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2010/02/20

雪を見ながら國母選手を思う

Kokubo このところバンクーバーオリンピックのスケートボード、ハーフパイプの日本選手國母選手の服装や態度について、ブログ上で議論が持ち上がっていた。私ははじめ、静観していたが、競技を見てから感じることがあったので不得意分野ではあるがさらっと言っておきたい。Kokubo2

ハーフパイプに出場している選手全体では國母選手の来ているようなスケボールックもあったが、アメリカの選手はジーパンを改造したような少しだけ幅広のパンツで滑っていた。あの競技はどうも、螺旋状に滑りながら風を計算に入れて滑り、なおかつ高く、新しいパフォーマンスをするというものらしい。その動作を維持するためには腰まで下がりだぶだぶ幅広のズボンが競技にはあっているのだろう。競技の時の衣装を着続けているとスーツも崩して着たくなるのだろう。耳や鼻のピアスは競技では構わないのだろうが、氷点下の世界では凍傷にならないかが心配だ。

海外では音楽会やオペラに出席するには服装に決まりがあり、スポーツレセプション会場での服装にしてもその流れがあるのではないかと思うが、新しく起きたスケートボードだから規定はないのだろう。この議論が起きたのが日本の国内なので、これは今の日本が問題なのかもしれない。それと、彼の態度に対して、海外の報道陣に聞くという報道をしていたテレビ局があったが、やはり、内田樹の日本辺境論のどこかを思い出す。自分で意見を出せないで、海外に「どうでしょうか」と聞く日本人がいるのではないか。

Kokubo3 きっこのブログでは國母が小さい時からスケートボードをしていて、海外遠征もしてきたつわものだと詳しく調べて書いていた。私もその情報がなければただの不良っぽいスケートボーダーとして、聞いていたと思う。だから國母は競技で答えを出して欲しいとも言っていた。実は私もそう思っていた。

少年のようなシャイな男の子がハーフボードの舞台に立った時は「がんばれ!國母」という気持ちになっていた。なんだか私の愛するトモ君のような気もしたし、スケートの高橋選手のアサヒビールのコマーシャルにちらっと出てくるあとりえ・チビッコに来ている健太のような気もした。だけど、今の日本は学校ではこういう時のマナーを教えることが出来ないでいるのではないだろうか。まあこのハーフボードがスポーツ界の芸術とすると、芸術にマナーはないかもしれないが。人が集まる場所にはマナーはあるべきだけど、こうした状況にある日本が問題なのでしょうね。彼の周囲にもっと本質的に優しい援助者(パトロン)がいればよかったのではないか。もう少し洗練した感じでインタビューが出来たのかもしれない。孤独な世界で勝負していると人の意見は聞きにくくなるのかもしれないが。マナーを学校で教えず、家庭でも教える時間がなかったり、所属するグループで個人を尊重しすぎて教えなかったらどこで教えるのだろう。とりあえず、今回の試合では8位に入賞し結果良ければすべてよしもあり、主義は貫けたと思う。

たまたま、時同じくして、私はバレンタインデーの気持ちを盛り上げるために、ニコラスケージの≪月の輝く夜に≫を見ていた。主人公の彼はパン職人で、いつもはTシャツで汗水たらして仕事をしているのだが、ここぞという時にとびきり素晴らしいスーツ姿で彼女をオペラに誘っていた。今関係ないかもしれないけど、私の好みとしてはそちらの方が良いのですがね。でも、いまから23年前の映画だから、次元が違うかしらね? 私には國母選手がこれからどのような大人になっていくかが楽しみ。そして、このスケートボードのハーフパイプという競技を彼のお陰でたくさんの日本人が知ったということもあると思う。その点で、國母選手に拍手を送りたいです!それは彼にとっては本意ではないかもしれないが。 もしかすると問題は別のところにあるのかもしれない。

國母選手と私は違うから、これからまたドイツやフランスに行く時、私は日の丸のゼッケンを背中につけた気持ちで行くけれどね。

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