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2010年1月の記事

2010/01/31

展覧会に向けて

子供たちは展覧会に向けての制作中のため、ここしばらくの間ブログに作品を掲載していません。しばしの間、私の日常のつぶやきや≪田園の誘惑≫、映画のコメントを掲載して更新します。どうぞ、よろしく。

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穴八幡から巣鴨地蔵へ≪暮らしの中の旅・1≫

Waseda_006_4 昨日は毎年行く穴八幡へ一陽来復のお札をいただきに行った。千葉に住む長女家族と待ち合わせて5人で男坂を上がった。

芳州さんが出版社を辞めてフリーになって明くる年ぐらいに、父が商売繁盛の神さんのお札を貰いに行こうと始めてから、もう15年はしてきただろうか。もちろん信仰心とはちょっと違う民間信仰の部類ではあるけれど、そのお札を冬の豆まきの時期に決められている恵方の方角を見ながら祈りつつ、貼るという行為は日本人らしい習慣と思う。もちろんどの神や仏を信じるかの信仰をしっかりと表明できる気持ちも大切であるが、日本の歴史から見ると民間信仰的なじんわりとした心の安らぎも大切だと感じる。いつものお約束の早稲田の金城庵で天丼を食す。何かこの時期のおすすめコースができていた。

次にこのまま帰るのは残念と長女の婿殿が都電荒川線でどこかに行こうということになっWaseda_008_2 た。久しぶりの大家族的発想が私を嬉しくさせた。巣鴨のとげぬき地蔵に行くことになった。棘は手や足に今のところ刺さっていないけど、心の棘を生やさぬようにノンノンノンと祈った。5人でお賽銭を入れたら奥の方から「仲良きことは善きことなり―」という声が聞こえた気がした。このようなことは信仰というよりは家族で一緒に年にチョコッと何かをすることが大切だと感じている。

私の信仰心について何か言わねばならないようだが、今のところ、民間信仰止まりでしかないかもしれない。私たちがよく行くドイツの人々と違うことは残念であるようにも思うが日本の風土の違いは私がどうにかできるものということでもない。私自身聖書も読む日もあるけれど、今のところママはこのまま。

とげぬき地蔵への商店街は、いわゆるおばあちゃんの原宿と言われるところだから、私は母のスラックスを探した。母は太ってはいないがお腹を圧迫することが辛いらしく、ゆったりしたズボンが良いと言っている。そして丈は短くないといけないので、探すのが難しい。驚くほどのお値段で探せた。健康志向でシラスの升売りやショウガ糖を買った。

昨日は私がおばあちゃんの原宿≪巣鴨地蔵商店街≫初デビューの日となった。

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2010/01/23

狩猟期間と渓流釣り解禁の重なる日

Yatu_1 中央道長坂を出て、柳生さんが住んでいる大泉町をかすめて清里大橋を通ると、私が以前鹿の集団を見た牧草地がある。その時は夏で車の運転を一人でしてドライブしていた時だから写真は撮れなかったが、後ろ向きの白いお尻がいっぱいいたので、「あっ」と思った。20頭はいたのではないか。そこは最近車寄せの場所が出来ている。鹿は身近にいてほしいけれど、畑の植物を食べられている私としてはいつも複雑な心境だ。今は日本全国狩猟期間だから鹿は見かけない。鹿はその事を分かっているのだろうか。緊急避難!緊急避難!

芳州さんは今朝起きると、昨日の夜の温度はマイナス9度だと言っていた。鋭い上弦の月に凍るような寒さ。森の動物たちはいかばかりか。年明けの1月6日から20日までの間にマイナス14度の日もあったという。私たちが家を建てた22年前にはマイナス20度近い日があったようだが、今は温暖化の影響でここではマイナス15度位が最低ではないだろうか。

その寒い部屋の中で、私が書類の整理をしているとドアがドーンとした振動があった。どこかで銃の音がしたのだと思う。トイプードルのココがワンワン鳴いている。丁度、夫は撮影で川の方に行っている。狩猟期間がいつなのか気になってウイキペデイアで調べた。

<鳥獣保護法〉によって狩猟鳥獣の捕獲を許された期間。狩猟鳥獣の種類によって異なり,また地域によっても異なる。たとえば,放鳥獣猟区を除くその他の猟区では,北海道で10月1日~翌1月31日,それ以外の地域では11月15日~翌年2月15日が猟期とされている。大日本猟友会の≪山と森を愛するレンジャー達へ≫によると、11月15日から3月15日までに期間が延長されたと書いてある。

夫が撮影から戻ってきたので、今度は渓流釣りの期間をきくと、長野県では2月16日から9月30日だという。それでは約一カ月もオーバーラップする期間が生じるではないか。日本は狭いからイノシシを撃ちに行って川沿いに追うということもあるのではないだろうか。心配だ。ニュースで狩猟事故の報道を聴く前に新聞で今一度情報を流した方がいいのではないだろうか。この村の近くでも昔事故があったと聞いたことがある。

狩猟をインターネットで調べるうちいろいろなことを思い出した。フランスのエギスハイムのペンションのオーナーで、コルマールのホテルのコックをしている人は狩猟もしていると言っていた。ちなみにフランスでは人口6000万人の中に狩猟の銃は160万丁あるという。日本は1979年には45万人、1995年には25万人、2007年には16万人と佐世保散弾銃乱射事件以来減っているという。有害鳥獣に苦しめられている県は狩猟期間の延長や銃取得のための面接の緩和をしているともいう。

そういえば、私たちが時々行く清里のパスタや≪モリモト≫ではサラダの上にシカ肉のテリーヌがのせてあった。お店つながりで、清里のプチホテル・オールドエイジのオーナーが仕留めた鹿を調理したものだと聞いた。鹿もベストな調理をされたら、いくら動物愛好家でも食欲には勝てない。その時に聞いた話では鹿は早めの血抜きがその後の調理の味に影響を与えると聞いた。

ウィキぺデイアに日本の狩猟可能な獣類が載っていた。下記に記す。獣類20種 タヌキ、キツネ、ノイヌ、ノネコ、テン(ツシマテンを除く)、イタチ(オスに限る)、チョウセンイタチ(オスに限る)、ミンク、アナグマ、アライグマ、ヒグマ、ツキノワグマ、ハクビシン、イノシシ、ニホンジカ、タイワンリス、シマリス、ヌートリア、ユキウサギ、ノウサギ

この中に猿はいない、野生にいる動物で害獣になることも多いが何故か人間に近いので撃ってはいけないそうだ。以前ココとお散歩のときに数メートル先で遭遇したが怖かった。 誰かに似ていたからという訳ではないが。

またミュンヘンの狩猟博物館を思い出した。

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2010/01/19

しろいうさぎの結婚

Aika_w_sen

我が家の次女が結婚をした。船上での結婚式で、よく晴れてはいたが、朝のうちは風もあった。午後になり、日の出桟橋から見る海は風も弱くなり、海も凪いできた。

シンフォニーの船長と二人がメモリアルノートに記帳して結婚証明書を授与された。船上で列席者80名が風船を飛ばし、中にはヒマワリの種が入っていて千葉方面にも飛んで行った。ちなみに環境に優しい風船とのことでした。Aika_w_hu

若い彼らの心がけが良いようで大寒間近だったが、雪も降らず、無事結婚式は執り行うことが出来た。列席者の方々の心からの祝福を受け、また楽しい時間と感じてくださる方がいっぱいいて、私たちも幸せだった。いろいろなことがまるで夢のようだった。シャンパンの泡が船の中の景色と一緒になって、タイタニックだった。Aika_w_k_2

娘が私たちに感謝の言葉を言ってくれたのも嬉しかったが、それよりもお婿さんのの話した最後の言葉が私を泣かせた。「彼女は結構仕事もがんばってしているけれど、よく泣くこともあり私がなぐさめてあげることも多いんです。これからは彼女を幸せにします。」なんだかもっといい言葉を言ったのだけど、嬉しくて泣けてきて半分忘れてしまった。

そしてもう一つびっくりしたのは指輪の交換の時、娘が何かを彼に言っているようで、よく見ると、指輪を間違えてしまったようだ。・・・・・・そう、約40年前に私たちの結婚式の時も芳州さんが指輪を間違えて私の指に自分の指輪をはめてしまった。その時私は「ちがう、ちがう!」と小さい声で言った。・・・・そこで私は思った。これはきっとうまくいく。だって私たちと同じなのだから。絶対!絶対!うまくいくと。あの時の妙にするりと入った指輪の感触を目の前で思い出した。絶対うまくいく。Aika_w_078

列席者の方々からの二人の仕事に対する見方も祝辞の中で披露された。過分ともとれるお話であったが、自分たちの幸せと周りの人への幸せをよく考えていい仕事をしてもらいたい。

そして、祝辞の中で、私が若い頃感じていた仕事への希求感を満足させるような仕事をしている方がいた。家庭に入っている女性で能力のある人に仕事をしてもらうために会社を立ち上げたのだという。そして、子供のガン患者を救うプロジェクトの仕事や他の医療の仕事などもしている方だと知った。

芳州さんは彼に初めてあった時の同じ、エンジニアリングの立場が気に入ったようで、その時の印象を高く評価していたので会社の方たちの祝辞を聞いて納得していた。日本のトラックが環境を考えて良くなってほしい。

Aika_w_yakei 会場にはまだまだ結婚前の若い方たちがたくさんいたようだ。とにかく少子化という前に、男女の出会いがないとだめだ。この私的なことが落ち着いたので世話焼きおばちゃんになって、世のため人のためにがんばりたいと思うのです。いやー、難しいかな? 寒い中式をあげていた娘のウェデイングドレスの上にウサギ風のファーのケープが掛けている時があったので、絵本「しろいうさぎとくろいうさぎ」を思い出してしまいました。

最後に東京湾の夜景がきれいでした。 

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2010/01/12

花束をもらう

Hanataba 昨日の夜中、「ドイツの誘惑@花束を持つ男性はすてき」というタイトルでブログを書いたことを思い出し、日本人で花束を持って花屋から出てくる人の写真を撮りたいなあと思っていた。

そして、今日芳州さんの写真教室に呼ばれて一緒にお食事をしに行ったところ皆さんから花束のプレゼントがあった。中華料理を食べに行くだけの心づもりであったため、びっくりしてしまった。昨日花束を持っている男性を思い描いていたので直のことびっくりした。

花束は自分で買うより人からいただくのがうれしい。花の美しさが倍になる。なんでも、その会の会長曰く、私の影の力があるという。誰でも、妻は夫を支えているからことさら私というほどでも、ないですよ。だから、みんな自分の奥さんにもプレゼントするべきですよね。「プレゼントしている人、手をあげて」

あれ!そういえば今日は1月12日、むむむっ!2月14日にあとひと月か?おや?

ところで、今日は久しぶりの中華料理(横浜スカイビルの大陸)で、期待通り美味しかった。だから本当は≪花より団子≫なのだけど、今日は綺麗な花をいただいたので≪団子より花≫になるのかしら。

明日は久しぶりにあとりえ・チビッコの教室の日だ。赤いイケアの椅子を置いて教室の雰囲気を変えてみた。もう少し力を出して、自分のやりたいようにやるつもりだ。

追記:今年でこの写真教室が10周年を迎えるそうです。おめでとうございます!

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2010/01/10

母の90回目の誕生日@1・11

Teruko 母の誕生日が明日に迫った今日、家族が書いた色紙を学芸大学の介護施設に届けた。朝の朝礼のような時間に、家族からのお祝いの手紙が読み上げられて手渡されるという。今回はうっかりと3日前まで私が忘れていたので、母の孫である娘たちにはファックスで、弟からはパソコンのメールで受けて、私と芳州先生が色紙にとりまとめ貼った。

弟は香港からメールできた。妙に神妙なメールで目から水が出て、笑ってしまいましたよ!トモ君は「またあそぼうね」と書き、次女は今まで見守ってくれてありがとうと言い。翼さんも一緒に書いてきた。長女夫婦は連名で。

私は正直に言うのが好きだから、母に会うとつい疎ましいことを言ってしまう。でも心では違うことを思っている。思っているからこうして行動している! そのギャップが最近は大きい谷になり、ある意味では清里大橋の谷ほどに深く険しい。

今日の手紙のレイアウトは楽しい作業だった。弟は海外によく出ているので、国旗のトランプを並べてカラーコピーしてからメールに貼りつけた。フィンランドと日本と韓国をメインに貼り、彼が行っていそうな国を縦に貼った。行ったことがないかもしれなかったが、よくおやじギャグを言っていた国もあったので貼った。そんなことをしていたら楽しくなった。

私は母への気持ちを正直に書いたら、何のためにしたのか分からなくなるので、母と父の良いところを継承し、ついでに二人がしていた指輪を合体させた翡翠の指輪を確かにいただきましたと書いた。ずっと気にしていたから安心するだろう。もちろん母から手渡しでこの正月に貰ってあるのだが、きちんと文章にするとすっきりするだろう。指輪の価値はそれほどではないが思い入れがあるものだったからだ。

母はおととしの夏に転んでから、2つの病院と3つの老健(介護施設)での生活を余儀なくされている。なんとか立つことはできるが車椅子での移動と生活上の不自由さを子供である私たちは日常的に手伝うことはできず、心ならずも介護の諸先輩に任せながら、自分たちの生活を維持堅持している。私が小さい子供を相手に仕事をするのを厭わないのと同じように、お年寄りを相手に仕事をするのを厭わぬ人がいるのも事実だ。介護をする人たちは「滋子(照子)おばあちゃんにいろいろなことを教わっているので、本当に勉強になるんですよ。」とよく言う。もしかするとお世辞半分かもしれないし、冗句かもしれないが、私はその場面では言葉を信じてた。

その道のプロの人に任せることも時代が変わったのだから心を許していいのではと思う。代わりに家族の目をいつも向けていることも必要ではあるが。

とにかく母は明日90歳になる。大森の米問屋ヤマシロヤに生まれ大正、昭和、平成 と生き、4歳年下の父と結婚し、私と弟を育てそして4人の孫を得た。今までありがとう、おばあちゃん。これからもよろしく!

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2010/01/05

川上の雪

Kawakami_yuki

川上にまた雪が降った。寝ている間に静かに、静かに降り積もり、私たちはいつの間にか太郎と次郎になっていた。

朽ちて落ちた枝も、秋の葉もウサギやテンやキツネの足跡もみんな雪の中に埋もれた。白という色は初めの色、スタートの色、何色も塗れる。二棟先のログハウスからの薪を燃やす匂いが懐かしい。

いよいよ除雪車が来た。 

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2010/01/04

怖い絵(中野京子)と茨木のり子の永遠の詩

Yokohamapp 年が明けた途端に気持ちが春めく。平和な新年が約束されているように横浜港にはふわりと雲が浮いていた。

この正月は世界中が寒さに震えているようだ。ドイツも雪模様だ。私たちはまた寒い八ヶ岳に来ている。我が家の寒暖計は留守にしていた年末から2日にかけて-11.5度を記録していた。来る途中のレタス畑の電信柱にはトビがいた。自分のテリトリーを守るようにすっくとしていた。ネズミなんかが出てくるのを待っているんでしょうか。寒い中御苦労さんです。

Kawakami_tuki 欠け始めた月が今朝、白樺の間から垣間見られた。昨日の夕方、同じ方向の空に夕焼け雲が筆でなぞるように出た。妙に枕草子を思い出す。「春は曙、ようよう白くなりゆく山際、紫だちたる雲の細くたなびきたる」「夏は夜、月の頃はさらなり」「冬は努めて、・・・炭火の火も白き灰になりてわろし」この中の四季をすべて混ぜてシャッフルするとこの写真と私の気持ちになるようだ。

Kawakami_sora 私は冬休みなので年末から読書を楽しんだが、「怖い絵」(中野京子)朝日出版と「茨木のり子 永遠の詩」小学館を読んだ。どちらも本好きの私にはたまらない内容だった。怖い絵は初版と次の3巻を読み、2巻は本屋になかったのでまだ読めていない。これからインターネットで買うつもりだ。

「怖い絵」の中野京子氏は早稲田大学のドイツ文学、西洋文化史の講師で、絵画の見方を面白く説明している。また歴史の裏事情についても、詳しい説明があり、一つの絵画を深く楽しむことができる。その中の一番おどろおどろしい、ルーベンスの≪メドゥ―サの首≫は周りに蛇やサソリやトカゲが描かれていて、いくら虫好きの私でも、ジッと見ていると寒気がしてくる。ルーベンスはその虫を弟子たちに特別にお金を支払って描かせたという。

また話は違うが、その絵が置かれている場所がウイーンの美術史美術館で正月三が日にニューイヤーコンサートのバレエの舞台となった場所のようだ。ベラスケスの≪フェリペ・プロスぺロ王子≫などもその美術館にあり、バレエの場面での壁面の絵画をもっと真剣に見ていてばよかったと後で思った。あのような綺麗なピンクの衣装を着たバレリーナの後ろにメドウ―サの首が見えるのはおどろおどろしいを超えてまがまがしいになってしまうけれども。

そして茨木のり子は昔、子供の中学受験の国語の問題を見ていた時に出てきて、その詩の良さを感じていたが、今まで詩集として読んではいなかった。≪夢≫と≪歳月≫が詩として心地良かった。私も年を重ねた時、そのような言葉を発することができればと少し思った。たくさん紹介すると著作権に関わるといけないので、このぐらいにするが、エゴンシ―レ、ミケランジェロ、ダ・ビンチの私生活についても言及していて、歴史の授業を聴いているような感じがしてくる。少しだけゴシップめいているが、民族の日常の積み重ねが歴史なのだからね。絵画を通しての歴史的好奇心を十分満足できたと言える。

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2010/01/01

新年のご挨拶

Shougatu_004 新年明けましておめでとうございます

めでたさや松も菊花も千両も   恵鼓子

                                          

                                    

                                                                                       

「あとりえ・チビッコ」を訪問してくださり、ありがとうございます。町の本屋の片隅に置いてある本ならば、一日、数人も見てはいただけないほどのささやかなこのブログを、一日平均45人もの人が読んでくださるほどに成長しました。

私の生き方や指導に対しての考え方を書くことで、造形絵画教室「あとりえ・チビッコ」保護者の方にも理解していただけるように努めてまいりました。これは一重に訪問者の方々のお陰と深く感謝しています。幼い日に学校で貼りだされた自分の絵を見るように、子供たちの無邪気さや、かわいさを感じてもらえればと、思っています。

今年は「あとりえ・チビッコ」の展覧会をする年です。年々、少子化の影響もあり規模は小さくなっていますが、子供たちの日ごろの成果を発表したいと考えています。ブログの中で展覧会をしたいと考えています。またあとりえ・チビッコに小さい時通っていた子たちとときどき道で会います。その子たちとみんなで会いたいと考えています。今年もどうぞよろしく!                                                 

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