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2010年6月の記事

2010/06/26

ショパンを聞いて描く

あとりえ・チビッコでは時々音楽を聴いて描くことをしている。今回は今年ショパン生誕200年なのでショパンの練習曲12番ハ短調作品10の12≪革命≫聴かせて描かす。ちょうどアフリカの地でサッカーをしているので、民族音楽もいいかと思ったが、もうショパンに決めていたので、芳州先生のおすすめで、≪革命≫にした。

Shopan_keicoco 子供たちが描きはじめるのに時間がかかる予想がしたので、私も皆に交じって描いた。音楽と絵になればまた子供たちの心は解放される。導入方法の秘訣があると言えばあるが、それは企業秘密にしておこう。

全体を大きく使って描くのは部分にこだわらない気持の反映とも感じる。物作りで全体を見回す時には構築力のような脳の構造が必要に感じている。つまり細部にとらわれない。細部を見続けることや物語性を大切にすることも描く時には大事だが、この用紙に中にどれだけの世界を描いていくかという指揮者的発想も大切に思う。入ったばかりのタケシ君が人の真似なんかしたくないと言っている。私の教え方だとだいたいそう言うようになる。

Shopan_tomoyaShopan_takesiShopan_risaShopan_riko 左からトモヤ、タケシ、リサ、リコ。

Shopan_riho

Shopan_reinaShopan_namiShopan_momoka 左からリホ、レイナ、ナミ、モモカ。

Shopan_manamiShopan_kentarouShopan_kentaShopan_hinata 左からマナミ、ケンタロウ、ケンタ、ヒナタ。 

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2010/06/18

アジサイの花を描くことと絵本「きつねの窓」

Ajisai_manami_2 Ajisai_takesi_2

Ajisai_kentarou2_2 Ajisai_rikoAjisai_namiAjisai_risaAjisai_riho_2Ajisai_hinata_2Ajisai_momoka

Ajisai_reina

Ajisai_kentaAjisai_tomoya_2 上段左からマナミ、タケシ、ケンタロウ、リコ。中段左からナミ、リサ、リホ、ヒナタ。下段はモモカ、レイナ。横位置はケンタ、トモヤ。どうしても写真がうまくレイアウトできません。

子供たちは今回アジサイの花を描いた。シーボルトが日本に来て美しい花と感じて、自国オランダに持ち帰った際に奥さんの名前おたくさん「Otakusa」と名付けている。その話をすると少女サッカーチームに入っている、ヒナタちゃんが「土曜日は日本とオランダが戦うよ!」と目を輝かす。そして、久しぶりに教室に来た子たちは嬉しそうだ。アジサイの花は園芸店で見つけた名前が≪パリ≫と≪アリラン≫と言った。濃いピンク系と青系だ。

リサちゃんは描いているうちに手が紫色になってきた。そうだ!確かあの本!探したら、あった!随分、読んでいなかった!≪きつねの窓≫文・安房直子 絵・織茂京子(ポプラ社・おはなし名作絵本)リサ、レイナ、リホの3人しか来ていなかったけど読み始めた。きつねの窓。

ぼくが青いききょうの花畑の中を白い子ぎつねを追っていくと、ふいに小さなそめものやの前にでました。店から一目で子ぎつねとわかる男の子がでてきてテーブルに案内してくれました。「お客さま、指をそめるのはとてもすてきなことなんですよ」というと子ぎつねは青くそめた自分の指でひしがたの窓をつくってみせました。「ねえ、ちょっとのぞいてごらんなさい」ぼくはしぶしぶ窓の中をのぞきました。そして、ぎょうてんしました。指でこしらえた小さな窓のなかには白いきつねのすがたが見えるのでした。

本の中ではききょうの花だが、今日のモチーフはアジサイ。でも子供たちに読みながら良い本だと思った。設定を考えると私の大切な長野の山小屋のようでもあるし、私が育った目黒区の清水町の戦後の平屋の縁側が出てくる絵なのだ。昔、娘たちに読んでやった時も感激して私は泣いてしまった。自分の小さい時が思い出されるからだ。まあ脇道にそれてしまいました。このぐらいにしておきましょう。

モモカはアジサイよりも周りが強すぎて花の美しさが出ないので、白で塗り重ねて消すようにさせた。リコは説明的に描くのが好きのようだが、それを徹底的にしないので、もっと!、もっと!と言って描きこませる。リホはこのごろ美しさを描くことが出来るようになった。説明も大切だけどきれいなのはどういうところなのかを感じてそれを描き表すことが大切だからね。

絵も描きたいけど原っぱのトカゲも気になる梅雨の合間のお絵かき教室でした。絵本は少しずつずれて子供たちに読み聞かせました。

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2010/06/16

Paris&Provins(IL de France)の旅・Ⅰ

France_496 片言のフランス語と少しの英語とアイコンタクトと身振り手振りで過ごしたフランスから戻った。留守中の整理とどうしてもしなければならない用事と荷物の整理に追われている。また、教室の子供たちへのお土産を袋に入れたりした。そして今から2時間ぐらい前から写真整理をする。

コンコルド広場のヒエログリフの書かれたオベリスクと金に輝くコンコルド近辺のモニュメントがフランスの力を感じた。パリ8日間のうちの、2日間を観光バスに乗ってパリ見学をしたのだが、フランスはパノラマチックであり、深い深い泉を見るようであり、民族が複雑に受け入れられていると感じた。私の感じたフランス国は予想とは違っていた。もっと若い時に行っていたら、こうした感慨を持てたかは分からないがとにかく感動した。

帰りにルフトハンザの新しいA380の2回目の飛行便で帰ってきた。ドイツの着実さも感じることができた。

そして、日本がなんだかだいぶ変わっていたが、いつも私たちが出かけて帰ると日本は変わっている。変わってしまうことと変わらないこと。時差の解消をしようと昨日夜中に寝床に置いてある聖書を読んだ。日本語と西洋思想の根源がジンワリとハートに染み込んできた。

明日はあとりえ・チビッコがある。もう寝よう。

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2010/06/07

私がパリに行きたい訳

シャンソンを始めて聞いた時に、日本の演歌と同じと説明を受けても、同じとは思えなかった。鼻にかかったフランス語が耳に入り込んで来る感じが好きだ。女子美短大での2年間にフランス語に少しだけ接しその思いはずっと持続している。フランスのイメージは私の中では、オーソドックスな凱旋門であり、セーヌ川であり、ナポレオンであり、オルレアンの少女でもある。

私の育った家では、弟は学生時代に交換留学生としてのフィンランド行きに始まり、その後は海外に自由に行き来している。姉である私は容易にそういう考えは持たなかった。良妻賢母の考えを親からも躾けられ、自分自身にもそのような考えを持てずそのままが過ぎていた。その後もずっと子を生み育て、教育を受けさせるのにエネルギーを注いだからだ。

私がこうしてドイツにいけるようになったのは、夫が出版社を辞めてフリーになり、写真の撮影にドイツを選んだことで私にもチャンスが来た。助手としての立ち位置が出来たからだ。娘たちの自立も幸いした。

よく夜汽車に乗った時、線路のわきの家々から見える窓の明かりは、いつも私に同じ思いを起こさせる。どうしてあの家に生まれなかったのだろう。何故私は都会に生まれたのだろう。何故日本に生まれたのだろう。何故、ドイツに生まれなかったのだろう。ここ15年程の間にドイツ旅行をするようになってからは、何故ドイツの田舎町に生まれなかったのだろうと、考えるようにもなった。夫は音楽や工学的な考え方からドイツが好きなので、私も同じように思って着いてきたが、この歳になるとどうしてもフランスに行きたいと思うようになった。きっとフランスに行ったら、どうして私はフランスに生まれなかったのだろう。どうしてあの灯りの下で食事をしていなかったのだろう、と思うようになる。フランスには全く行っていないわけではない。アルザス地方には2回行っている。どこにもワインレッドの色があって、ドイツとは違う色彩を感じる。

私はフランスのパリに行きたい。今、このブログの記事が載る頃に私はパリの近郊プロヴァン(プロヴァンスではない)にいるだろう。私はこの始めてのパリを体験して、何か失敗したりしてマイナーになっていない自分を想像していたい。

ボンジュール、トレビアン、シルヴプレ!オールボア!ジュブザンプリ!ボンソワール、ムッシュ!今回はパリの空気を吸ってくるのが目的なので、多くの観光を望んではいない。エッフェル塔とセーヌ川の流れを見て、空気を吸ってくればこれからの私の想像力に火がつくはず。

トレビアン!

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