絵本『しろいうさぎとくろいうさぎ』からうさぎ年を想う
明けましておめでとうございます。
今年はうさぎ年。私のブログ『あとりえ・チビッコ』のヒットのページ「しろいうさぎとくろいうさぎに見る愛」も年末からたくさんの方たちから検索されている。それはひとえに絵本『しろいうさぎとくろいうさぎ』ガース・ウィリアムズ 文、絵 まつおかきょうこ 訳(福音館書店) が絵本としての素晴らしさが1965年に発行されてからいつまでたっても変わらないからだろう。私はたまたまこの絵本を自分の子供、絵画教室に通う子供たちに読み聞かせるうちにその素晴らしさに改めて気付いてブログで書いた。
我が家の長女が子年、次女が卯年生まれで、今年次女は年女になる訳だ。そして私がこのうさぎ年を何回巡ったのだろうか。亥年生まれの私は4才の時はきっと無意識だっただろう。ということは16、28、40、52そして今年64才は覚えて通ったうさぎ年ということになる。もう5回、正確には6回ピョンピョンピョンとうさぎ年を跳んできたことになる。
16才は高校1年、中高一貫教育の中でのびのびと育っていた多感な頃だ。クラブは文芸班、同じ学年仲良し4人共同で小説を書いたこともあった。そして次のうさぎ年28才までが人生で最も変化の多い年であった。女子美術短大の生活デザインに進み、卒業の頃には専門を活かして仕事をしたいと思ったが、親の勧める出版社に勤めそして夫となったくろいうさぎと知り合い、結婚をし長女を出産をした。
そして28才のうさぎ年に次女を産んだ。 それからの12年は子供に捧げる母うさぎだった。そしてあとりえ・チビッコの絵画教室を始める先生うさぎにもなり始めた。正直言って性格は良かったが世間知らずのしろいうさぎはこの時期にたくさんの常識を学んだと言える。くろいうさぎの力もあったが。
また次の52才までの12年間は自分探しを始めたうさぎだった。山小屋での暮らしを優先する為に、子供たちが自分たちで学校に通えるように訓練して行った。メモや電話や冷蔵庫を使い、自立を促した。小さい時からキャンプ生活をし、食事は自分で作れるようにしていった。そして私たちくろいうさぎとしろいうさぎの生活を優先した。そのために子供たちは生活の手順や自立の気持ちが他の子よりは勝って育ったように思う。
そして次の64才のうさぎ年までは、親うさぎたちの生活を見守り助ける介護が優先の時代だった。それと同時にインターネットの世界が広がり、今までの生活とは比べようもない世界を見ることができるようになった。解らないことばかりだが、何とかパソコンにしがみつきながらインターネットの世界を上目使いで見ている。海外旅行に行く時は、Googleマップでそのホテルの周りだけは偵察して行ける。
そしてこれから先の76才までがどの様になるかは解らないのだが、年取ると若い頃に戻るということが言われているように、はじめの16才のうさぎ年までに自分が好きで選んで生きてきた生き方に回遊して行くんじゃないかと思う。身体的な飛翔は難しくなって来るが精神上の飛翔が全て善い結果をもたらすと信じたい。 そしてあとりえ・チビッコから育っていったしろいうさぎやくろいうさぎの人生がより輝かしく健康であるようにと祈らずにはいられない。少子化が叫ばれて久しいが、もしかするとウサギは多産な生き物なので、今年は国中に赤ちゃんうさぎがピョンピョンのピョーンと生まれるかもしれない。
ー今年は川上村で鹿よりもうさぎと出会いたいKeicocoの新年の抱負ですー
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