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2009年11月の記事

2009/11/28

リンゴの断面のデザイン

子どもたちにリンゴの断面を描かす。デザインの初歩的なやり方を子どもたちに教える。もう2、30年前からしている方法だが、今回も子供たちは、そのやり方に感動していた。それはカーボン紙とトレッシングペーパーを使う、パソコンで印刷やレイアウトもできる今となっては原始的な方法だ。だが同じ形を書いたあとで、ずらしたり、動きや方向性を出せるので、小学生が自分の力で作り上げていくことができる。

Ringo_d_hinata 左はヒナタ。彼女は色彩の塗る順序を決めて描いていた。サッカーも好き、絵も好きな子だ。

バランスも色彩感覚もいいと私は感じている。

隣のナミの描ききれないところを手伝ったら「ウーン」大きな目を鋭くこちらに向けた。そうだよね、妹や弟って妙に可愛がられてるんだよね。ごめんごめん。今度はチョっとヒナタのを手伝おうか?そんなことを言ううちに良い絵がかけました。

Ringo_d_kanon 右はカノン。やはりサッカーと勉強が好きな子だ。描き終わってからよく見たら、テントウムシのようになった。西洋ナシがギターのようになっていて、動きを感じる。この二人は絵以外の生活が、作品に反映されている。情操教育はこうして1つのことだけでなく、2つや3つの要素が重なって出てくるのだと思う。

Ringo_d_kentarou 左はケンタロウ。形を詳細に積み上げてみた。カーボンを動かさないで描くのは結構集中して取りかからないと難しいが、それなりに描き上げて行った。

学校での図工で、彼が描いた絵を以前通っていたハナカちゃんと合作で描いた絵が選ばれ下敷きに作られたという。

何か、私の提唱した二人絵にも通ずるものがあるようで、学校もがんばっているのですね。

Ringo_d_manami

右はマナミちゃん、子供たちはこうした絵の場合に装飾的になる。それをできるだけ抑えて描かした。一つの青リンゴをあそこで止めたが、あの感覚はわからないのだろう。私も、それを子どもにうまく伝えられない。

この作品を選んだ私の感覚が絶対というわけではないから、これから先のデザイン感覚の芽を摘んではいけないと思う。今言えるのは子ども自身が信じて選び、考えているところまでやりつくしていることが大切だ。だから、中途半端だと、もう少し、もう少しと言って叱咤激励するだけだ。児童美術教育のチーゼックも教室でそうしたように。

Ringo_d_momoko

左はモモコ。洋ナシとリンゴを美しい感覚で置いた。赤を効果的にも使っている。

この日は機嫌が良い日だった。子どもたちもいろいろな日もある。私だって、聖人君子ではないから、いろいろな日がある。

子どもが絵を描きながら、泣き出すこともある。それを何かと言い当てながら、泣いている子をぷっと噴出させることもある。それを言いながら、自分の小さいときの心を呼び起こしてしまうこともある。帰りの車の中で考えることもある。そういう日には音楽だけが流れる局を探すこともある。そして、思い当たることを考えたときに、「あの隣に座っていたアヤノちゃんはなんて優しいんだろうと思う。」にっこり笑いながら綺麗なハンカチを渡していた。私は工作用に持って行っていた、キッチンペーパーを出して子どもたちを笑わしたっけ。ねーモモちゃん、こういう日はいつかきらきらと輝くんだよ!

Ringo_d_risa 左はリサ。レイアウトの仕方も塗り方も筆圧も強い。声も大きい。元気いっぱい。結局その性格が絵に出ている。今回の予測通りではあった。

今回の作品では、子供たちに流行っているシールの世界が反映しているようで、デコラティブな表現が多かった。ここに取り上げたのはそうではないほうの作品と言える。

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2009/11/17

今年初めての雪と語学堪能な弟と日本辺境論

ブログネタ: あなたに“きょうだい”はいる?参加数

Kawa_b_yuki 今年初めての雪が降り始めた。こんなこともあろうかとチェーンは持ってきたが、スタットレスタイヤにしていないので、芳州さんは新しく買ったチェーンの説明書を読み、タイヤに巻きはじめている。

一昨日の夜ここ川上に来たが、今回初めて私の弟を呼んだ。今まで会社人間であったのと、海外での仕事が多く留守がちで、誘っていなかったからだ。英語が堪能であり、中国語、韓国語が苦もなく話せるようで、その他のイタリア、フランス、ドイツ語、フィンランド語も話せる。同じ姉弟で弟はこのように語学力が付き、私はほとんど駄目である。残念だが環境によるのだろう。

高校、大学で国際関係のクラブに属し、出版社の国際部勤務を長年続け、ただ単に一出版社の業務を続けるというよりは海外のいろいろな立場の人たちとの交流を大切にしている。海外での友人がたくさんいる。

Kawa_h_hana

パンとサラダ、コーヒーの朝食を食べ、湖までの散歩を2時間近くすると、もうお昼の時間になった。一昨日の夜は清里のロックで弟からカレーやアラカルトの御馳走になったので、今度は八ヶ岳高原ロッジに行った。私はいつも言うのだが自然がたくさんある場所で食事をするのが最高の贅沢だと思っている。ここのレストランでは大きな備前焼の壺に一見無造作に木や花をダイナミックに生けている。それを見ながら川上村の方の山々を見ながらおしゃべりをするのも楽しい時間だ。

会話は話題も大切だが、そこにいる人たちとの間にある、信頼感が大切だ。少しずつ育っていく信頼感、またこの人が語る友人たち、知人たちへの尊敬や愛を一緒に感じるのも、人生に膨らみができて嬉しい。

Kawa_h_tak

ところで弟はNOKIAのデジカメと携帯電話が一緒になったツールを使っている。海外からの電話もよく来て、大きな声で話す。まあ、声の大きな声の人には悪い人はいないと言うが、結構声が大きい。弟が語学堪能になるきっかけとなった出来事がある、それは弟の弱みを私が握っているということになるのだが、もうこれほど実力が付いたのならば一つのエピソードとして話してもいいのではないかと思う。かつて弟は麻布中学に通っていたが、中二の保護者面談から帰ってきた母が私に言った、英語がひどく悪い成績で、(確か30点ぐらいだった)どうしようかという。その当時私は海外文通をしていたので、それを弟にも勧めた。

そこで弟はフィンランドのタル・ラフテイネンちゃんと文通を始めそれはかなり長い期間続いた。フィンランドにも行き、サンタクロースの故郷にも行った。その期間に私は結婚し、娘の名前にはフィンランド語のすおみ(国の名前)と、あいか(フィン語の時間という意味)と名付けた。だから弟は娘たちのゴッドファーザーになる。結局、弟は海外文通を通して窮地を乗り切った。

こうして久しぶりに姉弟の旧交を交えるということで、そのことを思い出したが、私には昨日のことのような記憶ではある。母も山小屋ができた当時ここに一度来たが、もう来ることはできない。姉弟で楽しく、仲良くすることが親にとっての願いであろうから、戻ったら今日のことを話してあげよう。

ところで畑は何者かに大根の葉を食べられていた。ルッコラは残っていた。柵を点検したが2か所網の下側がめくれていた、ペグ状の杭を打っておけばよかった、もしかするとウサピョンかもしれない。湖の近くの草はらにたくさんのフンがあったからだ。さて11月17日、午前11時現在積雪7センチ。

私はこちらに来る前に買った、内田樹の「日本辺境論」を読み始めている。16日に売り出され、学芸大学駅前の恭文堂で段ボールから出してもらった。出来たての内田樹だ。昨夜、弟が韓国に行こうと誘うのをどうも私たちが「うん、連れてって」と言えないのは何故かの意味がこれを読むと解けそうなのでがんばって読もう。現在78ページ! 思いのほか読みやすいぞ。

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2009/11/15

体験画@リンゴの皮を剥く

リンゴの皮を剥くことを体験させて絵を描かせた。手の消毒、リンゴの持ち方、ナイフの進ませ方、何故手を切りそうになるか、くるくると剥けるのは大人になって親指が長いからなどの話をしながら進める。南ドイツのオーバーアマガウで買った木のリンゴを使って両手の動きを教える。剥いてから食べても、そのままにしておうちで食べても、自由にした。

Ringokiri_kenta 左はケンタ。

ケンタは入ってくるなり、「先生、リンゴって100円とかして高いでしょ、どうして皆に一個ずつくれたりするの?」と聞く。「それはね、みんなに御馳走して太らせて食べちゃうからだよー! ガブッ!」とは言いません。「先生がお絵描き教えるのもあと、10年はしないと思うから、できるだけ今、あとりえに来ている子にいろいろなことをしてあげたいのよ。」まで言った。

そのあとに「君たちが早く親から自立して自分で生きていけるようにしてあげたいから。そのためには先生が教材費を節約することはしなくてもいいと考えている。」という言葉を言うチャンスがなかった。子供たちの手の動きが心配で、ナイフで手を切るといけなかったからだ。ケンタは良い質問をしてくれた。

Ringokiri_kentarou 左はケンタロウ。

それからどこの国かは知らないが、お腹がすくと悪魔が潜むという西洋の諺がある。子供たちはリンゴを食べてお腹がいっぱいになり、幸せそうに絵を描いた。

体験を頭で構築するのは男子が上手に感じた。というよりか、経験を絵に置き換える作業は客観性が求められて、どちらかといえば装飾を好む女子には頭を切り替えにくいのかとも感じた。

大人になってリンゴの皮を剥けるようになった時、この日を思い出すだろうか。この課題を一番したかった、ヒナタとナミ姉妹は体調不良で休みだった。後日また時間を作りたい。また連絡します。

Ringokiri_momoka

Ringokiri_reikaRingokiri_riho               

            

上はモモカ、レイカ、リホ。

Ringokiri_haruki

Ringokiri_ayano

Ringokiri_kanon                            

             

上はハルキ、アヤノ、カノン。

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2009/11/09

どちらが本物の葉ですか@落ち葉を作る

Otiba_003 左の写真の上下の葉はどちらが本物ですか?

という冗談はさておいて、子供たちに落ち葉を描かせた。紅葉しているものもくすんで茶色くなったものもある。最近私が気に入っているドイツで買った色がみをつかった。2枚のタイサン木の葉は上がケンタロウの描いたものだ。

またタント(株式会社トーヨー)という黄色系、赤系の12色の色がみも使った。それらの中から子供たちは選んで使った。つまり私は駄菓子屋さんのおばちゃんになって、「はい、ミズキチャンはこの中で7枚選ぶとするとどれがいい? そーっととってねー。」

こうした作品の時に描写力と色がみのデザイン的な処理の仕方のセンスを評価している。それは造形的な表現だけでなく、物作りの姿勢というか、全体の構成力が効いてくる。その子の本来持っている能力でもある。

Otiba_ayano 過大に評価することになるかもしれないが私はアヤノちゃんの作品がとても良いと思った。左がアヤノの作品。

中には結果として良くなるものもある。要領の良さのようなもの、偶然とも言えるかもしれないが。それもうまくできた時にはほめて次への意欲を育てたい。

私は俳句が季語を大切にするように、子供たちへ季節感を感じさせる課題を大切にしている。こうして秋も深まってくると紅葉した落ち葉、また色づくリンゴなどを課題の中に織り込んでいる。

Otiba_kahoOtiba_kanonOtiba_kenta 左からカホ、カノン、ケンタ。

  Otiba_momoko

Otiba_manami_2Otiba_nami 左からモモコ、マナミ、ナミ。

Otiba_momoka_2Otiba_shoukiOtiba_yui 左からモモカ、ショウキ、ユイ。

来週からリンゴ関連の課題を2回する。食いしん坊な子どもたちはリンゴをどうにか食べたがっている。うーん何かしたいけど、インフルエンザも心配だしねー、先生は思案中? 「先生、アップルパイはどう? ほら、リンゴのパンは? ジャムとか?ねーねー。」「ごめん!先生は君たちのママじゃないから!」

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2009/11/05

大倉山公園散策

昨日はあとりえの教材として紅葉した落ち葉が必要だったので、大倉山駅の横の坂を上がり、記念館、大倉山公園へと散歩した。もちろんココも一緒。Kinenkan_001

長野の川上村の山々が紅葉していたのが10月23日だったので、11月上旬では横浜は紅葉がいくらかは進んでいると考えていたのだが、もう少し後のようだった。モミジは青々していた。かろうじて桜とハナミズキ、柿の葉がきれいに色づいていた。自然薯の葉も黄色くなっていた。

久しぶりの大倉山の散歩だったが、空気も清々しく、ちょうどよいキロ数を歩いた気がした。記念館では写真展をしていたようだ。≪あとりえ・チビッコ展≫を2年に1度の来年にする巡りになっているが、母のこと、子供の数、インフルエンザ、時局に鑑みて今回は辞めることにした。いつものように子供の表彰はするが、またパワーが集まったら記念館での展覧会をするつもりだ。今回は別の形にする。

Kinenkan_005 自分自身の中で、新しい何かをしたい気持ちが小さな芽を出している。よくわからないのでこうした自然の多いところを散策するとアイデアが結集してきそうだ。逍遥学派のようにできればいいが、それにしても不勉強だ。結局その時間は人間の生活のサイクルに消えていく気がする。生活・衣食住のための時間は短時間で切り上げ精神生活や何かを作り上げていく時間に使いたい。そう言っても、柿の白和えなどを作りたくなるのですが。

子供たちは昨日の課題をした後で、切り取ったいろがみの残りを切り刻んで花吹雪にして遊んでいた。子供たちにはパワーがあるのだろう。

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2009/11/03

「イヴリー・ギトリスと素敵な仲間たち」 を聴いて

昨夜バイオリンのコンサートに行った。

「イヴリー・ギトリスと素敵な仲間たち」 Ivry Gitlis and friends

その仲間の一人は私たちと思わぬところで知り合った、小川英知香さんと言う人だ。彼女は私たちが2004年6月にドイツ、フランスの旅行中にストラスブール駅構内で、ドイツのメーアスブルグまでの切符を買おうとした時に苦慮していた私たちを助けてくれ、フランス語で通訳して下さり、無事に切符を買うことができたというご縁である。

昨日の演奏会は発展途上国の子供たちのためのチャリティコンサートであった。 11月3日に、もう本日であるが、東京文化会館小ホールでの「イヴリー・ギトリス バイオリンコンサートリサイタル」がある。

昨日の小川英知香さんの演奏はサンサーンスの序奏とロンド・カプリチョーソだった。私にはストラスブール駅構内での切符の買い方の心強かった思い出と今回のバイオリニストとしての演奏を見ることで、あらためて彼女との出会いをうれしく思いつつ聴いた。

87歳で精力的に演奏されているイヴリー・ギトリス氏とその弟子木野雅之氏による「バルトークの二つのバイオリンのための44の二重奏曲より」が私には面白い試みのように感じた。≪二つの村からやってきたバイオリニストが即興で演奏している風≫なのだ。つまりヨーロッパのマルクト(市場)で流れる音楽のような構成にしていた。もちろんそれは例えであってコンサートであるから格調高いものではある。

後半はギトリス氏を交えてバイオリニスト6人とチェリスト2名でのメンデルスゾーンの曲を演奏し、最後のアンコールの演奏になった。夫は曲名を教えてくれたが、私は申し訳ないが忘れた。でも曲は標題音楽(月光や熊蜂の飛行、展覧会の絵)ではなく絶対音楽(純粋に音の構築物として提示された概念)だそうだ。失礼なことですが、私はクラシックがあまり分かっていない。クラシックを好きな夫が部屋で流しているCDを感覚的に自分の好みで、時折耳を傾け聴いている。その程度の者があえて言うのもおこがましいく、身の程知らずで、僭越ではありますが、曲が意味する世界を感じることができた。曲名は知りませんが。

≪若者が外部の世界との研鑽そして闘争を繰り返しながら、壮年となり理想や真実の世界の頂点を極める。いくども波が来て、それは安らかな平安の世界もある。平和な幸せな時間も流れている。だがまたしても真実の世界へと漕ぎ出す。がやがてかつての壮者は年老い、まるで、コオロギやバッタのように死に近づき草原に朽ち果てていく≫

メロデイーを口ずさむことができない曲だったが、私にはまざまざとそう感じることができた。生まれて初めての遭遇といってもいいクラシック鑑賞での経験だった。

それは年老いたギトリス氏へのお弟子さんたちの尊敬し慕う気持ちがあり、また弟子たちへのギトリス師の慈愛ある眼差しが遠くからも感じられたからだと思う。それがあの難解そうな曲をこの私が感じ、察知することができたのかもしれない。

それと、私が年老いた人たちのことを身近で見てきた経験が音楽の意味を深く理解しえたのかもしれない。久しぶりに生のクラシック音楽の良さを感じた日でもあった。最後にギトリス氏が英知香さんの3歳のお嬢ちゃんを舞台に呼んだが、ママである落ち着きと慎みに満ちていて輝いていらした。

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