あの日・昭和20年の記憶(NHK再放送)を見て
昨日8月14日に NHKで≪あの日・昭和20年の記憶≫(2007年制作・再放送)を見た。新聞記事を通して作家や俳優、ジャーナリストなどの著名人が第二次世界大戦終戦記念日前後について、さまざまな出来事を一日ずつ語っていた。私は部屋の掃除をしながら気づいたので、8月4日のから8月20日までを見た。実は以前にも見ていたが、何度でも見ておかないといけないと思う。
なかにし礼の体験が胸を打った。満州で家が酒屋をしていたが、ソ連参戦の連絡を聞き、早く脱出しなければと、母親がつてを頼りに、軍部の列車に乗り込むことが出来た。だが満州にいた同胞を見捨てて先に軍人たちと列車に乗ることで、その列車内には重苦しい空気があり、その後も複雑な気持ちを持ったと話していた。人は究極自分だけを守る、と考えていて正解のようだ。私はテレビの再放送を、掃除機を止めて見た。
高見順が8月19日(確かではないが8月15日以降だったと思う)の日記には、「戦争終結と言い続けていた新聞社が8月19日に敗戦と言いはじめた」と、書いていた。それぞれの人たちが日記に軍部や新聞社に対する疑問や厳しい批判も書いている。こうした人たちが戦後を担ってきたからこのような豊かな時代を築くことが出来たのだとも感じた。私たちも国や権威あるものが言うことを真面目に聞きすぎないことがちょうど良いのだと肝に銘じておかないといけない。あの当時は権力を持っていた軍部が怖く、本当のことが言えないでいた。いまでは誰も平等で言論の自由がある。ただ日本民族的慎み深さは底辺に漂っているが。そして政治家こそが一般庶民の自由や幸福を守る人になって欲しいと思うのは簡単だが選ぶのは難しいことなのである。
番組を見ていて、父と母が戦争について話していたことを思い出した。軍隊にいる父に母からの手紙が来るとその中身を検閲されて、みんなの前で往復ビンタをされたという。母は今でも字がきれいで文章もきちんとして書いているから、今の若い娘のメールのような自由気ままなことは書かないはずだが、父と母のその誠実さに軍隊の上等兵は頭に来たのだろう。母は千葉の田舎に疎開していて、東京の方で空襲があり空が赤くなっていたこと。その千葉の地ではアメリカ軍が日本に上陸したときのために、竹槍の稽古をしていたことなど、母から聞いたことを思い出しつつ、戦後65年たって、一般庶民の中には変な自由や平等も植え着いてしまっている気もするが、庶民の義務を遂行しての幸福や自由であると思う。
また、私にとって母の兄の伯父さんも「仏領インドシナに行っていた」と、よく話してくれた。小さい子供だったころは「インドシナで象に乗った」と話してくれた。きっともっとつらいことがあったはずだがそれはあまり話してくれなかった。奇しくも父と母の結婚式の日、昭和21年5月26日、つまり、戦争が終わった明くる年に伯父は日本に帰って来て、母が大森の家から父の学芸大学の家に嫁いで来る途中、品川あたりですれ違ったらしいと親戚が集まると話していた。今となってこの話の主人公の母しかこの世にはいない。
父が母のことを思って往復ビンタを食らったことは私にとって後世に話せる戦争の話だと思う。そして母たちは戦後の配給時代の苦難をよく話してくれた。結局アフリカの地域戦争の難民や地震が起きた中国での難民への援助物資を争って取り合うようなことを軽蔑することはできない、人間の本性丸出しの部分もあったと聞く。そのような場面には遭遇したくない。
とにかく第二次世界大戦で日本が負けてから65年が経ち、それは日本の軍部が潔く負けを認めないために、長引いて無駄死をしてしまった人がたくさんいるということを時間が経っても考え続けなければいけないと思う。先ほど川上村やNHKの放送で、昼12時に 『65回目の終戦記念日に亡くなられた方たちへの黙祷を捧げましょう』 と流れた。私も2010年を生きている日本人として黙祷を捧げた。
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コメント
コメントを3日も前にいただいていたのに、知りませんでした。失礼いたしました。
あのNHKの番組はとても価値あると思います。お父様は戦後すぐに「敗戦」の言葉を使われたのですね。
私はあの放送を以前見た時も胸が一杯になりましたが、今年も、まるでそこにいたかのような既視感を感じました。私がそれを感じたのは長野の山小屋でしたが、yamyamさんは日本を離れたドイツの地でご覧になったのはまた、もっと違う驚きがあったことでしょう。それに、あの番組の中でご自分の父上のことを聞くのは、さぞかしびっくりもし、感激したことと思います。こうして同じテレビの番組についてお話しできるのはうれしいです。
投稿: keicoco | 2010/09/13 15:51
NHKの「あの日」の再放送を私も見ました。私の亡父
が、当時大阪毎日新聞の記者で昭和20年ごろ、
「敗戦以後」という本を書きました。
その本があの番組に取り上げられ、父の若いころの
写真が数回でてくるのです。ドイツに住んでいたころ、
夜中に仕事をしていたら、元毎日新聞記者藤田信勝
という名が聞こえてきて飛び上がるほど驚きました。
再放送が見られたので、録画しました。
投稿: tamayam2 | 2010/09/11 21:09