私があとりえ・チビッコのブログをはじめて4年半が経った。ブログを作ったばかりの頃に何気なく課題にした≪もう一人の自分≫が結構重要な意味があると気付いたのはネットを通してだった。
今回2009年版の≪もう一人の自分≫を子供たちに描かせた。ちなみにその2004年の10月25日の記事をここに載せたい。
色画用紙に自分を描き、その自分を切り抜いて、抜けた紙に、もう一人の自分を描くというのが今日の課題。怖い目とかわいい目の自分。昔と今の自分。夏と冬の自分。笑っているのと驚いている自分。派手な自分と地味な自分。ひげやかつらの付いた自分。いろいろな自分が描けました。智奈美ちゃんが描いたのは、「朝の自分と夜の自分」です。

今回、私は子供たちの作品を撮ったデジカメをウェブ上に載せるためにじっくりと作品を見ていうちに胸がいっぱいになった。子供たちの置かれている状況が読めてくるからだ。芳州先生は泣いている私にこう言った。
「もう一人の自分か、でもね、僕たちの子供のころは、周りの大人は子供たちの日常を何も気にしなかった。今は教育的な配慮や、社会も進んで余裕があるからね。いろいろ解明されていることもあるからね。君がやさしいいい先生だってことだよ。 」
この助言を私があえて言いたいわけでも、子供たちをことさら取り上げてその家庭環境を言いたいわけでもない。しかし、絵を通して言えることがいっぱいありそうなことはいつも確かだ。そして4年半前より私自身がいろいろ勉強できたことがあることがわかるのもちょっとうれしい。いや、うんとうれしい。




左からハルキ、ヒナタ、カホ、カノン。




左からケンタ、ケンタロウ、マナミ、モモカ。




左からリサ、ユイ、リホ、ショウキ。
こうして子供たちはもう一人の自分を描いた。犬や亀や金魚を飼っている自分、そしてたくさんのスポーツをしている自分、きれいなお洋服を着ている自分、月に行っている自分、自分で作ったテーマパークで遊んでいる自分。
先生に教えている自分、元気な自分、表彰台に乗っている自分。運動会でがんばっている自分。巨人軍でがんばっている自分。子供たちには未来の自分じゃなくて今の自分を描いてね、と言った。その言葉を聞いて子供たちが頭の中で考える時間を持ったことも大切なことだ。
そして、本当は子供たちの置かれている状況など話したいこともある。ただ、この記事を書きながら、子供たちが通っている横浜市の大綱小学校の標語を思い浮かべた≪気にしない、君がみんなとちがっても≫ 子供はいつも気にしないでマイペースだ。気にしすぎることこそ、おかしいんだ。そう戒めねばならない。ただ、指導するものはそれだけではダメな時もある、意識下の意識と言うか。深い配慮が必要のような気がする。

左は新しく入ったレイカちゃんだ。ショウキの妹だ。この課題が気に入ったのか、夢中で描くうちに、指で絵の具を付けて描き始めた。汚れることも気にせずに。 また、最近お兄ちゃんが集中しないでいたがお母さんに聞くと、自分の気になることがあると早く絵を描いて帰ろうとするそうだ。そこで、「がんばって描かないと、お絵描きをやめさすわよ」と言ったところ、「それは絶対いや」と言って、今回は集中できたのだと言う。レイカちゃんのペースに兄としての自覚が促されたという気もする。
ところで、最近は運動会を春にすることがほとんどのようになったようだ。私は昔4年生の時に腎臓病になり、半年近く学校を休んだのだが、その後の運動会は駆けたくても駆けられず、よく見学をしていた。ユイちゃんの絵を見てその時の気持ちを思い出してしまった。
2009年版の≪もう一人の自分≫は子どもの頃の心を思い出すような作品でした。
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