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2009/10/11

金木犀とシクラメンと沈丁花のかおり

2 10月上旬から、金木犀が甘くかぐわしく咲いている。かつて、わが娘たちと金木犀の木の下でオレンジ色の絨毯のようになった花柄を集めて香水を作ろうと色水遊びをした。希望が丘に住んでいた時のことだ。3歳の次女はその時に金木犀を触った手で目を掻き、眼の中の角膜が腫れて、魚の目のようになってしまった。香水を作ると言いはじめたのは、母親である私が考えたことだと思う。

私はその目にびっくりして慌てて、とりあえず実家の近くの眼科の先生のところに行った。夫が運転する車の中、碑文谷の環七の交差点でこわごわと、彼女の目を見たことを今でも思い出す。休日にもかかわらず見て下さった先生が眼を洗浄し、薬を塗って、その日のうちに治った。

これだけ年月がたっても、毎年金木犀が香るとあの日のことを思い出す。

もうひとつ金木犀の香りをかぐと思い出すことがある。それは私自身のどんな年になっても思い出す記憶になるのだと思う。私たちの結婚式は11月半ばだった。そこでその年の10月初めの金木犀は結婚する前の甘い、切ない心模様を思い出すからだ。結婚までのあと2か月もない時期を一緒にいたいと思う、そんな気持ちが金木犀の匂いに象徴されている。人を心から愛した人だったらわかることだと思う。どうもこの世にはそれをわかっている人は少なそうだから、ここで私が言うことはちょっとためらわれる。しかし、もう言い始めてしまった。これを言ったからといって世の中がどうなるということでもないが、金木犀の匂いに促されて言いたくなったことは確かだ。

我が家ではその金木犀の事件が起きる2年ほど前に「シクラメンのかおり」事件がある。布施明の「シクラメンのかおり」が流行っていたころだ。シクラメンは私にはどんな匂いか分からない。匂いはない気がする。

そのシクラメンの匂いは歌詞としての思い出になった。それは夫と喧嘩をした日の思い出だ。私に喧嘩の履歴があるとすると、そのほとんどが私の性格に起因することが約40年たってわかってきた。私の理想的な気持ちが高揚して、相手が違うと感じると拒否反応として喧嘩が起きる。夫だけでなく、友人たちとの軋轢もそうだった。相手はもしかするとたまったものではないのだろうけれど。それを理解してくれる人が長続きしている。人数は少ない。

「シクラメンのかおり」事件の原因は何だったかは忘れた。30年も前だからね。でも、小さなリビングの小さな黒板に次女の粉ミルクの調合の仕方を書いて、お財布を持って家を出た。そして、希望が丘駅近くのスナックで、その頃流行っていたコークハイを何倍も飲み、生まれて初めてジュークボックス、これも流行っていた言葉だが、お金を入れて、「シクラメンのかおり」を聞いた。それでフラフラになって家に帰った。その途中には、電車の線路のわきにその後のあの金木犀事件の木もあった。蛙がゲロゲロ鳴いていた。夜になると相鉄線の踏切の信号が鳴って、狭いながらも楽しい我が家だった。若い頃たくさん喧嘩をしたけどほとんどわたしが仕掛けた喧嘩だった。

ところで秋の金木犀に対して春の沈丁花も匂いの強い花だ。じつは沈丁花にもちょっとした思い出がある。もっとずっと昔、中学生の頃、つまりはトキワ松学園中学校にいた頃、お友だちと沈丁花を<ジンチョウゲ>と呼ぶか、<チンチョウゲ>と呼ぶかで、賭けようということになった。当時学校に来ていた、五本木ベーカリーのハムカツパン1個を賭けた。皆で図書室に行って調べたら主に書いてあるのがジンチョウゲということで私が勝って、ハムカツパンを貰った記憶がある。他愛もないことだけど、自由な風潮の学校であった。それよりも旺盛な食欲の時代だったと言いなおしたほうがいいかもしれないが。母の作ってくれたお弁当を平らげてのハムカツパンだ。

私のお気に入りに入れている<暦のページ>には金木犀は10月10日の誕生花とある。そういえばこの間、次女といっしょに歩いていると金木犀が匂い始めていた。しきりと目が痒いと言っていた。わたしもこの時期にはよく眼が痒くなる。

そして私には花や木に関する記憶や、思い出がたくさんある。それが私の環境だったかとも思う。

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