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2010年5月の記事

2010/05/27

トビウオを描く・2010

Tobiuo_kentaTobiuo_kentarouTobiuo_riho 左からケンタ、ケンタロウ、リホ。

魚屋では今、旬のトビウオが売られている。子供たちはお母さんと一緒にお買い物にも行く時間がなく、切り身になった焼き魚を食べるだけだろうが、あとりえでは一尾の魚を用意して背びれや尾びれを広げて見せて描かした。

昔私たちが小さい時はお買い物について行って、魚屋のおじさんがさばくのをじっと見ていたものだ。今でもデパートやスーパーでも対面販売の場があると見ることは出来る。子供たちが小さいうち、母親と行動を共にする時間があるうちにそのような体験を積み、絵を描くことにプラスにするだけでなく、切り方の意味や、調理のプロセスを学んでおいてもらいたい。そのような経験は文章にする時も大切だからだ。

Tobiuo_rikoTobiuo_takesiTobiuo_tomoya 左からリコ、タケシ、トモヤ。

パックにされた魚が売られ始めたのは私が結婚したばかりの頃だった。今では慣れてしまったが、その当時は何とまずそうな切り身だ、と感じた。昨日は、おけいこが終わってから私はまるで夫が釣りにでも行ったように4尾のトビウオを背開きにしたり、三枚に下ろしたりした。そしてこうしたことを子供たちの前で実演すればよかったと思った。いつかまた別の魚でしてみよう。

公募展(三菱の子供の絵のコンクール)などの時には他のアジアの子供たちの絵画は親の手伝いや、地域の信仰の行事などで、実に絵が生き生きとしていた。私も出来るだけ子供たちが生き生きした絵を描けるようにしたいので、学校のやり方とは違う切り口で指導しないといけない。絵はクリックして大きくしてみてください。なお、2005年7月10日にも「トビウオを描く・Ⅰ」「トビウオを描く・Ⅱ」を書いている。その当時の子供たちはもう、高校生になっているだろう。記事を読みなおしてみると、取り上げた2人が九州に親戚があり、良く海を見ている子だった。ⅡはアリアちゃんとⅠはお父さんが共同新聞記者の カナちゃんとハルナちゃんだ。今、どうしているだろう。

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2010/05/23

新しい道具★ツイッタ―・Ⅰ

Kawakami_shoku 昨日、山小屋で夕食を食べながらツイッタ―について考えた。新しいモノに人は身構える。ブログという言葉もホームページの後に出てきて、怪しい雰囲気もあったが、もう、そのツールを持つことは当たり前に近くなった。私もまたブログ開始の時(2004年秋開始)と同じように、ツイッタ―も、身構えながら始めている。老婆心があるのでね。若い人たちが、いろいろツブヤクことを聴く。それでもその人のプロフィールが書いてあっても真実のところは分からない。そして140字で書くので、若いだけではなくて、かなり年配の人もしている。お友だちを仲間にして下さいと言われても、身近でだれがいるかは分からないから、マスコミやブログを通じての、信じたい人をツイートしている。

新しい考えの傾向や140字の短文の中に感じるその人の魅力や気ままさが今の時代を感じることが出来てくる気がする。今日の朝、≪ツイッタ―は暇つぶしではないか≫と書かれている人(xpiazzollaさん)がいたので、私の思ったことを返信した。

「時間がかかり過ぎれば暇つぶしになると思うけど、ひどく落ち込んだり、孤独を感じた時に、ツイートすれば救われるかと予想しているのですが」と。だが正直考えてみると、落ち込んでツイートすることは自分をさらけ出すことになりそうなので、なんとかそういうことを避けてスマートに書いているうちにその窮地は脱却できる気がする。想像だけどね。

人は孤独だと思う。群れている鹿を見るとそう思う。鹿はヒューンという鳴き声で皆結束するから。そして鹿は前提として孤独だ。人間は群れて仲間を作っているから、孤独に気付かないで、最後の最後に孤独が来るはずだ。だから孤独を感じる前に孤独を意識していたら、孤独のままでいれる。仲間と集うことが出来るときはツイートしていればいい。でも最初は勇気がいる。

ところで昨日きっこのブログのきっこからフォーローされた。娘の世代の人気ブロガ―にツイッタ―のフォローをされて実はとてもうれしい。私は小さい時から持っている≪あこがれの気持ち≫を大切にしてブログもツイッタ―も始めた。そして、人の気持ちを暗くするようなことはしたくない。出来れば前向きに、まあ難しいかもしれないけれど。それは自分をコントロールしてプラス思考でいかないとだめだと思う。

Kawakami_kabaKawakami_musi ツイッタ―に昨日の夕食の時に撮った白樺の写真を載せると書いたのでこちらに載せる。まだツイッタ―に写真を載せる方法がわかっていないからブログの方に載せることにする。灯りに向かって甲虫が飛んできた。クチキゴミムシではないかしら? 追記:下記のコメントに書かれているモモブトシデムシのようです。訂正します。対応が遅れて申し訳ありません。

今日の雨を予測して敷地内にたくさんの樹木を植えた。キクイモ、柏葉アジサイ、姫百合、サクラソウ、鉄線。鹿除けのネットが功を成せば、嬉しい。 キングサリは無事に成長している。ドイツのノルドリンゲンで見た、黄色の花を拙宅の庭でも咲かせたい。鹿に狙われる我が家の畑も今のところ無事。鹿糞の跡は連休以降増えていない。

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2010/05/20

パスタで絵を描く(パスタのコラージュ)

                                                           Pasutae_takeshiPasutae_manamiPasutae_momoka

              

            

左からタケシ、マナミ、モモカ、。

Pasutae_tomoya

Pasutae_reinaPasutae_riho                                             

                                         

                                         左からトモヤ、レイナ、リホ。

檜の木切れにパスタをコラージュした。食べるものにマーカーを塗って絵にすることは少し不謹慎かもしれないが、輸入食料品店で恐竜のパスタを見たときにどうしてもこのようなことをしてみたくなった。かなり大昔にあとりえ・チビッコではしたことがある。

子供たちは塗りながらアルファベットのほうを齧りながらしている子もいた。デザイン的な処理をする子もいれば、自分たちの子供の世界を恐竜や熊を使って図式化している子もいた。手先の丁寧さや、根気強さに加えて、汚れることを気にしないことも大切だと教えたかった。特に子供たちは小さい時から大切に育てられ、絵の具で汚れたりすることを避ける子もいる。この課題にすればどうしたって汚れちまう。そこで楽しいことをすれば気にしなくなる!なーんてね。自分の名前をアルファベットで入れながら、ない字体を探すうちに、どこからか「あったよー、N!」 なんて声がかかって楽しい雰囲気。

こういうことをすると、気分が開放的になって、フランクになる。みんな疑似兄弟姉妹になるかもしれない。こんな空間大切と思う。何かを作りながら、築きあげるコミュニケーション。一人っ子も多いのですから。    

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2010/05/14

三鷹光器の「エコなクローバー」(朝日新聞記事より)

Asahi_mitaka 今日の朝日新聞にあれっと思う写真があった、私は最近、知人が病気になってお見舞いを送ったけれど、できれば幸せな四つ葉のクローバーも手紙に入れて送りたいと、原っぱを通るたびにクローバーをじっと見る癖がついていた。そこで新聞に目が留まったのだ。

そして記事を読んでまた、少し驚いた。この三鷹光器は以前、NHKのニュースで知った企業だ。そのことをブログに書いている。

「三鷹光器(中村勝重社長)では新製品の開発にはスケッチで絵を書いてレポートにするそうだ。いろいろなアイデアを絵にすることで、イメージが作りやすくなるという。中村社長の、その社風で大手ができない新製品を作っているそうだ。朝早くのニュースだったのと、半導体などという私には無縁な言葉が多く、ついうっかりしそうな話題ではあったが、「アイデアを絵にする」という言葉で、私も注目して、メモをとった」

このアイデアもきっと始めは社員の人が小さなスケッチブックにメモを描いて温めてアイデアを実現したのだろう。以前の三鷹光器のニュースを見た時は、私にはわかりにくい半導体という言葉でしかなかったが、今日の朝日新聞の記事のキャッチコピー(広告文案)が分かりやすくて、写真もきれいで、目を引いた。こうして記事は出来上がり、こうしてアイデアは現実に移行していくのですね。

ところで、太陽光発電の四角いパネルはよく目にするが、こうした四つ葉の形は初めてだ。私はどちらかといえば四角より四つ葉のほうがかわいいし、長野の庭に置いておければ良いのだがと。できればにシカ除けの装置も付いていたらいいのですが。一家に一台clover幸せのクローバー!

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2010/05/13

写真雑誌からのコラージュ@バラの花のデザイン・2

Barakoraju_hinataBarakoraju_kentaBarakoraju_kentarou

                

                

Barakoraju_momokaBarakoraju_riko_2Barakoraju_takesi

             

Barakoraju_risa 作品上段はヒナタ、ケンタ、ケンタロウ。中段はモモカ、リコ、タケシ。下段はリサ。

子供たちの作品を一堂に並べるとその違いが分かりにくいかもしれない。一つ一つクリックすると大きくなるので、良く見てほしい。写真のせいで光っているものもあるが、仕事も丁寧に写真がどういう効果が出てくるかを計算して貼っている。このような仕事を積み重ねていけばパソコンでのデザイン処理などが効果を出すのだと思う。

Barakoraju_1_2  英国王立写真協会はかつてはエリザベス女王の直下でありました。女王様、この写真を使わさせていただきありがとうございます。日本の子供たちは無邪気に笑いながら美しい景色や不思議な写真を切り抜き、精神的に解放されていました。

             

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写真雑誌からのコラージュ@バラの花のデザイン・1

Koraju_1我が家は芳州先生が写真の関係の仕事をしているため、写真雑誌がたくさんある。最近は英国王立写真協会からの古い情報誌がたくさん集まったので、それをありがたく切り取ってコラージュすることにした。上は指導のための試作。

コラージュといえば、「雨の中の私」という言葉のネット検索で知った藤掛明氏は写真のコラージュという描画療法をしていて、作品から子供の心理を読みとることをしていられる。その状況はちょっと特殊ではある。私は「雨の中の私」を知る前に「もう一人の自分」というテーマで子供たちに絵を描かせていた。ブログをし始めたばかりの頃だ。その時は全くそういうことを知らないで私は指導していた。

藤掛氏は立場が私とは違い、非行のために少年鑑別所に入っている子どものためにクリスチャンとしての立場で、描画療法として作品を読み説くことをしていられる。5年ほど前になるだろうか、あとりえ・チビッコ展で、「雨の中の私についての子供たちの作品の解釈をしてあげることが出来ます」という趣旨のメールをいただいたことがあった。私はまだブログをし始めたばかりで、いわゆるバーチャルな世界に対しての臆病さや怪しみも持っていた。もしかすると今もってそうかもしれないが。そのチャンスがありながら、確か丁重かどうかも思い出せないが、なんとなくお断りしたように思う。

Koraju_2_2 最近また私は思い出したようにその事が気になって、藤掛氏の「描画テスト・描画療法入門」(金剛出版)を取り寄せて読んでみた。今回私が子供たちにしている方法は藤掛氏とは違う角度から指導していると思う。写真の平面を絵の具やクレパスやマーカーで描いた時と同じように色彩として認識して貼り付け(コラージュ)させている。そして子供のその感覚を見ている。彼の著書によると、写真の意味するところを深く掘り下げて、読みとっているので、私が指導していることとは違っている。だが、昨日の課題では子供たちは、関係ない写真も選んでいる時もあり、色彩としての認識だけでなくもっとやりたいことがあるのかもしれない。

彼の著書を読んでうなずけることもあり、これからの私の指導で意識していきたいとも思った。藤掛明氏のブログは≪オフィス・フジカケ≫です。氏は描画について書いてもいるが、最近はクリスチャンとしての信仰の方向も感じる。今回、私が子供たちに指導したかったコンセプトは≪バラの花のデザイン的な処理≫ということになると思います。そして改めて、僭越ではあるが藤掛氏は若い頃に鑑別所の子供たちのために心の支えとなるべく描画療法をされていたことに敬意を表したいと思った。

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2010/05/06

鹿との遭遇

Sikahoushu_001 昨夜は11時ぐらいまで起きていて寝るときに習慣的に庭の点検で懐中電灯を付けた。すると窓から10メートルも離れていない所に雌ジカがいた。急いでデジカメで写す。かろうじて映っていた。周囲では絶えずガサゴソと音がする。とても怖かった。

ところで私のブログの先輩「知のヴァリトゥード」の昨日の更新した記事には、「虫コナーズを庭に置いたため、キュウリの受粉が出来なくて実がつかなかった」と書いてあった。その記事にヒントを得た!鹿コナーズが出来たらいいのにと思う。紀伊鉄道でライオンのフンを撒いたところ事故が減ったという事実をふまえて、その鹿コナーズにはライオンのフンをハーブのサッシュのように入れておけば良いのではないのかな? Kawakami_higai

いま私たちが庭や畑を守るためにポールや杭や針金を使うよりスマートな鹿コナーズが出来たらと思う。その事でパテントを取る気はないが。それよりは山の奥で小さな畑の野菜を食べながら自給自足で、生活しているご老人たちが鹿の被害にあっているのは全く気の毒だ。私の畑や庭は趣味の域を出るものではないからだからね。上の鹿の写真は夫の芳州さんの撮影。私が撮ったものより良く分かる。いずれ彼もブログに載せるでしょう。

Kawakami_siju_2 北国の春は遅い。でも昨日はまさしく「白樺~~青空~南風~~」だった。今年の春は突然夏になった。一週間前には雪も残っていたのに一気に夏になった。鹿被害、温暖化の図式が見える。

4月30日に鳥の巣箱には柔らかい巣材を運ぶシジュウカラの夫婦を見かけたが、7日が経ったが、今もって巣材を運び続けている。なんだかとても楽しそうに巣に入るときにはキリモミ状態になって入っていく。2匹で続けて出ていく時もあり、仲が良い。巣を作るのに仲が悪かったら出来ない。どこかから、「鳥の夫婦にとって仲が良いとか悪いとかはないのじゃ」と自然の空気が震えて天の声のように聞こえた。ここに生まれたから夫婦になり、ここに生きていたから夫婦になり、出会ったから一緒に巣を作る。(注:普通巣箱を覗くと鳥は巣を作らないと聞くが、我が家に来るシジュウカラは私のことを良い人だと思うDNAが組み込まれていて巣作り中に開けることも可能です)

生について、もう一つの性について考えていたら、遠い親戚の訃報を聞く。生々流転。残った人の悲しみを思い。天に召される人の成仏を祈る。亡くなられた方はご住職であり、死ぬ間際に2回も遠く離れていたかわいい孫とそのお嫁さんに会えたのだから、この世に執着を残さず仏となるはずだ。≪ 成仏≫を辞典で調べたらそう書いてあった。

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2010/05/04

「光る地面に竹が生え」を描く

Take_rihoTake_riko_2Take_kentarou_2 左からリホとリコ、ケンタロウ

Take_kentaTake_momoka_2Take_tomoya  左からケンタ、モモカ、トモヤ。

Take_risa Taketakesi_2   左はリサとタケシ

「光る地面に竹が生え」の萩原朔太郎の詩を読んで絵を描かせる。去年も描かせたのであるが、実物の筍を見せて詩を読んで描かせる。詩の響きの韻を踏んだリズム感を絵の中に表すように、気づかせたかった。風邪などのために休んだ子が多かった。また塾の時間を気にしながら描く子も出てきている。

忙しくとも、情操教育としての時間を過ごさせたいという、保護者の考えも優先されている。確かに勉学には理解や記憶が積み重なっていく快感もあるが、受験となると殺伐としてくる場合もある。そういう時にこうした詩の絵を描くなどという時間も時にはほっとする空間かもしれない。ただ切り替えられないで煩悶する時間が長すぎるのは逆効果もあるかもしれない。さらっと描いて気分の切り替えになるのならば、月に3回のこの時間が有意義だと思う。

「竹」(萩原朔太郎)

光る地面に竹が生え、青竹が生え、地下には竹の根が生え、根がしだいにほそらみ、根の先より繊毛が生え、かすかにけぶる繊毛が生え、かすかにふるえ。かたき地面に竹が生え、地上にするどく竹が生え、まつしぐらに竹が生え、凍れる節節りんりんと、青空のもとに竹が生え、竹、竹、竹が生え。

談合坂で買った筍だが、今回はくじを作って一つだけハンコを押して当りを作った。お母さんに当ったよとお土産に持っていきたいからか、自分の運の強さを表したいからか、ただ単に食いしん坊からか、子供たちは喜んでくじを引いた。3人休んだから、今日見学の子も仲間に入れて上げる。こうなると私は駄菓子屋のおばちゃん状態。何と、見学に来たタケシ君が当り!たけし君です。ケンタは「良かったじゃないか、見学に来てくじが当たるなんて」意外性に驚き、他の子供たちも新しく入る子に心の中で拍手を送っていた。良い子たちだ!

でもですね、本当の地面から出ている筍を見ていつか、この描き方が違っている点に気づくだろう。竹の皮を剥いてしまってあるモチーフと本当に生えている竹との違いだ。それもいいと思う。先にとにかく描いておいてあとから正しい物をみて、理解することもあっていいのではないだろうか。子供たちが幼稚園などでの体験(いも掘りや大根抜き)が、本質の理解として積み重なっていくことが大切だと思う。そういう意味において私が以前お借りしていた八ツ橋学園幼稚園は子供たちに体験をたくさん積ませていた。

ところで、見学のタケシ君の絵は写真撮り忘れたので、次のおけいこの時にここに掲載しますね。

追記:右はあとから描いたヒナタTakenami (詩あり)とナミ。二人には筍のモデルをなしにして詩を描かせた。かえって想像が膨らんで描けたとも感じる。Takehinata

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