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2011/03/12

地震の被災者の方々、自衛隊の皆さんがんばって下さい!

地震に関して私は無事です。

11日は午前中に確定申告を出し昼食後に母の介護施設にみかんと和菓子を持っていき、一緒に食べ、短時間でしたが私が行くと喜んでいました。そこを出てから、学芸大学駅への道を歩いていると電線が異常に揺れていた。誰も反応していなかったけれど、私は地震じゃないかと気付き、電線を見ていた。ゆっくりとゆっくりと揺れてきて、そのうち立って入れないほど地面が揺れてきた。その途端、だれだか子供連れのお母さんの後ろにしがみ付いてしまっていた。商店街の道は窓がガラスだらけだと気が付いたので割れて落ちてくるといけないと気付き、走ってそこを避けて小さな公園にでた。そうだ、地震の時には竹林に逃げると良いんだと、公園には大きな古い桜の木がありました。その木にしがみ付いて、そばの草を持ちました。草には犬のフンがいっぱいありました。おお!運が付いてる!とは後から思った事でした。公園の中にはたくさんの人がいたので、ほっとした。揺れが収まってくると恐怖心があとからあとから押し寄せてきた。

私は地震に敏感ですし、大嫌いなのです。まだ東急線は動かないと思ったがとりあえず、学芸大学駅に向かった。駅では電車の不通を放送しているけれど、地震については何も情報はなく、携帯もつながらず、メールだけしましたが戻ってはこない。公衆電話に並ぶ人の中に私も並んだ。慶応幼稚舎の子たちが雀のように元気だった。そのうち学校関係者なのか、子供たちを隣の都立大駅まで行こうと、勇ましく気合を入れて歩いて行った。私は夫と電話がつながり、母の介護施設に戻って様子を見ると伝え、雨も降ってきそうな寒い道をまた戻っていった。介護施設に行くと、玄関前に見慣れた弟が自転車で来ていた。私は久しぶりに実家に行くことにした。弟は海外に行っていることが多いのだがちょうど日本にいたのだった。地獄に仏、という感じがした。弟の海外の知人たちからはたくさんのメールや電話があり、ニューヨークの地方紙にも弟名で情報が出ていた。ただし実家は年季の入った家なので、ミシミシという音やガラス窓の音がしてまんじりとしない一夜を過ごしたのだった。

今日は朝8時ぐらいに学芸大学駅から東急線で、それほど混んでいない車で帰ってこられた。東北地方太平洋沖地震と名付けられたこの巨大地震は情報としてはテレビを見ているが、これが日本なのかと目を疑うほどの映像だ。我が家には福島いわきに親戚知人も多い。これから少し落ち着いたら連絡をするが、心配でならない。福島第一原発の放射能漏れのニュースや、津波による被害はマグニチュード8.8を裏付ける規模となっている。自衛隊の方々の動きやヘリによる救出が心強い。私の家族は皆無事だった。情報を伝える時間の共有を考えると、電話は最小限にしないといけないと思った。そして、大きな駅にいる人たちには、帰宅難民への避難場所を提示しているが、小さな駅での対応はなかった。私はたまたま実家がありなんとか、一宿一飯の提供があったがもしもそういうところでなかったらどうなったのだろうと不安になる。こういう点についての自分のシュミレーションをしていないといけないと気付いた。今書いてはいるが、取るに足らぬ私事ではある。

被害を受けた方々に何と言ってよいか言葉がない。今は心から祈り続けたい。

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