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2009年6月の記事

2009/06/29

バラの花を描く@2009

Barashoukiいつも自由に絵を描き始める、ショウキ君。「先生!花瓶は好きな色にして良い?」「いいとも!」

宙を見つめて自分で想像しているショウキ君。彼の表現の自由さはいつも、何かに捉われていない時が自由でいられる時だと気がついた。今日はお相撲も野球もレストランでのお食事もない日のようだ。ゆったりと絵を描いている。彼がこういう自由に時間を使える職業に就けるといいなと思った。兄弟、姉妹が協力して、イラスト会社を創る。「寿造形社」なんてね。ショウキが社長。妹のレイカも一緒にイラストレイター。そして二人の妹さんが営業。そして弟君が副社長。お父さんはショウキ専用のパイロット。お母さんは総務。他人の家庭なのに子供たちが多いので勝手に想像させていただきました。ごめんなさい。

Barareika 妹のレイカはバラの花をクレパスで一生懸命描いていた。それよりも絵具で塗りこめていくことが好き。もしかすると油絵的表現が好きなのかもしれない。自分の中に渦巻いている情念みたいなものを絵具で表せることに満足している。レイカが入ったことでお兄ちゃんを刺激し、二人の絵が相乗効果を増している。

Baraayano アヤノは今回私がいつも使っている、顔料のマーカーを使って彼女流の丁寧な表現でバラを描き、ゆったりとした静かな時間を楽しんだ。私が女子美で作った、重くてきれいな水色の花瓶をデフォルメして描いた。私が想像していたとおりアヤノに向いた課題だった。アヤノも三人姉妹なので両親の子供たちへの方向性がはっきりしている。

Baramomokaモモカはまだ花瓶とバラをレントゲン現象で描いていた。それでもいいけどこの絵の感じでは花瓶をしっかり描いた方がいいと思ったので手直しさせる。バラの花弁はこの間の粘土の時に一枚一枚重ねるようにと指導したのを絵でも同じようにしなさいと言い、子供たちに描かせたのだが 、モモカはそれを丁寧に描く。下の縞模様と上の平方の線とのバランスが良い。モモカは前からバランスを大切にする絵を描く。

Bararisaリサはマーカーを使いたいけどバラのピンクが1本だと言ったので、では先生のピンクが少し違う色の感じもするけど使って良いよと言って渡す。ドイツに行って写生するときに使う私専用のマーカーだ。今回ほかの子でも使わせたが、「大切に使ってね、高いんだから」と言った言葉をよく理解して描いていたと思う。きっとおうちで大切に物を使うことを教育している。バックの群青、黄色と描いてから、どうしようと、考えていたので、同じようにすると重くて苦しくなるから、点とかで軽くしてみたら、と促す。結果としていい感じに描けた。リサちゃんもいい子でがんばっている!

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2009/06/28

銀座のウィンドウディスプレイと私の小さな一言

自分の仕事以外の時間がアウトドアのために設定されているので、銀座や六本木のおしゃれな場所に行くことは少ない。華やかな都会にいる自分が願望としてないわけではないが、山の中に向かって車のアクセルを踏んでいる自分の方がしっくりする。

Ginza0906 今日は昔、夫が一緒に仕事をした出版社の写真部の友人たちの集まる会に出かけた。いつも集まると昔の失敗談が聞かれて面白い。お酒の勢いでいろいろしゃべる。笑顔が昔の顔になっている。Ginza09a_2 その会の前に一人で銀座を楽しんだ。昔女子美に行っていた大昔、ウィンドウディスプレィの勉強にと、銀座に行った。松屋の展覧会の会場係りのアルバイトもしていたが。本当はデイスプレイの仕事がしたかった。親の言うことを聞いていた従順な時代だった。

Ginza09c ルイ・ビトンのバックは昔一つ持っていた。シャネルの香水は2種類持っていた。ブランド信仰は私にはない。でもココシャネルの生き方が良いと、プードルにはココと名付けた。御木本パールのデイスプレイの中に造形のスズメバチがいた。川上村で山小屋の周りでぶんぶん飛んでいたスズメバチを思い出した。

そう言えば朝日新聞のbeエンタの≪人生の贈り物≫で作家の髙樹のぶ子がこう書いている。

「年甲斐ってほとんど意識していない。私この年になっても構わずジ-パンはいてるし、ミニスカートはいてるし。年齢による括りではなくて、その人の個性であり、好みであり、そういうもので。だからエイジレスの時代になっていったほうがいいんじゃないですか。」 

「健康寿命はあるけれど、男でもない、女でもないっていう状態って、私不自然だと思う。・・・・・・・・恋心であれ、ときめきであれ、自分は男である、女であるって意識することはすべての感性に通じるものなので、それを閉ざしちゃったら、すべての感動も自動的に閉じてくる。・・・・・・・・」

私もそう思って銀座を歩いていた。お食事をする場所の≪がんこ≫に行く前に教文堂に寄った。「介護セラピー」、「祈りセラピー」(サンパウロ)という本と、「ドイツの根底にあるもの」蓮見幸恵(新教出版社)を買う。Ginza09d まだ、「不干斎ハビアン」釈徹宗(新潮選書)が読みかけであるが、仏教とキリスト教、それとドイツは一緒に考えたい。

アジサイの花が綺麗だった。アジサイはドイツでもホテルの玄関にあった花だ。オランダではオタクサという。シーボルトの奥さん、おたくさんの名前から命名したという。

こうして今年の梅雨もアジサイとともに進んでいく。6月30日が暦では夏越の祓だ。大祓は、罪と汚れをはらい清める神事で、6月と12月の末日行われ、疫病よけの茅の輪くぐりなどの行事が行われる地方もあると、≪こよみのページ≫に書いてある。私たちがドイツに行っている間に母が転んで救急病院に入院したり、その後介護施設に入ったりして1年がたった。

Ginza09b 銀座のアジサイは並べ方が西洋的だった。帰りにもう一度見たいと思ったが、もう置いてなかった。細かな雨が降ってネオンがチリチリしていた。マイケルジャクソン死亡のニュースや、日本の政治の恥ずかしい状態がある。私は自分のブログのカテゴリーの中に政治経済の項目について、書いたことは少ないが、母の介護や教育について考えるとどうしても、この現状が続くことは避けなければいけないと感じている。

今年、ドイツに行っていて、もし日本の政治の状態が映るテレビをみていたら、恥ずかしくて、どうしようもなかったことだろう。というよりは取り上げもされないかしら。だから良いってことはない。typhoontyphoontyphoon今、私の言える小さな一言。私のカテゴリーにはないかもしれないが。世の中が変な方向に行くのが判ってきたなら、それは反対しなければならない。本当の政治をしてくれる人たちに委ねないといけないと思う。

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2009/06/25

乾杯の時間と2009年の夏至

Kawa0906kanpaiドイツの夏が思い出される今日この頃、川上で夏至を迎えた。昼と夜の長さが同じだった春分から3か月が過ぎて、昼が一番長い日が夏至だ。

ドイツに行かない分、思う存分川上村の山小屋の畑で農作業が出来るかと思っていたが、やはり空いた時間は母の介護の仕事が待っている。世田谷の老人保健施設に入っているので、若い介護士さんが身の回りを世話してくださるが、季節が変われば下着の替えも必要で気持ちが休まることはない。

そこでブログの更新もやる気が失せていた。それでも、私がいつも見ているブログの大先輩の記事の中に食事と掃除はグローバルなテーマ(言い方は違うかの知れないが、そういう意味にとらえた)と書いてあったので、書く気が少し出てきた。

川上で作った乾杯のおつまみは大したものではないが、新玉ねぎのステーキだ。ものは言いようで、フライパンに玉ねぎの輪切りを入れてオリーブオイルをたらして焼くだけ。それにビールで乾杯にした。奥に見えるのは赤カブ。今がちょうどいい育ち具合。ベランダで乾杯をして室内に戻る。気温は15度。

畑はルッコラが生い茂り、朝のサラダで堪能できる。イタリアンパセリは薹が立ってきた。大根はまだまだ成長が遅い。モロッコ菜豆は種が悪かったのか芽が出たのは4本。もしかすると山鳩に食べられたかもしれない。小松菜も密生している。あとりえの子供たちに分けてあげよう。迷惑かな? じゃがいもは前回芽を搔いたのですっきりしているが、これからの本格的な梅雨の気候で、蒸れが心配だ。そこで畑の周りの草刈りをしっかりした。ブルーベリーが花をつけていないことを花松園で聞くと、どうも、ミントの茂りすぎが原因のようで、アップルミントを雨に打たれながら取り除く。ミントやオレガノの傍の草刈は贅沢な仕事だ。いい香りの中でできる。

室内の片づけもした。私の相棒があまり片づけを積極的にはしないので、いつも「増殖する芳州ちゃん」と言いながら私が片付けまくっている。私も川上には昔読んだ漫画「あさりちゃん」を置いていたりする。今回自宅の方を整理して、「ブラックジャック」を持ってくるつもりなので、その場所を作った。すっきりした。

夏至という言葉が好きだ。小さい頃にいくら遊んでも遊んで居られた。夕闇になり母に呼ばれて帰ったあの頃。「惠子ちゃん、御飯よー」。 今まだその言葉は母に頼めば、言ってもらえる。

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2009/06/16

二人絵・コミュニケーション絵画を描く

今回、初めて子供たちに二人で描く、「二人絵」を描かせた。

始めにAちゃんもBちゃんも一つのマジックを持って線を描いていく。その線が交差してできる陣地(子供に分かりやすくそう教えた)を≪面≫というと伝えた。そして、3分ほどしてその線だけの絵を二人が交換して、できた面を塗る。つまりAちゃんが描いた線だけの絵をBちゃんが塗る。そしてBちゃんが描いた線だけの絵をAちゃんが塗る。

今まではこれと同じやり方で線も面も一人の子、Aちゃんだけで描いていた。今回は交換することで自分が描くのとはと違う構図になるので、子どもたちは少し緊張し、たくさん期待して、いつもと違うことに動揺して描き始めた。どの子もいつもの倍ぐらい楽しんで描いていた。不思議なことに大倉山より希望が丘の方が絵画的には美を感じるものが制作できたように感じた。それは私がこの≪二人絵≫を指導して二日目ということもあるかもしれないし、希望が丘のほうが長いこと通っている子が多いのと、少人数なので結束力があるかもしれない。そして子供たちは二人で描くことによる言葉や文字ではない絵によるコミュニケーションを楽しんだと思う。きっと心の中に友達から受取った線画を大切にしてきれいに表現しようとしたのだとも思う。

Hutarieharuki

HutariekentaHutariekentarouHutariemizuki_2左からハルキ、ケンタ、ケンタロウ、ミズキ。(大倉山教室)

Hutarierisa_2

Hutariekanon

Hutariekanon_2

Hutarieayano_2

左からリサのみ(大倉山)、カノン1、カノン2、アヤノ(希望が丘)

Hutariemomoko

Hutariereika

Hutarieshouki

Hutarieyui_2

左からモモコ、レイカ、ショウキ、ユイ(希望が丘)。

予想通りこれは画期的なことだと思う。これからは学校の授業にも≪二人絵≫として図画の授業に取り入れられる日があるのではないだろうか。もしかすると道徳の授業に取り入れられると良いかもしれない。子供たちが口から出す言葉でもなく、字を書いて文にするのでもなくて、絵でワイワイ仲よく、これはロボットみたいだねとか、お魚みたいね、とか笑いながらコミュニケーションがとれるならばとてもいい。でもその中に、友達を苦しめようとする気持も入り込む余地はあるかもしれないが。

12枚の作品の真ん中の2枚は希望が丘のカノンちゃんの作品だがカノンちゃんのママは福山雅治のファンでよくコンサートに行っている。カノンちゃんも一緒に行く時もあるそうだ。そのせいとは言えないが、何気に作品にセンスがある。そう言えばこの間の日曜日に、TOKYO FMのSUZUKI Talking FM では福山雅治さんがコンサートに来る親子のファンの方は入場料が大変で、申し訳ないとも有り難いともと言っていた。でもママが好きな音楽を聴きに行くのもいいし、そのママの張り切りぶりを見る子がいるのもいいと思う。パパはちょっと大変かな? このカノンちゃんの絵はCDのジャケットに使われないかなー。(ふふふ、さすが先生おばさん発言でした。)

こうしてこの≪二人絵≫は大変良い成果をもたらしました。相変わらず、私の児童美術への新しいチャレンジは学術的裏付けがないので迫力に乏しいが、長年培ってきた勘の冴はあるのでいつか、日の目を見ることもあるでしょう。どちらにしても日本や世界の子供たちが絵を通じて楽しいことができるといいなあと思っているKEICOCO先生なのです。大きいこと言いすぎですね。まあ少なくとも、大倉山と八ツ橋幼稚園の両教室の子供たちが楽しい絵が描けるといいなあと思っているのです!

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2009/06/09

小鹿のバンビとアリの歓迎

090608d6月の緑は何物にも代えられない美しさがある。葉の色と空気の緊張感が生まれたばかりの小鳥たちのさえずりを金色の音符に変えてしまう。

その中で私は畑の土を耕し、ジャガイモの芽掻きをし、黒い土を盛り上げ、収穫の日の料理の味を思いながら、うっとりと自然と一体化していた。

そして今回はじめて川上へ来た友人が畑の脇にいた鹿を発見した。私たちがいる場所から8メートルほどの所に小鹿を見つけた。未だかつてなかったことだった。小鹿は1分くらいの時間動かずにいた。痩せた小鹿だった。090607a

090607c

パエリヤと鶏肉、レバーの燻製が今回のおもてなしだった。あっ、塩を忘れた、なんてことはなかった。その夜のデイナーをみんなで食べているときに天井からアリが落ちてきた。始めは1,2匹と思っていたら、足もとに結構いて、お客様も一緒にアリの巣探検!そのうち、アリキンチョールを玄関の壁の穴にシュー!

芳州さんも「こうなったら外に出てやる鹿ない!?」と言って懐中電灯とアリキンチョールを銃のように持って夜の闇に出て行った。待つこと10分、サンダース軍曹は戻ってきた。その後、アリは数えるほどに減った。やーほっとした。

アリと鹿で小学校時代に見た映画を思い出す。一つは以前もブログの中で書いたが「小鹿物語」。もう一つは題名が思い出せないが、ボートに乗っている人がアリで真っ黒になるのだったが。思い出したらまた書きます。≪6月9日記:黒い絨毯でした≫川上ではそんなことはありえないけれど。

090608b

6月の風は爽やかだけれど、梅雨の前後のアリの登場がよくある。それにしても初めて川上にきた友人は鹿とアリの訪問を受けたわけだ。私たちはそのあくる日、友人たちを清里まで送り、戻ってきて野辺山のビックリ市で南高梅を買い、所定の約束どうり漬けてみた。きれいな黄色い色だった。ちなみに我が家のベランダの日除けも黄色。テント用のフライシートを使っている。黄色は紫と同じくらい私の好きな色。

≪6月9日記≫昨夜川上から4時間かけて戻りこの記事を更新していたので、疲れと眠気で誤字が多く失礼しました。そう、ブログって時々、なぜこんなこと書いているんだろうと思うこともある。この時間早く眠って疲れをとればいいのに、パソコンに向かってしまう。その答えは分かっているけれど、今、うまく言えない。

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2009/06/08

観葉植物を描く

私は室内の中に緑を多く取り入れて暮らすのが好きだ。手入れはあまり良くないがベランダにも植物を育てている。食用になるルッコラも、赤い花が咲くゼラニウムも、カボックもある。子供たちに描かせた植物は近くの園芸店・ヨネヤマプランテーションで揃えた。今回は予定では大きな葉の観葉植物にするつもりだった。ところが、スケッチブックに描くため大きい葉は子供たちが困りそうなので小さい葉の植物にした。

Shoayano

Shomanami

Shomomoko

左からアヤノ、マナミ、モモコ。

絵画教室だからモチーフをしっかり観察して、丁寧に描写することも大切だけれど、グリーンのある暮らしが大切という、生活を楽しむライフスタイルを教えることも重要だと思っている。それぞれの家庭でも実行していると思うが。

Shoriho

Shorisa

Shoshouki

左からリホ、リサ、ショウキ。

アヤノちゃんは丁寧に写生したが、ショウキは植物の茎の曲がりに沿って着色してハートが出来上がった。

マナミ、リサは籠が気に入って描いた。モモコは描いているうちに何となくハワイっぽくなった。小さい時からの経験がなんとなく絵に出てくる。ハワイに家族でよく行っていたからだ。大倉山の子たちは絵を描き終わると外の原っぱで団子虫を捕まえに行った。希望が丘の子は絵が描き終わると、日がまだ燦々と差し込む廊下でボール遊びをしていた。学校がしばしの間落ち着く時期だ。成績とは関係ないゆったりとした制作の時間が子供の心を育てている。

次回のあとりえもいつもと違う楽しいことをする。子供たちに説明すると、聞いているうちに意欲が出てくる子も何人かいた。それを一週間、待つ。待つというのは結構大切な時間だ。パンだって、お酒だって干し柿だって、美味しくなる。

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2009/06/01

谷川俊太郎の詩・いろはにほへと・を描く

TanigawakanonTanigawakentaTanigawakentarou

              

             

谷川俊太郎の詩、「いろはにほへと」を私が読み、それを描かせた。作品は左からカノン、ケンタ、ケンタロウ。

いたいくりのいが  ろぼっとがころんだ  はくしょんくしゃみ  にじにさわりたい  ほろあなくらい  へたでもへいき  ときどきおねしょ  ちきゅうもおほしさま  りっぱなうんこ・・・・・・・・・・

ここから先はどうも著作権にかかわるといけないので、消します。あとは詩集を買って読んでね。 

この3人の作品はアイデアがほかの子と少し違った視点から出発しているので選択した。そして全体の絵としてまとまっている。カノンのテーブルの上のものはハンバークかと思っていたが下手でも平気な絵のようでもある。 ロボットが転んだは描いた子もいたが、くしゃみや眠らない目玉焼きを描いた子はいなかった。カノンはどちらかというと、細かい表現が多く、それが今まではうまく描けなかったので面白みに欠けたのだが、このごろほかの子との視点の違いがはっきり出てきたようだ。

ケンタはたんぼにかかしだけを描いたのだが全体として樹木が大きな位置をしめて夢でも見ているような絵になっている。大きくクリックしてみると筆のタッチの至らなさが見えもするが、絵として面白い。アクリル絵の具でキャンバスにこのレイアウトで描いたらいい絵になると思う。夏休みにもう一度描いてみようか。健太!

ケンタロウはかかしが表情を出し、またロボットも動きを出していて、こういう絵は得意だ。

ほかの子も面白く描いたがこの3人は特に自立した感じがあったので取り上げてみた。ひいきはしていないがこういう表現になるとどうしても自分を持っている子の方が強い絵を描く。谷川俊太郎さんの詩を読んで絵を描くのは「あとりえ・チビッコ」が昔からしていることだ。よく≪うんこ≫ が出てくる。子供たちはやはり絵を描きながら言っていた。「描けるけど描いちゃいけないよね、何だか嫌だよね、お母さんに怒られちゃうよね」 などなど!

そういえば今から18年前ころに公則くんが来ていたが、彼はどうしているだろう。谷川俊太郎の「えをかく」を展覧会で描いて、すばらしい作品だった。 谷川俊太郎は創作の感性、特に子供たちの感性を刺激する詩を書く人だと、私は思っている      

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