物を独占しがちだったので注意しながら遊ばせる。手をしっかり洗ってデザートのアイスを配る。知らない子がアイスを持っていこうとする。芳州さんがあとりえの子と思って渡したからね。。「ごめん、知らない子よ、返してね。」

集団で子供たちがどこかに行くことが、年々大変になってはいるが、動物園に連れ出すことは大切に感じる。野毛山は動物の数は少なくなっているが、身近で動物を観察できるのでそれも大切なことだと思う。作品の描き方は時間も少なく、移動しながら描いているので、まとまりもなく雑然としているが、あの場所に行ったことは何か別の形で作品に反映することもあると思う。ミズキちゃんがキリンなどでいいデッサンが描けていたようだ。

ところで、途中の桜木町で大道芸のパフォーマンスを見ることができてラッキーでした。カホママ、ハルキママ、リホママ一緒に引率ご苦労様でした。

私は子供たちの安全に注意を払っていたので、デジカメはわずかしかとれませんでした。とにかく無事帰りました。

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2009/04/16

八百芳賞の筍はカホの思い出になるだろう

KahotakeHarukitakeKentatake1                                                                                                                 左からカホ、ハルキ、ケンタ。 

絵に描く、筍を大倉山の商店街の八百芳に買いに行った時、おじさんが冗談のように、「いい絵があったら買ってやるよ」と言ったので、私も半分本気にしてご褒美をあげるといって筍の絵を描かせた。子どもたちには私がご褒美をあげることに心づもりしていた。だが、八百芳のおじさんは約束以上に子供たちの賞を本気で考えてくれていた。

昨日のおけいこの前に、電話をするとおじさんは、「カホとハルキだ。一等はカホだ。」と言った。なんだかその朴訥とした言い方に、私はカホとハルキのおばあちゃんになったようにうれしかった。

いつもかほちゃんは、もう少し丁寧に描いてごらんとか、ここもっと塗りましょうとかの、言葉をかけることが多い。今回の筍は八百芳のおじさんのご褒美と言ったとたんカホの頬が紅潮しはりきり始めた。いつもより長い時間絵に向かっていた。今度名前を変えたらどうかな ≪張り切りカホ≫なんて。あれ、えっつ!かほちゃん名前が良かったんだよ!カホとひらがなで書いておいただけなのに。苗字は何も書かなかったのに!ご先祖様が呼び寄せたのかも。冗談ですが。

そして、八百芳に行くと巨大なタケノコが3本あった。カホとハルキと、私にとおじさんはくださった。でも私は2人のほかにケンタが絵を2枚もがんばって描いていたので、もう1本の筍は健太に賞をあげることにした。

で、そのことをおじさんに話すと、「このケンタのは、緑が濃すぎて強すぎる。」と言った。そうだ、タケノコの見方、買い方の中に、黄色っぽい穂先の方が新しく新鮮で美味しいとよく言われている。やっぱり、八百芳のおじさんが選ぶのはそうなんだ。納得、納得。

それとおじさんは続けて言った。「俺はね、学校も満足に出ちゃいねえけど、絵も小さい時そんなに上手じゃなかったけれど、こうして、ご褒美をあげたら、その子が一生、うれしかった思い出ができると思うから、俺はそうしたかったんだ。きっとその子はうれしいだろうと思って。ほかの子より、自然な感じがした。」その言葉を八百芳の店の奥のごちゃっとしたところで私は聞いた。おじさんが誰よりも偉いと思った。

カホちゃんの絵はきちんと額に入れて、これからずっと八百芳の店先に飾られる。ハルキも良かったね。店先に飾られはしないけど、お母さんにお金に代わるお土産を自分が描いた絵でプレゼントすることができたんだから。

ケンタもがんばった分が報われた。ほかの子たちもこれからまたこうしたチャンスがあったら、先生もがんばります。

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今日は私の誕生日

昨日の朝、川上を出て、ETC通勤割引の時間で戻った。休む間もなく写生会の保険を頼みに行ったり、母の介護施設での知人のフルートコンサートを考えたりした。川上で使った農作業関係の筋肉痛は車の運転でプラマイゼロ。ただ茂みの藪こきで、薬指に薔薇の小さい棘が刺さり、虫眼鏡で取ろうとしても取れず、そのままにしておくと飛び上るほど痛いので、定期的に消毒しカット絆を巻いている。

今日は素晴らしく良い天気の朝で、こうした日が誕生日なのがうれしい。

朝から好いことがあった。この間のあとりえでのモチーフの筍を買った大倉山レモン通り商店街の≪八百芳≫のおじさんに、子どもたちが描いた筍の写真を預けておいた。その中で気に入った絵があったら選んで置いてと言っていたのだが、二人の子に採りたてタケノコがプレゼントされた。そしてもう一つは私にくださった。そこで健太が2枚も描いて頑張ったので、あとの一本は健太にあげることにした。

今夜はそとで誕生日をすることにした。新横浜のツバメグリルでスパークリングワインを飲みたかったので、それに合わせてメニューを選んだ。ほとんど少量のおつまみだ。7時までに注文すると、ハーフサイズのおつまみが約半額だった。これはちょっとバースデーっぽくないセリフ。ニシンの酢漬けの下にザウエルクラートとホワイトチーズの和えたものが添えてあり、それは美味だった。ツバメグリルで北欧風のオードブルを食してから、少し家に近く戻って、高田屋の蕎麦を食す。黄色いコサージュを持って、62歳の誕生日を謳歌した。

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2009/04/13

筍を描く@2009

子供たちの描いた筍を並べて展覧します。名前はカーソルを近づけるとわかります。

Ayanotake

Harukitake

Hinatatake

Kentatake1 Kanontake

Kentatake2

Moenatake

Momokatake

Manamitake

Mizukitake

Momokotake

Reikatake

Rihotake

Risatake

Namitake

Shoukitake

KentaroutakeKahotake 八百屋で買った筍だが、おいしそうな筍に賞をあげることにしました。

ただいま選考中。4月16日に発表。

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2009/04/12

山に来ると、また早春がやって来る

Kawa090412y昨夜川上に来た。中央道の長坂インターを初めてETCの1000円表示で降りた。

山小屋近くの森の脇道に小さい鹿を見る。車のライトに照らされてすぐシラカバ林に入りこんだが、私たちが車を止めて懐中電灯の明かりで合図を送ると、こちらを見て動かない。

ああ、また私たちのそばに来ているのね、先週に芽が出たチューリップは食べられたのかしらと思う。

今朝ココと散歩のときに、チューリップは健在。私は芳州さんのマネをして地面に這いつくばって写真を撮る。Kawa090412そのそばでココも這いつくばっておしっこをする。

そしてあとりえの子供たちは今週、新筍を描いた。いい作品が描けた。山に登るとまた、季節が戻って早春が来る。秋はその逆に山から都会に戻ると秋が来る。川上村に今桜は咲いていない。桜は連休ごろに咲く。季節を逆行するのも贅沢な幸せ。

昨日は長坂インターを出て、キララで食材を買いに寄ると、外がビニールを燃やした匂いがした。また中央道から八ヶ岳を見ると霞んでいた。また妙な煙の出ているところもあったので、朝インターネットで調べると、山梨の須玉と勝沼の2か所で山火事があったと出ていた。須玉ではタイヤも燃えたそうだ。そういえば朝6時ぐらいに上空を自衛隊のヘリらしき機体が3機飛んで行った。

そこで、今日午前中は農作業を兼ねて、ススキの刈り込みをした。枯草を片づけておきたかった。汗をかいて農作業をしながら青い空を見ると、「シラカバ~青空~南風~」のフレーズが口からぽろっと出る。演歌は苦手だが風の温もりは心を解放させる。

お昼に筍ごはんを食べてから、ひとりで清里大橋を渡り、花松園に行く。途中の清里の牧場の林縁に鹿が数頭いたのを確認。道路が坂道になっているのでスピードが出るのでわき見は禁物。

石灰や乾燥牛フン、堆肥など20キロを超える重さを車に積む。山吹の苗木を買う。大切なジャガイモの種イモも買った。今年は北明かりとメークインにした。連作を嫌うので去年と一昨年、全く作らない地面があり、その場所には今年は作ることができる。北明かりは初めてドイツのアウグスブルグで知った。そのずっと前にハーメルンで食べて、バターで黄色くなっているかと思っていたがジャガイモの一種であると後で知った。

Kawa090412b 山吹の木はこちらに来る途中の森の中にもたくさん自生している。以前3本ほど失敬してわが庭に植えてある。あえて買うことよりまた採って植える方がいいとも考えたが1本の木を買ってそれがある程度になるのを待つより、早く我が家の春を黄色い色で飾りたくなったからだ。

母が小さいときによく太田道灌の話をしてくれた。

「七重八重花は咲けども山吹の蓑一つだに無きぞ悲しき」太田道灌は武士であり歌人だったという。私はいつもその話を聞いているとき、その娘の立場になっていた。私は小さい時はさっと無造作に道灌に渡す自分を想像していた。大人になって茶道を習っているときに目黒の先生のおうちの庭でその花を見つけ、また掛け軸の脇に活けてあるのを見た時は茶道の作法の渡し方で道灌に渡す自分を想像してた。

道灌が雨が降ったので、雨宿りをし、貧しい小屋にいた娘が山吹を一枝手渡し、この句を言ったという。蓑は今でいえばレインコートだ。いくら私が今、思い出してもそのころに外見は戻りはしないけれど。心は戻る。

黄色は森の中で光が差し込んでいるような印象がある。この季節に黄色い花は多い。私が生まれた日に近づく四月の上旬が四季の中で一番好きだ。そして黄色もいろいろある色の中で一番好きかも知れない。この山吹はたぶん連休の後に咲くだろう。

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2009/04/06

朝日新聞4月5日の社会欄の一記事に関して@今日は清明

今日は暦では二十四節気の一つ、清明で、清く明らかなこととある。桜も遅めの満開、あたたかと言えど地面近くには冷たい空気も漂っている。そしてあと10日もすれば、私のxx才の誕生日になる。こんなに気持ちの良い朝に辛い記事を見つけた。

今日(45日朝刊)の朝日新聞社会欄に

息子自殺―なぜ」痴漢容疑で聴取の23歳、「すべてがめんどう」メモ残しとある。

こうして木の芽どきになると、少しおかしい人も出てくる。そういう私も陽気な空気に愛犬ココとお散歩しながら、ジャズダンスの振り付けを思い出し、くるっとまわってしまったりする。誰もいないかを気にもせずにやっていると、シラッと通り過ぎる人もいて、「あー、またやちゃったかな。」と反省。そんな季節でもある。

新聞の記事ではその青年の友人や恋人、会社の上司が彼の日常を伝えている。まじめな人だとあった。

私の親しくしていたご近所のお嬢さんが駅の自転車置き場で痴漢に遭い、上半身を触られたことがある。私はその時、警察に電話し、いろいろ質問した。結局抵抗して闘うことより逃げることを教わった。またある時はアトリエに来ていた女の子が同じような目に遭ったと聞き、子どもたち全員に笛を首から下げて持たせた。助けを求める大きな声が出せなかったからだ。

昨年私は41日に≪ あるセンサーの開発 ≫という記事を書いている。もちろんそれは41日のエイプリルフールの記事だったのだが、そのことをもっと社会で働く男性は本気で希求してほしいと思う。結局自分の身の潔白は証明できないのだと思う。だから私が言ったように痴漢感知センサーが必要だと思う。もしくは嘘発見器をつけて時間を遡って証明する。携帯にそれをインストールしておけば、センターがデーターを出してくれる。以前書いた時はそれを爪に装着しておけばいいと言った。日本は人口密度が高い。電車に乗ったらいやでも人と触れ合う。

新聞の記事に戻ると、その最後に、若者の父親がその女子高生に手紙を託したという。そしてその親から、

《 ・・・・この部分は私の美学上書きたくないので、新聞を購読の方は新聞を読んでください。・・・・・男のイヤホンを取ったら、へらへら笑っているだけだったのでけりを入れた 》

けりを入れることができるほど強い女の子と、自分の無実を証明できずにビルから飛び降り、逝ってしまった男性。

この記事と、その女子高生の親の話の聴く方法と、その子自身がどう言ったかの詳細は分からない。

女子高生の立場になったら、気持ちが悪くて許せないことに違いない。また仕事に熱心な男性の立場で言えば,電車の中で寝ぼけていたかもしれない。自分自身を釈明することに気がつかないほど追いつめられたのかもしれないし、自殺することでしか解決法を見いだせないほどに疲れてしまったのかもしれない。死を選ぶことが負けだということを教えられていなかったのか。死ぬほどにがんばればなんとかなるのに。そのために生きる方法として勉強をしてきたのではないのか。、

だから、ここで、より客観的な痴漢感知センサーの開発が待たれる昨今であることには違いない。

そして私は子供たちに絵を描きながら教えることがある。書いた線が嫌いだったら消しゴムで消せばいい。描いたクレパスが失敗だったら別の色を塗るか、違う形に塗りなおせばいい。描いた絵が嫌だったらスケッチブックから切り取ってもう一枚別の紙を出せばいい。これから生きていくうちに嫌になることがあっても死んではいけないと。

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2009/04/01

しろいうさぎとくろいうさぎにみる愛のプロセス

私は以前 「しろいうさぎとくろいうさぎに見る愛について」 を書いた。

絵本の中で黒いうさぎが寂しそうな顔をしていると、どうして寂しいのかと、しろいうさぎが聞くと、『いつも、いつも君と一緒にいたいから』と言う。

『ねえ、そのこと、もっと一生懸命 願ってごらんなさいよ』と白いうさぎが言う。

『いつもいつもいつまでも』と二匹は見つめ合い、手を握り合い、森の仲間たちと一緒に結婚式のダンスを踊る。そして結婚をする。

そして、私も白いうさぎみたいな恋をして、結婚した。だからこのうさぎたちの愛のプロセスは同じだと思ってきた。そして結婚のための教科書になるとも言った。だが、この物語としての愛の過程はこれから先が違っていくこともあると思う。それは人間の世界では離婚だ。なぜ、『いつもいつもいつまでも』と言い合ったのに、一緒に居たくなくなるのか。

それは一緒にいるよりも他に楽しいことができてしまったのかもしれないが。くろいうさぎはひなぎくや、きんぽうげの咲いている野原でかくれんぼをしていたけど、かくれんぼをしながら、くろいうさぎは灰色のうさぎとも遊びたかったのではなかったか?とか。また、くろいうさぎは黒いちごのしげみで、かけっこをしながら寂しそうな顔をしたのはずっとクローバーくぐりをしていたかったのではなかったか?とか。できるだけ、メルヘンチックに考えたいものです。

私は離婚をしたことがないが、以前離婚した複数の友人の悩みを聞き、その時、親身になって考えた。いや親身には程遠いかもしれないが、自分とは違う『愛のプロセス』を歩んでいく人にこのうさぎの愛が別の意味での教科書にならないかと考えた。だからこの、絵本、『しろいうさぎとくろいうさぎ』を教科書として考え続け、離婚の傷を広げたりしないで、何とか良いアドバイスをしてあげたいものだと思ってきた。

人はもし離婚を経験したら一瞬はこの物語『しろいうさぎとくろいうさぎ』は全くの絵空事になるだろう。一緒に住んで居たくはなくなることだ。その信じたことすら、ウソくさく、愛はなかったのかと、考えるようになると想像する。多分それは長い人生の中では一瞬の時間に違いないが。

その友人カップルの二人をよく知っていれば、同じようにつらく悲しい。そしてそのカップルの間に子供がいればもっと悲しさが増えるだろう。

愛すると言うことは自分の心も体も相手に寄せることだ。だから『いつもいつもいつまでも君と一緒にいたいと』と言ったのだ。その言葉にはウソはないのだ。離婚になる前には喧嘩があるだろう。その喧嘩を我慢できるかできないかも大切だ。私も若いころはよく喧嘩した。だいたいが私が喧嘩をふっかける。自分の理想と違う彼の姿に苛立っていやになる。それを面と向かって言う。そこで相手が興奮する。プロセスはだいたいどこでも同じだろう。いつもと同じぐらいの喧嘩の程度であれば離婚まではいかないのだろう。うさぎの世界にはこうしたことはない。

この黒いうさぎが別の寂しさに耐えられず、考え込んでいたのを白いうさぎが、勘違いしたこともありうる。寂しいのは別のことで寂しかったのに、自分と一緒の人生を歩けば幸せになると白いうさぎは勘違いし、思い込んだ。そんなことはないだろうか。黒いうさぎは白いうさぎと一緒になっても、いつかまた寂しくなって、自分の道を歩き始めているかもしれない。もっと哲学的なことかもしれない。

それと反対にしろいうさぎが今度は寂しくなって悲しい顔をするかもしれない。

その時にはあの教科書『しろいうさぎとくろいうさぎ』はまた復活する。過去の愛の形にとらわれることはない。だが、過去の間違いを繰り返すのじゃないかとトラウマに囚われるだろう。だから、離婚したその失敗はなんだったのかとよーく始めの離婚の時に考えておくべきだ。たしかにくろいうさぎが寂しい顔をしたのが何だったのか。少しの時間、待って考えよう。その答えは日記に書いておこう。詩でもいい。気持ちの変化はいつも流動する。自分の気持ちをしっかりと書いておけばその地点に戻れる。

日本政府の統計では

《 平成18年の婚姻件数は732000組で、平成17年の714265組より18000組増と推計される。婚姻率(人口千対)は5.8となり、平成17年の5.7を上回る。
 また、離婚件数は258000組で、平成17年の261917組より4000組減と推計され、離婚率(人口千対)は2.04となり、平成17年の2.08を下回る。》  つまり平易に解釈すれば、62、要するに313組結婚して1組は離婚することになる。

だがまわりを見回してうまくいっていない場合も離婚はしないで一緒に生活をしている。だとすれば、11対1。うまくいっていないほうが2対1で多いということになる。緑色部分はあくまでも適当な統計だけど。

うさぎの話に戻ろう。森の中にはよくうさぎの糞が転がっている。触って潰すとハラハラと植物性の葉の削りかすのようなものになる。笹の匂いもする。白いウサギと黒いウサギが出会った話は、恋の始まりとしていつでも森の中に入ると思いだす。糞を見つけると思い出す。

うまくいかない小さな愛をずっと背負って生きていくより、悲しく辛くても、ゼロに戻って愛がない生活をしたほうが明快でいいと思う。私は離婚はしたことないし、これからの予定もないけど。でも、人生の中で離婚した人やうまくいっていない人のために、もう一度シャッフルしてみるのもいいとは思っているが。

どちらにしてもしろいうさぎとくろいうさぎの物語のようには人間の世界は単純ではない。だから愛という形はそれを押し通したかったらなるべく簡単な形、つまり絵本の世界のように単純な形で愛し合っていれば、うまく添い遂げられるのじゃないかと思う。このしろいうさぎとくろいうさぎにみる愛についての記事もアクセスが多いので、あえて、「しろいうさぎとくろいうさぎにみる愛のプロセス」を書き加えた。

愛は壊れやすいものでもあるらしい。だとすれば私たち夫婦の間もまだ分からないと言えると言っておこう。

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介護はロボットに任せた

母の介護施設から移動の勧めを受けている。1年は大丈夫という説や3カ月までで移動という説がいろいろ入り乱れて、こんなに元気なKEICOCOも心にダメージを受けて鬱になりそうだ。もうすでに鬱になっている人は親の介護に無関心でいられていいなあと声を大にして言いたい。

こんなにまじめなKEICOCOが鬱になったら子供たちを守れないじゃないか。そこでここ一週間考え続けて、遂に今日介護はロボットに任せることに決めた。金属を扱う会社に依頼して、まあ、マテリアルな会社ですが、そこで、介護のノウハウを現場の人に直接そのロボットに指導してもらった。一週間でできたことが何だか変な感じもするが、昨日試作ロボットに対面した。これは親の介護をしている団塊の世代の朗報となり、なおかつ自分たちの将来を明るくすることにつながる。

とりあえず、どんな仕事をしてくれるのかというと、介護施設で記入された身体精神アンケートの内容に合わせた仕事の内容になる。お食事を自分でできない人にはスプーンで食べさせてくれる。一つの惣菜だけでなく、甘辛を理解して口に運んでくれるようにプログラムされている。衣類を着せること。トイレの世話、投薬。また介護の一つには話を聞くという非常にレベルの高い反応も求められる。

「あの食事のときにいつも、前に座っている人がいじわるするのよ。何でじっと見つめるのかとか、見てもいないのにしつこく言うのよ。」と、母が言った時に、私だと人間ができていないので、「またそんなこと言って、誰もそんなこと言うわけないでしょう。おばあちゃんの気にしすぎよ。」と言ってしまう。だが今母の入っている施設の介護福祉士の人たちは、「そんなことは僕たち分かっているからね、心配しないでいいからね、今度時間があるときにゆっくり聞いてあげるからね」と答える。

ロボットにそこまでできるかと思ったが今相談している開発部長のKO氏は何とかやってみましょうと快諾してくれた。ここんところが一番のネックだったから、私もとても心配だった。昨日その試作ロボットに、とりあえず私の悩みを聞いてもらった。「最近夫がとてもうるさいの、どうしたらいいかしら、特に消しゴムとかボールペンをどこかに持って行ったってことを言うのがしつこくなったの。」「それはKEICOCOさんが本当にどこかに持って行ってしまっているんでしょう。自分用にご主人と同じものを袋に入れて持ち歩きなさい」 図星の答えに、納得。もうひとつ質問したけど、ここには書けません。

また前述の母の質問と同じ質問をすると、「認証が一致しません。質問者が違います。」と言う。すごい。なんだかわかんないけど。すごい。

今日私は介護施設への書類の作成は止めにして、介護ロボットを母に見せに行く。もう名前は決めてある。アトムだ。でももしかすると母はヒサオがいいと言うかもしれない。そうしたらその時はヒサオにする。ところでそのアトムは特別にお姫様抱っこもしてくれる。金属だと体に当たって痛いので、クッション材が金属部分からエアバックのように出てくる。それは自動車会社のノウハウを活かして作ってある。これはいっぱい作ろう。次世代の子供たちに負担を強いないために。

もちろん私は年取った母の介護に当たってくださる医師、介護福祉士、介護職員の人たちへ、常に尊敬と感謝の気持でいっぱいだ。だがしかし、構造的におかしいところ、無駄がある。それは年末になると道路の工事で、道を穴だらけにするやり方と同じ感じがする。あっちこっちに移動することで書類が作られ、どこかがお仕事したことになる。何も創造的でなくて、どこかその場限りの無駄だ。

介護ロボット≪アトム≫は第一号が我が家に導入され、2号はいずれ目黒区に寄贈となり介護職員の休日を増やすことになるだろう。

追記:ちなみにこの記事はエイプリルフールですから、お分かりですね。私の知人でやはり親の介護に携わっている方がこのロボットを購入したいと連絡がありました。もう名前を決めてあって、ウランちゃんだそうです。フフフ。 ちなみにこのブログでのエイプリルフールはカテゴリー≪4月の馬と鹿≫でお探しくださるとよろしいかと思います。

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