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2011/04/02

丸山健二とスズメ

Suzume 昔読み齧った、丸山健二の書籍を見つけたのは横浜の本屋で、『ある小さなスズメの記録』(クレア・キップス)のコーナーの隣だった。丸山は『あなたの若さを殺す敵』(朝日新聞社)の外側の帯には

「庭の手入れをしている時、偶然、一羽のスズメの死骸を見つけました。(中略)その小さな死には胸を打たれるものが秘められていました。羽毛の一本一本までが自立の若さに彩られていたからです。これこそが本物の死であり、本物の生を生きた末に得られる理想の死であると感服し、おのれの最後がそれに限りなく近いものであってほしいと願わずにはいられず、同時にそのためにはまだまだ生き方が不足していると思わずにはいられませんでした。」

私も、以前シジュウカラの死骸を山小屋のベランダで見つけたことがある。写真にも撮り、やはりその姿に驚いた。その時は鳥インフルエンザが流行り始めていた時だった。またある夏の日には車で通りがかった時、水たまりのそばにイワツバメが死んでいた。車にぶつかって死んだのだろう。見つけたのでそのままほっておけない気持が起き、紙に包んで持ち帰り、深い穴を掘り、野生の動物に暴かれないように埋めた。長野の山小屋に来ると、まわりには野生の動物の死骸をよく見る。タヌキやキツネが同じ場所で2匹一緒に死んでいたりする。それは兄弟なのだろうか夫婦なのだろうか。私たち家族(夫と犬と私)が散歩する道にシカが倒れていたりする。それはもう死んでいたのだが、毛が銀色に輝き美しかったが、半日後にみると目と肛門が他の動物によって、攻撃されていた。一例を見ればそれは残酷とも言えるが、自然な中ではよくあることだ。

丸山健二の本の帯に書かれていたスズメの描写から興味が湧き、また久しぶりに彼の本を読もうと思った。丸山健二と言う人はどちらかというとへそ曲がりと私は認識している。人のしていないことをするのが好きのようで、私もどちらかと言えばその傾向があるので気になる人だった。今度久しぶりに読んで、変わんないんだなあ! と改めて感じた。いつだっただろうか、長野の山奥に庭園を作って白い花を育てて写真を撮っているという記事を読んだことがある。闇夜の中に白い花を撮影しているのが幻想的だった。そして男の人でこのように花を育てるのは果たしてなどのような人なのだろうと思った記憶がある。

『あなたの若さを殺す敵』の目次に並ぶタイトルには1・母親の過剰な愛があなたを殺す。2・勤め人と言う立場への依存があなたを殺す。3・目的を持たないものは目的を持っているものに殺される。4・便利な消費生活があなたを殺す。5そして真の若さは濃厚で危険な自由の中にしか存在しない。6・要は生きるか生きないか。という6つのタイトルがグサッとくる。

確かに母親は≪子どものために≫という大前提でほとんどの行動を正当化する。自分も我が子のために生きてきたが、では私の母は今どうかというと、大切に思ってくれたが、私を縛っていると感じることもある。私も娘たちを何らかの形で縛っているかもしれない。また2項目は勤め人であった夫は会社を辞めてフリーになった時に本当にやりたいことに着手したのだからうなずける。3の、目的を持ってずっと生きてきたから、目的を持たない人を殺したかというとそうでもない。私には反対に感じることもあった。つまり目的を持っていない人に目的を持っている人が殺されると、感じたことがよくあった。便利な消費生活は欲望の虜となると感じている。

この本は東北関東大地震の前に買い読み終っている。地震後に今回もう一度読みなおし、感動が違うことに気付いた。『真の若さは濃厚で危険な自由の中にしか存在しない』のタイトルに書きこまれている内容は地震が起きてからは強烈に響いた。これはどちらかと言えば戦っている若い人に話しかけているだろうから、私のように60歳を超えた微妙なお年頃の人には、『じゃあどうしたらいいの?』とも言いたくなる。だがしかし、人生をちょっとだけ抵抗して生きてきたへそ曲がり派の私にはうなずける感も在る。

つまりはこういうことじゃないだろうか、『横断歩道みんなで渡れば同じ道。違って渡れば車にゴツン。目的地に早く一人で行ける。満足は大きい。危険なリスクもあるけれど、過酷な自然に向かっていけば自由な自分で死ねる。』 このような理解程度では著者に申し訳ないけど、そのように理解したのです。この地震後に読むには良い本かもしれない。がその中に優しさを期待すると裏切られる感がある。何しろ長野の山の中でストイックに厳しく生きて来られた方なのだからかなり手強い。

自然の中での動物の生きざまは私の生き方にこれからも答えを与えてくれていると思う。そういう点でこの丸山健二の本は同感する部分が多かった。今回の東北大震災の人たちの死はあまりに突然で、唐突で、理不尽で受け入れがたい。それは人と動物の死は違うということなのかもしれない。もちろんこのスズメの死の論理をあらゆる死の論理に組み込むことは出来ない。それを真剣に考えると私は堂々巡りを始めてしまう。

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