母の90回目の誕生日@1・11
母の誕生日が明日に迫った今日、家族が書いた色紙を学芸大学の介護施設に届けた。朝の朝礼のような時間に、家族からのお祝いの手紙が読み上げられて手渡されるという。今回はうっかりと3日前まで私が忘れていたので、母の孫である娘たちにはファックスで、弟からはパソコンのメールで受けて、私と芳州先生が色紙にとりまとめ貼った。
弟は香港からメールできた。妙に神妙なメールで目から水が出て、笑ってしまいましたよ!トモ君は「またあそぼうね」と書き、次女は今まで見守ってくれてありがとうと言い。翼さんも一緒に書いてきた。長女夫婦は連名で。
私は正直に言うのが好きだから、母に会うとつい疎ましいことを言ってしまう。でも心では違うことを思っている。思っているからこうして行動している! そのギャップが最近は大きい谷になり、ある意味では清里大橋の谷ほどに深く険しい。
今日の手紙のレイアウトは楽しい作業だった。弟は海外によく出ているので、国旗のトランプを並べてカラーコピーしてからメールに貼りつけた。フィンランドと日本と韓国をメインに貼り、彼が行っていそうな国を縦に貼った。行ったことがないかもしれなかったが、よくおやじギャグを言っていた国もあったので貼った。そんなことをしていたら楽しくなった。
私は母への気持ちを正直に書いたら、何のためにしたのか分からなくなるので、母と父の良いところを継承し、ついでに二人がしていた指輪を合体させた翡翠の指輪を確かにいただきましたと書いた。ずっと気にしていたから安心するだろう。もちろん母から手渡しでこの正月に貰ってあるのだが、きちんと文章にするとすっきりするだろう。指輪の価値はそれほどではないが思い入れがあるものだったからだ。
母はおととしの夏に転んでから、2つの病院と3つの老健(介護施設)での生活を余儀なくされている。なんとか立つことはできるが車椅子での移動と生活上の不自由さを子供である私たちは日常的に手伝うことはできず、心ならずも介護の諸先輩に任せながら、自分たちの生活を維持堅持している。私が小さい子供を相手に仕事をするのを厭わないのと同じように、お年寄りを相手に仕事をするのを厭わぬ人がいるのも事実だ。介護をする人たちは「滋子(照子)おばあちゃんにいろいろなことを教わっているので、本当に勉強になるんですよ。」とよく言う。もしかするとお世辞半分かもしれないし、冗句かもしれないが、私はその場面では言葉を信じてた。
その道のプロの人に任せることも時代が変わったのだから心を許していいのではと思う。代わりに家族の目をいつも向けていることも必要ではあるが。
とにかく母は明日90歳になる。大森の米問屋ヤマシロヤに生まれ大正、昭和、平成 と生き、4歳年下の父と結婚し、私と弟を育てそして4人の孫を得た。今までありがとう、おばあちゃん。これからもよろしく!
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