« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月の記事

2011/04/28

祈り・その3

一日に起きる地震の回数は減ってきたが、まだまだ大きな余震があるのではないかと、怯えている。
今朝長女から電話で、被災地の新聞を見て細かなのもを送ったのだが、その方からお手紙が届いたという。4月8日の朝日新聞に「……津波で何もかも流されてしまって私も何をしていいのかわかりません。娘はペンを買ってね。ハンドクリームを買ってねというくらいで、大きな事は望みません。今の状況をわかっているのでしょうね。」と書いてあったのを見て、家にあったこまごまとした物を送ったそうです。こんな小さな手助けだったら私も出来ると送ったそうだ。年頃が自分と同じぐらいだと思って、以前読んだ「チビまるこちゃん」の漫画も入れておいたという。娘はその記事を新聞で読みながら泣いてしまったという。その方は送った宅急便の荷物を受け取ってとても嬉しかった様だ。その手紙です。

この度は大変申し訳なく涙だけがあふれてきました。毎日の余震で疲れきっていた時に「Yさん荷物が届いていますよ」と先生から…朝日新聞の小さな小さな記事で「神様はいるんだね」と娘と3人で泣きました。本当に助かりました。いつかきっと恩返しが出来る様に前向きに頑張っていきます。子供の学校の事もあり、また近くの場所での住宅が決まりました。娘2人と3人での暮らしが始まります。生きていれば必ず楽しい事もありますよね。頑張ります。ありがとうございました。忘れません。

そのYさんの住所を地図で見ると、私たちがいわきの田舎のお墓参りの時に泊まったかんぽの宿の近くのようでした。知り合いに聞いたのではかんぽの宿の1階が津波にやられたと聞いている。あの、なだらかな太平洋の海があの松林を抜けて襲って来たのかと! 何という酷いことか!
私たちには今、被災した方々に対して何も言えません。言葉がありません。でも、早く普通の生活に戻れるように祈っています。

| | コメント (0)

2011/04/22

私の靴・ぼくの靴@2011春

Kutu_riho

 子どもたちが3月に描く予定だった≪私の靴・ぼくの靴≫を4月に入ってから描いた。3月16日に描く予定だったが、原発の様子も不穏な気がし、地震も気になり私は子供たちの前に立つ自信がなくなったのでおけいこを休みにしてしまった。でも今いる子供たちにどうしても描かせたい課題だったので、今回描かせた。ケンタが居なくてリンが入って描いた。

靴は子どもたちを表すものだ。生徒の一人で足の具合が悪い莉歩ちゃんが靴と詩をかいた。彼女は足に障害がある。そのために装具を付けていた時期があるそうで、その名残が今回の靴にはあった。中敷きの布がよれていた。本当はおうちに描く予定の靴があったのだけど、忘れてこの靴を履いて来てしまったのだという。でも、思い出が詰まっている靴もいいじゃない! 

Kutu_momoka

Kutu_nami

Kutu_hinata左からモモカ、ナミ、ヒナタ。

それぞれが自分の靴を描いた。一応子どもたちが靴を上手く描くための指導方法はある。観察方法ともいえる。靴を描き終えたのちに自分のイメージを広げるまでがまた一工夫なのだけど、物を一生懸命観察して、エネルギーがあったら、その先を描いてみるのは自分でものを考えていく訓練として大切なことです。

Kutu_reinaKutu_rikoKutu_rin 左からレイナ、リコ、リン。

私がかつて日本画を院展の横溝由貴先生のところで習っていた時のことです。何人かの方がモチーフを描いた後にバックの色は何色にしたらいいでしょうかと、よく先生に聞いていた。私はその言葉を聞くたびに?と思った。先生へのへりくだった気持ちなのかもしれないが、失敗しても自分で決め、描くべきだと思う。大人が趣味として描く姿勢と子どもが描く姿勢は違うかもしれないが、絵画はそういう点が子どもが自分で考えることの習慣をつけるのにふさわしい教科なのです。指導者はその事を意識して指導すべきです。

Kutu_risaKutu_takeshi 左はリサとタケシ。 リサちゃんの一見大雑把なデッサンも遠く離れてみると塊として堂々としている。タケシくんはいつも原っぱでお父さんや弟と野球やサッカーで遊んでいる。そんな感じが伝わってくる絵になった。

Kutu_manami

Kutu_tomoya 左のマナミちゃんとトモヤくんは靴を描いてからまわりに桜を描いた。そこで私は携帯に入れてある森山直太郎の『桜』を流した。なんだか、うっと来た。

私はしつこくリホちゃんのお母さんが来た時にも、絵と一緒に『桜』を聞かせた。リホちゃんが『桜はお母さんの好きな歌で、聞かせたらお母さんが歌うかも』と言ったから。お母さんは歌わなかったけど目が潤んでいた。それは花粉じゃないと思うよ!

| | コメント (0)

2011/04/18

太陽に輪(日暈)が出ている

午前中に散歩を2キロほどして、少し前に昼食を食べ、ベランダ越しに外を見ようとしたところ変な雲があります。なんと太陽を丸く虹のついた雲が囲んでいる。全天の3分の一ぐらいを覆っている。私が頑張って写真を撮ろうとしたけれどいくらシャッターを押しても無理でした。露出マイナス2にしてもダメでした。芳州さんは車で何処かに出かけて撮りにいきました。周りに虹もできていて不思議な感じでした。気がついたのは午後0時50分で、1時20分位まで続きました。自分のいる場所のすぐ上でこの様な事が起きたのは初めてです。インターネットで《太陽、虹の輪》で検索すると日暈(にちうん)と出ました。
その間シジュウカラがベランダのひまわりの種を私がいる事を気にもせず啄んでいました。今年はまだダンコウバイの花も遅れていますが、もうすぐそこには春の気配がします。

| | コメント (0)

2011/04/16

誕生日の過ごし方

昨日は私の誕生日でした。諸用を済ませて母の介護施設に寄り、代官山に夫を迎えに行き、ここ山小屋に来ました。車から降りると雨が降ってきたので、すみやかにパソコンやら食料やらの荷物を出しながら、ふと見ると大きな薔薇の花束がありました。次女から『ママへのケーキと花束を忘れないでね』と、メールで言ってきたというのです。先ほど、その花束を抱えて写真を撮りました。大震災の人に申し訳ないと思いましたがこの北杜市の花屋さんも倒産などしないで欲しいと願う気持ちです。ここでは気温も低く、乾燥もしているので、出来るだけ私のシワが目立たぬ様にとお願いしました。4×8=32 8×8=64などの計算式を思い浮かべながら、若い時に戻りたいけれど、シワを足してもこの安定感のある年齢も悪くはないとガッツリ思いました。

丸山健二の後にまた内田樹の《ためらいの倫理学  》を読みはじめました。戦争に関して他の書籍を引用して意見を繰り広げているのですが、そこに日本というものが見えてくるし、諸説は今回の東日本大震災に置き換える事もできるなあとも考えましたが、まだ読了していないのでなんとも言えません。初期の内田樹の論理にオールマイティーな普遍性を感じました。時々内田樹もへそ曲がりだと感じるけれど、丸山はアウトドア派、内田はシテイーボーイ派の違いがありそう。私の低いレベルでの見識ですが。

それから清里大橋当たりで長女からは可愛いお誕生日メールが来ました。ママ、がんばるからね!

まだここでは草もわずかに生えている程度で、まだまだ冬の景色です。途中の中央道は桜が満開でした。でもそこここに確実に春の気配が感じられました。そして待つという事は時間が経ち、巡り巡って経過するその時間の中で自分の体力や精神がうち勝てば、克服した喜びを受け止められると、自分の負の経験から思いつくのです。体力の温存も作戦のうちなのでしょう。

| | コメント (0)

2011/04/14

キャラクターを作りだす試み

Hukubuta_hinata_3Hukubuta_manami_3Hukubuta_momoka_2Hukubuta_nami_2

左からヒナタ、マナミ、モモカ、ナミ。

Hukubuta_reina

Hukubuta_rikoHukubuta_rihoHukubuta_rin 左からレイナ、リコ、リホ、リン。

Hukubuta_risaHukubuta_takeshiHukubuta_tomoyaHukubuta_ki_reina 左からリサ、タケシ、トモヤ。木はレイナ。

今回は、以前から描かせている『洋服を着た豚』シリーズの課題をした。言葉の組み合わせをイメージとして描いていくというやり方は、頭の中でそれぞれ違うアイデアを作り上げていくから真似が出来にくい。

今回は放射能に汚染された土地を改良できるというヒマワリを『土の中の毒を食べるヒマワリ』というフレーズにして描かせた。科学的なことは知らないがひまわりには土壌を変えることが出来るという。それでは土の毒を食べるヒマワリと言いかえれば絵にかきやすいかと、考えた。トモヤくんのイメージがだいぶはっきりしてきた。お家にはアイデアのためのノートがあってお母さんには見せられないって。あっ、言っちゃった。それは≪キモい種類≫だそうだ。だから今日の『土の毒を食べるヒマワリ』はやりたい種類の課題だったみたいだ。他の子も、きれいなヒマワリじゃなくて気持ちの悪いヒマワリを描くのもたまにはよさそうで、トモヤくんに刺激されていた。

子どもにはイメージしにくい放射能というものを≪毒≫という言葉にして説明したが、美しいヒマワリが土地の改良に役立つということを考えさせたかった。おけいこが終わってから、インターネットで≪福島の被災者の子どもたちが放射能が付いていると言われ移動先の船橋でいじめを受けた≫というニュースを知った。この大倉山には被災者の子供たちを見かけないが、ヒマワリの話につけて、そのことも一緒に話すべきだった。来週話そう。孫のトモ君は船橋にいる。そういうことがあるとすれば気にかかる。

また『ブランコのある木の上の家』という絵もそれぞれのイメージが持ちやすかった。なにかの機会にこのツリーハウスを描いた絵本を描かせたい。そのため、1人だけ公開。レイナちゃんだ。子供らしい視野で描いている。モモカちゃんの木はアイデアがデザイン的に整理されていて良かった。ここで発表はまだしたくない。

今回のキャラクターはいずれ、絵本を描かせる時に登場させようと思っている。一つ一つ積み重ねていかないとね。

| | コメント (0)

2011/04/07

春の野菜を描く

新学期になって始めてのあとりえ・チビッコは春の野菜を水彩絵の具で描いた。始めに野菜はチューブの緑を出さず、青と黄色を混ぜて描く様にと指導する。そして完全に混ぜ切らぬようにすることをパレットの上で私が見本を示してスタートする。

新学期になってのクラス分けや、新しい先生が来たとか、もう一年前の学期に戻りたいというおしゃべりをしながら描く。トモヤ君は急に私のそばに来て、絵が上手になったと学校の先生に褒められたと言う。通知表の成績かしら。指導していてこういうことはうれしい瞬間だ。こうしてブログを描くのも市井で指導していて客観性が無くなるといけないと始めたことだ。そして子どもたちの優しさも情緒的な安定感があってこそ、伸びるものだ。それでも、こちらが働きかけてもなかなか、集中力が出なかったり、丁寧さに欠ける時がある。そういう時はじっくりと様子を見ながら、友だちや学校の先生や家庭内に何かの嵐が吹いているのではと思って、絵画的指導の働きかけだけをしている。でもある時、とてもいい絵が描ける日が来る。

それはその子の芽を信じて、必要以上に栄養を与えないことだ、ただ水だけを適量撒く。とココまで書いて、これは我が家のベランダ菜園や川上村での畑の栽培方ではと気がつく。確かに子どもの教育は植物の育て方に似ている。そのような教育理論の上に立っての造形絵画が在ると思う。おけいこの最中にまたトモヤ君は『食べすぎて太っちゃうわよ、ハンサムじゃなくなるわよ』と私が言うと『僕、大丈夫!この体型好きだから』という。プフッツみんな大笑い。私も今度その言葉使わさせていただきます。

Haruyasai_hinata

Haruyasai_manamiHaruyasai_momoka 

左からヒナタ、マナミ、モモカ。

Haruyasai_nami

Haruyasai_reina

Haruyasai_riko

左からナミ、レイナ、リコ。

Haruyasai_riho

Haruyasai_risa

Haruyasai_takeshi

左からリホ、リサ、タケシ。

Haruyasai_tomoya

Haruyasai_rin 左からトモヤ、リン。リンちゃんは今回見学。

| | コメント (0)

2011/04/05

祈り・その2

毎日が東日本大震災への祈りで過ぎていきますが、明日は久しぶりにあとりえ・チビッコがあります。子供たちと今までと変わらぬ絵を描く時間を過ごし、なおかつ私自身の新しい発見や感動を伝えていきたいものです。

先ほどは思想家内田樹と宗教学者中沢新一、ラジオデイズ社長平川克己の「今日本に何が起きているのか」をUSTREAMで放映されるのを見ました。今起きていることを学者の立場で冷静に、歴史も踏まえて、化学的な考察もしながら、何故、原発事故が起きてしまったかを分かり易く、話してくださり、大変為になり感動し、力が湧いてきました。日本版『緑の党』が出来るかもしれないのです。

また現在被災地に行くことは今のところ足手まといになり、無理だと思うので、義援金寄付をしたいと考えていました。そこで私は八ヶ岳山麓日記のブログから鎌田實先生の長野諏訪病院の医師としての立場と、チェルノブイリ原発の調査をなさっていることから、『日本チェルノブイリ連帯基金』原発被災者支援に義援金を贈りました。孫さんは昨日100億円寄付したと聞きましたが、私たちはそのミリとマイクロシーベルトの違いくらいで寄付しました。

福島には親戚が3軒あります。宅急便が通じたので、この間心ばかりの支援物資を贈りました。電話では原発の心配もあるけれど、息子の仕事の応援もしないといけないと言っていました。お嫁さんを孫と一緒に実家に預けたそうです。

長期化することを念頭に入れて東北を支援していかないといけないと思いました。

鎌田實のブログより

• JCF(日本チェルノブイリ連帯基金)では被災地支援のため募金募集を行っております。頂いたご寄付は、原発被災者支援の医薬品と現地で必要な物資の購入費、またその輸送費に充てます。振込口座など詳細はこちら

| | コメント (0)

2011/04/02

丸山健二とスズメ

Suzume 昔読み齧った、丸山健二の書籍を見つけたのは横浜の本屋で、『ある小さなスズメの記録』(クレア・キップス)のコーナーの隣だった。丸山は『あなたの若さを殺す敵』(朝日新聞社)の外側の帯には

「庭の手入れをしている時、偶然、一羽のスズメの死骸を見つけました。(中略)その小さな死には胸を打たれるものが秘められていました。羽毛の一本一本までが自立の若さに彩られていたからです。これこそが本物の死であり、本物の生を生きた末に得られる理想の死であると感服し、おのれの最後がそれに限りなく近いものであってほしいと願わずにはいられず、同時にそのためにはまだまだ生き方が不足していると思わずにはいられませんでした。」

私も、以前シジュウカラの死骸を山小屋のベランダで見つけたことがある。写真にも撮り、やはりその姿に驚いた。その時は鳥インフルエンザが流行り始めていた時だった。またある夏の日には車で通りがかった時、水たまりのそばにイワツバメが死んでいた。車にぶつかって死んだのだろう。見つけたのでそのままほっておけない気持が起き、紙に包んで持ち帰り、深い穴を掘り、野生の動物に暴かれないように埋めた。長野の山小屋に来ると、まわりには野生の動物の死骸をよく見る。タヌキやキツネが同じ場所で2匹一緒に死んでいたりする。それは兄弟なのだろうか夫婦なのだろうか。私たち家族(夫と犬と私)が散歩する道にシカが倒れていたりする。それはもう死んでいたのだが、毛が銀色に輝き美しかったが、半日後にみると目と肛門が他の動物によって、攻撃されていた。一例を見ればそれは残酷とも言えるが、自然な中ではよくあることだ。

丸山健二の本の帯に書かれていたスズメの描写から興味が湧き、また久しぶりに彼の本を読もうと思った。丸山健二と言う人はどちらかというとへそ曲がりと私は認識している。人のしていないことをするのが好きのようで、私もどちらかと言えばその傾向があるので気になる人だった。今度久しぶりに読んで、変わんないんだなあ! と改めて感じた。いつだっただろうか、長野の山奥に庭園を作って白い花を育てて写真を撮っているという記事を読んだことがある。闇夜の中に白い花を撮影しているのが幻想的だった。そして男の人でこのように花を育てるのは果たしてなどのような人なのだろうと思った記憶がある。

『あなたの若さを殺す敵』の目次に並ぶタイトルには1・母親の過剰な愛があなたを殺す。2・勤め人と言う立場への依存があなたを殺す。3・目的を持たないものは目的を持っているものに殺される。4・便利な消費生活があなたを殺す。5そして真の若さは濃厚で危険な自由の中にしか存在しない。6・要は生きるか生きないか。という6つのタイトルがグサッとくる。

確かに母親は≪子どものために≫という大前提でほとんどの行動を正当化する。自分も我が子のために生きてきたが、では私の母は今どうかというと、大切に思ってくれたが、私を縛っていると感じることもある。私も娘たちを何らかの形で縛っているかもしれない。また2項目は勤め人であった夫は会社を辞めてフリーになった時に本当にやりたいことに着手したのだからうなずける。3の、目的を持ってずっと生きてきたから、目的を持たない人を殺したかというとそうでもない。私には反対に感じることもあった。つまり目的を持っていない人に目的を持っている人が殺されると、感じたことがよくあった。便利な消費生活は欲望の虜となると感じている。

この本は東北関東大地震の前に買い読み終っている。地震後に今回もう一度読みなおし、感動が違うことに気付いた。『真の若さは濃厚で危険な自由の中にしか存在しない』のタイトルに書きこまれている内容は地震が起きてからは強烈に響いた。これはどちらかと言えば戦っている若い人に話しかけているだろうから、私のように60歳を超えた微妙なお年頃の人には、『じゃあどうしたらいいの?』とも言いたくなる。だがしかし、人生をちょっとだけ抵抗して生きてきたへそ曲がり派の私にはうなずける感も在る。

つまりはこういうことじゃないだろうか、『横断歩道みんなで渡れば同じ道。違って渡れば車にゴツン。目的地に早く一人で行ける。満足は大きい。危険なリスクもあるけれど、過酷な自然に向かっていけば自由な自分で死ねる。』 このような理解程度では著者に申し訳ないけど、そのように理解したのです。この地震後に読むには良い本かもしれない。がその中に優しさを期待すると裏切られる感がある。何しろ長野の山の中でストイックに厳しく生きて来られた方なのだからかなり手強い。

自然の中での動物の生きざまは私の生き方にこれからも答えを与えてくれていると思う。そういう点でこの丸山健二の本は同感する部分が多かった。今回の東北大震災の人たちの死はあまりに突然で、唐突で、理不尽で受け入れがたい。それは人と動物の死は違うということなのかもしれない。もちろんこのスズメの死の論理をあらゆる死の論理に組み込むことは出来ない。それを真剣に考えると私は堂々巡りを始めてしまう。

| | コメント (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »