2009年8月の記事
2009/08/30
2009/08/29
小さなハートのある暮らし・Ⅲ
今回は希望が丘を先に指導したので、若干不慣れな感じがあった。それも新鮮と言えなくもない 。とにかくペンキとペンとインクとアクリル絵の具とを使って指導したので、子供たちも私も大変だった。
ショウキの赤い額と赤い絵はそれでいてドキッとさせる強さがある。
みんなのハートは今年の夏、元気に描けました。ハートを大切にしよう。ところでユイちゃんは夏の旅行のためあとりえは欠席でした。また時間を工夫して描いてもらいましょう。
今、大切なことがプライベートでも、公共なところでも粛々と進み、決まっている。誰もが幸せになってほしい。変化したのが最善の選択だったとわかるのは、その後のマニフェストの実行であり、良質の人生だからだ。
小さなハートのある暮らし・Ⅱ
どの作品もその子の性格を表している。言い切ることはレッテルを張ることになると言えるが、レッテルを一時的にも貼らなければ、欠点も、長所も分からずに進むことになる。
だから、時には、仕事が遅いとか、塗り方が雑とかいうことで、子供たちの自尊心を傷つけることがあるかもしれない。でもほとんどの子は私が言うことを分かってくれる。先生は意地悪で言ってるんじゃないと。そのいい例がハルキだ。私が怒って注意したことを分かってくれた。あれで辞められたら、ほんとに先に進められなかった。悪ガキだけど素直だってことね! 今度、君の念願の≪ムカデ事件≫ たっぷりと話してあげる。
子供たちは夏休み後半を楽しく絵を描いた。
私もこの2009年の夏は忘れられない夏になるのだろう。
小さなハートのある暮らし・Ⅰ
2009/08/24
期日前投票は「YES I CAN!」の精神で!
投票日当日に用事があって行けないので、今日期日前投票のために港北区役所に行った。私が7年位前に行ったときと同じ場所がその投票の設置場所だった。12時ちょうどのお昼時だったが、かなりの人がその部屋に来ていた。結構若い人もいたので、何だか私はうれしくなった。今まで政治がマンネリ化して機能的にも現実的にも面白くなかったがこれからは面白くなると感じた。実際、介護のことや保険のことで行き詰ることも多く、母の思いどうりにしてあげられないことにいらだちを感じているから、今日の一票はもしかすると生かして使えるかと感じた。でも世の中の趨勢が一つのことに集中することを生まれつき疑問に思う性格のKEICOCOだからちょっとだけフェイントをかけて投票をした。
オバマさんが「イエス、ウイ、キャン!」(YES WE CAN!)と言ったけど今日私はそれをもじって「イエス、アイ キャン!」(YES I CAN!)と思いました。みんな自分がこの一票をどうともできるのだからね!
今日、私がもうひとつうれしい電話をもらった時にも「YES I CAN」だなと思った。
それなのに、麻生さんは「金のない若者は結婚するなって!」おいおい!このレデイにこんな乱暴な言葉を出させるの!もっと言いたいことがあるけど、日頃、人を批判する言葉を持たない深窓の令嬢、時代がすすんで深窓の老嬢、(自分で言ってどうするの!)今日はここまでですよ。
無駄なことに税金を使うような政治や形式だけの役所仕事の政治で世の中が回っていくことはもう終わりにしたい、それを知っているのは子を育てている母親たちかも知れない。私も昔は金のない若者の一人だったけどやりくりして、夫と一緒に働いて二人の娘を育てた。母親として美味しいオムライスを作る平和な社会にしていきたい。という気持ちを大切にしたい。
2009/08/21
紫蘇ジュースの作り方を教わる
昨日、一昨日と2日間にわたったあとりえを集中的にしたため、少し疲れていた。そこで今日は美容院に行って髪をマニキュアし、お昼は我慢してプチ断食にしようと思った。けれど!大倉山商店街の中華料理「味の一番」の前を通ると、昔子供たちがいた頃、よく出前をとったことを思い出してフラッとお店のガラス戸をあけてしまった。
昔よく来てくれたお兄さんが店を取り仕切っていた。と言っても時間が2時少し前だったので、誰もいなかった。もう休憩時間ぽかったのだけど、お兄さんはお願いした五目そばを作ってくれた。
食べ始めたら、店の主人である、おじさんが出てきた。確か長野出身と聞いていたが、高遠の桜や、梅干しの話になり、この横浜の暑さが叶わないとも言って、店の奥に入っていった。カウンターで何かごそごそっとしていると思ったら、紫蘇のジュースを作ってくれた。飲んでみるとすごくさっぱりとして美味しい。
作り方は紫蘇が出回っているときに一束を葉だけしごいて取り。一升ぐらいの水で煮て、あとでその中に氷砂糖を好みで入れるそうだ。ビンに入った原液は甘く美味しく、ソーダで割った紫蘇ジュースも爽やかで健康的だった。私も作りたいと思ったが今年は時期的に無理だろう。
ブログを見ている皆さんにも教えたくなったので携帯で写真を撮った。シャイなオジサンはこのブログを見たといったら紫蘇ジュース御馳走してくれるかもしれない。横浜150のメニューがあったので、夏休みの大倉山商店街のねらい目かもしれない。
2009/08/17
2009年はクワガタが多い夏だった
左の写真は角の具合からするとアカクワガタムシだと思う。右はコクワガタとカミキリムシだ。連日一匹づつベランダの照明に引き寄せられて計4匹も集まった。毎年だと雄雌1匹ずつくらいしか採れない。クワガタには果物のプラムもあげてあったが、もう無くなったので、今はブドウだけを入れてある。
今日は8月17日だから立秋を過ぎて10日経ったわけだ。もうここ、八ヶ岳山麓ではシラカバの葉が黄色くなりかかって時々風で落ちると何枚かが同時に、カサカサという音になり、「動物か!」と身構える。明後日があとりえの夏の教室なので子供たちにこの虫をあげたい。その気持ちでずっといたのだが、今日夕焼け空を窓越しに見て、ふと虫籠を見ると大きい方のアカクワガタが私と同じように夕焼け空を姿勢を正して見ていた。八ヶ岳に沈む夕日を見ているのだ。多分大きい方は明日の朝放してあげよう。。
昼間にはハーブのミントとオレガノにはマダラチョウとツマキチョウとクジャクチョウが飛び交っている。見ていると空中で好き!とささやいている。うまく撮りたいとシャッターを押すのだけれどなかなかうまく撮れない。今年は雨がよく降ったので、虫も少ないと感じていたが急に太陽が強く照るとどこからか、湧き出てくるらしい。林間にはアサギマダラが女王様のように羽を優雅に上下させてやって来る。クロアゲハも、その羽根の中の燐ぷんをぎらつかせて、全身がサングラスの俳優のようだ。
家のすぐそばに植えたクマイチゴが今年一応まともに実った。お散歩に出かける前に一粒づつ食べている。甘酸っぱい。
また今年は梅がたくさん花が咲いたのでさぞやたくさん実が生るかと、期待したのに、実った梅は15粒ほどだった。確かに花の受粉を助ける蜂が少ないと感じていたのだが。またスズメバチが全く少ない。このままで終わるのかしら。とりあえず、熟した梅と桃でミックスジャムを作った。
そう言えば、子ども電話相談はもう終わったかしら。私は車の中で、質問する子供の声を聞くのが好きだ。先生たちの回答の出し方も、面白い時とつまらない時があるのだが。私はいつも相談に答える先生が最後に一言、
「自然界は私たちには分からないことだらけです。だから、先生がこう答えても、君たちが大きくなって研究して新しい発見をするかもしれない。だから、ずっと勉強してね、いつか先生に教えてくれる時が来るかもしれないですよ」って、言ったら子供たちはやる気が出てくるんじゃないかと思っている。
2009/08/14
八ヶ岳高原ロッジのキッズプレート
夏休みが来て、家族がこの川上の山小屋に集まった。11日夜には霧が濃かったけれど12日朝には霧が晴れて久しぶりの夏らしさになり、私にはうれしかった。
いつも山小屋では仕事気分が多いため、自分で作って食事にしているが、夏の一日ぐらいはホテルのランチを食べようと、野辺山高原にある八ヶ岳高原ロッジに行った。トモクンはハンバーグやコロッケなどのいわゆるお子様ランチは好きでない。外に出かけると、冷たいざるそばを注文する様な子だ。今回のキッズプレートは大人のランチメニューから推察して、とても美味しそうなので残さず食べた。
私も鯛のカルパッチョもステーキも美味しくて元気モリモリになった。最後のデザートのケーキは木苺のソースが高原風だった。
サービスの仕方もさりげなく車とは言え急坂を登って来た甲斐があるというものだった。
親は姉妹が仲良くしてほしいと思う。若い夫婦も仲良くやってほしいと思う。そんなことを晴れていく霧をじっと見ながら考えて本当の極上のスイーツをいただいた至福の時間だった。
2009/08/04
「人生に乾杯!」 KONYEC を観て
父は映画が好きな人だった。幼稚園の頃,連れて行ってもらった映画館では、リンゴを手で割ってくれたし、アイスクリーム(スマックという四角いアイス)を誰よりも早く売り子に声をかけて買ってくれた。父は映画館のヒーロー!私も映画が好きだ。そこがすごく父に似ている。これからの人生は映画をたくさん観ることにしようと思っている。
この間のお盆に父とご先祖の墓の前でそのことをお願いしてきた。これは私のBucket risut(棺桶リスト)だからだ。こんなことを言うのも、7月29日の早朝、豊田の仕事仲間のYさんが亡くなった。確か60才ぐらいだ。結婚をしていなかったから、うるさい奥さんもいなかったのだけれど、うるさい奥さんがいればそんなに早く天国には召されない。うるさい奥さんのいない未婚の男たちが心配だ。ところで、やさしい奥さんKeicocoは終身雇用。ある見方では怖カワとも言われているが。
ところで、この「人生に乾杯!」はハンガリーの映画だ。上映期間が迫っていそうだったが、どうしても映画館で観たかった。ビデオでも観れたが、やはり映画館の方が良かったと思う。だいたい、強盗をして、逃走するときたら、ビデオじゃなくて映画館でしょ。あらすじを聞いても、観れば余韻の残る映画だ。あらすじは少しだけ紹介しよう。
電気代も払えず、借金とりが来て、奥さんのヘデイはイヤリングを差し出してしまう。夫のエミルはたくさんの蔵書と愛車は渡さなかったが。そしてついにエミルは意を決して銀行強盗を実行に移す。あらゆる場面で幸運がある。それは長い年月の阿吽の呼吸で生き抜いてきた二人だから。またこの夫婦を追跡するにいたった警官カップルも、その愛の形をうまく伝えられないでいる。その4人の織りなす愛の形が見終わると、あぶり出される。
「人生に乾杯!」をほとんどの人は年金生活者の反抗の潔さと言っている。でも私は見終わっての余韻は違う。年金ではない。「誰にも、どんなに年取った老夫婦でも、若い恋の時はあった。思い出してほしい。あの金色に輝いていた、森の小道を二人で歩いていたあの時を。」「そして何かを二人が我慢をして行けば、最後まで添い遂げることができる」「若い二人よ!勇気を出して進め!難関を越えろ!」と言っているように感じた。
最後の展開が希望に満ちたものであるからそういうことも言えるのだ。絶対見ると良い!❤がほっこりとするし、❤がじんわりする。見終わるとがニッコリしてくる。そして映画はいつだって人生の示唆がある。
「人生に乾杯!」公式サイトはココ
2009/08/01
つかの間の太陽の有り難さ
しばらくの間、あとりえは夏休みです。頻繁に山小屋と都会を行き来している。普通ならばのんびりまったりな、別荘生活かもしれないが、自然に囲まれた中で自給自足を目指し、なるべくつましく、それでいて心豊かに暮らしたい。
朝食のパンとコーヒーとサラダの食事も昼食の蕎麦も、夕食の天麩羅も、誰かが作らねば生活の糧は得られない。そして、それを自分が望んで選んだことだ。だから今日だって、朝から休む間もなく働いている。
だが天気次第で仕事はしなければならない。横浜から持ってきた毛布やケットの類を干したいのに昨日もおとといも雨だった。今日は朝は曇りだったが、朝食後に晴れ間が出てきたので、それっとばかり、梅干しを干し、毛布を干した。いや、毛布を先に干し、梅干しを後から干したと言いなおさないと不潔な感じがする。シラカバが影を作るので、太陽に従ってざるを動かす。
そして私は麦わら帽をかぶって、畑に出る。北明かりとメークイーンのジャガイモを掘り起こした。5月の連休にトモクンと一緒に土に埋めた種イモは小芋を増やし、スーパーで売っているジャガイモほどになっていた。2キロずつ買った種イモが5倍になれば正しい育て方と言えるのだが、多分10キロは採れていると思う。ところが今年はネズミの害が酷い。今回ももう少しの間、地面に入れて置きたかったが、成長する分と齧られている分がマイナスの放物線を描いているようで、半月は早く取り入れることにした。メークイーンは小さめだ。バケツに入れて畑から運ぶうち、汗が目に入って沁みる。腰を痛めないように、足首の痛みもかばいながら坂を登る。
お昼はカップ麺、寿司ご飯の小さな海苔巻。一休みして村のスーパーにお買いものに行く。友人のお誕生日のプレゼントに黒沢酒造のマルトを送る。レジに並ぶうちに外が怪しい暗さ。また夕立ちだ。
家に戻って、晴耕雨読ならぬ、晴耕雨工作。夏休みの工作の下準備だ。のこぎりでタモ集製材を切る。なるべく既製のものでない工作の材料や部品を作って、教えていきたいからだ。
夕食の支度をしながら外を見ると雨がやみ、夕焼けが出ていた。明日も晴れるといいな。明日は肥料をすき込む。草刈もしなければ。雨が降ったら、工作の準備の続きだ。マンションと違って釘の音ものこぎりの音も気を使わずにできる。
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