母の祈りに似て・健太と健太郎
子供たちに絵や工作の指導をして、今年の夏で何年が経ったのだろうと、指を出して数え る。夏から始めたのでいつも7月になると数えてしまう。確か次女が2歳、長女が4歳の時だ。そう私が29歳の時から始めたのだから、34年が経った。
暑い夏の横浜・希望が丘のマンションの部屋から始めた。次女が飽きてしまわないように氷かきとコーヒーミルを用意して始めた。そのうちに子供たちの友だちが教えてほしいと入り、娘たちは中高受験も経て、美大へと進んだ。その間に教えた子供たちは何人になるのだろう。
20年ぐらい前には、指導者と言うのは自分の指導の成果や結果を見たいから長生きしないといけないと思っていた。そして子供の側に沿った絵画指導、子供たちを喜ばせる工作、子供たちの心を絵を通じて健康にさせられればという思いでここまで来た。今自分の長生き論には少し変更部分が出てきたけれど。
先週で健太郎と健太が あとりえ・チビッコをやめた。厳密には明日なのだけど。津崎家とはかなり長いお付き合いだった。姉の江美、そして健太と続いたからだ。健太郎は元々の家がある和歌山に戻る。
私は誰にでもそうであるが本人の個性を殺さぬように、自由に描かせていた。写実である静物画の時には訂正や軌道修正が必要なデッサンもあったのだけど、自分で気づくまで待とうと、意識的にほっておいたことが多い。健太郎とは思っていたより早い別れが来てしまった。そこで私が少し戸惑っている。
健太はドーンとした主張があって、面白い。躊躇しない判断力の早さがある。スケートを通じて培われたものかもしれない。繊細さは少ないから、もしかすると対照的な二人だったのかもしれない。健太は絵だけではなく、全体を見る社会性が人一倍あると思う。中心になって他の子たちに光を与えていく存在感があった。そういう観点から二人はどんな絵を描くだろうといろいろな課題を出してきた。ケンタとケンタロウは、作品の個性が光っていた。彼ら二人がいなくなるのは寂しいけれど、新しく入ったタケシやレイナ、前からいる個性の強い子どもたちがまた独特な世界を繰り広げそうでもあるから、心配はないでしょう。
私はいつでも、子供たちの幸せを祈っています。今年のフランス旅行の際のプロバンの小さな教会に入った時のマリア像がこの子供たちへの≪さようなら≫の気持ちを表す良い写真だと思うので、母の祈りのように載せておきます。健太と健太郎がいつも元気でいられますように。世の中の悪から救って下さいますように。お母さん、そしてお父さん、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に私も、彼らの成長を祈っています。
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