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2009年12月の記事

2009/12/29

夢を見る自由

八ヶ岳に来るとよく夢を見る。標高が1400メートルあるので気圧の関係もあるのかもしれない。夢には二種類ある。将来実現したい願いの「夢」だ。それは理想だから、すべての辻褄が合っている。しかし寝ている時に見る「夢」は睡眠中にもつ幻覚であるから、辻褄が合わない。一昨日夢を見た。Kawa_yatu

   短大時代の友人が仕事の傍らいろいろ研究をしていて、その書類を見せてもらっている。私と同じ年の彼女が若い頃のきれいな顔で笑いながら見せてくれ、私はその事を良いなあと思うが、羨ましがってはいない。私自身は旅をしていた。どうしても行かないといけないところがある。ドロドロの崖を降りているが、非常に危険だった。夫の母(姑)が遠くで笑っていると思ったら、私の祖母だった。そして急に原宿の同潤会アパートのような、古く天井が低い、センスの良い部屋にいる。そこに私の母が花や素敵な洋服がかかっている場所にいる。と認識しているのだが、後ろ姿であった。そこで夢は終わっている。

日差しも暗さも映画のようだった。夢から覚めて少し経つと忘れるので、すぐパソコンを出して、ワードに打ち込んでおいた。最近は夢を見なくなった。楽しい夢もあるが怖い夢もある。夢の中に素敵な人が出てきて、幸福感に満たされることも昔はあった。夢を見る自由は今もあると思う。

そして今日はまた都会に戻って年末の用事を片づけねばならない。山小屋を朝早く出るとき、室外の温度は氷点下10度だった。野辺山もマイナス10度、清里大橋はマイナス3度。川上と清里の温度差は夏でも冬でもせいぜい約3、4度だが、今日は7度も差があった。八ヶ岳が雪をかぶっているが、芳州さんは雪が少ないと言っていた。中央道は走っていて太陽の暖かさがぬくぬくとしていた。

NHK・FMで、北山修がビートルズについて話す番組を放送していた。「レクチャー&M選」とか。私が運転をしている間、ずっとビートルズが流れていたので速度も、運転のマナーも快適だった。笹子トンネルや、小仏トンネルでは電波が届かず、音が聞こえなくなるとずっと歌ったり、ハミングしたりして歌を続け、トンネルが出るところで一致させるという遊びをした。小仏トンネルではYesterdayが流れていて、それを続けてぴったり一致させることができた。「ルールールールーイェスターデ―」トンネルを出た!「どうだー、やったー!」

戻ってから今、ウィキペデイアで調べると、Yesterdayが出来た経緯は「ポールマッカートニーが就寝中に夢の中でメロデイが浮かび、あわててコードを探してスタジオで完成させた」という。思いがけず符牒があった。

そういえば私は競馬には全く関心がないのだが、最近の有馬記念でドリームジャーニーという馬が優勝したと、お気に入りの「きっこのブログ」で読んだ。どうも日時の前後関係が分からないが私が夢を見たのは日曜日の朝方だ。私もその馬の名前を表すような夢を見たというのは不思議な気もするが、きっと一連の記事を見て疎覚えがその夢を見させたのかもしれない。

八ヶ岳の山小屋で夢を見る確率が高いのは、標高が高いため脳を圧迫しないで風船のようにふわふわさせるから、脳のしわとしわとが伸びて記憶のドアが開くのではないかと、全くの素人考えで信じている。専門的に言うなら、シナプスがつながるとかあるのでしょうが。

私はどこにいてもできるだけ良い夢を見たいと思っているから、寝る前に頭皮のマッサージをしっかりして、部屋に好きな香水(ベルサーチのブルージーンズ)を撒いて寝ると、星の王子様のような人に出会う夢とか見られるかもしれない。またこのようなことを書くと変なコメントがあるかしら。年末でアクセス数が激減しているから、今年最後の「まあいいか」ということで! 

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2009/12/26

クリスマスからお正月へ

Beranda_005 天気予報通り、昨日、今日と暖かい。横浜のベランダのルッコラはここ1カ月の間、買わずに自家菜園として機能している。毎日欠かさずサラダに入れて食べることができている。手前の二つの鉢は去年の暮、お正月の花として買った南天の実を捨てずに蒔いておいたところ春先に大量に芽吹いたものを育て、今回植木鉢に分けてアレンジをしてみた。葉ボタンと組み合わせると、正月らしいめでたさが出てくる。

Cake_m 子供たちがいないと、クリスマスケーキのサイズに困ったが学芸大学のマッタ―ホーンに最適のサイズがあった。昔からクリスマスのケーキを一人でホールサイズを食べたいと思っていたが、それが叶う頃には、つまりみんな一緒に食べる人がいなくなってから、一つのケーキを4等分から2等分になったのに、食べにくくなった。特に、持病があるわけではないから分け前は多くなったと喜んでもいいのだが、なんとなく健康上いけないような気がする。

Cake_k ところがこのクリスマスシーズンには食べるチャンスがまたできた。山小屋での親戚の子のトモ君との時間。そこでスーパーで売っているケーキの型と生クリームとベリー類(大倉山駅近くの横山フルーツでなんと50円で売っていた)を使って手作りのクリスマスケーキを一緒に作ることにした。ケーキを作ってから、美味しく食べるためにトモ君と一緒に湖までの散歩をし、翼君の作ってくれたエアプレーンを飛ばしに行った。トモ君は、サンタさんが置いて行ってくれたラジコンヘリコプターを持っていって遊んだ。プレゼントがなぜか山小屋のテーブルに置いてあったのが不思議だが。トモ君はそのことには言及しない。

Kawa0912 少しだけ雪が残る湖のそばのグランドは日光が当たるので暖かだった。氷が張ってある湖を村の人が何かの用事があるらしく歩いていた。そのそばには動物の足跡が一本になり続いている。キツネだ。キツネを見なくなって久しい。足跡があるということはまだ氷が出来かけの柔らかいシャーベット状の上を歩いたのだろうか。その写真は撮らずじまいだった。今夜はロブ・ライナー監督のスタンド・バイ・ミーをみる予定だ。もう何度も見ているがトモ君と見るのは初めてだ。

ビデオプロジェクターとスクリーンを使って見る。なんとなくレトロな感じが好きだ。

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2009/12/20

クリスマスの間はデザインを変えます

Poinsetia010_2 クリスマス・カラーは

ポインセチアの花ことばは

xmas今日から12月25日までの間デザインを変えますxmas

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木切れのクリスマス@クリスマス工作2009

11月終わりから西洋のアドベントのようにクリスマスの工作を子どもたちに指導した。今まで木切れの工作を指導した中で、一番細かいサイズのものを使ってした。家と木とリースと指人形いう課題で、あとは出来るだけ自由にしていいと設定する。

細かいものは2ミリ四方のものもあり、自由にと言っても、子供が考えるのに困るといけないので、すべてのサイズを分別してから進めた。子どもの根気が問われる。

子どもたちの性質を決めつけることはしたくないが、こちらに今までの制作プロセスのカルテも用意して対応しなければ指導にはならないと考えている。だから何人かの子供たちにはその制作過程を予測もしてなければならない。が、子供には子供のアイデアのまとめ方もあって面白い。

時間があったら遊びたくて遊びたくてうずうずしているハルキが、私には一番気がかりだったが、彼が一番、作る手順が上手だった。

Kigire_christmas_haruki

Kigire_christmas_ayano

Kigire_christmas_hinata 左からハルキ、アヤノ、ヒナタ。

Kigire_christmas_kanonKigire_christmas_kaho_2Kigire_christmas_kenta左からカノン、カホ、ケンタ。

Kigire_christmas_manamiKigire_christmas_momokaKigire_christmas_nami 左からマナミ、モモカ、ナミ。

Kigire_christmas_momoko_2

Kigire_christmas_reikaKigire_christmas_riho                  左からモモコ、レイカ、リホ。

Kigire_christmas_shoukiKigire_christmas_yuiKigire_christmas_keiko 左からショウキ、ユイ、KEICOCO。

Kigire_christmas_kentarou_2 Kigire_christmas_risa_2             

左からケンタロウ、リサ。

インフルエンザになった、ミズキちゃんはまだ作れないので、治ってから完成させましょう。

写真を制作中に写しているため、中にはピンボケもあります。ごめんなさい。芳州先生は年末で忙しく撮影をお願いできませんでした。

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2009/12/13

カールじいさんの空飛ぶ家を見て@UP

Fb50dab62ff54d980425712846224d9b1 クリスマスの工作で、小さな木片を使って「家と木」を作っている。昨日、その作業をほとんど指導し終えて、今日、映画「カールじいさんの空飛ぶ家」を見にいった。教室の生徒、ショウキ君が近いうちに友だちとこの映画を見ると聞き、今日、私も時間があったので見にいった。子供たちと絵や工作の話のほかに、映画の話で盛り上がるのも大切なことだ。

「カールじいさんの空飛ぶ家」を映画評論家のおすぎがブログの中でアニメーションへの見方が変わったと言っていたお薦めの作品でもある。工作で作っているケンタロウやミズキの家がまさに、カールの家のように感じた。

主人公のカールと妻のエディーとの出会いと人生の展開が何コマかの絵で描かれている。私の人生もあのように絵で描くとしたら何コマの絵で組み立てられるのだろう。カールとエディーは南アメリカの滝の近くに家を造るのが夢だった。そのために一生懸命にお金をためたが、怪我をしてそのお金を使ったり、家をリフォームするのに使ったり、そしてその夢を実現できないままエディーは病気になり、なくなってしまう。

出会いから年老いるまでがすごく短い時間で全部表現できていた。それはまさに、少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。うーん、違うなあ。Art is long, Life is short.それとも違う。そのような感じの諺になると思うけど、正しくその部分に当てはめられる諺がない。

つまり、「どんなおじいちゃんおばあちゃんにも若い頃と若い恋と若い顔があった。」どこかにそんな諺はないだろうか。 だがその人生の道にライトを当てる映画ではない。そこから冒険に出るのが冒険クラブに入っていたカールじいさんのじいさんたる所以であり、夢なのである。この映画「カールじいさんの空飛ぶ家」なのだ。

私も最近、時間のたつのが早く感じられる。年を取るのも大変なことだと3人の親の面倒をみて解ったことだ。でも、デイズニー映画はそんなことを言いたいのではない。これは以前見た映画「最高の人生の見つけ方」(Bucket List)にも似ている。夢をかなえるというコンセプト。奥さんがいなくなってしまってもその夢をかなえるためにいろいろな困難を乗り越えていく。年を取って憂鬱や頑固になってしまうかもしれないが、夢があれば、かなえるために、行動する。夢があればいい。夢はいつも持っていなければ。カールじいさんのような夢はめったにないけれどね。

私の夢は何だろう。昔はキャンピングカーで日本中を回りたいと言っていたけど、免許も取り。好きな場所に山小屋も建てたから、かなったも同じだ。もし時間があったら、花をもっと植えたいのだけれど、それにはいつも鹿との闘いがある。百合と薔薇を植えたい。それでも八ヶ岳東麓の川上村ではあまりに寒い。

私の小さい時の夢に「ツリーハウス」がある。千葉の田舎に行ったときに椿の木の上にツリーハウスが作ってあり、その上に乗っておやつを食べた。今でもその時に飲んだコーヒー牛乳の味まで忘れられない。まだそれは小さい時の夢として残っている。夏になったらとりあえず白樺の上にツリーハウスを作ろうか。

でも夢はそんなに簡単にかなうものではないから、これは夢とはちがう。現実だ。死ぬまで持ち続けていられる夢を探さねばならない。もしかすると永久に続く美しさとか。無理よね! でもこの辺で手を打っておこう。この映画を見た一時(いっとき)、私はカールじいさんと一緒に夢をかなえたのだから!

ちなみにこの映画の原題は「UP」の一句。上へとか奥地にという意味もあるようだが、詳しいことはパンフレットには書いてなかった。

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2009/12/07

東京ベイクルージングの会食@幸せな顔

18_3 昨日は東京湾、クルージングレストランでの会食を楽しんだ。12月の初めの日曜日のためと、大安とが重なりたくさんの人が集まっていた。私たちは知人6人でのお食事会だった。特殊な任務があった。結婚式の食事を選ぶという仕事だった。どのコースもおいしくて困ってしまったというのが正直な感想だった。

私たちのほかの方はランチクルーズのコースでの会食をしていた。中にはお誕生日のコースの方もいたようで花束と皆の拍手で盛り上がった。シンフォニーでの会食とクルーズのコンセプトは6つあるという。その中で私も本当にそう実感したのは、≪Ship日常を離れる≫ ≪Sea雄大さに包まれる≫ ≪Foodこころが温まる≫ ≪View景色を巡る≫ ≪Roomエグゼクティブになる≫。

 いつもの私は絵画教室の先生のほかに主婦の仕事もしているから、ルッコラ、パセリはベ6_2 ランダで自分で作ったり、牛肉、鶏肉があのスーパーで安いと狙いを定めて出かけて行ったり、トマトは値段と美味しさでは近くの生協が一番という考えを貫く日常生活もあるけれど、ここ一番の贅沢は、したいものなのです。私は山の中での自然がいっぱいの美味しいレストランが一番と言ったこともあったが、クルージングレストランも至福の時間と気が付いた。WEBのHPはシーライン東京www.slt.jp

2時間少々の海の旅を終えると、クリスマスクルーズや、ウェディングクルーズ、ランチクルーズを終えた人、始める人で、日の出埠頭は賑わっていた。なぜかどの人も幸せそうだった。 そして、結婚式の当日が昨日のような穏やかな一日になるように、海の神に祈った。そしてこれから先の彼ら(私のしろいうさぎとくろいうさぎ)の大海原の人生の旅路も一緒に神仏に祈った。

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2009/12/05

泰広とケンタ@明日に続く挑戦

あとりえには以前、姉弟で来ていた内藤裕子さんと泰広君がいる。お姉さんは夕方のNHKのニュース解説で毎晩見ている。今年の初め3月終わりにNHKの朝のニュースで、内藤泰広君が取材した情報が放送された。それが私には我田引水と言おうか、うれしい話題であった。

三鷹光器(中村勝重社長)では新製品の開発にはスケッチで絵を書いてレポートにするそうだ。いろいろなアイデアを絵にすることで、イメージが作りやすくなるという。中村社長の、その社風で大手ができない新製品を作っているそうだ。朝早くのニュースだったのと、半導体などという私には無縁な言葉が多く、ついうっかりしそうな話題ではあったが、「アイデアを絵にする」という言葉で、私も注目して、メモをとった。その当時何かと忙しく、ブログに載せられず、この師走まで来てしまったが、姉弟というタグで内藤君のことを書いてみた。

ところで、ケンタがテレビCM(ココ)に出ていた。アサヒビールがオリンピックに協賛してのテレビCMで「明日に続く挑戦」で高橋大輔と一緒に出ている。遠くからスケートリンクを撮影し、「あれ、ケンタかな」と思ううちに、アップの映像でケンタになっている。にっこりすがすがしい笑顔で、いつものいたずらケンタではない。子供らしい笑顔をちょっとだけ大人の社会性でコーテイングしている風だ。でもすごくかわいい。

あとりえ・チビッコには始めに姉のエミが来ていた。このブログの初期にはエミの作品もある。インターネットには注意すべき点もあるので、小学生である彼のフルネームを書けない。いつか、いつの日かケンタが「銀盤の王子様」になった時にはカタカナの名前を=で消し訂正しフルネームで記したい。

ご両親が情操教育を考量して、姉弟をこの造形絵画教室に入れたのだと思う。姉のエミからの気安さからつながる信頼があるのかもしれない。スケートの表現は絵画造形の表現と違うが、表現するという思考過程は似ているので、何らかの良い作用は歴然とあるはずだ。スケートでは新しい工夫をするためには度重ねての練習と、自分の体を改造するほどの技術的、身体的な訓練があってのことだ。ケンタにとっては、工作や絵での表現はまた別のほっとする時間かもしれない。

私は一度だけ次女あいかとスケートを見に行ったことがある。いつかケンタの競技を見に行くようなチャンスがあったらうれしい。こうしてブログでは実名で書いていい人とまだ書いてはいけない人がいる。いつかケンタとエミの名前を実名で載せたいものだ。

と言うときっとケンタはこう言う「先生、その時まで元気でいるかな?」「グサッ」「君ががんばって早く高橋大輔みたいな選手になれば先生は杖をついてスケートリンクに行って、金メダルとったらその杖をリンクに投げるかも!」「グサッ」(これ冗談ですから)もちろん花束を投げますって。

そんな感じであとりえ・チビッコは続く。

※三鷹光器を工器と間違えて書いていました。訂正します。三鷹光器は宇宙開発や天文機器、医療機器を開発している。

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2009/12/03

内田樹の「日本辺境論」を読んで

「日本辺境論」内田樹著(新潮新書)はブログ「内田樹の研究室」の雰囲気で書いているのだが、大きな講堂での講演会ではなく、小さな階段教室で講義しているような感じがする。難しいカタカナ英語や漢字はやはり辞書で引かないと、理解できないが。日本人の辺境(中央から遠く離れた国ざかい)性についていろいろな事例を挙げて書いている。また昔からそれを取り上げている作家について分かりやすく説明が加えられているので、今まで分からなかったことを解き明かすように読むことができた。

難しいことでも、昔から自分が知識として希求していることについては意外にすっと解る。その日本人の辺境性について書いている先人の中には丸山眞男がいた。

私は丸山眞男を若い時に読んで、理解できない記憶だけを残していた。それが内田樹の説明を聞くと、今度は理解ができた。と言っても昔読んだが理解できなかったという記憶のみで、どんなことを書いていたか、どの書籍かも思い出せない。女子美短大で美術を遊びながら学び、少し偏差値の高い友だちと話ができるようになればと良いと蛍雪の功を積んで、丸山眞男を少しだけ読んだ程度だから、言うほどのことではない。でも理解しようとしたファイトが、今もって心の芯に小さな炎を絶やさせないでいられたのかもしれない。

いくつかの事象を丁寧に、角度を変えて説明してくれている。卑弥呼が親魏倭王の称号を与えられて、国の指導者としての存在を示したこと。戦後の調停制度のあいまいな処理の仕方。オバマ演説のようなことは日本ではできないこと。その場の空気の親密性を自分のアイデンティティよりも優先させることをルースベネデイクトが「菊と刀」でもう指摘している点などの説明。そこから日本の世界大戦への道が始まったこと。関ヶ原の戦いでの様子見にみるきょろきょろした日本人らしさ。水戸黄門の印籠など身近なところからの説明がある。。

私が≪日本人て、どうしてこうなのだろう?≫と思う場面、場面に当てはめると分かる気がする。そして、日本辺境論を読んでから、最近毎日起こるいろいろなことがすべてがその辺境論的な展開で見ると納得のいく説明に辿りつけ、面白い。3世紀半ばの卑弥呼から続いている呪縛された日本と、流動的な今について内田樹の理論展開が新しく感じる。旧政権から鳩山新政権になっての政治のやり方の違う点が、この本は証明している気もする。内田樹が1124日のブログで書いている「なぜ日本軍は真珠湾攻撃をしたのか」は日本辺境論を読んでいたので理解しやすかった。

教育についての部分で感動した個所があった。ここで私が引用して書くことはまるで私が書いているようで、憚られると感じるのでページと行のみ書きます。98ページ14行から99ページ最終行までです。その個所は、私のような市井の≪あとりえ・チビッコ≫のしていることは、社会の中では風前のともし火ではあるが、いつかは分かってもらえる日が来るかもしれないので未来に希望を持って進もう。という意味にとりました。神にも理性にも分かってもらえなくても(アルベール・カミュー)も付け加えて。

そして、この本の最終目的の教訓を内田樹は「私はこうなったら、とことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです」まで導びかれる。

今回、最初に読んで、次に棒線を引き、読んで分からない個所に印をつけ、辞書を引き、結構勉強した。本は鉛筆の線だらけだ。高校生の頃に戻った感じで勉強ができた。私はリンクに内田樹先生を含めていろいろな先生方をリンクしているのは、いつまでも学生生活を続けていたい表れなのかもしれない。インターネットはそのような研究室のドアを気軽にいつでもノックすることができる。

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