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2011年3月の記事

2011/03/31

四月の馬と鹿@2011

いよいよ、2011年のエイプリルフールも明日になりましたが、不謹慎な物言いは慎みたいと思う自分の内なる声に促されて、明日はたぶんエイプリルフール『四月の馬と鹿』はエントリーいたしません。ご期待の方は申し訳ありませんが一年後、このブログをご訪問ください。

それでも、もしかして、「あの人はこんな時だからきっと何かするぞ」という考えをお持ちの方は何度でも当ブログをご訪問ください。明日の夜23時59分までの間に何かご報告をするかも知れません。「それまでの時間なんだかつまらなーい」という方はカテゴリーの中の『四月の馬と鹿』の過去ログをご覧ください。下に出しておきますのでご覧ください。そのアクセス数によっては、期待に応えたいサービス精神を働かせて、ない知恵を絞り『今年の馬と鹿』を言うかもしれません。

先ほどまた考えました。こういう場合は身近な人をターゲットにするのが一番良いという論理に行きつきました。論理と言うよりは思いつき程度でしょうが。誰とは申しません。毎年引っかかる人です。「あっ! 雪が降ってる」 とか。

≪ココの妊娠≫ ≪車検の代車にメルセデス≫ ≪あるセンサーの開発について≫ ≪介護はロボットにまかせた≫ ≪マグロの代わりにシカ肉を検討≫

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2011/03/24

私もリンゴの木を植える

Kawa_yuki2 一昨日に雪が降り、解けずにいた雪と重なって昨夜も降った。

21日早朝横浜を出てきたが、ガソリンの心配と連休最後の日のせいか中央道の車は少なかった。中央道に乗るまでの津久井や相模原では早朝にもかかわらずガソリン給油の車が並んでいた。談合坂のサービスエリアの給油所は規制をしていたが、車は並んでいなかった。一人5ℓと張り紙に書いてあった。我が家のカローラフィールダ―は高速で燃費19Kだから95kmはいけるということになる。たまたま、私は地震の前に満タンに給油していたので今回は何もしなくても往復できる。

地震が起きてからインターネットでもテレビ、ラジオの情報を聞いて不安にもなる。勇気を持って自分の信条を吐露している人もいるが、私は自分の至らなさに気づき、口を噤む。自分の信じることと、今まで大切にしていた信条を大切にして変わらずにぶれずに生きていきたい。ただいつも通りにすることによって社会や経済を動かすことにもなると思うので、『いつも』を大切に行動している。頭の中のシナプスは引っ張り合って切れそうな気もする。その私を夫は気遣ってくれて、今は山小屋にいる。本当は私の方が本質的に強いかもしれないが、お言葉に甘えてしおらしくしている。

昨夜は食事をしながらツイッタ―を読むと、テレビでの情報とはかなり違うものがあった。私はこう言っていても、パソコンもインターネットも必要最低限の操作しかできない。だから、自分ではどこまで核心に迫っているのか分からないが、かなりの情報だった。ユーストリームでは講演会をライブでやっていた。そのサイトは私が始めてドイツに行き、帰ってから読んだ『ドイツの門番たち』広瀬隆氏が早稲田のスコットホールで公演をしていた。「地震大国日本、広瀬氏は原発の危険性を訴え警鐘を鳴らし続けてきた、そして広瀬氏が予測した事態がまさに今起こっている。」私は科学的な言葉や数値は私には専門外であり、ココにそれを復唱することは出来ないが、ようするに原子力の専門家が本当のことを言っていないということだそうだ。

そして、問題になっている放射性物質を取り込んだとしても、薬を飲むことより酵素入りの味噌を食べると良いと言っていた。これは私のブログを見に来てくださる方にプレゼントと言うほどに言っておかねばならないと思い、書いた次第であります。だが、このブログのカテゴリーの『田園の誘惑』を都会の喧騒を忘れて訪れてくださる方もいるので、化学的な専門外のことに触れ過ぎるのも私の本意ではない。

地震発生から今日で13日、明日で2週間になるが、ここずっと私の心でこだましていた言葉がある。それを調べたら分かった。C・V・ゲオルギウの言葉。(追記:マルチン・ルターの説もあるようです)ちなみに私は田園の誘惑には勝てない自分がいる。それが私にとってのリンゴの木だ。夏の虫、冬の寒さ、早春の緑の木々。この山小屋の自然。ゲオルギウの言葉は

 「たとえ世界の終末が明日であっても、私は今日リンゴの木を植える」

追記:これは自分への言葉であって、相対する他者への言葉ではありません。

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2011/03/19

ケンタの卒業とタケシの絵

Takeshi 今学期最後のあとりえ・チビッコのおけいこ日は3月16日で、ケンタが6年生最後の教室の日でみんなで靴を描く予定だった。イケアの白いテーブル、赤や黄、青の可愛い椅子をセットし、椅子の前に靴を置く場所に新聞紙を敷いて準備が出来た。ところが震度3の余震があり、外が妙に暗くなり、風も吹いて来て、テレビのニュースは原子力発電所の情報を伝えていた。どうも子どもたちを守る自信がなくった、それじゃ困るよKeicoco! でおけいこは中止にした。

ケンタには地震の前に用意していた絵本を昨日届けた。

『コルチャック先生』・子どもの権利条約の父 トメク・ボガツキ作 柳田邦男訳 講談社刊(ナチス占領下のポーランドでユダヤ人孤児たちと運命をともにした医師の本当にあった物語)

あとりえチビッコでは6年生までずっといた子には表彰の意味で絵本を贈ることにしている。昔はお弁当箱だった。絵本はもしかすると重なるかもしれないから、できるだけ新しい本にしたいと思っていたが、2011年1月28日第一刷発行とあるから、健太も持っていないはずだ。絵が丁寧で細かく、子供の描き方が可愛くて気に入った。コルチャック先生と一緒に野菜を作ったり、キャンプに行ったり、子供たちと新聞を作ったり、またヨーロッパの街並みが興味深く描かれている。だがだんだん絵が暗くなる。戦争が激化し、ゲットーから強制収容所のガス室に送られるまでが絵になっている。内容は暗いが、健太はもう中学生だから耐えられるでしょう。もう一冊を教室の本箱に置きます。順番で読んでください。

この絵本は私への戒めでもあると思っている。地震が起きたら怖がっている人は子どもの前には立てない。それでおけいこは中止にした。昔は子供たちを守る自信があったのだが。今回はあまりに大きな地震だった。余震のたびに怖がっている。そして、前回のおけいこをお休みしたタケシ君だけを呼び『重なる二枚の絵』を指導した。

タケシ君は『ライオン』を選んだ。彼はライオンが好きなようだ。以前何かのニュースを聞いて、彼は『僕はそんな死に方をしたくない。それだったらライオンにかまれて死ぬ方が良い』と言ったことがある。その事を言ったのをタケシ君は忘れてしまったかもしれないが、今回私にはライオンは印象に残る絵になった。

被災地の様子や情報を聞いて心にショックを受けるPTSDについてはココ(地震の影響 子供のPTSD)に出ているので、子供の様子が気になった方はご覧ください。絵を描いて吐き出させることが良いとも聞きました。私はその方面は何とも言えないが、永年子供の絵をを見てきてうなずけることもあります。

新学期まで当分ありますが、地震被災地の方々に置かれる大変な日々を私たち大人が共有して何んとか乗り切りたいものです。救援の方々の無事を祈ります。

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2011/03/14

祈り・その1

Tyurip_2  東日本大震災が3月11日に起きて3日が経った。テレビに映る映像は遠い海外の地震のニュースではない、日本なのだ、と言い聞かせる。私たちが同じ地面が続いている日本なのだ。その津波の大きさがどんな言葉でも言いつくすことはできない。地球の中に潜んでいた巨大なエネルギーが頭をもたげ、日本の三陸めがけて襲ってきた。まるで龍のように。恐れていた天災だ。

そして恐れていた人災ともいえる原発の事故。私たちは何もできないでいる。ただ未予知のことが起きていることも確かだ。自分のIQの少なさを人間のあらゆる動物的勘で補い、自分一人孤独でも生きていけるような姿勢を持ちたい。特に子供たちにはめげずにがんばってほしい。その子供たちのためにはその礎(いしずえ)や、犠牲になっても良いと思っている。もう63年も生きてきたのだからいいと思っている。だけれど、もう少し子供たちへの指導や教育の時間が必要なので、まだまだ何が起きても元気でいないといけないと思っている。ツイッタ―では心を大切にする情報も流れている。

私は右傾向ではない。だが今、戦争終了時に昭和天皇が放送した『耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び』の言葉が彷彿と浮かんでくる。何か助けてあげたいが、現地での行動には自信がない。私は足手まといになることは避けねばならない。だから地団駄を踏んでいる。迷彩色の制服を纏った救助、救援のプロである自衛隊の人たちに心からがんばってと祈っている。

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2011/03/13

重なる二枚の絵@2011

KentaManami1Hinata左からケンタ、マナミ、ヒナタ。

Momoka1NamiRiho 左から モモカ、ナミ、リホ。

RikoTomoya

左からリコ、トモヤ。

ReinaRisa 左からレイナ、リサ。  

 重なる2枚の絵を描いた。一枚目は自由に、2枚目はペイントマーカーや、マッキーを使って2枚重なる効果を考えて描いた。

卒業制作的に一生懸命描かせた。私は子供たちをずっと見ているのでその子らしさが分かる。現実をしっかり見ながら効果を考える子。夢のような空想の世界で描く子。自分の個性に気がつきはじめた子。重ねて描くことの面白さに気付いている子。マイペースで自分を主張する子。それがまた結構バランスが良い子。

そして、額も自分で装飾した。これが結構自分の絵を大切に考えて作れた! 建志君はインフルエンザでお休みしたので、後日発表しますね。

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2011/03/12

地震の被災者の方々、自衛隊の皆さんがんばって下さい!

地震に関して私は無事です。

11日は午前中に確定申告を出し昼食後に母の介護施設にみかんと和菓子を持っていき、一緒に食べ、短時間でしたが私が行くと喜んでいました。そこを出てから、学芸大学駅への道を歩いていると電線が異常に揺れていた。誰も反応していなかったけれど、私は地震じゃないかと気付き、電線を見ていた。ゆっくりとゆっくりと揺れてきて、そのうち立って入れないほど地面が揺れてきた。その途端、だれだか子供連れのお母さんの後ろにしがみ付いてしまっていた。商店街の道は窓がガラスだらけだと気が付いたので割れて落ちてくるといけないと気付き、走ってそこを避けて小さな公園にでた。そうだ、地震の時には竹林に逃げると良いんだと、公園には大きな古い桜の木がありました。その木にしがみ付いて、そばの草を持ちました。草には犬のフンがいっぱいありました。おお!運が付いてる!とは後から思った事でした。公園の中にはたくさんの人がいたので、ほっとした。揺れが収まってくると恐怖心があとからあとから押し寄せてきた。

私は地震に敏感ですし、大嫌いなのです。まだ東急線は動かないと思ったがとりあえず、学芸大学駅に向かった。駅では電車の不通を放送しているけれど、地震については何も情報はなく、携帯もつながらず、メールだけしましたが戻ってはこない。公衆電話に並ぶ人の中に私も並んだ。慶応幼稚舎の子たちが雀のように元気だった。そのうち学校関係者なのか、子供たちを隣の都立大駅まで行こうと、勇ましく気合を入れて歩いて行った。私は夫と電話がつながり、母の介護施設に戻って様子を見ると伝え、雨も降ってきそうな寒い道をまた戻っていった。介護施設に行くと、玄関前に見慣れた弟が自転車で来ていた。私は久しぶりに実家に行くことにした。弟は海外に行っていることが多いのだがちょうど日本にいたのだった。地獄に仏、という感じがした。弟の海外の知人たちからはたくさんのメールや電話があり、ニューヨークの地方紙にも弟名で情報が出ていた。ただし実家は年季の入った家なので、ミシミシという音やガラス窓の音がしてまんじりとしない一夜を過ごしたのだった。

今日は朝8時ぐらいに学芸大学駅から東急線で、それほど混んでいない車で帰ってこられた。東北地方太平洋沖地震と名付けられたこの巨大地震は情報としてはテレビを見ているが、これが日本なのかと目を疑うほどの映像だ。我が家には福島いわきに親戚知人も多い。これから少し落ち着いたら連絡をするが、心配でならない。福島第一原発の放射能漏れのニュースや、津波による被害はマグニチュード8.8を裏付ける規模となっている。自衛隊の方々の動きやヘリによる救出が心強い。私の家族は皆無事だった。情報を伝える時間の共有を考えると、電話は最小限にしないといけないと思った。そして、大きな駅にいる人たちには、帰宅難民への避難場所を提示しているが、小さな駅での対応はなかった。私はたまたま実家がありなんとか、一宿一飯の提供があったがもしもそういうところでなかったらどうなったのだろうと不安になる。こういう点についての自分のシュミレーションをしていないといけないと気付いた。今書いてはいるが、取るに足らぬ私事ではある。

被害を受けた方々に何と言ってよいか言葉がない。今は心から祈り続けたい。

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2011/03/03

なによりうれしい雛祭り

Hina_1 今日は雛祭りの日だったので、それにまつわることを書きたかったがあともう一時間で今日は終わる。でも今年の雛祭りの日は今日しかないので書くことにする。なぜ書けなかったかというと、今日も何かと忙しかったからだ。以前も書いたが、何度も言いたいことはあるので、しつこいかもしれないが書いてしまう。

今日朝、お雛様を出した。お顔にシミの出ているところもあり、おいたわしいが仕方がない。そして相変わらずウエットになって子供たちが小さい時を走馬灯のように思い出していた。全くパターン化したセリフだけれど。

娘が小さい時に、長女はおひなさまの前で踊った。ビデオもデジカメも用意していなかったので私の目と脳には記録されている。次女は小学生の時、4日の日に私がお雛様を片づけてしまったことを悲しがって泣いた。あの70年代の7段飾りのお雛様は結構大きいので飾るのも片づけるのも大変なのだ。今日も飾ったが、もう娘たちは結婚したので、片付けが遅くなっても構わない。一応ご存じない方がいるといけないので、言っておくが、お雛様は3日の雛祭りが終わったら早めに片づけないとお嫁さんに行くのが遅くなるという俗諺がある。一応私は信じて行動してきた。だから今日飾ったお雛様はまだ当分飾っておく。

Hina_2 我が家のお雛様は今から38年前に両家の両親が待ち合わせて買いに行ってくれたものHina_3 だ。まだ気心が通い合っている訳ではないから、高額の買い物はなかなか大変だったと思う。実家の母は人形の顔が良かったのでこれを選んだと言っていた。

それにしても昨年次女は結婚したのだが、相手の方、つまりがお婿さんが人形(雛人形、五月人形)に関わる家の方であったのは全く何かのご縁としか言えない気がする。娘はいつもお雛様に心を通わせていたからかとも思う。今日出すのが大変だったが、お人形の顔を見てこのような優しい気持ちになれたのはやはり雛祭りの効用なのだと感じた。

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色紙に描く子供の絵

Sikisi_kenta Sikisi_rikoSikisi_takeshi_2Sikisi_reina                             

左からケンタ、リコ、タケシ 、レイナ。

Sikisi_momoka

Sikisi_manamiSikisi_tomoyaSikisi_risa 左からモモカ、マナミ、トモヤ、リサ。 

今月から来月にかけては学期末になるので、あとりえチビッコでも、まとめの意味で各自の個性が発揮できる設定にしています。

色紙に描いているので、玄関などに飾ることができます。春の花を描かせたのですが、花が苦手という男の子たちもそれなりに描くことができました。このような機会でないと花に接し描くことをしない子たちには、永久保存版で残しておく価値があるでしょう。

女の子たちはそこを一歩出て、観察に加えて、自分の気持ちを表していると思います。モモカだけは、もうすぐ自分の個性を感じられる絵を描くことができそうなので、少し、指導しましたが、予想通り良い線いってます。何も考えてないみたいなほんわりとしている子だが、きっといい絵が描けると、私は信じているので続けてがんばってほしい。

どの子もそう言えるけど。レイナの視点が良いので、美しい花が描けた。これからが楽しみだ。

ヒナタとナミの絵の写真をどうも撮りそこなったようです。消えていた。来週撮って、載せます。ごめんね。

Sikisi_nami

Sikisi_hinata はい、左がナミとヒナタの作品です。失礼いたしました。coldsweats02

Gaku_riho 追記:RIHOのサインの入った左の作品はもちろんリホちゃんの作品です。風邪で皆と一緒に描けなかったのであとから、描いたので花も少なくて寂しくなってしまった。そこで、学校でそのあくる日に書くお習字の字をまわりに書いた。

『生きる、生命』。リホちゃんは詳しくは聞いていないが生まれる前から大変な出産だった。だからそれをお習字に書く予定だった。この絵を描いたのは2011年3月10日だった。そして、あくる日に地震があった。またしても命の大切さがリホちゃんにとって感じられたはずだ。そしてこの絵は私にとっても忘れられない絵になった。

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