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2010年8月の記事

2010/08/28

2010年の夏

Kawakami_natu1_2 この夏の川上での我が家の農作物の収穫はささやかだった。年々収穫量が減っていくジャガイモは柵の下から入り込んだ野ネズミに薯をかじられ、そこをくぐって、イノシシか小鹿が葉を食べたせいで収穫量は減った。種イモの5倍は収穫できるはずなのが、2倍がやっとだった。ジャガイモさえ採れれば、自給自足は成り立つという信念は7月半ばで無残にも打ち砕かれた。海外に行く期間が重なるとどうしても、芽かきなどの作業がずれるので、植物自体のバランスも悪くなり、しっかりとした成長が出来なくなるのだろう。タイムリーにしたいが難しい。

ところがブルーベリーは酸性土壌でも差支えないのでこちらに来るたびに実が実り、食すことが出来た。鳥除けはしていないが、この時期、ほかに食べるものがあるようで、果実は丸々と成長し、枝に残っている。

Kawakami_natu2 ところで問題の鹿は今朝、ココにせがまれて朝未明に起きて薄暗い中、目を凝らすと、家の前の道路から2頭が駈け去った。あとで何を食べられたのかとよく見てみると釣り鐘人参の花が食べられていた。またノリウツギもだ。ノリウツギはこの頃シカに食べられるため、徒長枝を長くのばして花を付けるようになった。アジサイの一種でアナベルという新種があるが、その花に似た花がたくさん咲いていた。ドライフラワーにしようと枝を切って花束にしてみた。

今日は畑を耕そうと鍬を入れ始めると敷地で日が当っているところと当っていない所があった。もうそろそろあの木を切らないといけないのだが冬まで待てない。今日は体力があるので切ろうと考えた。1本切ると、芳州さんがチェンソーを持ち出して手伝うという。2本目の木は結構な長さだった。

こうして白樺を切ると、中高時代に国語で「次の短文を比較せよ」という問題を思い出した。一つは男の子が白樺の木に登っていって降りられなくなるという話。もう一つはサルを追いかけて船のマストに登り、降りられなくなるという話。どちらも高い所に登ってしまった男の子に対して、解決の方法が違う話だ。中身についての記憶が曖昧なので書けないが、「飛びこめ」「アリューシャ」という言葉が印象強く思い出す。調べるとアルチェーホフとトルストイの短編のようだ。「教科書に出ていたもう一度読みたい本」に載っているらしい。

Kawakami_yag もう一つ今年の夏の思い出で書き残していたことがある。八ヶ岳山麓大泉の「八ヶ岳倶楽部」に家族で行き柳生博さんと写真を撮ったこと。かつては柳生博の隠れファンだった私はTBSのドラマで板前さんの役で出ていた彼に心を踊らすこともあったようなこともあるかな。それが作庭家としての道をいく時、私たちと同じ道程、目指す理想が同じようで、不思議な気持ちを持ち続けていた。お会いするのは2度目だが、こうしてブログに書くのは初めてだ。

さて夏休みも終わり、学校も始まっているところもあるようだ。今年は夏休みのアトリエを母の足の具合が気がかりで無しとした。子供たちには申し訳ない気持ちもあったが、きっと思う存分遊んだのではないかと思う。先生はまだお山で、『自分がして楽しい工作のアイデア』を考え中です。白樺の木なんかをのこぎりで切りながら。

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2010/08/19

大垣のお菓子 「季の餅」

Cha 大垣の銘菓 金蝶園の「季の餅」を戴いた。今朝は気温が下がったと言えども、まだ暑く、さっそく冷蔵庫に入れておいたお菓子を賞味することにした。せっかくの銘菓だから、お茶を入れてと、茶筅と茶碗を用意して点てた。ただしお茶は水で溶ける簡易的な粉末緑茶だ。

「季の餅」君、粗末な抹茶でごめんなさいね!

だがしかし、餅の中の巨峰が喉につるっとして、美味! これから車の整備と母の介護施設に行くが、清涼なる時間を持てた。お贈り下さった F様ごちそうさまです。

 金蝶園 大垣市鷹島町1―17 ☎0584-75-3300

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2010/08/15

あの日・昭和20年の記憶(NHK再放送)を見て

昨日8月14日に NHKで≪あの日・昭和20年の記憶≫(2007年制作・再放送)を見た。新聞記事を通して作家や俳優、ジャーナリストなどの著名人が第二次世界大戦終戦記念日前後について、さまざまな出来事を一日ずつ語っていた。私は部屋の掃除をしながら気づいたので、8月4日のから8月20日までを見た。実は以前にも見ていたが、何度でも見ておかないといけないと思う。

なかにし礼の体験が胸を打った。満州で家が酒屋をしていたが、ソ連参戦の連絡を聞き、早く脱出しなければと、母親がつてを頼りに、軍部の列車に乗り込むことが出来た。だが満州にいた同胞を見捨てて先に軍人たちと列車に乗ることで、その列車内には重苦しい空気があり、その後も複雑な気持ちを持ったと話していた。人は究極自分だけを守る、と考えていて正解のようだ。私はテレビの再放送を、掃除機を止めて見た。

高見順が8月19日(確かではないが8月15日以降だったと思う)の日記には、「戦争終結と言い続けていた新聞社が8月19日に敗戦と言いはじめた」と、書いていた。それぞれの人たちが日記に軍部や新聞社に対する疑問や厳しい批判も書いている。こうした人たちが戦後を担ってきたからこのような豊かな時代を築くことが出来たのだとも感じた。私たちも国や権威あるものが言うことを真面目に聞きすぎないことがちょうど良いのだと肝に銘じておかないといけない。あの当時は権力を持っていた軍部が怖く、本当のことが言えないでいた。いまでは誰も平等で言論の自由がある。ただ日本民族的慎み深さは底辺に漂っているが。そして政治家こそが一般庶民の自由や幸福を守る人になって欲しいと思うのは簡単だが選ぶのは難しいことなのである。

番組を見ていて、父と母が戦争について話していたことを思い出した。軍隊にいる父に母からの手紙が来るとその中身を検閲されて、みんなの前で往復ビンタをされたという。母は今でも字がきれいで文章もきちんとして書いているから、今の若い娘のメールのような自由気ままなことは書かないはずだが、父と母のその誠実さに軍隊の上等兵は頭に来たのだろう。母は千葉の田舎に疎開していて、東京の方で空襲があり空が赤くなっていたこと。その千葉の地ではアメリカ軍が日本に上陸したときのために、竹槍の稽古をしていたことなど、母から聞いたことを思い出しつつ、戦後65年たって、一般庶民の中には変な自由や平等も植え着いてしまっている気もするが、庶民の義務を遂行しての幸福や自由であると思う。

また、私にとって母の兄の伯父さんも「仏領インドシナに行っていた」と、よく話してくれた。小さい子供だったころは「インドシナで象に乗った」と話してくれた。きっともっとつらいことがあったはずだがそれはあまり話してくれなかった。奇しくも父と母の結婚式の日、昭和21年5月26日、つまり、戦争が終わった明くる年に伯父は日本に帰って来て、母が大森の家から父の学芸大学の家に嫁いで来る途中、品川あたりですれ違ったらしいと親戚が集まると話していた。今となってこの話の主人公の母しかこの世にはいない。

父が母のことを思って往復ビンタを食らったことは私にとって後世に話せる戦争の話だと思う。そして母たちは戦後の配給時代の苦難をよく話してくれた。結局アフリカの地域戦争の難民や地震が起きた中国での難民への援助物資を争って取り合うようなことを軽蔑することはできない、人間の本性丸出しの部分もあったと聞く。そのような場面には遭遇したくない。

とにかく第二次世界大戦で日本が負けてから65年が経ち、それは日本の軍部が潔く負けを認めないために、長引いて無駄死をしてしまった人がたくさんいるということを時間が経っても考え続けなければいけないと思う。先ほど川上村やNHKの放送で、昼12時に 『65回目の終戦記念日に亡くなられた方たちへの黙祷を捧げましょう』 と流れた。私も2010年を生きている日本人として黙祷を捧げた。

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2010/08/11

森の花屋さん≪Flowers for Lena≫2010再び

Ooizumi_2 昨年夏に八ヶ岳大泉の森の花屋フラワーズフォーレナに寄ってから一年が経ったが、今年もまた店が開かれ賑やかになっていた。冬や春には閉店している店が夏になると開かれて、おしゃれな花束が売られているのを見るとうれしくなる。

Ooizumi_3 昨年にはこのブログに 「森の花屋さん≪Flowers for Lena≫」 の記事を書いて以来、冬でもアクセスされている。それはこの名前がチキンシャックというグル―プの曲名に由来しているらしい。私もYOUTUBで聞いてみるとこのお店の飾りけのない自然な雰囲気がその音楽とぴったりだと思う。今回山小屋のベランダにお花がたくさん飾ってあるのも良いと思い、花束を買った。ヒマワリとグラジオラスが黄色系と白系とで取り混ぜて、新しい見慣れない葉をアレンジしている。

二人の青年がその花屋を経営しているようで、その二人のうちの一Ooizumi_4 人の鈴木さんという方に話を伺った。須玉の「高根の湯」の近くの畑で花を栽培していると聞いた。花束はアレンジして宅急便で届けてくれるそうだ。そばにミックスの犬が人懐っこさと慎み深さを備えてこちらを見ていた。可愛いなあと思って聞くと、捨てられていた犬を救って飼ったそうだ。我が家のペットショップで買ったプードル犬の時としてわがままな態度とは違うと感じた。処分されてしまったかもしれない犬を飼ったというように、お店のオーナーたちの優しさが感じられた。ちなみにお二人はまだ独身とのことだった。花の好きな人だったら一緒にいると楽しい人たちかもしれないと思う。

Ooizumi_5 「生活は大変ですよ」と言っていたが、花束は400円では安すぎで、まるでドイツの地方の町のマルクトの花束のようだ。花の美しさはどれでも同じだが、鮮度を良くし大切に育てて、その上での花の色彩からのセッティングのセンスの良さが決め手だ。森の花屋さん≪Flowers for Lena≫はとてもいいセンスと思える。彼らの評価がもっと良くなるように願わずにはいられない。ブログで去年紹介したと言ったらグラジオラス一束をサービスで貰ってしまった。うんと宣伝してあげないとね!  ちなみに写真は豊田芳州氏より借用 

 ≪Flowers for Lena≫

山梨県北杜市大泉町西井出石堂8240‐1069 phone:090-8035-9398

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2010/08/02

高原の空気@今日はハーブの日

Kawa82b 今日は語呂合わせでハーブ(8/2)の日だそうだ。左の写真はモナルダ(火炎草)。

山小屋で育てているハーブは、アップルミント、ペパーミントとオレガノ、モナルダ、イタリアンパセリなどがある。そして鹿よけの柵をしたところは食べられないで、現状維持できているが何もしない所はいつの間にか消えている。またハーブは繁茂すると根が絡み合って、消え失せてしまうので、ときどき別の場所に移して増やすようにしている。

ススキの株の中にオレガノがすっくと立っていた。鹿は多分冬に来てオレガノを食べていたのだろう。今では芝生のようになってしまっている。以前はハーブだけには鹿も手を出さないと考えていたのだけれど、最近ではお構いなしになんでも食べてしまっている。

ハーブは花を生けた時に緑が少ないと一緒に添えたりする。芳州先生はことのほかハーブが好きでコップに活けて時々摘まんでいる。私は家事をするので時々、手が魚臭かったりする。それも家の中でならばまた手を洗うけれど、以前うっかり外に出て魚臭いことに気がついたことがある。その時あるお家の庭にミントが茂っていたことを思い出し2枚ほど摘んで手を拭いたことがある。言うのも恥ずかしいけど、結構あわてん坊だからね。

モナルダは高級紅茶に入っていて深い味わいを出している。エビとホタテのクリーム煮には乾いたオレガノを手でムシャムシャと擦って入れる。味が際立ち、深みが出る。家の裏手には和風ハーブの山椒がある。植えたところに屋根からの雪が落ちて木がたわんだが、今では人の背丈も越して、鰻の時には生葉をのせている。

Kawa82a アップルミントはブルーベリーと似合いだなあと感じたので、コンパニオンプランツかしらと勝手に考えて、そばに植えている。草むしりの時に交じって採れるのであたり一面に良い香りがする。それも至福の時間かもしれない。 左はブルーベリーとアップルミント。

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2010/08/01

紫蘇ジュースとプルーンジャムを作る@ココログに感謝

川上に来るとハウスキーピングのための資材を購入しに佐久まで行くのが楽しい仕事だ。山間の千曲川に沿った道はかつては馬が往来したと思われる馬頭観音がところどころにあり、酒造メーカーも点在している。カインズホームは灯油からお酒まである。農機具や季節の商品を探すのが面白い。いわゆる山菜などを入れる背負子(しょいこ)や不思議な形の鎌や鍬がある。秋には柿を剥く器械が売っていた。都会とはちょっと違うものは何だかたくさんある。

Kawa_siso2_4Kawa_siso1_2 そこから戻って宿岩という信号の所には佐久穂町のツルヤがある。以前にも書いたが少量で99円の食料品があるので、夫婦二人の食材としてありがたい。敷地の中には道の駅があるので野菜はそこで先に買う。今回紫蘇とプルーン(アーリーレッド)を買う。懸案の紫蘇ジュースを作るためだ。我が菜園の紫蘇はまだ5センチほどで秋になって採れるかどうかだ。紫蘇ジュースは大倉山の中華料理屋「味の一番」の親父さんから教えてもらったので、一応インターネットでも調べてみた。検索項目の1、2番目に書いてあったお料理メモから量などを参考にした。

紫蘇をザバザバ洗って、水を沸騰させた中に入れて5分、赤い色が湯に溶けだしたら、ザルで漉す。その中に砂糖を入れて煮溶かし食酢を入れて火を消す。

Kawa_siso6_3Kawa_siso4_2Kawa_siso5_2 もう一つプルーンジャムも作った。アンズの時と同じようにナイフで半分に切れ目を入れて種を取り出し、その中に25パーセントの砂糖を入れる。(レンジで作るプルーンジャムに、その分量が書いてあった) 私はレンジでなく普通に鍋で煮るジャムを作った。Kawa_siso3

両方とも手作りの楽しさに時間を忘れて夢中になった。どちらももちろん味はナチュラルでな おかつテイステイなおかつゴージャス。あの二つの濃い紫色が何故こんなに赤くなるのだろうかと不思議な気持ちを抱く。それだけの色彩効果と心理効果が魔法のように私たちを健康にしてくれるのだろう。

昨日からココログが記事の更新がしにくかったが一つには私の画像の処理を間違っていたためだと分かった。ココログのチームのみなさんごめんなさいね。1994年の暑い夏にココログのブログを教えていただいて6年になろうとしています。仕事の内容をのせたり、こうして自然な中の情報を発信したり、日々楽しくできているのは皆さんのおかげです。感謝しています。今までもありがとう、これからもよろしく!

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朝の散歩とアサギマダラ

朝食と身だしなみを整えてからの、朝の散歩は山小屋での定番の楽しみ。標高1400メートルから4、50メートルの間を小型犬プードルのココを連れて歩くのは健康にも良い。我が夫は川上犬や、シェルティ―のような中型犬で、たくましく、雄々しい犬を飼いたがっているが、マンション住まいではなにかとむずかしい。というか、私の好みでは無理。

散歩をしながら自然観察やよそのうちの敷地の様子が分かる。最近の暴風雨で、木々が折れたり、家の一部が壊れてしまっている様子なども見る。そう言えばあの方たちとこの頃会わないなあと思いだしたりもする。今日は散歩中にコゲラの羽根を拾った。縞模様の羽根。

Kawa_sanpo4 初夏の頃に野バラが白く咲いていたのが今では緑の青い実になり、まるでブドウのようであった。「童は見たり 野中のバラ 清らに咲ける その色愛でつ 飽かず眺む 紅匂う 野中のバラ 」歌を口ずさみながら、父が一度だけここ、川上に来た時に蛇が出たところを通りかかる。この頃見かけないオヤマボクチが咲いている。

森の中の枝々を通り抜けるように軽やかに、「コンニチファー」とアサギマダラが飛んできた。クロアゲハが王様だとするとアサギマダラは女王様だ。ここ川上には食草のガガイモ科の植物であるイケマ、ガガイモがたくさんあるので、アサギマダラは春先からよく見る。多分鹿が食べない草なのだろう。アサギマダラは遠く台湾から飛んでくるという。

ヒヨドリバナと思われる花の蜜を吸っていた。軽く飛ぶ様子は紙飛行機が軽やかに飛ぶ仕草に似ている。私のTシャツが水色のせいからか私の周りをすり抜ける。「シルブプレ!」フランスに行く時に覚えた言葉が急に出た。そして私もまた野バラの歌を歌いたくなる。「ワラベハミータリ ノナカノバーラ キヨラニサーケールー ソノイーロメーデーツ ~~~~~~~~~ ノーナカノバーラ 」

またアサギマダラを追いかけて駈け、デジカメを向ける。ココのリードを持っていると写しにくい。芳州先生が「翅を広げた時に撮るんだよ!」と言う。「うん」。

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