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2011年1月の記事

2011/01/30

i文庫で森鴎外を読む

川上村の雪は前回のに3センチ足したほど降っていた。道路の北斜面やカラマツ林などの日陰になった所では白く雪が残っている。その上に動物の足跡がひたすら着いている。一昨日来た時にはレタス畑にキツネが歩いているのが見えた。白い地面だったから分かったのだ。痩せて毛も少なくなって地面を見てショボショボ歩いていた。『なんか食うもんないか、俺、腹へってんだあ』そんな言葉が聞こえてきそうだった。今日ココと散歩した時にもキツネの足跡、ウサギの足跡、ネズミの足跡がステッチをした様に着いていた。キツネやウサギの行動範囲は広いからその足跡から生息数を出す事はできないが、ネズミの行動範囲は狭いからその足跡が生息数と言えるんじゃないかな。3匹か。1つだけわからない足跡があったのは我が家から4軒ほど離れた滝川さんのうちの屋根だ。多分テンだと思うが、詳細はわからない。屋根の脇を縁取るような大きな丸っぽい足跡だ。あの辺はグルっと道が曲がっていて、以前テンとバッタリ会ってしまった所だ。今は冬毛で真っ白なんだろう。テンにも会いたい。こう言う事は願っていると叶わず、何も考えていないと叶う。テンは可愛い顔しているけど獰猛だから手を出したりしたらダメよと教えてくれたのは上田さんの奥さんだ。道を歩きながらそんな事を思い出しながらテンに関する四字熟語が無いかしらと考えた。貂猛愛顔、童顔凶暴、そんなの無い?
さて今日は朝からシジュウカラたちがしきりと来る。他にもカケスが何羽かで、群れている。そしてなんと、リスまでがそのヒマワリの種がベランダの下に落ちているのを狙って食べに来ている。餌入れに種がなくなると、シジュウカラたちが『頂戴な!』と言うようにガラス窓の前で羽ばたきを見せる。『はいはいあげますよ』と私はこぼれるほどに入れる。あと3ヶ月も経てばこのベランダの下の巣箱にシジュウカラの巣ができるのだから。ここに群れているのは去年の連休に飛び立って行った子供たちだ。だから5月に巣ができたかと私が覗いても大丈夫。営巣を放棄する事は無い。もう私の顔はDNAに組み込まれていると言うか、私の顔は指紋承認のようになっていると言った方がいいかもしれない。今朝、何かゴーゴーと音がしてそのうち、ガガガッと、ゴンゴンゴンと音がした。そう、キツツキ襲来だ。家の周りを見回したが、痕跡はない。
  また昨日はBSで森鴎外と一緒にドイツに行きパイプオルガンを作った田中正平についての番組を見ながら、森鴎外の『高瀬舟』と『最後の一句』を読んだ。iPadにi文庫を入れたから読めたのだ。高校生に戻ったようなほっとした時間だった。今日は何を読もうかな、寒いのでストーブのそばでもう少し鴎外を読もう。

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2011/01/28

トランプをするわたし、ぼく

Toranpu_hinataToranpu_momokaToranpu_nami 左からヒナタ、モモカ、ナミ。

Toranpu_reinaToranpu_rikoToranpu_takesi 左からレイナ、リコ、タケシ。

Toranpu_manamiToranpu_risaToranpu_tomoya 左からマナミ、リサ、トモヤ。 

今、山小屋であとりえチビッコの教室でのことを書き始めている。外は、朝7時でマイナス12度だった。 このiPadは軽くてインターネットにもつながって便利なのだが、写真を載せることができない。いろんな技を使えばできるのかもしれないが、今の私のIT頭脳の限界もあって降参状態。それでこちら長野に来る前に横浜で写真のみ入れ、こちらで文章をいれることにした。できることをすればいいんだ。 ところで今回のトランプでゲームをしながら絵を描くことは、体験画になる。そこで始めに来た子は一緒にトランプの《スピード》をしてから絵を描きはじめた。助手のスオミが来てくれていたので余裕があった。彼女も細々とではあるが千葉で自分の造形絵画教室をはじめている。私とは違った姿勢を持っているので、意見は時々参考になる。特に男の子の一人っ子を育てているという立場を私に話す。それは私とは違う人生経験だ。 兄弟姉妹で上か下かでもトランプの種類も違うし、優遇のされ方(つまりおミソとか)も違う。トランプやカルタ、百人一首の様なスローなゲームこそなるべく家族でしていきたいものだが、両親の時間的制約もあって難しいかもしれない。でもそこを押してお家の方に、特にお父さんにお願いしたい!『日曜日にはトランプを!』ー 今回、トモヤくんはカルタを描いた。始めのカードは『も』で刀を描いた。諸刃の剣だと言う。意味は『よく切れる刀で相手も切ることができるけど自分も切ってしまうかもしれないこと』お家ではその意味が言えないとカードは取れないんだそうだ。他にもいろいろ教えてくれた。この写真はクリックすると大きくなるので彼のカードの絵から想像してほしい。結構かわいい表現。モモカちゃんは畳の色が新しい。子供たちは座っている足の書き方が正しくないのだが、?クエスチョンマークを感じさせて次に指導していきたい。自分が描いたことと、もう一つ次なることへの疑問も大切だ。正しいデッサンがいい絵とは決めがたい。ヒナタちゃんはカードの裏面を細かく描いた。マナミちゃんはスピードの場面が小さい面積で終わってしまったので、回りにトランプのクイーンの絵を描いた。レイナちゃんからはトランプの不思議な手品を教わった。 このあとりえチビッコのブログを訪問してくださる方は自分の幼い時を思い出して、子供たちの絵を見てほしい。お正月に兄弟姉妹、従兄弟たちと遊んだ輝かしい幼い時を!

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2011/01/20

子供が抽象画を描くための導入

Tyuushouga_a

今回は抽象画を描いた。抽象画を描くためにミロの「沈黙」、クレーの「建設中のL広場」「昔の響き」を子供たちに見せて、どのように描いたかを考えさせてからスタートした。アクリル絵の具、寒色系と暖色系のどちらかを子供たちに選ばせて描かす。解釈や始めの絵の具の塗り方の違いからバラエティ―のある作品が描けた。一枚にしてしまうと考え込む子が出てくるので、気楽に2枚描くから、楽しく描けるよと促して、描かす。

Tyuushouga_momokaTyuushouga_hinataTyuushouga_manamiTyuushouga_nami

左からモモカ、ヒナタ、マナミ、ナミ。 

見学に来たナナちゃんのために、今いる子供たちは張りきって描いていた。子供ながら気働きをする子が多く、先生は涙が出ちゃうくらいうれしい。ヒナタちゃんは自分でも今日はいつもとなんだか違うと言って力強く線描をする。相変わらず、トモヤ君はマイペースで楽しんでいる。本当は絵をうまく描くことより大切なことだ。

Tyuushouga_nana

Tyuushouga_reinaTyuushouga_rihoTyuushouga_riko

左からナナ、レイナ、リホ、リコ。

楽しくなって歌を歌ったり、絵を描きながらその絵の説明をしたり、自分の今を語ったり、こんな空間は早々一朝一夕にできるもんじゃない。子供たち、大人たちが息苦しい世の中だから猶のこと大切にしなければならない絵を描く時間だ。絵を描くことによって開放的になる訓練が大切なんだ!

Tyuushouga_risaTyuushouga_takesiTyuushouga_tomoya左からリサ、タケシ、トモヤ。 

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友人Oの死

 Tatesina_024 友人Oが亡くなっていた。今年、年賀状を出したのに、いつも来る賀状がこないのでどうしたのかと思っていた。同じ年で、中学高校が同じで、私の結婚式にも来ていただいていた。生涯独身で等々力のご実家にお暮らしだったのだが、何年かに一度電話をしているほどだったから親友とは言えなかったのかもしれない。去年の年初めに『また会いましょう、今年こそは』と言って電話をしあったのが最後だった。

 昔から虫が好きな私は、受験勉強をしている時にノートの上に来たハムシを潰せばただの線になってしまうと言って、命は結構脆くて、軽いものと思ってきた。それは重い命と思って固執したくないという主義から来るものであった。いわゆる、澱みに浮かぶうたかたはかつ消え、かつまたむすびて留まりたるためしなしと思っていた方が自分がダメージを負わない。そう言っている割にはMSの時も、父の時も、KYさんの時もいつまでも尾を引いている。

 彼女の弟さんからの手紙には去年の7月に亡くなったとあったので、私は始めは仕方がないと思い続けていた。だが、去年暮れに書類を整理していて高校最後の頃の彼女のおさげ髪の写真が出てきたこともあり、どうしても何故亡くなったかを聞いておかねばという気持ちになり、手紙の電話先に連絡を取ってみた。彼女は熱中症で亡くなったとのことであった。永い時間苦しまずに亡くなったとのことであった。茨木のお寺に眠っていると聞いた。ご冥福を祈るとともに同じ年の友人たちとのこれからの時間を大切にしたいと思いはじめている。

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2011/01/16

山小屋で『ミスト』を観る

夜のうちに雪が降った。積雪6センチほどだ。昨日は長坂のJマートでひまわりの種を購入、3キロ598円だった。夕方のうちにその実をバードフィールダーに詰めて置いたので、鳥たちは今ひっきりなしに来ている。ベランダの手すり、玄関の旗をつける棒、手すりの下の斜めの木材など、一度に3羽は見ることができるという状態が続いている。シジュウカラ、ゴジュウカラ、コガラ、茶色い羽が目立つヤマガラ。中でもくちばしの長いゴジュウカラがテリトリーを主張することが多い。コガラは見た目も若々しく控えめに下に落ちた実などを食べている。昨日、ひまわりの種がなくなったので、陶器の器にリス用の餌を入れて置いたところ、コガラが一番に飛んで来て僅かにあるひまわりの種を啄んでいた。前にも気づいたがコガラは勇気がある。私が手の上に餌を置いて呼んだ時、すぐ近くまで来たのがコガラだった。その時は結局、手の上の餌は取らなかったが。いつか、その様なことも実現したいと思っている。
ところで、昨夜はTsutayaのビデオ上映会をしたのだが、スチィーブン・キングの『ミスト』だ。これはホラーの部類で、この山小屋では臨場感がありすぎて怖かったが、私の理性で解釈すると『?』が残った。キングの小説『ミスト』と映画『ミスト』の脚本との間に相違点が4つあるので焦点が定まらなくなったのだろう。キングが言いたかったのは〈原子力発電所の故障で自然界がおかしくなった〉ということだが、映画の興行ではそれはまずいから監督がいろいろ変更して、ああなったのだろうと、大人的解釈をする。登場した巨大化した虫たちのことは、いつでも私は想像している。ここ川上村でだって、日本のどこででもいつか巨大な蝶が出現するかもしれない。原子力云々というより自然は未予知だから。『ミスト』の中での主人公は画家だった。始めにそのおぞましい巨大化した動物を見て、閉じ込められたスーパーの人々に彼が説明するが、理解を得られなかった。そして次第に宗教家が人々の心をつかんでいく。それも悪い方向に。だが結局は実行力を伴った主人公が正しい判断をしていき、8人の同じ志を持つ者で脱出をする。勧善懲悪、天網恢々疎にして漏らさずでもない、スチィーブン・キングさんは違う道を示された。というか映画監督が違う道を示した。本当の小説『ミスト』のラストはどうなっているのでしょうか。インターネットで調べるとラストを変えたそうだ。私としてはもう一度ここ川上村でスチィーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』の映画 (ロブライナー監督)を見て、お口直しをしてみたくなりました。キリスト教の精神が正しく漂っているからだ。
さてここ八ヶ岳東麓川上村では現在雪です。映画『ミスト』の様に濃い霧が出るのは春から夏にかけての早朝。今はストーブを小で焚いても室温は13度でパソコン仕事はこたえます。早く春にならないかな。早く春になれ、早く春になる時 、早く春になれば、早く春になる。
(iPadで更新しているため、写真が載せられません。【豊田芳州のThema 】で川上村の記事を更新するはずですので、あちらでの写真をご覧ください。現在彼は川の氷の撮影に行っています。かなり寒いはずです。)(またこのミストの映画はかなりホラーですので、小さいお子さんと観ることはお勧めしません)

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2011/01/14

ヒレンジャク(緋連雀)に明日も会いたい

山小屋近辺では自然観察は常に外を見ていないと変化に気づかない。午前中にヒレンジャクの集団が来ていた。ツルウメモドキの実を食べていた。図鑑で調べて、その鳥の名前がわかったのだが、尻尾の色が真っ赤で鮮やかだった。始めて見た。キレンジャクは以前見た。ヒレンジャクはノイバラ、ツルウメモドキ、イチイ、ヤドリギの実を食べるとのこと、すべてこの近辺に生えている。また野鳥図鑑によれば、飛来する年と、全く飛来しない年もあるようだ。アムール川、韓国から来る冬鳥だそうで、そしてなんと言ってもヤドリギの種を糞から出して木に定着させるので有名な鳥なのだ。ピーピーと鳴きあってシラカバの木を上下して仲間と飛びあっていた。ここまで書いて調べるうちに、さっき居た所にヤドリギの糞が落ちているんじゃないかと思い、外に出て見に行った。寒いので外に出るのも容易ではない。トコトコ。二軒隣の小林さんのうちには立派なヤドリギがある。双眼鏡で見てみるとエメラルドグリーンとモスグリーンを混ぜて透明にしたようなヤドリギの実がついている。ドイツのミュンヘンのクリスマスマルクトで売っていたヤドリギを思い出す。心キュンキュン!
ところでベランダにシジュウカラを集めようと思い、バードフィールダーに1カップぐらいのひまわりの種を入れる。せわしなく鳥たちが食べに来る。近くのシラカバの枝に止まってワンクッション置いてからくるもの、遠くの木から一気にくるもの、ベランダに落ちている種を拾うものなど、様々だ。そばで私がベランダの雪かきをしても平気で行き来している。焼き鳥にして食べちゃうぞー。冗談ですって。もうそろそろ種がなくなってきたので明日大量に買って来よう。冬場に鳥の餌をあげることは環境に悪いことではない。こうして、シジュウカラを呼べば、他の鳥たちも来やすくなる。
一昨日降ったらしい雪が白く地面を覆っている。今日ココとロング散歩をした時の動物観察では鹿の足跡はない。狐が縦横無尽に歩き回っている。それと我が家の近くにはリスの蝶形の足跡。熊笹のたくさん生えているところにはウサギの足跡がある。そう言えば、我が家は留守中は鹿が入らないようにお婿さんがフェンスを張ってくれたのだが、ウサギと狐の足跡がネットをくぐる様に着いていた。ウサギも入る時は良かったけれど出る時は困ったんじゃないかな。お絵かきの子供達にウサギの糞を見せてあげるんだ。明日探そう。山の上の大きな木の陰の根方。そこがウサのトイレだからね! 笹の匂いのするマコロン! iPadで書いているので改行できません。お見苦しいですが更新を早くしたかったのでこのまま載せます。

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2011/01/13

花を散らして描く

Tirasu_hinataTirasu_manamiTirasu_tomoya 左からヒナタ、マナミ、トモヤ。

Tirasu_momokaTirasu_namiTirasu_reina 左からモモカ、ナミ、レイナ。

Tirasu_takesiTirasu_rihoTirasu_riko 左からタケシ、リホ、リコ。

Tirasu_risa 左はリサ。

ことし始めてのあとりえ・チビッコの教室だった。年末の工作から久しぶりにモチーフを見て描く課題にしたため、規制のない設定にした。花は瓶に生けずに、短めに切って散らした。春らしいストックやバラの花をいろいろな角度から見ることができるように敷き詰めた。子供たちが飽きずに花の美しさに感動できるようにしないといけない。クレパスを用いているので、表現は似てくる。生徒の人数が少ないので、確立的に言い切ることはできないとは思うが、男の子は要領良くデザイン的なバランスがいい。女の子は丁寧に描写をするが全体を把握しないで描いている。だがどの子もある時間、ものを見て自分の手を動かして描いていくうちに、対象物とは違った自分の世界ができていることに気付く。自分が描かなければできない世界がそこにある。 子供たちは今日来たばかりの時は無口だったが、描き終わる頃には、まわりの友達と学校の話や、おばあちゃんの所に行く楽しさやらを話し出して、自分が描いた花を持って、心がゆったりとして帰って行った。これも情操教育の具現化した例だと思う。

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2011/01/01

絵本『しろいうさぎとくろいうさぎ』からうさぎ年を想う

Usagi

明けましておめでとうございます。

今年はうさぎ年。私のブログ『あとりえ・チビッコ』のヒットのページ「しろいうさぎとくろいうさぎに見る愛」も年末からたくさんの方たちから検索されている。それはひとえに絵本『しろいうさぎとくろいうさぎ』ガース・ウィリアムズ 文、絵  まつおかきょうこ 訳(福音館書店) が絵本としての素晴らしさが1965年に発行されてからいつまでたっても変わらないからだろう。私はたまたまこの絵本を自分の子供、絵画教室に通う子供たちに読み聞かせるうちにその素晴らしさに改めて気付いてブログで書いた。

我が家の長女が子年、次女が卯年生まれで、今年次女は年女になる訳だ。そして私がこのうさぎ年を何回巡ったのだろうか。亥年生まれの私は4才の時はきっと無意識だっただろう。ということは16、28、40、52そして今年64才は覚えて通ったうさぎ年ということになる。もう5回、正確には6回ピョンピョンピョンとうさぎ年を跳んできたことになる。

16才は高校1年、中高一貫教育の中でのびのびと育っていた多感な頃だ。クラブは文芸班、同じ学年仲良し4人共同で小説を書いたこともあった。そして次のうさぎ年28才までが人生で最も変化の多い年であった。女子美術短大の生活デザインに進み、卒業の頃には専門を活かして仕事をしたいと思ったが、親の勧める出版社に勤めそして夫となったくろいうさぎと知り合い、結婚をし長女を出産をした。

そして28才のうさぎ年に次女を産んだ。 それからの12年は子供に捧げる母うさぎだった。そしてあとりえ・チビッコの絵画教室を始める先生うさぎにもなり始めた。正直言って性格は良かったが世間知らずのしろいうさぎはこの時期にたくさんの常識を学んだと言える。くろいうさぎの力もあったが。

また次の52才までの12年間は自分探しを始めたうさぎだった。山小屋での暮らしを優先する為に、子供たちが自分たちで学校に通えるように訓練して行った。メモや電話や冷蔵庫を使い、自立を促した。小さい時からキャンプ生活をし、食事は自分で作れるようにしていった。そして私たちくろいうさぎとしろいうさぎの生活を優先した。そのために子供たちは生活の手順や自立の気持ちが他の子よりは勝って育ったように思う。

そして次の64才のうさぎ年までは、親うさぎたちの生活を見守り助ける介護が優先の時代だった。それと同時にインターネットの世界が広がり、今までの生活とは比べようもない世界を見ることができるようになった。解らないことばかりだが、何とかパソコンにしがみつきながらインターネットの世界を上目使いで見ている。海外旅行に行く時は、Googleマップでそのホテルの周りだけは偵察して行ける。

そしてこれから先の76才までがどの様になるかは解らないのだが、年取ると若い頃に戻るということが言われているように、はじめの16才のうさぎ年までに自分が好きで選んで生きてきた生き方に回遊して行くんじゃないかと思う。身体的な飛翔は難しくなって来るが精神上の飛翔が全て善い結果をもたらすと信じたい。 そしてあとりえ・チビッコから育っていったしろいうさぎやくろいうさぎの人生がより輝かしく健康であるようにと祈らずにはいられない。少子化が叫ばれて久しいが、もしかするとウサギは多産な生き物なので、今年は国中に赤ちゃんうさぎがピョンピョンのピョーンと生まれるかもしれない。

ー今年は川上村で鹿よりもうさぎと出会いたいKeicocoの新年の抱負ですー

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